時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「いいいいいっ!?」
目の前で人間ひとりが凍結する瞬間を目撃したリップルが反射的に身を縮める。
間を置かずに氷塊に走る亀裂。
氷漬けにされるも、氷結攻撃が到達する直前に魔力で全身を固めていたキャロルは何食わぬ顔で半透明の檻を蹴り破り、即座にその場を跳躍し離れると入口のほうへ意識を向き直した。
(なんだ、この……妙な感じ)
部屋の入口から半身を晒しているのは仄かに輝きを放つ青白い長髪が特徴的な少女だった。
氷を放ったのは彼女だろう。膨大な魔力が冷気となってその周囲に漂っている。
「レイニィ~! ナイスタイミング!」
腰が抜けたまま涙目になったリップルが新手の魔術師にそう呼びかけた。
レイニィ——それが氷の魔術を操る少女の名前らしい。リップルとは顔見知りなのだろうか。
まあどうでもいいけど。
「質問する相手が増えて、ちょうどいい」
空中で身を翻したキャロルは天井の中心にぶら下がっていたシャンデリアへ脚をかけ、そこを起点に魔力を解放。
推進剤として噴射された魔力がシャンデリアを破壊し、眩しいくらいに感じていた白い部屋がわずかな光を反射する怪しげな空間に変わった。
レイニィと呼ばれた少女へ風も音も置き去りにする速度で一直線に突貫したキャロルは目標の胸ぐらへ手を伸ばす。
避けられるタイミングではない。
白く繊細な指先が豪快に首元に迫ったそのとき、
「っ?」
キャロルの視界は一瞬にして屋外へと様変わりし、その手のひらは虚空を掴んだ。
周りにあるのは廃墟のように寂れた住宅街。
いや「ように」ではなく、まさしく廃墟といった景観だ。この辺りへ足を踏み入れたときにも見た、「居住区」と呼ばれる区域。
————城の外に瞬間移動させられた?
同じような現象を以前も体感したことがある。邪神教の教皇が使っていた空間を操る魔術とよく似ている。
リップルの拡張された部屋といい、これは……。
「動かないでください!」
「はぅ」
真後ろから震えた声音が聞こえるとともに、乱れた銀髪を突き抜けてひやりとした指先がキャロルのうなじに触れた。くすぐったい。
魔力で全身を守っているのであまり背後に気を配っていなかったのもあるが、一瞬の隙を突いて後ろをとってくるとは悪くない身のこなしである。
しかし一度聞いただけでわかる。声の主は命のやりとりに慣れていない。人を脅すことに慣れていない。
純粋な敵意ならばキャロルも受けて立つところだが、そうでないのなら早急に返礼をする必要性も感じなかった。
ぼうっと薄暗い空を見上げながらどうしたものかと頭を捻る。
「あのリップルって魔術師のお友達? 先に仕掛けてきたのは向こうだよ」
「見逃してください。リップルちゃんには……私から言い聞かせておきます。それにあの城では表立った揉め事は禁止されているの」
「んー……」
「あなた、ここに来たばかりですよね? なにが目的ですか? 引いてくれるなら、私が知ってる魔導学府の情報をできる限り教えます」
しばし悩む。
交渉とは同等のパワーバランスを持つ者同士が卓について初めて成り立つもの。
こう言ってはなんだが、キャロルが譲歩するにはまだまだ材料が足りないと感じた。面倒事は避けたいのはキャロルも同じだが、いかんせん気になることが立て続けに起きすぎている。あと問答無用で攻撃してきたのもちょっとピキッときてるし。
ぐるぐると混濁した疑問がめぐるなか、うなじに触れている冷たい感触にむずがゆさを覚えながらキャロルは口を開いた。
「じゃあとりあえず、あなた」
「えっ……? わ、私?」
「あの部屋からわたしを一瞬で外に連れ出したように感じたけど、あれはあなたの魔術?」
「……あ、えっと……そうなるのかな、たぶん」
「たぶん?」
歯切れの悪い答えにキャロルの疑問が深まる。
「ごめんなさい、この力に関しては私もよくわかってなくて……」
「……? あなたの魔術なんでしょう?」
「そうですけど……」
「遺物は取り込んだの? 空間の操作……まだ公にはなっていない邪神の魔術だよね?」
「え……っと……」
聞こえた声色のなかに含まれた迷いを読み取り、その瞬間に凪いでいたキャロルの魔力が再び滾り始める。
なにを企んでいるのか知らないが、なにか知っているうえでそれを誤魔化そうとしたことは確かだった。キャロルの脳内に交渉決裂の四文字が浮かび上がる。
お菓子をくれたリップルはさておき、有無を言わさず氷漬けにしようとしてきたこのレイニィとかいう魔術師には優しくしてあげる理由がない。
「くび」
「え?」
「そこ……むずむずするから、いいかげん放して」
キャロルは魔力強化で底上げされた身体能力だけを駆使し、熟練の暗殺者のごとき速さでレイニィの視界から消失した。
「…………⁉︎」
一等星級魔術師・キャロル=ベルスーズがこの場にいることはまだ伏せておきたい。引き続き「石化」は使わないままこの場を制圧する。
驚愕に染まったレイニィの表情を正面に捉えながら、姿勢を低くしていたキャロルがその場で身をひねり空を穿つような後ろ蹴りを放った。
「糸」の魔術を脚まわりに纏わせ補強、増大された威力の打撃が目標の胴体めがけて疾る。
お返しとばかりに不意を突かれたレイニィはその一撃に対してまるで反応できていなかったが、ちょうどキャロルの蹴りが到達する胸元で迸った蒼い炎が一瞬で氷塊へと変化し、即席の防御手段を作った。
だが衝撃は完全に殺しきれず、レイニィの体は廃墟の群へと吹き飛ばされていく。
(蒼い炎が氷に……。アザムの魔術かな)
レイニィの体から発せられている蒼炎は温度が高いのではなく冷気を帯びた火だった。
大戦時、ちょうど北部を縄張りにしていた邪神アザムの「冷炎」の魔術。彼女の特徴的な青白く光る髪も魔力によるものだろうか。
「わたしもこんな埃くさいところからは早くおさらばしたいから、遊んでる暇はないの」
抉れた地面をたどってレイニィが突っ込んだ廃屋へと歩み寄る。
瓦礫の山のなかで項垂れている少女からは抵抗する意思が大して感じられない。生存欲求があればもう少し魔力に表れるものだと思うが。
いや……生きる意思がないわけではない。
投げやりというのも違う気がする。他力本願と称するのが適切か。
何はともあれ、勝負は決したか。
「素直に答える気になった?」
「……ぅ」
戦意が喪失すると同時にレイニィの髪からも魔力が薄れ、元の色だと思われる漆黒へと変わっていく。
すこし力みすぎただろうか。蹴りのダメージが回復して話せるようになるまで時間がかかるかもしれない。
手持ち無沙汰になったキャロルはまた、どうしたものかとぼんやりした視線を暗い空に向けた。
「————舐めてんじゃねェぞ? クソガキ」
刹那、先ほどまでとは打って変わって目の前で瞬間的に高密度の魔力と灼熱が膨張し、キャロルはすぐに後ろへ退く。
今度は間違いなく「炎」だ。一転して黒髪を燃えるような赤へと変貌させたレイニィが、猛々しい外見と同じ火傷しそうな敵意を眼光に込めて睨んでくる。
「……どゆこと?」
あまりの豹変っぷりに思わずキャロルが疑問を吐露した直後、足元で起こした爆発の勢いに乗ってレイニィがキャロルへ肉薄した。
(急に積極的になった……)
前方からきた燃える拳を紙一重で回避し、その場を離脱。
レイニィが全身から放出した炎が意思を持ったように、居住区を駆けるキャロルを追跡し呑み込もうとする。
明らかに並ではない魔力量から繰り出される隙のない攻撃。
先ほどの「冷炎」はせいぜい所感で三等星ほどの圧しか感じなかったが、街ひとつを燃やし尽くす勢いで襲ってくる今のこれは二等星の領域に足を踏み込んでいる。
この「炎」は有名で使い手も多い、邪神グアトゥガの魔術。
二等星ともなれば複数の魔術を宿していても不思議ではない。熱と冷気、相反するふたつの力を行使する魔術師というわけか。
これを「石化」なしで対処するのは——————
「ちょうどいいハンデかな」
キャロルは一度立ち止まり、追撃がくる前に先ほどと同様に「糸」の魔術で作り出した繊維で右脚を覆う。
次の瞬間少女の細足からは想像できない力で地面が踏みつけられ、足元の大地が崩壊。
巻き上がった土埃と瓦礫がキャロルの姿をくらませた。
「しゃらくせェ!」
怒気にも似た感情を乗せそう吐き捨てたレイニィの体内からさらなる魔力と熱が湧き上がる。
熱を捉える瞳で粉塵の幕のなかに紛れているキャロルの体温を感知。
高めた魔力と熱を右手へ集中させ、プラズマ化したエネルギーを直線的に放出。伸ばした光の刃でキャロルの気配を切り裂いた。
「なんだ? 手応えが……」
人体とは異なる感触に気がついたレイニィの動きが止まる。
次の行動へ移られる前に、いつの間にか背後に回っていたキャロルは赤い背中へ災害を凝縮したような回し蹴りを叩き込もうとする。
「ッ…………!」
慌てて振り返ったレイニィが交差した腕でそれを防御。
宙へ打ち上げられるも両腕から高火力を噴射させてバランスをとり直した後、両足からも炎を出し滞空しつつ白い少女を見下ろす。
————邪神ケイオスの力を応用させた分身魔術、ということはさっきの「糸」も模倣したものか?
レイニィのなかで疑念がよぎる。
「……面倒なヤツを押しつけてくれたな」
対するキャロルは不機嫌そうに唇を尖らせた。
(あいつ……嫌いだから、あまり使いたくないんだけど……)
以前やむを得なくケイオスの遺物を取り込んだことでキャロルは変身魔術と、そこから派生した分身魔術等も使用できる状態にある。
高い精度でグアトゥガの魔術を操る魔術師であれば身を隠しても体温感知で位置がバレてしまうことは予測していた。
とはいえ正面から近づくのも骨が折れそうだったので、仕方なく分身魔術に頼ったのである。
先ほどのプラズマの剣も当たっていればキャロルでもただでは済まなかったと思うので、結果的にその判断は正しかった。
石化魔術を封じている状況であることはともかく、手加減を誤れば足をすくわれてしまうかもしれない。
——それにしても暑い。暑いのは嫌。
馬鹿みたいに炎を乱射してくるものだから、北部にいるというのにすっかり汗だくだ。
「もうちょっとだけ本気だしても、死にはしないよね」
襟を緩めながらキャロルは改めて構える。
だが互いに次の一手を探るように静まり返った最中、不意にレイニィとは別の魔力……新手と思しき人影がすぐ横の路地に居ることを察知して視線を流した。
「————ママ?」
「へ?」
暗い路地から顔を出したのは、人形のような女の子だった。
周囲でうねる炎。その光が反射し煌めいた金髪を気流になびかせながら、彼女は不可解な言葉とともにキャロルへ駆け寄っていく。
「シャーロット……⁉︎ 待て! 家でおとなしくしてろって言っ————!」
「ママ……! ママ! ママ!」
レイニィの知り合いなのか彼女が止めようとする素振りを見せたが、当の本人はまるで構わない様子で嬉々としてキャロルとの距離を詰め、一直線にその胸元へ飛び込んだ。
——敵意がない。
隙だらけで向かってくる女の子に対していくらでもカウンターを放つ余裕があるキャロルだったが、女の子からは純粋無垢な感情しか読み取れず、どう対応するべきか困惑しているうちに接近を許してしまった。
「おあっ……」
咄嗟に背中へ腕を回しつつ、女の子を抱き留めながら尻もちをつく。
「ママ会いたかった! ママ!」
金髪の彼女は心底嬉しそうに笑いながら、呆然としているキャロルに頬擦り、最後には頬にキスとこれでもかという愛情表現をふんだんに行なってきた。
「ま……ママじゃない、ママじゃないよ…………?」
寝起きドッキリでも受けたかのように情報処理が遅れた脳で、キャロルはしばらくただ事実に基づいた回答を唱えることしかできなかった。
うなじが弱いみたいです。