時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「アザフォース……」
魔術師メイリーンの証言にあった名前が教皇の口から語られ、キャロルは疑問を表すように眉をひそめる。
すべての邪神の祖——やはりそう表現した。以前遭遇した際に耳にした「落とし子」という言葉もまた出てきた。
キャロルが深追いして尋ねるよりも先に、教皇は部屋の隅に積まれてある書物の山へと視線を流しながら口を開く。
「そもそもの話をしよう。『魔力』と呼ばれるエネルギー、それらで構築された肉体を持つ『邪神』やその『眷属』あるいは『魔物』……これらの呼称はすべて人間が設定した枠組みに過ぎず、彼らの存在を本質的に位置づけるものではない」
「結構な物言いね。ただの人間が、邪神のなにを知っていると?」
いつ誕生し、どのような進化を遂げてきたのか——その存在におけるあらゆる歴史・過程が謎に包まれているのが邪神という生物だ。
その出自は邪神たち自身ですら知る者はいない。
まさしくこの世界そのものの起源に触れる事柄だ。
「知っているとも。いや……知らざるを得なかったと言うべきか」
若い肉体と声音。
しかし教皇が漂わせている重圧は以前よりも深くなっているように思えた。
「この世に虚無のみが存在していた原初の時代……世界に突発的に生じた
牢のなかでメイリーンが口にしたことがキャロルの脳裏によぎる。
粗方彼女の証言を裏付ける言葉が教皇から語られた。
認めるのは癪だが……邪神も生物の一種と捉えるのならおかしな話ではないだろう。ヒトや動物が親から産まれるように、邪神を産み落とした存在がいることは十分に考えられる。
だが今のところは「考えられる」だけだ。
現状では与太話の域を出ない。
「その話が本当だとしたら、歴史に記録されているような……かつての邪神たちはみんな、そのアザフォースってやつの眷属みたいなものってこと?」
「そのような解釈も間違いではないだろう。だがそれも所詮言葉遊びに過ぎん」
「……?」
「なんてことはない、視点の話だ。……天体観測をしたことはあるかね?」
わざとらしく目線を逸らしながら教皇は話を切り替えた。「今からたとえ話をしよう」とでも言いたげな露骨な挙動だ。
答える価値もなさそうな質問に対して、キャロルは何も言わないまま面倒そうに細めた目で返す。空のお星さまに思いを馳せたことなんて一度もない、と二つ並んだ黄金色が主張していた。
「我々が立つこの大地の外……空の果てにも同じような成り立ちで生まれた『星』が存在する。夜空に浮かぶ光はすべて、その星々から発せられたものだ」
「宇宙ってやつでしょ。わたしたちが生きる世界を包んでいる広大な空間。本で読んだことあるわ」
「では、その宇宙の果てに存在するものとは?」
「あの……わたし、べつにお勉強するためにここへ来たんじゃない。また蹴り殺されたくないなら、要点だけ話して」
「アザフォースだ」
今にも教皇へ向かって行きそうだったキャロルの足が止まる。
さきほどまでの話と接続してみると、妙な言い回しが返ってきた。
そもそもアザフォースが邪神の一種だとして、それは邪神同士による大戦よりもさらに古き時代に生息した存在のはず。
邪神を生み出した原初の邪神……そんな強大な力を有していたのなら、大戦の際にほかの邪神たちと衝突しないはずがない。
事実、邪神ゾアが最後の生き残りとなった際にもそのような害意・気配は世界に感じ取れなかった。
「我が主は誕生以来、一度として滅びてなどいない。……今この瞬間にも、我々はアザフォースとともにある」
キャロルの疑念に対し、教皇は先回りするように回答した。
そして思い出す。
健在でありながら気配を感じ取ることができなかった邪神と……キャロルは以前遭遇したことがある。
邪神ケイオス————キャロルが魔術師として活動を始めるまで、アレは人間社会から距離を置いていた。
実際に手を出そうと近づいてくるまで、キャロルはその存在を察知することができなかった。おそらくはアザフォースも同じような状態にあるのだろう。
滅びたわけではない、アザフォースは今もこの世界に実在する。だがその強烈な自我を捉えることができなかった。なぜか。
考えてみれば単純な話だ。
「眠っているのね。……この世界の、どこかで」
意識がなければ他者に向ける感情も生まれない。
故にどれだけ強大な力を持っていようが、ゾアもキャロルもその存在を認知することができない。
教皇の目的が見えてきた。
「あなたはそれを目覚めさせたいんだ。……それを実現できるのが、“落とし子”っていうヒトたちなんでしょう?」
これまで目の当たりにしてきたものと、たった今耳にした情報から導き出した答えをキャロルが投げかける。
教皇が見せた空間を操る魔術————あれはおそらくアザフォースと呼ばれる邪神のものだった。
どういうわけかそのアザフォースと遺物を摂取することなく交信することができる特異体質の人間が一定数存在し、それが邪神教のなかで“落とし子”と呼称されているのだろう。
教皇自身もその一人のはずだ。
眠りについている主を目覚めさせるための鍵の才能。
それを探し出すための施設が、この魔導学府というわけか。
「それとついでに手頃な体が手に入ればラッキー……ってところ?」
「気づいていたか」
「たぶん空間魔術の応用だよね。この施設に集まった魔術師を器に、滅びるたびに新しい体に魂を移し替えて生き永らえる。……生き汚いヒト」
体内を一種の空間として捉え、座標移動の要領で死後も魂のみの乗り換えを可能にしているのだろう。
乗り換える先も、おそらくは誰でもいいというわけではない。
教皇が最初に話した通り、自分と同じ“落とし子”の体質を持つ人間を選出して肉体を乗っ取っている。でなければアザフォースとの繋がりを保つことができないからだ。
嵩んでいた疑問が一気に解消された。
となると最初にレイニィが見せた空間転移の魔術も……。
「落とし子の素質を持つ者はそう易々と現れるものではない。魔術師としては凡庸だが、レイニィ=アバンギャルドの体は主との繋がりにおいては貴重な存在だった。知ってか知らずか、奴はこの学舎を避けていたようだが……」
不意に建物全体が揺れ、キャロルたちは部屋の外へ意識を向けた。
誰かが戦っているのか。
本格的に戦闘が始まってしまった以上、教皇を逃すわけにはいかない。……いや、奴が魔術を使って肉体を渡ることができると判明した今、この学舎にいる“落とし子”の素質を持つ魔術師は全員確保しなければならない。
「話の続きだ」
焦る様子もなく教皇は続ける。
アザフォースの魔術が語られた通りのものなら、学舎からの脱出なども容易だからだろう。キャロルたちを転移させた際の状況を考えると、魔術効果範囲は少なくともこの魔導学府全域に及んでいる。
「人間の世界で魔術とは魔力というエネルギーを別の事象へ変換する技術を指すもの。物質、空間、形あるもの無きもの問わず、あらゆる概念を司る全能の力」
「そんな便利なものとは思えないけど」
「我々の視点で言えばな」
——また「視点」か。
確かに認識能力次第で魔術に対する考え方は変わる。
本質的に言えば邪神とは意思を持った魔術そのものであり、魔術は邪神にとって絶対的な在り方を示す生命活動の一環である一方、それを利用している現代人から見れば単なる神秘や技術でしかないのと同じように。
そこまで考えてキャロルはふと気づく。
邪神にとって自らを構成する世界そのものである魔術に大元となる祖がいるのなら、
アザフォースにとって他の邪神たちが眷属と同じようなものであるとすれば、
それが存在し生きるこの世界は——————
「燃え盛る『炎』、凍りつく『冷炎』、生命を作り出す『深化』や『変身』、自然の法則である『時間』……魔術が作用することでもたらされる結果は、すべてこの世界に元から在る現象の域を出ない。あらゆる事象が
「………………」
教皇が結論を口にする直前、キャロルが思い出すのはやはり以前の仕事で体験した出来事だった。
ヒトの姿を模倣した邪神と、それによって生み出された迷宮の街と青年。
「この宇宙こそアザフォースによって生み出された世界であり、迷宮なのだ。我らが根ざすこの星ですら、その副産物にほかならない。主がわずかでも自我を覚醒させたそのとき、我々が生きる世界などたちまちに消え去るだろう。……だが、その結末は美しくない」
教皇の双眸がキャロルを見据える。
なにも映していないと思われていた暗い瞳は、その実この世のすべてを捉えていた。
「人が滅びの時を迎えるのであれば、それは人の手によって成されなければならない。環境の変化、情勢の変化、どうであれ人間が引いた引き金から連鎖する要因がなくては、それは人の歴史とは言えない」
もはやキャロルの姿が視界に入っていないかのような語り口で教皇が言葉を紡ぐ。
「——故に私は主が眠る場所を目指す。アザフォースと一体となり、いつか訪れる破滅よりも先んじて、人である私の手でこの世を終焉へ導くために。それが“落とし子”としてこの世に生を受けた、私の使命だ」
重たい静寂が場を満たす。
いろいろと言いたいことはある。ありすぎるくらいに。
この世界そのものがアザフォースが作り出した迷宮……?
確かに魔術を用いて魔力を変換し生み出した炎や風、生成物の数々は元を辿ればすべて魔力に行き着く。
魔物や迷宮が高密度な魔力の塊であるように、それを上回り魔術を体現するものが邪神であるように、それらが生きるこの世界もまた上位の存在に内包された箱庭に過ぎないというわけなのか。
いや……もはや他の邪神がもたらす魔力とは別物、別次元の力なのか。
それが無数に浮かぶこの宇宙、星々のすべてがアザフォースの「世界」であり、「魔術」であり、「迷宮」ということか?
「私が話せることはここまでだ。……返答を聞こう、キャロル=ベルスーズ」
冷めた目つきを難しそうに細めながらキャロルは考える。
率直に言うと愉快な気分ではなかった。
そもそも信用していい話なのかという点はさておき、教皇の話が真実であればアザフォースとやらの気分次第でこの世の何もかもが崩壊する可能性があるということだ。
キャロルの守りたい世界も、過ごしたい時間も、すべて残らず他者の管理下にあるのと同じ。
キャロルにとってはその事実こそが何よりも看過できないものだった。
そしてこの瞬間、キャロルのなかで彼女自身の最終目標が決まった。
「————お願い、レイニィ」
視界の外。離れた位置で爆発的に存在感を強めた気配に対してキャロルがそう告げた瞬間、彼女と教皇を包む景色が一瞬にして切り替わった。
工房の部屋から一変。学舎の上空へと転移させられたキャロルと教皇が暗雲で覆われた空に放り出される。
キャロルが体勢を立て直しながら視線を上へやると、同様に落下し始めた教皇の真上で長髪を燃やした少女が赤い拳を引き絞っていた。
「消えろ……!」
太陽のごとく膨れ上がった爆炎を背負った少女——レイニィが邪神教教皇へ向けて一息にそれを振り下ろす。
大輪の花が直線上に幾度も爆ぜ、その直撃を受けた教皇は隕石さながらに急降下し勢いよく地表へ叩きつけられた。
「また燃えてるほうなんだ」
学舎の一部が崩壊し、軽口を叩きながらレイニィと並んだキャロルが涼しい表情で瓦礫だらけの地面へ着地する。
教皇と同じ“落とし子”としての力を操れるレイニィなら、ある程度の範囲であれば学舎の内部にいる人間の位置も把握できたのだろう。
よほど繊細な魔力操作を要するのか、教皇も何人もの人間を同時に指定した位置へ飛ばすことは難しいのかもしれない。分断を試みたはいいものの、偶然にもキャロルと彼女を近い座標へ移動させてしまったのだ。
「……余計な邪魔が入ったな」
「お前が邪神教のボスか?」
臨戦態勢となったレイニィの視線は、地形が変わりそうなほどの火力を一身に受けたにもかかわらず無傷で土埃のなかから現れた教皇をまっすぐに捉えていた。
「いろいろ教えてくれてありがとう。ちょっと考えることが多いけど……」
言葉を選ぶように視線を泳がせた後、微かに笑みをこぼしながらキャロルは言う。
「わたしはわたしの世界で生きていたいの。あなたの破滅願望なんかに、付き合っていられない」
当初から何一つ期待していなかったかのように、教皇はぴくりとも表情を動かさないまま静かな殺意を宿した魔力を体から漂わせ始めた。
次回更新またちょっと空きそうです……!