時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「えっ……えぇ、治療ですかぁ……? 私が……?」
パルムという小国の、さらに辺境区域にある魔術師リップルの工房。
聞き間違いかと思い、もはや弾力が失われている中古ソファーの上でリップルが前のめりになると、足元で傷んだ床が悲鳴を上げた。
魔術連合の支部すらない田舎町ではリップルのようなしがない魔術師にも定期的に仕事が舞い込んでくる。そもそも常在している魔術師が彼女しかいないのだから当然である。
しかし普段は野生動物や弱小個体の魔物の対処くらいしかやることがないが、その日は特別奇怪な依頼が飛び込んできた。
「はい……どうか我々の娘を——レイニィを救っていただきたいのです」
王族にしては質素な身なりの男——アバンギャルド家の当主が隣に座る少女へ背中を添える。
歳は十代半ばほどだろうか。おとなしい、常になにかに謝るように縮こまっている控えめな雰囲気の黒髪の女の子だ。
「治療というと……娘さんは病にかかっているということでしょうか? 私は魔術に関することしか力になれないので、そういうのは医者に……」
「もちろん魔術に関することです」
国王は憔悴した表情で返してから萎んだ声で話し出す。
後がないことを主張するような熱のこもった国王の語り口に耳を傾けつつ、時折リップルは女の子のほうへ視線を向けていた。
——えらい可愛い子だな〜……と、ため息をつきそうになるのを堪えながら品定めする。
国王と同じで安上がりな服装の雰囲気は一般的なパルム市民のそれとなんら変わりないが、成長すれば他国から婚約の申し出がなだれ込んでくるポテンシャルがあることは明白だった。
「————
「ええ……」
国王が話したことを咀嚼しつつも、リップルはきな臭いものを見る目で聞いた内容をそのまま返した。
パルムは魔術への不信感が現代よりも強い古き時代にいち早く魔導具職人を多く受け入れるなどして、かつては魔術先進国とまで呼ばれ栄えていた国。
しかし時が流れていくにつれて同様の政策をとる国家が現れ、そちらへ魔術師が流れていったことで緩やかに衰退していったという歴史がある。
一度魔術との共生を掲げていたこともあってか、現代においても王族たちは魔術師と友好的に接してくれる傾向があるのだが、彼らも魔術についての知識が豊富だとか、そういったことはない。
あくまで「友好的」であるだけで、魔術師そのものを家系に加えるつもりはない。見えないところではそのような線引きが為されていた。
ご息女を「魔術から救ってもらいたい」「魔術を治療していただきたい」というのも、つまりはそういうことなのだろう。
そこはいい。非魔術を謳わなくとも世間とはそういうものだ。
リップルとしても依頼料さえ貰えるのなら、それ以上は求めなかった。
「——これは……」
実際にレイニィの体に何かしらの異常が起こっているかどうかはともかく、第一印象として国王の話は半分が眉唾だとリップルは考えていた。
魔術の行使には原則として邪神の遺物を取り込む必要がある。そうしなければ体内で邪神の自我を覚醒させることは不可能だからだ。
古くは遺物なしで魔術が行使できた人間も存在したらしいが、それは特定の魔術を持つ人間同士で交配を続け、血統のなかで邪神の自我を強めようとした家系にしか実現できなかった。
現在ではいずれ子孫が邪神の自我に呑み込まれてしまう恐れと単純な脅威度の高さからそのようなやり方は各国で禁じられている。その素質を持つ人間ももはや存在しないだろう。
だがリップルはすぐに自分の見立てが間違っていたことを知った。
「転移……しましたね。カップが……窓のほうに」
普段使い用と来客用を兼任しているマグカップが目の前のテーブルから消失し、直後に窓際のスペースへ瞬間移動した事実を確認し、リップルは改めて国王の隣に座っている少女へ意識を移した。
彼女——レイニィがテーブルに置かれたカップへ目を凝らした瞬間、たしかに魔術が起こされるのを感じた。術者は彼女で間違いない。
「これは一体どのような魔術なのでしょうか……?」
「わかりません。物体の空間移動みたいですけど……こんなことが可能な魔術は今のところ見つかってはいませんし……」
不安げに尋ねてくる国王だが、詳細がわからない以上リップルも煮え切らない答えを返すほかなかった。
しかし興味深い症例ではある。
ひとりの魔術師として、レイニィというこの少女の体を調べてみたいという欲求がリップルの脳裏にうっすらと浮かぶ。
「遺物を取り込んでいないというのは……本当なんですね?」
「ええ……そうだな、レイニィ?」
「はい」
国王に問われ少女が初めて声を発する。声まで可愛かったので思わず息を呑んでしまった。
ともあれ状況を見る限り疑問が増えるだけだった。
レイニィ自身も動揺している様子で、嘘をついているということもなさそうである。
(さ〜てどうしようか……)
しかし正直なところ……これを治してくれと言われても困り果てるしかない。
そもそも魔術師だからといって魔術全般に詳しいわけではないのだ。
取り込んだ遺物の原点である邪神。それに近づくための探求を日々積み重ねている魔術師たちは、自らが扱う魔術以外の知識に疎いことも珍しくない。
邪神サドゴワラの遺物を取り込み「吸収」魔術を会得した三等星級魔術師であるリップルもそれに当てはまる。
研究の過程で別の魔術に関する資料を漁ることはあれど、専門的な知識はない。
話が振り出しに戻るが、やはり医者でもないので魔術分野であっても治療なんて無理だ。
いやそもそも、一度肉体に刻みつけた魔術——邪神の自我を引き剥がすなんてできるわけがない。アレは取り込めば最後、細胞レベルにまで浸透し文字通り術者を邪神と一心同体の存在へと作り変える。
この王族たち——アバンギャルド家の願いにはどうあっても応えることはできない。
とはいえ彼らもダメもとでリップルを訪問しているはず。
と、なれば……
「わかりました。できる限りの手は尽くしましょう!」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
ひとまず引き受ける意思は示しておいて、もらえるだけ報酬は受け取ってしまおう、とリップルは営業スマイルで返答した。
実際に治療は不可能だという結論を言い渡しても、人のいい彼らなら逆恨みされることだってないはず。
長期間の診察となると日数に応じて報酬を上乗せする契約にもできる。
こちらにも生活があるので搾れるだけ搾って————
「では、今日からでも屋敷へ来ていただけませんか?」
「へ?」
「ご心配なさらず。部屋は有り余っておりますので」
——住み込みってことだったか〜……。
話がどんどん面倒な方向に向かっている気がするが、一度頷いた手前リップルは苦い微笑みを浮かべて了承することしかできなかった。
「おはようございます、先生。本日もよろしくお願いします」
「はいはいよろよろ〜」
慎ましくも相応に広い敷地に建てられたアバンギャルド家の屋敷を訪れてから一週間が経った。
しばらくの間職場となる建物の一室でリップルは王女殿下であるレイニィと向き合いながら椅子に座り、はだけた彼女の胸元にそっと触れる。
やることは実に単純で簡単。
リップルが持つ「吸収」の魔術でレイニィの体内魔力を吸い取り、一時的に魔術を使えない体にするだけ。
原因が不明といっても空間操作の力が魔術である以上、術者の魔力が枯渇している状態であれば発動は不可能。魔術の心得がない素人からすれば快方に向かっているように見えることだろう。
診察と称してこのお医者さんごっこを適当にこなしていけばいい。
のんびりと貰えるものを貰えるだけ貰って、怪しまれたタイミングで「やはり完全には治せなかった」と匙を投げればいい。
もともと望みの薄い依頼なんだ。国王も深追いはしない。
「リップル先生ってお若く見えますけど、いくつなんですか?」
「んー? 永遠の十八歳」
「あ、じゃあそれよりは上なんですね」
「ちょっ……その探り方はずるいじゃん……。やめやめ、年齢に関する質問禁止〜」
「じゃあ、先生はどうして魔術師を志したんですか?」
朝の「診察」が終わった後、レイニィは衣服の前を閉じながら世間話に混ぜ込んでそんなことを尋ねてきた。
「それもまた急だね〜。魔術に興味がおありなのかな?」
「はいっ!」
想定外の返答が聞こえ、リップルは作り笑顔のまま固まる。
「私、本当は魔術師になりたいんです。だから実を言うと……今こうやって魔術が使える体になったのが嬉しかったり。理由がわからないのは、ちょっと怖いですけど」
「へ、へぇ〜……」
「魔術を怖がる人はいっぱいいますけど、それで助けられた人たちだって沢山いるはずですから。このままお姫様として過ごすよりも伝記にあるような大魔術師になって、私も人を助けながら世界中で色んなものを見てみたいって思うんです。……あっ、お父様やお母様には内緒ですからね?」
たぶん聞いちゃいけないタイプの話だった。
レイニィは読書家なのだろうか。ふと彼女のものであろう書棚に目を移すと、歴史書や古代の英雄の活躍を描いた小説の類が多く並んでいた。
非魔術師の家系で魔術師を志す者が現れることは珍しいが、まあ全くない話ではない。
当初は物静かだったレイニィだが、今は打って変わって好奇心いっぱいの瞳で戸惑うリップルに詰め寄っている。
「それで、先生はどうして魔術師になりたいと思ったんですか?」
「え〜……どうしてだっけかなぁ」
「……私、知ってるんですよ。本当はどうやっても私を治せないこと」
「はっ?」
穏やかだったレイニィの表情がいつの間にか悪戯な顔つきになっていることに遅れて気づく。
「先生の魔術で私のなかの魔力を空っぽにしてるんでしょうけど、意味ないですよ」
「そ、そんなことないよ〜。現にほら、私が診察したあとは魔術が使えなくなるでしょ? この先きっとも〜っと良くなるはずだから」
どこかで知識をつけていたのか、レイニィは魔力を吸収したところで肉体に刻まれた魔術そのものが消え去るわけではないと知っているらしいが、一度掴んだ金づるを手放すほどリップルも無欲ではなかった。
リップルの処方に意味がないことが早々にバレればその分もらえる報酬も少なくなる。最悪詐欺と捉えられ報酬ゼロなんてことも……。
「見せたほうが早いかもしれませんね」
「え?」
レイニィが集中するように目を閉じた直後、二人を中心に景色が一変した。
「————ほら。私のなかで魔力がなくなっても、関係ないんです」
次の瞬間にはリップルとレイニィは芝生の上で並んで腰を下ろしていた。
アバンギャルド家の屋敷周辺に広がる庭。
レイニィの自室から、自分たちは体を動かすことなく座標だけが瞬間移動したのだ。
「なっ……なあっ……⁉︎ どうして⁉︎ どうやったの⁉︎魔力、さっき吸って……まだ回復してないはずだよね⁉︎」
「白状しましたね。魔術そのものを消してるわけじゃないって」
「あっ……」
「ふふ。……どうやったか気になりますか?」
レイニィがからかうように笑う。
専門分野に対する興味は薄いといえど、体内の魔力が枯渇した状態での魔術行使という常識が覆る事象を前にしてはリップルも好奇心をそそられずにはいられなかった。
「教えて欲しかったら、先生のことも教えてください」
鼻先が触れ合いそうになるまで迫ったレイニィが上目遣いで口にする。
なんだか追い詰められた気分になって、同時にリップルは不思議と誰にも話したことのないどうでもいい身の上話を吐き出したくなってしまった。
あるいは単にリップルが愛らしい女の子に弱いだけなのかもしれないが。
顔を背けつつ、リップルは古びた記憶を思い起こす。
「ある時さ、出会っちゃったんだよ…………怪物に」
魔術師リップルが生まれ育ったのはパルムとは別のとある辺境国にある集落だった。
父はおらず、酒屋で歌手の真似事をしている母らしき人物の顔色をうかがい、殺されないようボロアパートの隅で声を殺す毎日。
一日ごとを生き抜くために必死にならなきゃいけない。そんな生活が永遠に続いていくようだった。
ある時期から母は自分の職場である酒屋へリップルも連れていくようになった。
一度気まぐれで連れて行かれた際に客から小遣いや食べ物をもらうリップルを見て「使える」と判断したのだろう。
適当に相槌を打って、適当に愛想を振り撒いていればいい。
床に転がっているゴミと同じ扱いを受けてきたリップルにとって、その程度でも役割が与えられただけ以前よりもマシだと言える日々に変わっていた。
その酒屋で迷宮が発生する、その時までは。
「————集落の周辺で見つけた邪神の遺物を取引のために持ち込んだ客がいたんだよねぇ。それが暴発して酒屋にいた人間みんな迷宮のなかに取り込まれちゃったの」
微笑ましい思い出話でも語るような口調だったので、それを聞いていたレイニィはどのような感情を出力するべきか一瞬迷った。
「そこにいた客もママもあっけなく死んじゃってさー。なんかもうアホらしくなっちゃったよね。私にとってはみんなが世界のすべてだったのに、魔物なんかにやられて一瞬で全部消えちゃった」
瞼を細めながらリップルは淡々と続ける。
「迷宮から脱出するには核になってる魔物を倒すしかない。当然そんなこと……その頃の私にはできっこなかったから、流石に覚悟を決めたよ。…………怪物に出会ったのは、そのすぐ後」
畏れに近い感情を覚えながらも夢中で耳を傾けるレイニィから視線を外したまま、リップルは独り言のように呟いた。
「私を食べようとした魔物をさ、突然迷宮に飛び込んできた女の人がぐちゃぐちゃに倒しちゃったの。…………白い髪に黄金色の瞳の、幽霊みたいな人だったなぁ」
途中で急に挟まる過去回ということで本当は番外表記で1話完結の予定だったのですが、構成とか文字数とかスケジュールとか諸々の都合で普通にナンバリングすることに。