時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
レイニィのなかで最も古い記憶は、炎のなかでの目覚めだった。
襲いくるものすべてを焼き払い、返り討ちにする。他人に当たる子どものように。
いつもなにかを探し、いつもなにかを追っている。
取り戻すことはできない何かを。
「————ッ!」
微動だにしないまま夜闇のなかに立っている邪神教教皇へレイニィが拳を空振りさせると、彼女の動きに連動するように炎で形作られた悪魔の頭部が解き放たれる。
灼熱の大顎が教皇を噛み砕こうとするが、蜃気楼のように手応えがない。
実像はそこにあるはずなのに決定打を与えることができない。キャロルと最初に遭遇したときと同じ現象だった。
「ちくしょう、なんで……! どうして当たらない!」
「理解していないようだな。同じ“落とし子”といえど、主との距離には差があるか」
教皇が虚空を掴み、それを手繰り寄せるような動作を見せる。
その瞬間レイニィは吸い込まれるかのように抵抗する間もなく奴のいる方向へと移動させられていた。
レイニィと教皇、その間にある空間の一時的な省略。異界を利用する邪神ミゼアの力に近い魔術の運用方法。
容赦なく突き出された槍のような拳がレイニィの頭蓋を粉砕————するかに思われたが、その前に彼女の体が教皇の前から消える。
直後、存在しない時空から現れるようにレイニィを抱えた白い少女が夜空へ飛び出してきた。
「くそっ……放せ! 邪魔すんな!」
「あなたじゃ無理」
ひと回り以上体格の違うレイニィを脇に固定しながら、キャロルは眼下にいる教皇を視界に収めた。
最初に仕留めた肉体と同じ。男の体のある座標がそのまま「なにも存在しない」空間になっている。
キャロルが繰り出す魔術攻撃とも異なり世界に修復されることのない
だがその攻略法も以前の戦いですでに割れている。
人類のなかでキャロルだけが再現することができる邪神の迷宮。キャロル自身の自我で世界を覆うことで教皇が魔術を引き出しているアザフォースとの接続を弱めてしまえばいい。
肥大化したキャロルの
「同じ手は食わん」
「ん————」
キャロルが迷宮を作り出す寸前、またしても彼女の視界が変わる。
また空間操作の魔術を使ったのだろう。
(芸のない人)
——背後で待ち伏せしている人間がひとり。配下の魔術師だろうか。
上下逆さまになった景色のなかで妙な魔力の気配を感じ取ったキャロルはすぐさま身を翻し、後方に控えていた別の男へ回転蹴りを放った。
「……! んん?」
男を蹴り飛ばしてすぐに違和感に気がつく。
同じ蹴り心地。教皇を攻撃した際に感じたものと同様の手応えのなさだった。
すぐ近くに立っていたレイニィも異常を察し驚愕する。
あ
「なんだ……⁉︎」
体勢を立て直したキャロルがバックステップでレイニィのそばまで戻り、現れた二人目の標的を睨んだ。
レイニィとキャロルを挟んで教皇の反対側に立っている男。それは以前キャロルたちの前に姿を表した壮年の男————邪神教教皇その人だった。
この体は確かに以前キャロルが滅ぼしたはず。
現に教皇は新たな若い男の肉体に魂を憑依させて生きながらえている。
工房の部屋で再会したとき、教皇は嘘の情報を口にしたのだろうか? それともどちらかが偽物?
「なにを驚いている。貴様は一度同じ現象を見ているはずだろう……キャロル=ベルスーズ」
そう口にしたのはこの魔導学府で遭遇した若い男の姿を得た教皇。
後ろにいる奴と、たった今現れた壮年の教皇。どちらも同じ性質の魔力を——アザフォースの力を宿しているのが伝わってくる。
いや、それだけには留まらなかった。
少年から青年、老人————外見年齢はばらばらだが、教皇と同一人物と思しき男たちが次々と瓦礫の中から這い出てくると、困惑するキャロルとレイニィを瞬く間に取り囲んだ。
「まさか……この施設に集めていた魔術師たちを……」
「そうだ」
漠然とからくりを理解したキャロルに対し、先んじて教皇が返答した。
「元は保険として用意していたものだが、もはや隠しておく道理もない」
アザフォースは世界を司る存在。その力を引き出せる教皇の魔術もまた世界を超越する。
教皇は以前、世界法則である
天秤が釣り合うもの同士の空間置換。
それと同じ行為を
「魔術師をかき集めたところで“落とし子”の素質を持つ者は限られている。ただ探すだけでは無為に時間を浪費するだけだ。故に私は“落とし子”を捜索するだけでなく、
以前キャロルがアーサーたちと協力し討伐した四つ足の怪物は、同程度の存在である魔物と入れ替わるかたちでこの世界へ呼び出された。
おそらく指標となるものは「強さ」であり世界に対する「影響力」。それが存在することでこの星の上にある社会や環境へどのような変化がもたらされるかという点が重要なのだろう。
同じ「影響力」を——すなわち実力的に近い人間である魔術師を別世界へ送り飛ばし、代替として
世界を超越した空間置換。
“落とし子”と呼ばれる体質の人間が施設を訪れるのをただ待つだけではない。
その才能を持たない魔術師すらも別世界の自分自身と入れ替えるための素材として育成し、使い捨てるために教皇はこの魔導学府を動かしていた。
「魔導学府に……教団そのものに意味が付随することはない。人の歴史に相応しい終焉を迎えるための
「……ぷはっ。あははっ! あはははは! ……なんだ、小難しい言葉ばかり並べて鬱陶しかったけど、結局あなたも同じなんだね」
予想だにしていなかった魔導学府絶句するレイニィの横でキャロルは鈴の音のような笑い声を上げる。
「いいと思う。……ヒトらしくて、愚かで」
魔術とは目的にはなり得ない。どこまでも己の欲望を叶えるための手段でしかない。
自ら望んだものが自然体でいるだけでは手に入らないと知った者が手を染める最終手段。
それはそうだ。
邪神の始祖と一体化して世界を終わらせようなんて考えている輩が、単に魔術師を育成・選定するためだけの施設なんて用意するはずがない。
利用できるものはすべて利用する。
退路を断ち、ヒトとしての従来の生き方を捨て去り生まれ変わることを選んだ者が魔術師であるのなら、目の前にいるこの男もまた誰よりそれを体現している存在だと言えよう。
実に極端で、実に人間らしい。
「わたしは自由のために魔術を振るい、あなたは終焉のために魔術を利用する。……それがあなたの求めるものだと言うのなら、示してみてよ。あとはもう、弱いほうが淘汰されるだけだから」
「人真似が達者だな。……なるほど、そうか」
「なにか言いたいことでも?」
教皇の目の開きがわずかに大きくなる。
「貴様がルゥ=ベルスーズがこの施設を訪れたきっかけか」
「意味がわからな……」
再びキャロルの視界が切り替わる。だが今度は単純な空間転移ではない。
なにも存在しない異空間。
一見邪神ゾアが扱う迷宮と似通っているようにも思えたが、すぐにそれは教皇が作り出したものだと認識する。
(現実空間からわたしだけを隔離しているのか……)
時間も距離も存在しない異次元。ある意味では人間の手で再現できる迷宮の限界といったところか。
半壊した学舎もレイニィの姿もそこにはない、何もしなければ永遠に閉ざされたままであろう空間。
どうやら教皇はどうしてもキャロルと直接やり合うのは避けたいらしい。
敗北宣言をしているようなものだが、正直なのはむしろ好感が持てる。
「努力は認めてあげなくちゃね。無駄な努力だけど」
右脚へ込める魔力を少しずつ高めていく。
ゾア——もといキャロルの迷宮のように元から存在する現象とは異なり、これは魔術で人工的に作り出した結界に過ぎない。
ということは、より強い魔力をぶつけて強引に破壊し脱出することも可能だろう。
問題はこの結界を維持している魔力も教皇自身のものではなく、アザフォースという存在から引き出している無尽蔵の魔力であるということだが。
とはいえ量はともかく、出力は扱う人間で決まる。
教皇が結界を保とうとする際に回される魔力よりも高い出力の魔力をぶつけて少しずつ綻びを作っていけばいい。
また、血反吐を吐くことになると思うけれど、
「このまま振り回されてばかりじゃ、むなくそ悪いもの」
顔も名前も知らない、話したことのない人間がどうなろうと知ったことではない。
この魔導学府を訪れ、教皇の目的のために使い捨てられた魔術師たちのことなどどうだっていい。
そう、どうでもいいはずだ。
それなのにキャロルのなかで膨れ上がる感情には、教皇に対する怒りが入り乱れている。
————そしてすぐに気がついた。
リップル、レイニィ、そしてシャーロット。
この魔導学府で出会ってからまだ日も浅い少女たち。
親しくはない間柄だけれども、リップルはお菓子を食べさせてくれたしシャーロットは何故だか知らないが懐いてくれている。シャーロットを保護しているレイニィだって、きっと優しい心の持ち主なのだと想像できる。
みんなクラウディアやデビルーナと同じ、一緒にいて悪くないと思える人間たちだ。
教皇はそんな「可能性」をすべて消し去っているんだ。
魔導学府の工房は魔術師にとって理想的な環境だ。誰にも邪魔されることなく、自分の魔術と知識を好きなだけ研ぎ澄ますことができる。
だがその実態は並行世界規模の空間置換を行うための儀式の場だ。
すべてが揃う環境で天秤へ乗せるのに相応しい人材を育成するための。
魔導学府にいた、そんな魔術師のなかには…………リップルやレイニィ、シャーロットのように、一度会話を交わせば共存することができる人間だっていたかもしれない。
教皇はそんな「可能性」のすべてを摘み取っているに等しい。
いや、魔導学府だけでは終わらない。
このまま教皇を野放しにすれば、いずれ世界中を己の目的のために利用し、消し去ってしまう。
今この瞬間に世界の一部でないとしても、この先の未来で得るかもしれない
キャロルが世界の一部とするものたちも、
その世界を広げる可能性も、全部。
「————ッ!」
新たに輪郭を帯びた感情をそのまま乗せ、キャロルは虚空で覆われた空間を足蹴にする。
何もない世界はもう、彼女にとって心地いいものではないから。