【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
67.意思と均衡
「母上がどんな人だったかって?」
母の存在を認識してすぐのこと。
四歳のキャロル=ベルスーズは鍛錬終わりにアーサーへ尋ねたことがあった。
「うーん、なんというか……破天荒……いやちがうな。……自由?」
「じゆう……」
記憶の中にいる母の像を辿りアーサーが口にした言葉にキャロルが反応する。
自由とはキャロルが目指す生き方そのもの。
もしかすると母はその理想形だったのではないかという淡い好奇心が彼女のなかに芽生えていた。
「それとこれは前にも話したけど、母上の髪はキャロルと同じ綺麗な銀色でね。……そういえば、瞳の色も同じだな? 本当にそっくりだ」
「そう。わたしに似てそれはそれは美人なヒトだったんだ」
「え? ああうん、そうだね」
ありありと長い銀髪を手でなびかせるキャロル。
幼馴染や兄から何かと可愛いと称されてきた彼女はこの時からすでに容姿の良さを自覚しつつあった。
ルゥ=ベルスーズ————ヒトとしての母親に相当する人物。
彼女がどのような人間であったのか興味がないわけではない。しかしながらキャロルにとっては自分と言葉を交わし、生を共にしたものだけが世界の一部たり得る。
会ったことも話したこともない人間に対して湧いてくる感情の上限もそう高いものではなかった。
アーサーの口から語られる母は、いつも明るくて優しい女性だ。彼が母を悪く言うところは見たことがないので、少なくとも悪人ではないらしい。
まあ、どれだけ悪意のない人間であろうと、家族を捨てて家を出て行ったという事実がある以上、母親としては失格だと思うが。
(妹でよかった)
ゆくゆくは家を飛び出そうと考えていたキャロルは、変わらない表情の下でひっそりとそんなことを考えていた。
●
「アーくんから聞いてるでしょ? わたしはルゥ=ベルスーズ。あなたの母親で、お母様で、ママ、だよ!」
「アーくん?」
「あっ、この呼び方すると怒られるんだった。アーサーね、あなたのお兄ちゃん」
和やかな風と日差しが全身に当たるなかで、キャロルは妙な緊張感に苛まれていた。
魔導学府から飛ばされた先は白い砂浜と透き通った海が広がる南国。
同僚や知り合いと一緒に現れた銀髪の女性は、まるでキャロルが成人年齢まで成長した姿であるかと錯覚するほどに、彼女自身と似通った特徴を持っている。
「あなたが……わたしのお母様……?」
そう言われましても、というのが率直な感想だった。
邪神教教皇との戦いに加えて、聖騎士プロキオンによる襲撃、そして突然のリゾート地への転送に、仲間たちとの再会。
どこへ脳のリソースを割けばよいのか。キャロルは即座に判断を下せないまま、ただ怪訝な視線を母を名乗る人間へ注ぐことしかできない。
「ん〜……」
肌色面積の多い大胆な水着姿で歩み寄ってきたルゥは、呆然と立ち尽くしているキャロルへ顔を寄せると何かを鑑定するかのような眼差しをその体に這わせた。
目の前で揺れる巨大な白い果実が威圧的に感じてキャロルは眉をひそめる。
「——やぁ〜んかわちいぃぃい〜‼︎」
五秒ほど沈黙が流れた後、感情が決壊したようにルゥはキャロルを自分の胸元へ抱き寄せた。
「急になに」
「ずっとぎゅう〜ってしてみたかったのよ〜‼︎ 実際会うのと見てるだけとじゃ愛おしさも段違い! はぁ〜もう母性限界突破しちゃう! 我慢できない、ちゅーしていい? いいよね? するね⁉︎」
有無を言わさず欲望を満たそうとする彼女に対し、キャロルがとった行動は「石化」による回避行動だった。
「わっ、キャロルさん」
「まもって」
「めずらしい反応ね」
時間を止めて母の腕から抜け出したキャロルが傍らにいたクラウディアとデビルーナの後ろへ身を隠すと、ルゥが残念そうに唇を尖らせる。
「なんで逃げちゃうの〜? 感動の再会なのにママショックだわ〜……」
「なんか嫌」
「——ママ?」
錯綜する状況の最中、不意にか細い声が聞こえた。
リップルやレイニィたちの近くでぼんやりと佇んでいた金髪の少女——シャーロットはキャロルたちと戯れるルゥを大きく見開いた瞳で見つめている。
魔導学府でキャロルと出会った瞬間、その時とまったく同じ目をしていた。
「シャロちゃん、どうかした?」
「ママ!」
砂を蹴り、脇目も振らずに駆け出したシャーロットはルゥの胸めがけて一直線に飛び込んで行った。
「ママ! ママだ!」
「あらシャーロットちゃん! ごめんねぇ、忘れてたわ!」
————は?
驚愕のあまり掠れた空気だけがキャロルの喉から抜けていく。
「お母様……シャロちゃんのこと、知ってるの……?」
「知ってるも何も…………この子も、わたしの娘だもん。ねっ?」
「うん!」
晴れやかな笑顔を交わすルゥとシャーロット。
ごちゃ混ぜになっていた頭の中が今度は漂白されるようだった。
突如現れた母が妹分と仲睦まじい様子で抱き合っているのを見てキャロルが絶句していると、今まで黙っていたロイドが耐えかねたように口を開いた。
「長くなるなら屋内で話さないか。ここは日差しが強すぎる」
「あら、ロイドちゃんはインドア派なのね」
「……『ちゃん』はやめろ」
「まあ〜でもそうね。じゃあ……」
満足げな笑みを浮かべるシャーロットを片腕で抱えながら、ルゥは空いた指先を弾く。
もはや驚くこともない。
キャロルたちは一瞬にして、広々としたログハウスの中へと移動させられていた。
「————アザフォース……始まりの邪神、ですって?」
「ああッ」
壊滅状態の魔導学府からキャビンテッド王国へ帰還する道中。
馬車のなかでプロキオンから聞かされた世界の真実は、アーサーたちリベルタ隊の聖騎士にとっても突拍子もない話だった。
「この星の外側、その存在自体あまり一般的には知られていないものだが、いわゆる宇宙空間と呼ばれるものの始まりは文字通り何も存在することのない『無』だったッ。そんな完全な状態を保っていた世界に何らかの要因によって“揺らぎ”が生じ、結果として不純物を内包した現象が生まれてしまったッ。それがアザフォース——我々の生きる、この世界の正体だッ」
「…………」
キャロルたちが教皇から聞かされていた事実を遅れて知ったアーサーたちもまた戸惑いを隠せずにいたが、こと職務において自分たちの司令官が冗談を口にしたことがなかったのを思い出し、返す言葉を探る。
「じ、じゃあ……司令が人間ではない、というのは?」
直前の話題を呑み込みきれないまま、絞り出すようにアーサーが尋ねる。
「それも言葉通りの意味だなッ。アザフォースは基本的に休眠状態から動くことはないが、覚醒すればたちまち内包されている我々の世界は消滅する可能性があるッ。いわば我々のいるこの世界はアザフォースの見ている夢のようなものだッ」
腕を組み、一切の揺らぎのない笑顔のまま、瞬きすることもなくプロキオンは答えた。
「一方でおれは
「オリオンって、あの英雄の⁉︎」
「ち、ちょっと待ってください! なんか、それっておかしくないですか……⁉︎」
またしても渋滞気味の情報を受け流しながらも、アーサーは続けて問いかけていく。
「そもそも、アザフォースはこの世界の創造主なんですよね? 司令がそれに対するカウンターであるというのなら、アザフォースは自らに不都合な存在をも生み出した……ということになりませんか? なぜそのようなことに?」
「それは勘違いだッ。おれはアザフォースが生み出した存在ではないッ」
混乱しきっているアーサーを巨大な眼光で捉えながらプロキオンは言った。
「おれを生み出したのはあくまで
顎に手を添えてアーサーが思考する。
アザフォースとはこの宇宙すべてを創造したあらゆる存在の祖。
その世界の副産物のひとつが自分たちの生きるこの星。
そして、その星自体がアザフォースとは異なる独自の意思・防衛機能を発揮させた結果生まれたのが目の前にいるプロキオン。
プロキオンの役割はこの星を守ることであって、アザフォースに与する存在ではない。提示された情報をまとめるとそういうことになる。
なるほど、デタラメな強さにも納得がいく。
もともと彼の力は文字通り人間の域に収まるものではなかったのだ。
「な、な〜んだ、人間じゃないって聞いたときはビビったけど、結局はアタシたちの味方ってことだよね?」
「ああ、今までの関係が変わるわけじゃないよな」
「……それは今後の僕たち次第だろう?」
胸を撫で下ろしたリコットとグランに対しロバートが目を伏せながら呟く。
彼と同様の不安をアーサーとアザレアも抱いていた。
「……ひとまず、司令殿のお立場については……理解したとまでは言えませんが、一通り把握いたしました。その上でひとつお聞きしたいのは、先ほど魔導学府であなたがとった行動についてです」
「なにか疑問がッ? アザレアッ」
表情をわずかに強張らせたアザレアと視線を交わすプロキオン。
不思議と次にくる質問がわかっているかのようだった。
「我々の協力者である魔術師……レイニィさんと言ったでしょうか。私の見間違いでなければ、司令殿は彼女を殺害しようとしたように思えました」
「事実そうだからなッ」
「……“落とし子”とは一体なんなんですか?」
事実確認を行なった後、アザレアはすぐに質問を変える。
現場で耳にした話を繰り返すと、プロキオンがレイニィを狙ったのは“落とし子”と呼ばれる体質を備えていたからであり、彼に排除された邪神教の教皇も同じ力を持っていたと予測できる。
出揃った情報をもとに考えれば“落とし子”とはこの星の存続を脅かす要素であり、星の防衛機能を担うプロキオンはそれに当てはまる人間を殺そうとしていると読むことができる。
彼の性質を鑑みるに当人がどのような人間であるかはまるで重要ではなく、一般人か犯罪者かどうかも関係ない。そもそもこれは聖騎士としての案件ではないのだから。
善人だろうが悪人だろうが“落とし子”としての体質を備えていれば、それだけでプロキオンが排除すべき対象になりうる。
それを考慮した上で、アザレアは“落とし子”と呼ばれる存在がなぜ星の脅威たりえるのかを知りたかった。
「“落とし子”とは、平たく言えば偶発的にアザフォースと強い繋がりを持って生まれてしまった人間のことを指すッ。多くは先天的な体質だが、稀に何かのきっかけから後天的に身についてしまう例もあるなッ」
「……それが、あの空間を操る魔術……」
アザフォースによる空間操作の魔術と莫大な魔力のバックアップ。
それが“落とし子”の主な力。
納得するアザレアの横で、プロキオンはふと何かを押し殺すように苦い顔を浮かべているアーサーの方へと視線を戻しながら続けた。
「邪神教の親玉がそれを目的としたように、すべての“落とし子”にはアザフォースとの繋がりをより強固にすることで奴と一体化できる素養があるッ。これがなにを意味するのか、わからない君たちではあるまいッ?」
「……アザフォースに明確な意思が宿ることが問題なんですね?」
消えそうな声で尋ねたアーサーの問いに、プロキオンは小さく頷く。
「虚無の中に意思が生まれたものがアザフォースと説明したが、厳密に言えばその実態は自然現象そのものであり、アザフォース自体が生命体のように意思の力を働かせることはないッ。寿命はあるが……まあ、それは君たちには認識できないほどはるか先の話故、あまり気にしなくてもいいだろうッ。だがしかし、そこに“落とし子”が絡むとなれば話は別だッ」
微かにプロキオンの声色が変わる。
その言葉尻にはどこか冷酷な感情が宿っているように思えた。
「“落とし子”がアザフォースと一体化するということはすなわち、完全なアザフォースの力を特定の人間が独占できるようになることを意味するッ。この世で最大の自我を持ちながらもそれを発揮させる意思を持っていなかったアザフォースに、生物的な意思が付与されてしまうのだッ。————おれはそれを許さない」
始まりの邪神とは言うが、それ単体では人々の生活の障害になることはない。
アザフォース自身……つまりは宇宙空間の寿命を除いて、世界に終わりが訪れるとすればその原因は常に星に生きる生命体の手によるものだ。
「アザフォースの力を私物化できる者がいるという状況は、いつでもその人間に世界を滅ぼす権限が与えられているのも同義だッ。だからこそ“落とし子”はすべて未然に排除し、この星が存続できる時間と可能性をわずかでも稼ぐッ。それがおれに与えられた役割だッ」
「…………今回の任務に遅れたのも、“落とし子”が関係しているんですか?」
青い顔で質問を投げかけるアーサー。
なにか嫌な予感を覚えているような冷や汗が伝う彼の顔を見つめながら、プロキオンはまっすぐに答えた。
「おれには一定の距離に居る“落とし子”の存在を感知する機能が備わっていてな、偶然にも商業都市ドリスで見つけてしまったんだッ。それに対処しているうちに約束の時間を過ぎてしまったッ」
「では司令は……その人間を、手にかけたということでしょうか?」
「いいやッ、残念ながら邪魔が入ってしまってなッ。まんまと逃げられてしまったッ」
逃げられた————その言葉を聞いたアーサーの表情がほんの少しだけ緩む。
プロキオンが排除する対象が一般人にも及ぶのだとすれば、それは人々を守る聖騎士であるアーサーにとって異議を唱えなければならない事態だったから。
だが……とはいえ何も解決はしていない。
口ぶりからしてプロキオンは何年も前からこの役割を果たしてきて、加えて彼は今後も同じ活動を続けていくつもりのはず。
自分たちの司令官が罪のない人々を手にかけるかもしれない。
その可能性を目の当たりにした今、どう行動するのが最適なのか。アーサーは混乱する頭で必死に考えようとしていた。
「それと……フェアな状況判断をしてもらうためにも、おれは君に話しておかなくてはならない情報があるな、アーサーッ」
「俺に……ですか?」
「キャロル魔術相談所」
プロキオンの口から唐突に示されたその名にアーサーは再び言葉を失った。
「おれが見つけた“落とし子”の潜伏先は、君の妹の事務所だったよッ」