【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
かつて存在した邪神と呼ばれるものたちは、皆例外なく共感性という機能が備わっていなかった。
独立した個である彼らには必要のないものだからだ。
共感性が欠けているが故に、他者に自分を理解してもらう必要がない。
理解してもらう必要がないのなら、その意思も努力も必要がない。
キャロルの前世である邪神ゾアもまたその性質に倣い、本能のままにその力を振るい、満たされない自由を貪ってきた。
そんな過去が魂に染み付いているキャロルだからこそ驚愕した。
目の前にいる母親を名乗る女が、同じことを人間の身で体現しようとしていたから。
「……『ママになりたい』って?」
「うん、そう言ったわ」
ルゥの口から発せられた言葉を受け止めることも受け流すこともできず、キャロルたちはそれぞれの顔を見合わせてしばらく固まっていた。
「あなたはもう……わたしと兄さまのママじゃない」
「あはっ! ママ呼びも悪くないわね! 『お母様』も好きだけど!」
「…………ちゃんと説明して」
(ああっ、めずらしくキャロルさんが露骨にイライラした表情を……)
会話のペースを丸ごと持っていかれることに苛立ちを隠せないでいるキャロルにはらはらするクラウディア。
娘の問いに対し、自分のリズムを崩さないままルゥが言った。
「『この世の全部』が抜けてるわ。今のわたしはキャロルちゃんとアーくんのお母さんだけど、それだけじゃどうにも歯痒いのよね」
ふとルゥが視線を向けたのは、周りにいるキャロル以外の人間たち。
「ロイドちゃんにレイニィちゃん、リップルちゃん……デビルーナちゃんやクラウディアちゃん……この世界に生きるすべての人々も、空や海や大地だってそう。わたしにはこの世界のぜ〜んぶが愛すべき子どもみたいに思える。——あなたたち兄妹を産んで、その思いが本物だと確信できてよかったわ」
美しい思い出を語るように話すルゥの表情はやはり笑っていた。
それ以外の顔を見せることはない。
彼女は常に、いつも愛おしい存在に囲まれているかのような笑顔を浮かべている。
きっと今までも、独りでいるときだって同じ顔をしていたのだろう。
「いろいろなもので試してみたの。どれも湧き上がる愛情に優劣はなかったわ。自分で一から作物を育ててみたり……あの子たち、まだお庭に残ってたと思うわ。それと粘土細工で置物を作ってみたりもしたわね。キャベロンが部屋に飾ってくれてるはずよ。
自分の腕に抱かれたまま静かな寝息を立てているシャーロットを見つめて、ルゥは瞼を細めた。
「旅の途中で手に入れた“邪神イリフ”の遺物に、わたしの遺伝子情報を与えて人型に設計してみたの。シャーロットちゃんはわたしが魔導学府の設備を借りて造り上げた、正真正銘あなた達の妹よ」
邪神イリフ——その存在は微かにキャロルの記憶に残っている。
受けた情報をそのまま返す「反映」の魔術を持つ邪神。
大戦の際にはゾアとも遭遇したことがあったが、どれだけ時間をかけても勝負がつきそうになかったのでお互いに面倒に思って距離を置いていたような気がする。
シャーロットが、その遺物とルゥの遺伝子を掛け合わせて生まれた人造人間……?
疑問は残るが、そう考えると彼女がキャロルやアーサーのことを「ママ」と呼んだことにも納得がいく。
おそらく二人のなかにあるルゥの遺伝子に反応していたのだろう。
ルゥの口から語られる真実に、その場の全員が絶句していた。
深呼吸の後、具体的な表現が思いつかない怒りを込めてキャロルが語りかける。
「……わたしたちは、作物や置物と同じ?」
「もう〜そんな意地悪な言い方したらめっ、だよ? わたしにとってはみ〜んな大好きな子どもたちなんだから、ねっ?」
「兄さまはあなたが突然いなくなったことをとても悲しんでいた。あなたはそれを分かっていてあの家を出て行ったんだよね?」
「そうねえ、感受性の強い子だったから。でも死に別れたわけじゃないし、その気になればいつだって会えたんだから、そんなに悲観することなかったのにね」
「自分がいいと思うならそれで何も問題ないと?」
「自分がというか……だって、普通に考えたらそうでしょう? どれだけ離れていても、どれだけ会わなくても、わたしは家族を愛しているし、アーくんだってそう。ならそれで十分じゃない。わたしたちの愛情は、決して途切れることはないんだから」
冗談みたいな話に、冗談みたいな口調。それなのに彼女の言葉から嘘偽りは一切感じ取ることができなかった。
無償の愛。差異のない愛。「特別」がない母性。
これがルゥ=ベルスーズという人間なのだと、キャロルは確信した。
「『星の騎士』が動くのも時間の問題でしょうし……シャーロットちゃんを寝かしつけたら、わたしは“聖地”へ向かうつもり。善は急げってね」
「聖地?」
「んー簡単に言うと、この世界で一番アザフォースとの接続が強まる場所かな。世界の綻び……みたいな? あ、この姿のわたしとはもう二度と会うことはないかもしれないけど、ここは好きに使っていいからね」
屈託なく笑いながら、ルゥは階段を上がってシャーロットを二階の寝室へと運んでいく。
キャロルたちには放り出したくなるような鬱々とした気持ちだけが残されていた。
「えっ……と、キャロルさん……」
別れ際の挨拶のような口ぶりで絶縁宣言にも等しい言葉を娘に伝えたルゥに困惑しつつ、クラウディアは心配そうにキャロルを見た。
「なんか…………個性的な人だネ? キャロルちゃんのお母さん……」
「ちょっと出てくる」
居た堪れない空気を打ち破ろうとしたリップルが一言こぼした後、キャロルは無言で玄関の方へ歩くとおもむろに扉を開けてログハウスを出て行く。
迷わずにその背中を追って走り出したのは、クラウディアとデビルーナだった。
「……キャロルさん」
「クーちゃんは平気?」
最初に降り立った海辺までやってきて、二人よりも早くキャロルが切り出す。
「え?」
「クーちゃんに“落とし子”の力がある以上、プロキオンって聖騎士はクーちゃんの命を狙い続ける。怖くはないの?」
「それは……もちろん恐ろしいですけれど。今はキャロルさんのことが心配ですわ」
振り返ったキャロルは無表情で、先ほどの会話にもまるで情緒が動かされていないようだったが、彼女が内心饒舌であることは二人とも知っていた。
空へ視線を外しながらデビルーナが口を開く。
「まあ〜その、なに? 親がろくでなしなんて、この世界じゃよくあることよ」
「デビルーナさん……! もっとマシな励まし方があるでしょうっ?」
「仕方ないでしょ……⁉︎ あたしこういうの柄じゃないし!」
「きっとお母様もキャロルさんと久しぶりに会って緊張しているのですわ」
「そうそう! あたしたちのことも助けてくれたし、きっといい人に違いないって!」
「さっきと言ってることが逆ですわ」
「うっさいな!」
丸聞こえなやり取りを受け流しつつ、キャロルは小さく首を横に振った。
「いい人……悪意がないというだけでいい人と呼べるのなら、きっとあのヒトは上の上と言えるのかもね。でも他人を思いやる気持ちってことなら、たぶんわたしより酷い」
「そんな、キャロルさんは……」
「わたしはいつも貰ったものを返してるだけだし、根本はお母様とそう変わらないだろうから」
「……! わたくしは! キャロルさんほど思いやりに溢れた方を知りませんわ!」
前のめりになったクラウディアが噛みつくように言って、キャロルは思わず目を見開く。
悔しさのような悲しみのような、今までになく必死な顔で言い放つ幼馴染に微笑みかけながら、キャロルは小さく「ありがとう」と呟いた。
「でもわたしの心配をする必要は本当にないよ。赤ん坊の頃の記憶なんて覚えてないし、わたしにとっては今日はじめて会ったばかりの他人だから」
呆れるように一息ついた後、海の方を眺めながらキャロルは言う。
「ただ兄さまにもあのヒトは同じように振る舞うんだろうなあって考えたら、ちょっと可哀想に思えただけ。兄さまはあのヒトがいなくなった時のことを、ずいぶん引きずってるみたいだから」
「アーサー様が……ですの?」
「うん。わたしが気にしてるのは、それだけ」
ルゥ=ベルスーズ————おそらくはこの世で最も“落とし子”としての素質を持つ人間。
生まれたときからその素養があったと仮定すると、彼女は常にこの世界——つまりはアザフォースと同等の自意識の大きさを持って生きてきたのだろう。
そもそもの感覚が常人とかけ離れているんだ。
世界規模、宇宙規模でしか物事を捉えることができない。故に感情に優劣がなく、すべてを一律に愛している。
決して個人を見つめることのできない、残酷なまでに平等な愛。
彼女がシャーロットやアーサー、キャロルに向けているのはそれだ。
ルゥ自身共感性というものが欠落しているし、他者からの理解も得られない。
ルゥがアザフォースと接触を果たしたら……そんな得体の知れない彼女にこの世界を掌握させることになる。
そんなのは御免だ。その点だけで言えばプロキオンと目的が重なる部分があるかもしれない。
(わたしの世界は…………誰にもあげない)
きゅ——と、キャロルは無意識に拳を握った。
脳裏をよぎるのは一つの策。
プロキオンも母親も出し抜いて、すべてを解決できる唯一の手段がキャロルの頭には浮かんでいた。
「……なにか企んでるでしょ?」
どこか塞ぎ込んだ様子の彼女に気がついたのか、ため息をつきながらデビルーナはキャロルへと歩み寄る。
「なにも企んでない」
「嘘。アンタ表情変わらないくせに目だけは正直なんだから。視線、泳いでる」
「泳いでない」
「ほら、目逸らした」
「…………チッ」
「図星いただき〜」
もちろん図星に決まっていた。
年長者としての心掛け……かはわからないが、デビルーナは細かいことによく目が行き届く。
それが気づいて欲しくないことであっても。
「なかなか直らないわよね〜秘密主義。キャロ坊にとっちゃ力不足かもしれないけどさ、あたしらにだってやれることはあんのよ、必ずね。言いたいことがあるなら相談くらいしたらどうなの? ……前に言ってくれたじゃん、『一緒にいよう』って」
「…………」
「言・っ・た・で・しょ?」
「………………言った」
顔を寄せて追い詰めるような眼光を突きつけた後、肩をすくめながらデビルーナは続ける。
「キャロ坊を魔導学府に見送ったとき、正直後悔したよ。どんなに役立たずでも行くべきだったって。ああいや、あたしが残ってたからクラ子を守れたってのもあるけど……。後悔したから自分の変化にも気がつけたしね」
「変化?」
「そ。なんかあたしさ、自分が思ってるよりアンタらのこと好きみたいなんだよね」
キャロルの眉が微かに動き、後ろで静聴していたクラウディアは寝耳に水といった顔で口元を覆う。
「さっき言ってたこともだけどさ、見ててハラハラすんのよ」
「なにか言ったっけ」
「お母さんのこと。どうでもいいとかどうとか言ってたでしょ」
「どうでもいいとは言ってない」
「そうだっけ? まあともかくさっきの話」
記憶を手繰り寄せるように右の人差し指をぐるぐる回しながら、デビルーナは真剣な眼差しで口にした。
「たとえ自分が気にならなくてもさ、親にあんな風に雑な物言いされて怒りも泣きもしないなんて健全じゃないって。子どもはママから特別で無条件の愛を施されるものでしょ?」
「わたしそういうのよく分からない」
「それ! 分からなくても! あたしの親だってひどい奴らだった。あんなの死んで当然だ。でもね、できることならあたしだってそこいらのガキみたいに親からチヤホヤされたいって思ってたよずっと‼︎ 絶対に叶わないって分かっててもね‼︎」
「…………」
「いやずっとは言い過ぎたかも。……とにかくアレよ、分かってよ〜頼むから……」
痛そうな頭にぐりぐりと指先を押し込めつつ、苦い顔でまた顔を上げた。
うまく格好つかないな……とでも思っているのだろう。
「キャロ坊はもっと大事なところで欲しがらなきゃダメ。欲しくなくても、当たり前のものを得られない不条理にちゃんと怒るべきだよ。————どうせコレも聞いてるんでしょ⁉︎ キャロ坊のママさんよ‼︎」
不意に空を見て叫び始めたデビルーナの表情が険しいものになる。
「キャロ坊が言わないならあたしが言ってやる! 子どもを特別扱いせずになにが母親よ! 世界と一つになるより先にやることがあんでしょ⁉︎ 落とし子だか何だか知らないけどね、他の誰がどう言おうとあたしはアンタをキャロ坊の母親とは認めないからっ!」
「はっ……?」
「……! あはっ……!」
手のひらを叩いて嬉しそうに短い声を上げたのはクラウディア。
「わたくしも! その……さっきの話が本気というなら、あまりにもあんまりだと思いましたわ! キャロルさんが可哀想で胸がすごーーーーく痛みますの‼︎」
「いや、ちょっと」
「キャロ坊のママでもなんでも、あたし達が居るんだからアンタの出る幕ないって〜の!」
「あの……」
「その通りですわ! お母様がそうでなくとも、わたくし達がこれから先ずう〜〜っとキャロルさんを特別に想い続けますの‼︎」
熱い何かが込み上げてくる。
初めて感じる心の機微に、キャロルは反射的に胸元を押さえて視線を落とした。
「……いや、なんだったの今の流れ?」
「デビルーナさんが始めたんですわ」
「てか、キャロル大丈夫?」
「え?」
俯いて動こうとしないキャロルへ目を戻す二人。
白い少女の肩は小さく震え、その下で何かが輝いていた。
「……なんか」
とてつもない速さで迫る感情に追いつかれながらも、キャロルは懸命に言葉を編み込む。
「すごく、笑える」
彼女と顔を見合わせたデビルーナとクラウディアも、誇らしげに笑っていた。
「さ、恥ずかしくなる前に別の話題いっとく?」
「わたくしはもう少し続けても……」
「……そんな笑える二人に言っておきたいことがあるの」
二人がきょとんとした顔で再度キャロルの方へと向き直る。
なんてことのない話題であるかのように、キャロルは綻んだ表情で彼女たちに言い放った。
「わたしね、ヒトじゃないの」
書籍版の発売日が近づいてまいりました……。
本当に素晴らしい作品になっていると思いますので、作品ページや活動報告からぜひ情報のごチェックを!