【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
キャロルの唐突な告白はクラウディアとデビルーナの困惑を呼んだ。
「……どういうこと?」
さざなみの音だけがしばらくその場を満たし、キャロルの言葉の意味を汲み取れないままデビルーナが聞き返す。
「言葉通り、わたしは人間じゃない。ヒトの体に邪神の魂が入り込んだ化け物。ちょうどプロキオンっていう聖騎士みたいに」
「はぁ?」
「キャロルさん……?」
「それとわたしは」
言いかけていたことを呑み込んだキャロルの表情が曇る。
なにかを迷うように、そして苦しむようにもごもごと口元を動かすこと十数秒、沈んだ声音で彼女は口にした。
「わたし……は、あなた達のこと好きじゃない。大嫌い。もう二度と会いたくないって思う」
「え……?」
それ以上は何も付け加えることのないまま、キャロルは仄かに寂しそうな笑顔でその場から消え去った。
石化魔術を使って、幻のように一瞬で。
「急になんなの、アイツ?」
「どうして今、あのような嘘を……?」
残された二人は戸惑いながら、急いで白い少女の姿を追ってログハウスへと駆けて行った。
「私たちは以前からの知り合いだったんだ。先生と弟子。……私がキミに付きまとってたのは、それが理由」
シャーロットが眠るベッドのすぐ近くの窓際。
椅子で休んでいたレイニィに向けて、リップルはわずかに強張った声で伝えた。
レイニィは瞳をぱちくりさせた後、困ったように笑いながら言う。
「そうだったんだ……どうりで。ごめんね、今まで」
「どうしてレイニィが謝るの?」
「あなたの気持ちを想像したら、ちょっとね」
穏やかに話す「冷炎」人格のレイニィは
「ずっと不思議に思ってたから……『炎』の私も。でも納得した、ありがとう。リップルはずっと私を守っていてくれたのね」
「…………」
ちがう、と心の中で否定する。
そんな感謝されるようなことをしていたわけじゃない。
手放したくなかったから、独りになりたくなかったから、死にゆくはずだった彼女を無理やり引き留めていた。そこに善意はひとつもない。
すべて自分のためだった。それが良いことではないのも最初から知っていたのに。
「レイニィは……私を人間にしてくれたから。私が人間でいるために、レイニィを失いたくなかった。レイニィは私にとって……世界のすべてだったから」
「……リップル」
「ごめん、気持ち悪いよね……。キミををそんな風にしたのは、ぜんぶ私のせいなんだ。ごめん、本当、もう金輪際キミと関わらないから……」
「リップル」
閉じこもろうとしたリップルに対して静かに、それでいて一喝するような声でレイニィが言った。
「あなたを責める心は、今の私にはない。記憶がなくてもわかる。それだけは確かだわ」
目を合わせることもできないリップルを見つめながら、レイニィは自分の胸に手を当てて続ける。
「以前の私とは違うかもしれないけど、だからって離れる必要もないでしょう? 忘れた過去を差し引いても、今の私にとってリップルはほっとけない友達なんだから。……『炎』の方の私にとってもね」
いっそ思いきり拒絶してくれれば楽だった。
けれど顔を上げた先に見えた彼女は嫌になるほど優しい眼差しを向けていて、そしてその奥にはどうしようもない好奇心がうっすらと隠れているのも分かってしまう。
「それに私が必死になっていたのは、きっと怪物になることが重要じゃない。もっとあなたに近づきたかったからだと思う」
「私に……?」
「うん。……私もひとりきりは嫌だから、魔術を教えてくれるあなたの存在が、支えになっていたんだと思うよ」
レイニィ=アバンギャルドは一度死んだ。
今リップルの目の前で話しているのは、文字通り生まれ変わった別人。だが人間としての本質は以前の彼女と何ら変わりないものだった。
「でも……リップルはそれじゃ納得しないよね。だからこれからも私のそばにいて、私のために生きてくれない?」
「え……?」
「——それがお前にできる償いだ」
不意にレイニィの声色と目つきが変わる。
獰猛な獣のごとき眼光をリップルへ突きつける「炎」のレイニィは、やれやれと肩をすくめて言った。
「そう簡単には離さねーってことだ。どのみち帰る場所もないんだ、傷を舐め合う人間は必要だろ?」
「えぇ〜……そうなるの?」
「嫌ならべつにいいけどな。オレは独りでも問題ない。……ただ、独りじゃないほうが嬉しいだけだ」
答えを待つように口を閉じたレイニィの視線が刺さる。
迷いを呑み込むような重たい時間。
リップルは葛藤しながらも、自分を必要としてくれる彼女を二度と手放すことのないよう、部屋から出る足を止めた。
「——お話は終わった?」
「うわっ⁉︎」
ふと部屋の入り口から聞こえる透き通った声に仰け反るリップル。
クラウディアとデビルーナを置き去りにして海岸から離れた後、この寝室へやってきたキャロルはシャーロットが横たわるベッド横で立ち止まっていた。
突然姿を現したキャロルに驚きつつ、リップルは恐る恐る伝える。
「あ……キャロルちゃん。お母さん、どこかに行っちゃったんだけど……」
「知ってる」
シャーロットが眠るベッドの隅に腰を下ろしたキャロルは、ゆっくりと手を伸ばしてシーツを濡らす黄金の髪に優しく触れた。
魔導学府で生まれてすぐ、彼女は親であるルゥから手放されたのだろう。十分な愛情も注がれることのないまま。
ルゥはシャーロットをキャロルの妹だと言った。
同じ遺伝子を持っているから……とルゥは言いたいのだろうが、キャロルはその事実に対して親近感とは程遠い印象を抱いた。
ルゥ=ベルスーズに「特別」というものが無いのなら、キャロルとシャーロットの立場に差はない。どちらも愛され、そしてどちらにも関心は寄せられていない。
シャーロットにとってそれはいいことなのだろうか。
——いや、いいわけがない。彼女が邪神の魂を引き継いでいる
(……所詮わたしは、この社会にとって異物でしかないから)
ルゥに造られたといっても、シャーロット自身の魂が邪神というわけではない。
過程はどうあれ、ヒトとして育てられたのであれば彼女はヒトの性質を備えた生物なのだろう。
その点を考えればキャロルは彼女の母にも姉にもなることはできないのかもしれない。
だって、あまりにも
——ああ、どんどん嫌な方向に思考が偏っていく。
兄からもらった言葉、幼馴染と過ごした時間、出会った友達、自らをヒトであると信じる心。そのすべてを虚無へ追いやってしまいたくなる。
プロキオンと“落とし子”を中心に渦巻いている自分たちの問題を解決するために、何度思考を繰り返しても
「二人は、これからどうするの?」
「うん?」
シャーロットを見つめていた顔を上げ、キャロルはどこか不安そうにしていたリップルとレイニィへ語りかける。
答えたのはレイニィの方だった。
「どうもできねえな。プロキオンって聖騎士が“落とし子”とやらを狙ってるなら、オレも下手に動けないだろ。幸いここは快適で安全みたいだし、しばらくは利用させてもらうさ」
「そう。……それがいいと思う」
「キャロルちゃんはどうするの? 幼馴染のあの……クラウディアって可愛い子も狙われてるんだよね?」
「クーちゃんのことも心配いらない。あなた達を取り巻く問題は、近いうちに全部片付く予定だから」
「……どういうこと?」
リップルの疑問にキャロルが応答することはなかった。
やがて目を開けたシャーロットが寝ぼけ眼のまま体を起こしてキャロルの方を見る。
「……お姉ちゃん? ママは?」
「こんにちは、シャロちゃん。お母様なら……すぐに戻ってくると思うから、もう少し休んでるといいよ」
「んー……」
ぼんやりした意識のまま再びシーツの上に倒れ込むシャーロットに微笑みかけた後、キャロルは立ち上がってリップルとレイニィの方を向いた。
「わたしがいない間、シャロちゃんをよろしく」
「え?」
怪訝な顔を浮かべる二人を放置してキャロルが廊下に出ると、壁に寄りかかりながら話を聞いていたであろうロイドと目が合った。
彼が言葉を発しない間に、キャロルは先んじて語りかける。
「いざという時にはクーちゃんをよろしくお願いします。言われるまでもないと思うけど」
「なにをするつもりだ?」
目の前を横切ろうとしたキャロルを引き留めたロイドの声は、すでに何かを察しているように力がない。
いつも通り淡々とした口調でキャロルは返す。
「あなたはもうわたしの正体に気づいているでしょう。説明するまでもないと思うけど」
「迷宮を操った時のことを言っているのなら、その通りだが……それで君の思惑まで分かるわけじゃない。……いや違うな。できれば俺の勘違いであってほしい、と思っているだけなのかもしれん」
「なにが言いたいんですか?」
思考するように間を置いてから、ロイドは真っ直ぐにキャロルを捉えて言った。
「君がいなくなるのは、クラウディアが悲しむからな」
わずかにキャロルの口角が上がる。
「よくわかってるじゃないですか」
そう言い残した後、キャロルは「石化」を使って誰にも認識されないままログハウスから出て行った。
街がありそうな方向へひたすら移動しながらキャロルは記憶のなかを振り返る。
迷宮は邪神から漏れ出た「世界」が形を成したもの。邪神にしか操ることのできない現象。
それを扱えるキャロルが邪神の魂を備えていることは、彼女と戦った時点でロイドも薄々気づいていただろう。
生まれ変わりとまでは読み取れずとも、少なからず通常とは異なる因子を持っていることは確信していたはずだ。
そしてキャロルはその性質上、通常の魔術師よりも複数の魔術を取り込むハードルが低い。
アトラの「糸」やケイオスの「変身」を取り込んだときのように、邪神としての認識能力に加えてヒトとしての共感性を獲得したキャロルは、暴走のリスクを考慮せずに遺物を摂取した数だけ魔術を習得することができる。
それはきっとアザフォースの魔術にも同じことが言えるだろう。
つまりキャロルは
はっきりとした自我のない今のアザフォースとは違い、キャロルの意思が反映されれば“落とし子”を選別することも可能なはず。
成功すれば現在“落とし子”の素養を持っている人間とアザフォースとの繋がりを遮断することもできる。
ルゥやほかの“落とし子”より先にアザフォースを喰らい融合し、プロキオンの意識を自分だけに向けさせる。それがキャロルの思い描く最善手だった。
ロイドなら推測を重ねた先にその結論に辿り着くだろうとキャロルは思っていた。
そしてキャロルが皆から離れる決断を下した以上、その事実はすぐにクラウディアたちにも共有されるはず。
キャロルの狙いが勘付かれる前に、事を済ませなければならない。
(わたしの周りにいるヒトみんな……わたしのことが大好きだから)
アザフォースと融合することを、クラウディアやデビルーナ……兄だって、みんな良しとしないだろう。
それを予想できている自分がいるのが、キャロルは妙に嬉しかった。
みんな自分を好きでいてくれる。
なぜならみんながキャロルの「世界の一部」であると同時に、キャロル自身もまたみんなの一部だから。
それを自覚していてもなお、キャロルは足を止めなかった。
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