【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
キャビンテッド王国政府には「誅神局」という名の聖騎士たちを束ねる機関が存在する。
実際に聖騎士として働いている者たちからは分かりやすく「上層部」なんて呼ばれているこの機関は元聖騎士の人間を中心とした役人たちで構成されており、国の治安維持や魔術師たちの監視に日々務めている。
その中にはベルスーズ家当主であるキャベロン=ベルスーズも在籍していた。
「プロキオン司令について知っていることをすべて話してください! 今すぐ!」
魔導学府での一件が終結して三日後。
急遽ベルスーズ家の屋敷へ帰ってきたアーサーは父の書斎を訪ね、机についている彼の顔を見るや否や食らいつくような面持ちで迫った。
「プロキオンだと……?」
「上の人間は彼の正体を知っていたんでしょう⁉︎ なぜあんな重大なことを知らされないままリベルタなんて部隊が動かされていたんですか‼︎」
「アーサー」
「このままじゃクラウディアちゃんが……。キャロルだって無事では済まないかもしれない!」
捲し立てるアーサーの剣幕を打ち消すようにキャベロンは卓上を叩く。
昔から変わらない、冷たさすら覚える落ち着きようだった。
「声を荒げるな。突然帰ってきたかと思えば……自分がなんの話をしているか分かっているのか? それは奴自身から聞かされたのか?」
「ええ、そうですとも! 俺たち部隊の人間は皆知っています」
「なんと愚かな……。あの男……一体なにを考えている?」
「俺の質問に答えてください!」
久しく見ていなかった息子の激情にキャベロンの眼が揺れる。
……いや、実のところ久しいと言うほどでもなかった。ちょうど娘が家を出ると言い出したときも同じように取り乱していたから。
「まず前提から言うが、そもそもお前は本来プロキオンについて情報の開示が許される立場ではない。それを踏まえた上でまだ私に問うのか?」
「そんな御託は聞きたくありません。俺がこうしてものを尋ねている時点で、相応の覚悟があると考えてもらって結構です。それに今の俺は聖騎士としてじゃなく、ベルスーズ家の長男として質問しているのです、
「…………兄妹揃って、お前たちは……」
感情を丸ごと底から巻き上げたような重たいため息をついた後、やや肩を落としたキャベロンが口を開いた。
「プロキオンが世界法則によって生み出された星の守り手だという話なら真実だ。アザフォースとの接続者……“落とし子”を狩る役目を持っていることもな」
「その名前っ……上はやっぱり知っていたんですね、何もかも。その“落とし子”のなかに、クラウディアちゃんが含まれているんです」
「クラウディア……? クルトルフ家の?」
「そうです、彼女です!」
わずかに動揺する様子を見せるが、やはり不安を覚えるほどにキャベロンは冷静だった。
「プロキオンはこの国が築かれた時から……いや、それよりも古くから存在している
「どうにか止めることはできないんですか? 特定の体質を持つ人間なら無条件で葬られるなんて普通じゃありませんよ! 看過していいことじゃない!」
「止められるのであれば、そもそもそのような仕組みは作られていない」
その返答はアーサーも予期していたことだが、いざ突きつけられると落胆に似た怒りで言葉を失ってしまった。
「極論を言えば、役目を果たす上で人間社会の規範や倫理は奴にとってどうでもいいものだ。私たちにできることは、可能な限りの協力関係を維持することのみ」
「脅されているということですか……?」
「いや、むしろ逆だ。奴が譲歩を持ちかけていたと聞く。過去の記録を見た限りでは、我々の世界へ必要以上に干渉することを良しとしていないようだ」
それを聞いたアーサーはプロキオンの妙に事務的な言動の正体を理解した気がした。
普段の彼はとても溌溂としていて親しみやすい。隊のメンバーとも良好な関係を築けていたと記憶している。
だがやはりどこか浮世離れした空気が常に彼のそばにあった。
他人行儀……というのは少し違う気がするが、日々目の前の任務をこなすアーサーたちとは異なり、もっと別の、彼にしか見えていないものを捉え続けているかのような。
「プロキオンの動きを制限する力は今の我々にはない。……クラウディア嬢のことは気の毒だが、諦めるほかない。お前も聖騎士としての務めを果たせ」
「……よく、わかりました…………ッ!」
依然変化のない父の態度に嫌気が差したアーサーが跳ね返るように背を向けて歩き出す。
扉を開く直前、再び振り返ったアーサーの表情には失望の色があった。
「あなたに頼ろうとした俺の間違いでした。……俺は為すべきことを為します。聖騎士として、人間として」
鋭い声と眼光を残しつつ、アーサーは部屋を出る。
その姿を見送ることもしないまま、椅子の背もたれに体重をかけたキャベロンは一際深く息をついた。
「……結局、置いて行かれるのは私だけか」
「——しばらく見ないうちに弱々しくなりましたね」
思いがけず聞こえてきたのは透明感のある少女の声。
アーサーが出て行った後、開いていないはずの扉の前に幻のような白い少女が音もなく佇んでいた。
止まった時の中から現れたように。
「ごきげんよう、お父様」
魔術師になると宣ってこの屋敷を去って行った娘。
出方をうかがうように小さく一言だけこぼして、彼女——キャロル=ベルスーズは冷静な目つきで父の姿を見つめていた。
「駆け出しから一等星級だそうだな。あのときお前が下した決断は間違いではなかったというわけか。……私の判断も」
「なんの話ですか?」
「やはりお前を家から出すべきではなかった、という話だ」
視線を落としたまま語るキャベロンに、キャロルは眉間にしわを作って怪訝な顔を浮かべる。
「わたし、お説教を聞きに来たわけじゃありません。……お母様に会いました」
「そうか」
淡白すぎる返答。
長年行方不明だった妻のことを聞かされてもなお、キャベロンは風ひとつない水面のような振る舞いを崩さない。
まるで全てを予期していたかのように凪いでいる。
「お父様は……お母様についてどこまで知っていたんですか?」
「なにもかもだ。すべてを知らされた上で、私はルゥと契りを結んだ」
すべて、というのはやはりアザフォースや“落とし子”のことだろう。
誅神局に入る前から把握していたとすれば、それらの情報はすべてルゥ本人から聞かされたのだろうか。
ルゥがベルスーズ家からいなくなった後、キャベロンは動揺こそすれど彼女を探そうとはしなかったと聞く。
母がどのような人間であるのか最初から知っていたとして、どうして父は彼女と
キャロルにはそれが分からなかった。
「聞かせてくれませんか? お母様のこと」
「そんなことを聞きに来たのではあるまい?」
「そうですけど、聞きたくなったんです。兄さまやクーちゃんと違ってあなた達がわたしを甘やかしてくれた記憶はないけど……お父様とお母様も、わたしの世界に関わることだと思うから」
目線を上げたキャベロンとキャロルの視線が交差する。
「………………始まりは取るに足らないことだ。私とルゥは邪神教を追う任務のなかで出会い、共に行動することも多かった」
眠るように瞼を閉じながらキャベロンが話し出す。
もう一度人生を歩み直しているかのような、それでいてどこか孤独感を帯びた語り口だった。
「当時の私は典型的な聖騎士だった。邪神を許さず、魔物を許さず、そして……魔術を許さなかった。仲間に……友と呼べる者、そして父と母を魔物に奪われた憎しみだけが、私を形づくる全てだった」
父と母——という言葉に反応してキャロルの眉がわずかに動く。
キャロルやアーサーの祖父母にあたる人物なのだろうが、聖騎士であるということ以外で彼らについて詳しく聞かされたことは一度もなかったから。
そういえば……と思い当たったのはクルトルフ家の存在だ。
クラウディアの生家であるあの家は昔からベルスーズ家と深い交流があったが、もしかすると両親を亡くし、若くして当主の座に就くこととなったキャベロンを当時のクルトルフ家当主が支えていたのかもしれない。
そう考えるとやけに親密な関係だったことも頷ける。
「魔術師の力も借りず、捨て鉢となり任務の外でも日常的に魔物を狩り続けていた私は……あるとき彼女に命を救われたのだ。あの亡霊のような、ルゥに」
「亡霊のような……って、褒め言葉にもなるんですか?」
「……なに?」
「だって、お母様のことが好きだから結婚したんですよね? 好ましく思う相手に使うなら、そういう表現なのかな……と」
首を傾げるキャロルの問いかけには答えないまま、キャベロンは彼女の黄金色の瞳に視線を移した。
「お前は本当にルゥに似ている。姿も、自分の世界に閉じこもるところもな。……あいつも人の話を聞こうとはしなかった」
正直あまり母のことをよく思っていないキャロルには不本意な評価だったが、実際に会話を交わしてみて母が話の通じない人間であることは痛感していたのでその点に関しては同意見であることが少し悔しかった。
「あの頃の私はとにかく周囲を遠ざけようとしていた。……が、ルゥは私が作った壁を平気で飛び越え、関わりを持とうとしてきた。一体なにが面白くて私なんぞに近づこうとしたのか分からなかったが…………あいつの遠慮のなさが、憎しみだけだった私の生活のなかに煩わしさという感情を芽吹かせたのは確かだった」
——わたしにとってのクーちゃんや兄さまのようなものだろうか、とキャロルは静聴しながら思う。
良くも悪くもヒトとしての在り方に影響を与えた存在。
キャベロンにとって、ルゥは人間を保つうえで欠かせない要素だったのだろう。
「やがて世界中を巡り、脅威度の高い魔物を狩る生活を送るなかで私たちは聖騎士の間で“邪神の墓場”と呼ばれる、大量の遺物が眠るとされている土地にたどり着いた。ルゥはそこで何かを探しているような素振りを見せていた。そこにルゥの探し求めていたものがあったのだ。……お前が本当に知りたいことも、おそらくはそれだろう?」
「やたらとお察しがいい……というか、気が利きますね。お父様にこんなに優しくしてもらったの、初めて」
「今さら隠す意味もあるまい」
隠す、がなにを示しているのかは分からなかったが、キャロルは静かに続けて口を開くキャベロンの話に耳を傾けた。
ベルスーズ家に戻りキャベロンから聞き出したかった情報——すなわちルゥが口にしていた“聖地”という言葉が示す場所。
おそらくキャベロンの話にあった“邪神の墓場”と近い座標にそれはある。
「私はその場所でルゥの力と目的を聞いた。アザフォースに“落とし子”……受け入れ難いことだったが、旅の最中で徐々に力を増していくルゥの魔術を見ていたせいか、私はそれが真実だと呑み込むしかなかった」
キャベロンの声が微かに沈む。
後悔ともまた違う憂いを帯びた眼差しで、彼は虚空を見つめている。
「ルゥが人であることを捨てようとしていると知って、私は初めて彼女を手放したくないと思った。魔物に対する憎しみは薄れ、隣で軽口を叩く彼女の煩わしさこそが私という人間を証明してくれる唯一の存在になっていたことに、その瞬間ようやく気がついたのだ。……私はルゥを求め、そして彼女もまた私を受け入れてくれたと————その時の私は思っていた」
顔を上げたキャベロンが再びキャロルを見据える。
キャロルを通してかつてのパートナーの姿を思い出すように。
「アーサーが生まれ、お前が生まれ、私たちはこれから先も人間として生きられるものだと思っていた。……だが違った。私たちが築いてきたものは、ルゥを人間にすることはできなかった。彼女は昔と変わることなく、ただ一人、唯一のものになるために家を出て行った。悲しみも名残惜しさもない、私がルゥのなかに刻み込めたものは何一つなかった」
どこか遠くを見ていたような目の色が変わる。
「私には最後まで分からなかった。人であることが幸せだというのは私のエゴなのか? 人間ではないもの……魔なる存在になぜそこまで幸福を感じる? ……私には理解が及ばない。私にとって邪神とは憎むべきものだ。人の世界を、生活を、破壊する邪悪なものだ。……ルゥは、なぜ……」
「それはわたしに対する質問ですか?」
キャロルの問いかけを聞いて、キャベロンはようやく自分の娘に意識を向けたようだった。
「————ルゥがいなくなった時から、私はお前たちに人の道から外すような真似はさせまいと心に誓っていた。アーサーはもちろん、お前にも人として生きていけるよう尽くしたつもりだった。だがお前はルゥと同じ選択をした」
キャロルはふと、自分の魂を自覚した瞬間のことを思い出していた。
邪神ゾアである自分を思い出した時、この世界でやるべきことがはっきりと分かった気がしたのだ。
「私では理解を示すことはできない。アーサーも。私ではお前が幸福になる道を教えることはできないと確信し、故にお前を引き止めることはしなかった」
「そうですか。…………知りたいことはだいたい聞けたので、もう行きますね」
ゆっくりと踵を返すキャロルの胸には、ひとつ引っかかっている誤解があった。
父はキャロルがルゥに似ているから魔なる存在に惹かれるのだと思っているようだが、それは大きな間違いだ。
ルゥ=ベルスーズは生まれつき“落とし子”であるが故に宇宙規模の認識能力を持ち、常人とはかけ離れた価値観のスケールを備えてしまった者。
だがその魂は間違いなく人間であり、“落とし子”としての素質がなくなってしまえばたちまち人並みのものに還る仮初の自我。病気みたいなものだ。
————キャロルはそうではない。
キャロル=ベルスーズの魂は邪神ゾアそのもの。
どれだけ似ていようがそれは全て錯覚だ。
ルゥが怪物のように見えたのなら、それは彼女と繋がっているアザフォースの影響に過ぎない。
だとすればキャベロンが言うような魔なるものに取り憑かれた存在とは、本来は邪神の魂そのものを秘めたキャロルだけを示しているはずなのだ。
少しだけ理解が深まったかもしれない。
自分はヒトである————キャロルはこれまで自らをそう定義してきた。いや、今でもそう思うのを諦めたわけじゃない。
だが自分とそっくりだという母が人間社会の規範とは乖離した存在だとわかって、キャロルはここにきて現実問題に突き当たってしまった。
ヒトが群生の生き物であるのなら、客観的な評価は決して無視できない。
ただ名乗るだけでは…………戯言を振り撒いていた邪神ケイオスとも何ら変わらないのではないか。
「…………ひとつ、言わせてもらうと」
扉の前で立ち止まったキャロルが振り返る。
「他人が何に幸せを感じるかなんて、誰にだって分からないと思います」
自らの本質に疑問を抱きながらも、最後まで自分なりの「ヒトらしさ」に準じていたいと思ったから、キャロルは父に言い残した。
「すこし変わっているかもしれないけど、お母様はちゃんとヒトですよ。……わたしと違って、ヒトになれる可能性がある」
「……なんだと……?」
キャベロンがキャロルの名前を呼ぼうとしたその時、彼女の姿が消えた。
独りきりになった部屋は、時が止まったかのように静かだった。
ここのところ真面目なキャロルが多いので書籍版を交えて序盤のキャロルを振り返ってみると風邪ひきそうになります。