【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
通常、魔術をものにするにはそれを運用するために邪神の自我を借りなければならない。
しかしながら元々邪神としての認識能力を備えているキャロルに他の自我は不要なもの。ゆえに取り込んだ遺物に含まれる自我の部分のみを破壊し、魔術効果を成り立たせている
そして人間由来の共感性でそれらを理解し、操る。
そうすることでキャロルはこれまでアトラやケイオスの魔術を我が物としてきた。
そう考えると“落とし子”となった者はかなり危険な状態であると言えるかもしれない。自らの意思に関わらず、あるとき突然アザフォースの自我が発現するのだから。
キャロルの母——ルゥの思想に問題があることを考えると、この先クラウディアやレイニィも力が増大し、同じように精神状態に異常をきたす可能性もある。
それは絶対に阻止しなくてはならない。
(問題はアザフォースと接続するきっかけ……)
ベルスーズ家の玄関を目指して廊下を歩きながらキャロルは思考する。
素養を持つ者に共通点がないことを考慮すると、“落とし子”とは休眠状態であるアザフォースの一部が制御できずに漏れ出し、無作為で生物に宿ったもの。
身近な例で表すと、寝相が悪くて自分の意思に関わらず手や足がベッドからはみ出してしまう……ようなものだと考えられる。
一度とっかかりを掴めばキャロルは時間をかけてアザフォースの自我を破壊し力を奪うことはできると思うが、そもそも他を押し退けてアザフォースと完全に一体化するために必要な条件とは?
加えて現状自らの意思で“落とし子”になる手段が見えない以上、何よりもまずはそれを解明する必要がある。
(勢いで飛び出しちゃったけど、ちゃんと相談してからのほうがよかったかな)
そう思ってすぐにキャロルは首を横に振る。
キャロル自身がアザフォースと一体化して全部解決——だなんて、クラウディアたちが許すはずがない。そんなことのために知恵を貸してはくれないだろう。
だからこそ……たとえ嘘でも「嫌い」だと言い張って彼女たちを突き放し、単独で行動するのが最適なのだ。
自分は間違っていない。
キャロルがアザフォースと一つになり、すべての“落とし子”の接続を遮断する。
そうすればクラウディアもレイニィもプロキオンから命を狙われることはなくなる。母の企みも止めて、兄と父のもとに戻すことだってできるかもしれない。
それでキャロルの世界は守られる。
たとえそうすることで
————くぅ、と……小さくおなかが鳴った。
「……さみしぃ」
「キャロル?」
玄関を通り外へ出たところでいつの間にか立ちすくんでしまっていたのか、どこからともなく聞こえてきた呼びかけでキャロルは我に返った。
「ここに来てたのか⁉︎ あれから急にいなくなって心配したんだぞ……!」
庭の方から安堵の表情を浮かべながら早歩きで近づいてくる兄の姿を見つけて、キャロルの息が詰まる。
今のタイミングでは絶対に会ってはいけないと思っていたから、父を訪ねるときも石化魔術を使って姿を見られないよう注意を払ったというのに。
ごちゃついた思考をまとめるのに時間をかけ過ぎた。
まさかこうも無防備になるとは。
「家に来たってことは、父上と話しに? もしかしてクラウディアちゃんのことも知ってるのか?」
アーサーの発する音を言葉として認識できないまま、キャロルは曇りつつある瞳を泳がせて考える。
キャロルがこれからやろうとしていることが成功すれば、キャロルの人間としての肉体はおそらく消え去ってしまう。
アザフォースとはこの世を構成する宇宙そのもの。
一個体に過ぎないキャロルが一体化するということは、広大な海に一滴のインクを落とすようなものだ。
『この姿のわたしとはもう二度と会うことはない』————ルゥも、母もそう言っていた。
肉体をまともに保てるのは最初の一瞬だけ。
すぐに分解され、キャロルの体は宇宙空間と一つになる。そうすることでキャロルは本当の意味でアザフォースとの同一化を果たす。
もう二度と、この世界に生きる人間とは会えないかもしれない。
「……キャロル?」
「——あ……」
再び名前を呼ばれて、キャロルは反射的に顔を上げる。
不安げなアーサーの瞳が視界の真ん中で止まった。
同時に思い起こされるのは屋敷を出て行ったあの日のこと。
あの時————母に突然出て行かれ心に傷を抱えていたアーサーをこれ以上落ち込ませまいとしたキャロルがとった行動は、「事前に家を出ると通達する」だった。
あらかじめ家を離れることを教えておけば傷つかれることはないだろうと、そう思ったからそのように動いた。
けど今回はちがう。
ヒトの心の機微が染みついた今は、同じ理由でも真逆の選択をとろうとしている。
むしろ何も知らせないほうが彼にとって幸せかもしれない——と、キャロルは思い始めている。
もしかすると母も……そうだったのだろうか。
「……わたしは」
かつての母のように、おためごかしの手紙でも置いて、さっさと彼の前からいなくなってしまえばいい。
事実、クラウディアやデビルーナには似たような行動をとった。
無理やりにでも嫌われてしまえば、無理やりにでも距離を作ってしまえば、後のことはきっと楽になるから。
時間を止めてしまえば誰もキャロルのことは追えなくなる。
独りきりの世界に入れば、それだけで全てが片付く。
邪神ゾアはそうやってきた。そうして全てを片付けてきた。
戻るべき時なのだ、きっと。どこまでいっても魂の性質は変えられないのなら、いっそ。
「大丈夫か……? 顔色が悪いぞ?」
「近づかないで」
歩み寄られて、キャロルは無意識に一歩後ろへ下がった。
明らかにいつもとちがう妹の異変に、アーサーも気づいているようだった。
「一体どうしたんだよ?」
「わたし、兄さまが嫌いだわ」
それはクラウディアとデビルーナにも告げた拒絶の意思。
胸が張り裂けんばかりの痛みを堪えてキャロルが放った言葉を聞いて、アーサーの双眸から一瞬で光が消し飛んだ。
雷に当たるどころかこの世の終わりを知らせる天変地異かのような衝撃。
いや、死にも等しい宣告がこだましてアーサーの全身を駆け巡る。
「……きっ……きらっ、き……? きらい、なのか……? 俺が?」
「……そう言った」
「ど、どんなところが……?」
「どんな………………」
視線をあちらこちらへ飛ばしながら考え込むキャロル。
いざ問われるともちろんすぐには浮かんでこないので困った。
「未だに子ども扱いするところとか……」
「十四は子どもだろ……」
「そういうとこ」
「ああっ、ごめん……普段そんなつもりで接してるわけじゃないんだけどな……」
咳払いの後、改めてアーサーはキャロルのほうを見る。
「今は俺のことなんてどうでもいいんだ。なにかあったんだろ? 兄さまに聞かせてくれ」
「……嫌いって言ったの、信じてないでしょ」
「まあね。でも本当だとしても、やっぱりキャロルのことは放っておけないよ。キャロルが俺のことを嫌いでも、俺はキャロルのことが好きだからね」
思わず頭の隅に追いやっていた事実が熱を発する。
わかっていたことだ。わかっていたからこそ、何も告げずに姿を消すのが最善だと思っていた。
でもこうして耳にしてしまったら、もう先ほどまでのように感情を殺した決断はできそうになかった。
「……わたし……わたしは」
火傷しそうなほどの熱がこもった言葉の数々が喉元まで上がってくる。
やがて冷静になり、それらを呑み込もうとしたその時、キャロルに二つの影が覆い被さった。
「うわうわうわうわあああああああっ⁉︎」
「きゃああああ⁉︎」
どすん、と鈍い音を立ててキャロルの真上に二人の人間が落下。
アーサーが呆然とするなか、キャロルは積み重なるかたちで自分にのしかかってきた少女たちに細めた視線を注いだ。
「いったたた……。ちょっと、どこに飛ばしてんのよ!」
「し、仕方ありませんわ! まだ慣れてないんですもの!」
「……なに、してるの? クーちゃん、デビルーナ」
恥ずかしそうに笑ったクラウディア、そしてデビルーナが立ち上がるすぐ横で、転ぶことなく着地に成功したもう一人が佇んでいることにキャロルとアーサーは気づいた。
「ロイドまで! 今どうやってここに……⁉︎」
「クラウディアの魔術でここまで移動してきた」
「レイニィさんに力の使い方を教えてもらいましたの。上手くいってよかったですわ」
にこやかに話す彼女を見てキャロルは怪訝そうに眉をひそめる。
「“落とし子”の力でここまで空間移動を?」
「はい。最初は別の場所に一瞬で飛ぶ感覚がわからず、とても苦労しましたわ」
「キャロ坊がどこに行ったかも分からなかったしね。でもアンタのそばに行く感じでイメージを絞ってみたら……できちゃったみたい」
「………………二人とも……いくらなんでも、わたしのこと好きすぎ」
デビルーナが呆れ半分に言うのを聞いてキャロルも戸惑う。
特定の範囲内でのみ空間移動を行うレイニィや教皇、そして世界中を好きに歩き回れるルゥ。
彼らの様子を見るに、“落とし子”の力でもたらされる結果は彼らが認識しているものによって変わるのかもしれない。
さしずめキャロルに会いたいと強く願い、そのイメージを固めたクラウディアは「キャロルのいる場所」のみに限定してその座標を把握、同時に長距離の移動を可能にしたのだろう。
「クラウディアはもともと呑み込みが早い子だった」
「……ロイドさん」
したり顔で語るロイドに向けて棘のある眼差しを注ぐキャロル。
「クーちゃんをお願いしますって言いましたよね? なんで追って来ちゃうんですか?」
「君の指図に従う義理はない。クラウディアが望むのなら、俺はその意思を可能な限り尊重するまでだ」
「そうですわ、キャロルさん!」
ハッとなにかを思い出したようにクラウディアがキャロルに詰め寄る。
その勢いや声音からして、少しばかり怒っているようだった。
「わたくしたちに内緒にしていることがありますでしょう!? どうして突然いなくなっちゃいますの!? なにか考えていることがあるのなら、わたくしたちにも相談なさってください!」
「……べつに……内緒とか……ないし……」
「絶対ウソですわ! なにをお考えか教えてくださいキャロルさん! キャロルさ~ん!?」
なんとか顔を覗き込もうとするクラウディアだったが、一向にキャロルと目が合わない。
デビルーナは以前の砂浜で一通り言いたいことを吐き出しているからか、やれやれといった様子で静観するのみだった。
「キャロルが俺たちのことを考えて動いてくれているのは……わかるよ。ふわふわしてて掴み所がないけど、昔から優しい子だってことは俺も知ってるから」
突如現れたクラウディアたちに面食らいつつも、やがて気を取り直し歩み寄ってきたアーサーが膝を折り、俯いているキャロルと目線を合わせながら口にする。
「でも人間ひとりじゃいつか限界がくるものだ。キャロルが悩むくらいだ、大変なことに直面しているんだろう? 考えていること、したいことがあるのなら、俺たちに助けさせてくれ。……俺のほうからも共有しておきたいことがあるしね」
柔らかな笑みを浮かべながら話すアーサーを見上げて、キャロルはまた以前の記憶を思い出していた。
対等な関係を築くと決めたはずだったのに、今はキャロル自身がそれに背こうとしている。
キャロルは自分のなかのヒトとしての心理を初めて、ただ面倒だと感じた。
生温かい言葉の数々が心地よく思える今を拒絶したかった。
「……ひとつ、はっきりさせておきたい」
不意に視線を落としたキャロルの言葉に疑問を抱きつつも、アーサーたちは静かにその声に耳を傾ける。
「わたしはこれから話すことを撤回するつもりはないし、何があってもやり遂げる。それがわたしの世界を守るために必要なことだから」
キャロルに一瞥されたクラウディアが驚くように肩を揺らす。
その様子を見たアーサーは妹が何を目的としているのかを朧げに悟った。
「たとえみんなの賛同が得られなくても、わたしはやる。クーちゃんを守って、ベルスーズの家も元通りにするために————わたしは、それ以外の全てを脅かす存在になる」