【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
答えの見つからない思考をそのまま体現するかのように、アーサーは鋼色の刃をひたすらに振り続けていた。
自分が何をするべきなのか、何をしたいのかを考えるよりも先に、現状を受け入れなければならないことに対して精神が磨耗していく。
自分の力では妹を救えないという事実に、ただ自らの無力を嘆くことしかできない今に、アーサーはかつてないほどの怒りを覚えた。
「お疲れ、隊長」
まとまらない思考から逃げるように演習場で剣を振っていたその時、不意に聞こえてきた呼びかけに反応してアーサーは動きを止める。
いつの間にかリコットを先頭に、リベルタの面々がそばに集まってきていた。
「……いつから居た?」
「三十分くらい眺めてたかな? こりゃ黙ってたら永遠に剣振り回したままだなーと思って声かけたの」
「司令はすでに王都を発ったようだ」
グランがそう伝えると、アーサーは沈んだ表情のまま「そうか」とだけ呟いて剣を鞘に納めた。
リベルタ司令官——プロキオンは発見済みの“落とし子”たちへの対処をするため、その一人が潜伏しているであろう“聖地”と呼ばれる場所へ向かった。
彼の討伐対象である“落とし子”とはアザフォースと接続できる力を持つ者たち。
その中にはアーサーの妹の幼馴染であるクラウディアと…………もう一人、軽視できない人物が含まれていた。
「これからどうするおつもりで?」
「……どうする、とは?」
「我々の方針をお決めください。ご命令とあらば、私たちはあなたへの助力を惜しまない」
冷静な口調でそう告げたアザレアに、アーサーのなかで罪悪感が芽生える。
——そうだ、自分は隊長だった。
聖騎士としての務めを果たさなければならない。この世界の秩序を守るために。
けれど自分が守りたかったのは、父と母と妹、家族みんなが生きている世界なんだ。
だというのに……。
『はじめまして、キャロル』
産まれたばかりの妹を見たときの感情が再び思い起こされる。
キャロルの成長をずっと近くで見守っていた。
昔からおとなしい子で……育児を手伝っている時も、もう少し手を焼かせてくれてもいいんだけどな、なんて考えていたこともあった。
感情表現が乏しい子だったけど、三歳の誕生日に父がとびきり高価で豪勢なケーキを注文して、それを食べさせてあげたときにキャロルが初めて見せた満開の笑顔のことも、よく覚えている。
その頃から父の書斎にある魔術の本に興味を示す傾向があったが、やはり大変だったのは本格的に物心がつき始めた四歳からだろう。
少し目を離せば——いや目を離さずとも、気づけば視界からいなくなってしまうし、そのあとはなぜか危険な場所で発見されることも多く、そのたびに肝を冷やしたものだ。
キャロルは自分の命を軽く捉えている節がある。
魔術師としての力を自覚しているが故なのか、自分が犠牲を払うことに対して頓着がないのは昔から変わっていない。
不死の怪物を倒したときもそうだったし、今回だって……。
「すまない、みんな」
「……? これは?」
思考の海から帰ってきたアーサーは、懐から封筒を二つ取り出すとアザレアの前まで歩み寄り、彼女にそれらを渡した。
「これは?」
「辞表だ。俺は聖騎士を辞める」
「はっ……」
「ああ、もう一つはロイドの分だ。ついでに渡して欲しいと頼まれてね」
業務連絡でも伝えるような調子でそう口にしたアーサーに部下たちが目を剥く。
しかし面食らったその表情はすぐに冷静な顔つきに戻り、横を通り過ぎて演習場を出ようとするアーサーへリコットが代表して問いを投げかけた。
「謀反でも起こすつもり?」
「そんなわけないだろ。……俺はただ妹たちのためにできることをする。そのために聖騎士としての立場が邪魔なだけだ。みんなに迷惑はかけられない」
「プロさんと戦うことになるってわかってんの?」
「わかっているから、こうするしかないんだろ」
「っ……聖騎士辞めたら!ただの剣術オタクになっちまうぞ!」
今すぐ駆け寄ってアーサーを一発ぶん殴ってやりたいところだったが、すでにプロキオンや彼が抹殺しようとしている存在について共有されていたリコットは、静かにその背中を見送ることしかできなかった。
(俺が聖騎士になったのは……大事なものを失わないようにするためだ)
アーサー=ベルスーズひとりが消えたところで、聖騎士という職が崩壊するわけじゃない。
アザレア、リコット、グラン、ロバート……そしてほかの仲間たちも、正しい歯車として世界を回してくれる。
正しい世の中で生きる人々を守る剣になってくれる。
だが彼らでは手を差し伸べられない……この世界の仕組みから理不尽に排除されてしまう人間もいるのだと、今回の一件でアーサーは痛感した。
このままでは終わらせない。
(職務に縛られたままでは助けられない人たちを、俺が助ける)
演習場を離れ、騎士団アコルドの事務所付近にある車庫へ向かったアーサーは、そこに保管されている二輪車——鋼鉄馬アルゴスティールに跨る。
「あ……辞表出しちゃったから、コレ乗って飛び出したら窃盗になるか」
数秒、悩む。
非常に心苦しかったが今はとにかく速い足が欲しかったので、あまり気にしないままアーサーはハンドルを捻り発進した。
この程度の自己犠牲、妹が背負っているものに比べれば屁でもない。
●
『あなたの魔力は、綺麗だと思う』
幼馴染が口にしたその言葉を聞いたとき、幼き日のクラウディアに棍棒で頭を打たれたかのような衝撃が走った。
聖騎士の中の聖騎士を体現するクルトルフ家において、魔力を持って生まれてしまったクラウディアが汚れた存在であることは揺るぎない事実だったから。
自分の魔力は汚れている。自分は汚らしい人間。
クラウディア自身も、それは覆ることがない宿命なのだろうと考えていた。
だが幼馴染の少女は……キャロルはその宿命の意味を変えてくれたのだ。
穢らわしいだけだったクラウディアの魔力を綺麗だと言ってくれる人間がこの世にいる。
幼少期のクラウディアにとっては、たったそれだけで救われる心があった。
キャロルと出会って間もない頃は彼女の言葉の真意が気になったこともあった。
もともと掴みどころのない女の子だった故、一体どんな意図でクラウディアに励ましの言葉をかけたのか、はっきりとは分からなかったから。
しかし、その疑問もすぐに解消された。
キャロル=ベルスーズという人間はどこまでも純粋なんだ、と————交流を続けるなかでクラウディアは理解した。
おそらく剣術が嫌いなのだろう。あまり表情の変化はないが、一緒に稽古をつけてもらっている間は目に見えて気分が下がっているのが分かる。兄のアーサーが困ったように笑う姿をよく見かけた。
一方で休憩時間におやつのクッキーを食べているときは……これまた表情が大きく変わることはないが、明らかに瞳をキラキラさせて甘味に夢中になっているのが見て取れた。
クラウディアから見たキャロルには裏表を感じない。
嫌いなものは嫌いだし、好きなものは好き。そういうふうに振る舞う。
いつだって正直で、自由気ままに世界を生きている。
だからこそ、仮に「綺麗」だと言ってくれたことが嘘やごまかしであったとしても、そこに込められた優しさだけは間違いなく本物であると確信を持てたのだ。
かけられた言葉が本当でも、嘘であってもいい。
綺麗でなくともいい。汚いままでもいい。
自分がどのような存在であっても、どこまでも純粋な彼女が励まそうとしてくれた。
なにを以てその言葉をかけてくれたのかという事実が、クラウディアの心を強く震わせたのだ。
「————っ」
無意識に見つめていたキャロルの瞳が自分の方へ向けられて、クラウディアはようやく記憶のベールを取り払った。
吸い込まれそうなほどに大きな黄金色の双眸は何もかもが見透かされているようで、クラウディアは喉元まで出かかっていた抗議の言葉を呑み込んで咄嗟に顔を逸らす。
キャロル、クラウディア、デビルーナ、ロイド。
それぞれ異なる理想を望む人間たちは、ルゥ=ベルスーズが向かった先であろう“邪神の墓場”と呼ばれる立ち入り禁止区域のある方向を目指して鉄道に揺られていた。
キャロルとロイドが隣り合わせの席に座り、その真正面にクラウディアとデビルーナが腰を下ろしている。
のしかかるような重たい空気が漂うなかで口を開こうとする者はいない。
開いたところで数刻前と同じことを繰り返すだけだということが目に見えていたから。
————クラウディア=クリシス=クルトルフはベルスーズ家の屋敷を出発する直前、生まれてはじめて幼馴染とケンカをした。
正確には一方的な提案を突きつけてきたキャロルと、それを断固として受け入れようとしないクラウディアが言い合いにも満たないやり取りをいくつか交わしただけで、傍から見たらケンカとして成立してはいないのかもしれない。
だが少ない会話のなかで、クラウディアはこのままでは自身が幼馴染の隣に居続けることができないと分かってしまった。
同じ世界では生きられないことを悟ってしまった。
泣き腫らした顔で行き場のない感情を抱えている今のクラウディアにとって、それは紛れもなく幼馴染とのケンカだった。
「しかし呑気に鉄道とはな。ルゥ=ベルスーズはすでに“聖地”とやらに到着しているというのに、こうも悠長にしていて大丈夫なのか?」
「たぶん問題ない」
息苦しい雰囲気を意に介さず発したロイドにキャロルが答える。
状況が状況なので、このようなロイドの自分本位なところが今は少しだけありがたく感じた。
「お母さまは何年も前からアザフォースとの接続に必要な“聖地”の場所を知っていた。なら今になって行動を起こしたのには理由があるはず。すぐにはアザフォースと融合できない理由が」
話を聞く限り“落とし子”は力の練度を高めることでアザフォースから引き出せる魔力も向上していく。
昔のルゥでは不十分で今のルゥには備わっているものと考えると、アザフォースと接続するためには当人が一度に放出できる魔力量も重要になってくるのだろう。
さしずめ“聖地”というのはアザフォースから魔力を引き出しやすくなる場所……といったところだろうか?
まだ憶測の域を出ないが、現状ではそう判断するしかない。
しかし魔力の出力が関わってくるのであれば、やはりキャロルにも勝機はある。
出力でキャロルを上回る者などそういないのだから、“落とし子”の素養さえ手に入れば、キャロルはルゥを押し退けてアザフォースの本体と融合することができるはず。
「クーちゃんもレイニィも、お母さまほど好きに転移できるわけじゃないみたいだし、遠いところへの移動はこれがベストだよ」
「そうか」
「ところでなんでシスコン騎士まで付いてきてるの? アンタはキャロ坊の計画に協力するってわけ?」
渋い表情で足を組んでいるデビルーナが鋭利な眼差しを注いでくる。
クラウディアほど明白ではないにせよ、彼女もまた屋敷を離れてから腑に落ちない態度でいた。
「俺個人の行動原理として、半分は彼女と同じだと言えるだろう。クラウディアを守るためには必要なことだ。それに“落とし子”だか何だか知らないが、あんな怪しげな人間に世界の命運を委ねるわけにはいかない。……それ以外はどうでもいい」
「そ〜ですか。ったく…………あたしはまだ納得してないからね。クラ子や母親のためなんて言って、それでキャロ坊がいなくなるんじゃ意味ないんだから」
ベルスーズ家を発つ直前にキャロルもルゥ同様にアザフォースとの融合を狙っていることは皆に共有済み。
ロイドを除けば、その場でキャロルに賛同した人間は誰もいなかった。当然の結果だが。
「聞いてんのキャロ坊?」
念を押すようにキャロルへ向き直り、迫るデビルーナ。
しかし一瞬だけ視線を交わしたかと思えばキャロルはすぐ俯き加減になり、うんざりした顔を浮かべながらわざとらしくため息をついた。
ぴきり、とデビルーナに青筋が立つ。
「無視してんじゃないわよォォォオオ…………‼︎」
「いひゃい、ひゃめて」
「————あのっ!」
キャロルの両頬をつねるデビルーナの後ろで弾かれたようにクラウディアが立ち上がる。
三人の目が集中するなか、彼女はただ一人を見つめて言った。
「すこし……二人きりでお話ししたいですわ、キャロルさん」
ほっぺたを伸ばされたまま瞳をぱちくりと瞬かせるキャロル。
赤みの残るクラウディアの双眸には、涙とは違うものが宿っていた。
「話って、なに?」
「すぅ……はぁ……」
デッキスペースまでキャロルを連れてくると、しばらくクラウディアは緊張をほぐすように深呼吸を繰り返していた。
やがて自らの頬を叩いて、引き締まった顔つきで改めて視線を向けてくる。
「では……失礼いたしますわ!」
「は?」
直後、彼女は前触れもなくキャロルの背中へ手を回し、その小さな体を力いっぱいに抱きしめた。