【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「……⁉︎ ……⁇」
突如として柔らかな感触とともに視界が遮られ、キャロルは思わず魔術を起こしそうになる。
しかしすぐに状況を理解——と言うには戸惑いが拭いきれていないが、身の危険を感じるような出来事ではないことを呑み込んで、魔力を通していない両腕で抱きしめられる心地よさに身を委ねた。
しばしの間、キャロルとクラウディアはお互いの心音だけに耳を傾けていた。
「…………クーちゃんあったかい」
「わたくし、人より少し体温が高めなんですの」
事務所では毎晩添い寝していたくらいなのでキャロルもそのことは知っていたが、今は特別その温もりが鮮烈に思えた。
「キャロルさんがとても頑固な人だということは、昔からよく分かっていますわ」
キャロルの困惑が戻ってくるより先に、そのままクラウディアが語りかける。
その声音には強固な覚悟と、微かな悲しみが込められていた。
「わたくしやデビルーナさん……アーサー様、誰に止められたとしても、キャロルさんはキャロルさんのしたいことをするのでしょう」
「うん、力尽くでも押し通す。クーちゃんのことを守りたいし、それに……兄さまとお父さまに、またお母さまと一緒に暮らして欲しいから」
「わたくしたちの中に、それを止められる人はいませんわ」
ふと密着させていた体を離したクラウディアが無理やりに笑った。
無意識に寂しさを紛らわすように。
「念のため確認しておきたいのですが……共にプロキオン様から逃走を続けるという選択肢は、考えてはいませんのね?」
「普通の生活を送れないのなら意味がない。それにどれだけ逃げたところで、あのヒトはいつか必ず追いついてくる。アレはそういう存在だもの。……それだけは、絶対に看過できない」
プロキオンを打倒するということも、キャロルならできなくはないだろう。
だがその行動をとった瞬間にキャロルたちは明確に聖騎士の敵になってしまう。プロキオンが一人の人間として聖騎士の地位を築いている以上、それは避けられない。
そうなれば結局ヒトらしい生き方なんてできなくなるだろう。デビルーナは「慣れているから平気」とか言うかもしれないが、何にせよ論外。
それに、だ。
今プロキオンを殺すことができたとして、
肉体は人間であるようだが、
いたちごっこを続けたところで無限の機会を与えられる向こうに利があるのは明白だ。
だからこそ、アザフォースの力をキャロルが管理するという手段が最善だと考えたのだ。
「わたしは……
「本当は、止めたい。できないって分かっていても。誰の手を借りても、どんな手段を使っても引き止めたいですわ。……でも、わたくしはキャロルさんと、ケンカなんてしたくありません」
「…………わたしだって、そう。でもわたしはわたしの世界を守るためなら、クーちゃんとだってケンカする覚悟がある」
「本当に……キャロルさんはお強いですわ」
そう呟いた幼馴染の顔を見て、キャロルは恐れるかのように目を剥いた。
「ええ、わかっていますわ。わかっていますわよ。幼馴染ですもの。……ごめんなさい、キャロルさん。わたくしの…………わたくしが、もっと……」
それまで堪えてきたものが決壊するかのように、俯いたクラウディアは大粒の涙を流し始める。
その姿を見て、キャロルはしばらく息ができなかった。
痛い。胸が痛くて立っていられない。
剣で滅多斬りにされるより、どんな魔術を受けるより、泣いている幼馴染を前にして何もしてあげられないことが、つらい。
どうしてこうなってしまうのだろう。悲しい思いをさせる気なんて微塵もないのに。
「あ……クーちゃ……」
熱した鉄を喉元に押し付けられたような感覚がキャロルを襲う。
どうすればクラウディアから悲しみを取り除くことができる?
どうすればクラウディアを笑顔にできる?
————わかっている。自分にはその手段も資格もないと。
だから、なにも言葉にすることができなかった。
ヒトのことを理解すればするほど、自らを縛りつけるものが増えていく。
その縛るものを壊すことこそが自由へ繋がる行動だとも思っていた。
今だって……周囲の反対を押し切って魔術師を志した時のことを思い返せば、状況的には何ら変わりない。
それなのにまったく、ぜんぜん、面白くも楽しくも、気持ちよくもない。
謝りたい。
自分を好きでいてくれる、みんなに。
「……ごめん、なさい……クーちゃん」
「大丈夫ですわ、キャロルさん。……わたくしがキャロルさんのことが大好きな気持ちは、今までも……これからも、ずっとずっと変わることはありませんもの」
「えっ?」
行き場を失った両手を握り締めたキャロルが固まっていると、やがて顔を上げたクラウディアが静かに言った。
「キャロルさんを止められないことは、分かっていますわ。だからせめて……わたくしがどれだけキャロルさんを大切に思っているのか、今のうちに伝えたかったんです」
「…………クーちゃん」
「わたくしがキャロルさんのことを見つけられなくなっても、わたくしはずっとキャロルさんを想い続けますわ。……それくらいしかできないことが、とても悔しいですけれど」
それくらい、なんて言い方で片付けるには十分すぎるくらい温かな気持ちを受け取り、キャロルのなかでまた罪悪感が生じた。
「……クーちゃんは、知らないから」
「……キャロルさん?」
「クーちゃんは……知らないから、そう言ってくれるんでしょ……? この前わたしが話したことも、信じてないから……。デビルーナだってそう。みんなわたしがヒトじゃないって知らないから、好きでいてくれるんでしょう……⁉︎」
キャロルの感情を代弁するように黄金色の双眸が揺れる。
その声には明確に恐怖と哀しみが宿っていた。
「キャロルさん、まだそんなことを……。そんなウソをついたくらいで、わたくしを遠ざけられると思っていらっしゃるのなら心外ですわ。いくらわたくしでも……そんなふうに甘く見られるのは黙っていられません!」
「……ウソじゃない」
「キャロルさん!」
「わたしは……! 邪神ゾアの生まれ変わりなの‼︎」
刹那、世界が塗り替えられた。
デッキスペースだったはずの周囲は暗黒に染まり、レールを通過する列車の音や振動も即座に二人の五感から消失した。
そのうちクラウディアにのみ例えようのない怖気がせり上がり、悲鳴にもならない掠れた声音が彼女の喉奥から漏れる。
なにも存在しない、この世のあらゆる時間が停止した異空間。
心臓が剝き出しにされるかのような恐怖と危機感に曝されたクラウディアに、それが「石化」魔術における迷宮だと気づくことはできなかった。
いやそれ以上に、この世界がキャロルの手によってつくられたものだとは思い至らなかった。
その世界はすぐに晴れ、元いた列車内の景色へ還る。
現実時間にして一秒にも満たない一瞬の展開。
しかしわずかな時だとしても、クラウディアのなかに決して忘れることのできない虚無を刻み込むには十分だった。
「————いっ……いま、のは…………?」
「本物の迷宮だよ、わたしが顕現させた」
「迷、宮……? 本物? でも……だって、あり得ませんわ。いくらキャロルさんが優秀な魔術師だといっても、人に完全な迷宮を生み出すことは……っ!」
「だから、言ってるじゃない」
先ほどの迷宮世界のように、光の灯っていない瞳でキャロルが言う。
「わたしはヒトじゃないの。石化魔術の祖……邪神ゾアの魂を持って生まれた転生体。だからわたしは最初から一等星級の魔術が扱えるし、こうして迷宮だって開ける。心も魂も在り方も、普通とは違うから」
「邪神、ゾア…………」
「ヒトは魔なるものを恐れる。ヒトは同じヒトとしか生きることができない。……ヒトの姿を借りただけの怪物は、あなたたちと同じ世界にいるべきじゃない」
キャロル自身も驚くほど、自らを卑下する言葉がすらすらと出てきた。
——ちがう。そんなことを言いたいんじゃない。
本当はそんなこと思っていない。
魂がどうとか、種がどうとか、そんなことはどうだっていい。
でも……ヒトとして暮らし、家族や幼馴染、友人たちのことを知れば知るほど、自分がその社会で異端だという事実が浮き彫りになっていく感覚があった。
本音とは切り離された心の奥底で、キャロルはとにかく不安だった。
周りの人間が自分の「世界」であるように、自分もまた誰かの「世界」になっている。
だがその感情はキャロルのすべてを知った時、たちまち崩れ去ってしまうハリボテや幻の類なのではないか、と。
「だからクーちゃんも、わたしを嫌いになったほうがいい。わたしはかつて世界を破滅に導いた邪神…………ゾアなんだから」
全身から冷や汗を流し、怯えるように震え、その場でへたり込むクラウディアを見下ろすキャロルの心中はひどく冷淡だった。
並の人間がキャロルの完成された迷宮の影響を受けて正気を保つことはほぼ不可能。
キャロルもクラウディアも、心の底から互いを嫌うなんてことはもうできない。
ならばその魂に本能的な恐怖を、拒絶を、強制してもらうしかない。そのためにはキャロルの迷宮を見せるのが一番手っ取り早かった。
だがほんの少しだけ、キャロルの脳裏に後悔がよぎる。
たとえ自分が望んだことだとしても、幼馴染が本気で自分を遠ざけようとする姿なんて見たくなかったから。
「もう、いいよ。わたし……やっぱり一人でお母さまのところに行く。次の駅に着いたら適当に車輪でも壊して列車動かせなくするから、もう付いてこようだなんて思わないでね」
本当に心が傷ついてしまう前に、キャロルはクラウディアに背を向けた。
「……の」
しかし何かを嘆くような声が小さく聞こえて立ち止まる。
割座のまま俯いていたクラウディアは徐々に顔を上げて深く息を吸い込むと、
「わたくしの————大馬鹿者ォッッ‼︎‼︎」
大きく振りかぶった頭を、全力で真下に叩きつけた。
「…………⁉︎」
激しい衝撃音を鳴らし自ら頭部を床の鉄板へ打ちつけた幼馴染を見て、キャロルがギョッと目を見開く。
困惑する彼女をそのままに、クラウディアは続けて二発、三発と同じように何度も頭を振り下ろした。
「バカっ! バカっ! わたくしとしたことが、なんて愚かな……!」
「あぅ、く、クーちゃん、なにして……。や、やめて……やめよ……? ち……血ぃでてるから……」
「————っ!」
奇行に走る幼馴染を止めようとキャロルが膝をつくと、クラウディアは飛びかかるような勢いでまた彼女を抱きしめた。
「本当、なにしてるの……?」
戸惑うような沈黙の後、キャロルが尋ねる。
「わかりませんわ……わからないけど……っ、いま……絶対にこうしないといけない気がしましたの」
傷ついた額から目元まで血を垂れ流したままクラウディアは言った。
「キャロルさんがこれまで……どんな悩みや苦しみを抱えていたのか、今すぐに理解することは難しいと思いますわ。けれど……あなたがどのような出自であろうと、どんな心を持っていようと、一緒にいた時間は決して消えたりはしません」
息を呑み込み、キャロルは泣きたくなるような言葉に耳を傾ける。
未だ鳴り止まない動悸を体越しに感じるが、それとは裏腹にクラウディアは力強い声に乗せた想いを伝えてきた。
「邪神の生まれ変わりであっても……誰かが——いいえ、たとえあなた自身が人であることを否定したとしても、今のキャロルさんはキャロルさんだけのものですわ。わたしを綺麗と言ってくれたキャロルさんは、目の前にいるあなたしか居ません。……あなたが何者だったとしても、キャロル=ベルスーズとして過ごした時間は紛れもなく本当のことだったはずでしょう……⁉︎」
「……クーちゃん……」
「わたくしはっ……わたくしが情けないですわ! キャロルさんはキャロルさんなのに、一瞬でも恐ろしいと感じてしまったわたくしが……‼︎」
この場へ連れ出してきた時と同じ、痛いくらいの強さでキャロルを抱き寄せながら、クラウディアは大声で泣いた。
いつもなら情緒を崩す幼馴染を励ますところだが、キャロルもまた湧き上がる感情を処理しきれず彼女に抱かれたまま震えた。
————大馬鹿者はわたしのほうだ。
クラウディアの腕のなかで、キャロルは音にはならない慟哭を上げる。
奥底ではクラウディアの返答などわかりきっていたというのに、信じ抜くことができなかった。
彼女だけではない。デビルーナもアーサーも、きっと同じ言葉をかけてくれるのに。
キャロル自身だってそうだ。
誰よりも強くて、誰よりも可愛い自分が大好きだったはずなのに、こんな情けないことで怖気づいてしまうなんて。
嫌い、こんな自分は嫌いだ。嫌いなのに、みんなが好きでいてくれる自分が誇らしい。
ごちゃごちゃで、矛盾だらけで本当に嫌になる。
それでも結局、キャロルはこの醜く綺麗で鮮やかなヒトの機微が愛おしいと思えた。
キャロル=ベルスーズとして生まれてきて、幸せだと思った。
「好きです」と言うだけでこの長さ?