【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
「あ……」
「ん」
俯いたキャロルの手を引いてクラウディアが車両内へ戻ろうとすると、入り口の横にもたれかかっていたデビルーナと視線がかち合った。
「盗み聞きなんて趣味が悪いですわ」
「アホ。突然魔力の揺らぎを感じたから様子見にすっ飛んできたの。……ま、ばっちり聞いてたし見てたけどね」
クラウディアから目を外して、デビルーナは先ほどから表情が見えないキャロルに顔を近づけた。
幼馴染の手を強く握ったまま、彼女は置物のように黙り込んでいる。
「……キャロ坊? えっ、なにアンタ泣いてんの?」
「…………てない」
「いや泣いてるじゃん。目ぇ真っ赤だし。めずらし~」
「泣いてない!」
からかい交じりに言うデビルーナに対して語気を強めたキャロルが顔を上げる。
その言葉とは裏腹に瞳の周辺には白い肌と反するような赤みがほんのりと浮かんでいた。
「落ち着け。……なるほどね、そりゃ流石のキャロ坊もしおらしくなるわ」
微かに険しい顔つきのキャロルの頭に手を置きつつ、言葉を探すようにデビルーナは唸る。
「でもまあ、なんか納得。未発見だったはずの石化魔術を使えるのも、こんなちんちくりんなのに強いのも、邪神ゾアの生まれ変わりだったから……ね」
「……こわくないの?」
「怖くない。どんだけ一緒にごはん食べて一緒に寝たと思ってんのよ。あたしにとってもアンタはキャロ坊でしかないわ」
くしゃくしゃとかき乱すように銀髪を撫で回しながら、デビルーナはキャロルの目の前まで顔を近づけた。
「それに何だかんだ言われても、こんな可愛い邪神様なら喜んで崇拝するっての。……って、似たようなこと前にも言ったな?」
「………………」
楽観的な物言いをするデビルーナをキャロルが半目で睨む。
「適当にしゃべってない?」
「失礼ね、ほかに言いようがないでしょ。それともなに? 顔面蒼白でビビッて逃げ出したほうが嬉しかった?」
「………………やだ」
「じゃあ素直に受け取んなさいよ。ま、女の子はちょっとくらい弱気で涙見せるくらいがちょうどいいけどね~うりうり」
「だから泣いてない」
パン生地のように頬をこねてくるデビルーナに、キャロルは依然不服そうな表情を向けていた。
デビルーナは呆れたように微笑んで、薄く腫れているキャロルの目尻を親指で撫でる。
「キャロ坊がどっしり構えていてくれたおかげで、あたしは安心して昔の自分とも向き合えた。けっこう感謝してるんだぞ? だからアンタがいなくなったら、あたしも寂しい」
「それでも、わたしがやらなくちゃいけない」
「そ。……じゃあ覚悟はしとかないとね」
頑なな返答をするキャロルだが、席で話していた時と比べてデビルーナの言動からは抗議の意思がないように思えた。
キャロルの出自を知って何か確信を得たように彼女は続ける。
「でもねキャロ坊、べつに永遠の別れってわけでもないんじゃない? あたしたちに話してないこと、あるでしょ」
「えっ? そうなんですの?」
「……指摘するタイミング逃してたけどさ、クラ子はまずそのだっくだくに血ぃ流れてるおでこをどうにかしなよ」
「ああっ、すみません、話に夢中で忘れてましたわ」
クラウディアが慌てて取り出したハンカチで赤く染まった顔を拭きとるのを見届けつつ、デビルーナはキャロルに向き直る。
「思い出したんだよ、前にキャロ坊がやってたこと」
「……まあ、
二人が思い浮かべているのは他でもない、邪神ケイオスの魔術という共通項についてだった。
デビルーナは元より、そしてキャロルもまた以前ケイオスの遺物を取り込んだことで「変身」魔術をはじめとした力の一端が行使できる状態にある。
ほかの邪神の魔術を模倣する「変身」には、本来自らの肉体に作用させる効果を外部に出力させることで生物の複製体を造り上げるという応用術が存在する。
四つ足の怪物を討伐する際にも、すでにキャロルが活用したことのある魔術だ。
「アザフォースってのと一体化しても、べつに元々持ってた魔術が使えなくなるわけじゃない。あのレイニィって子もそうだったみたいだしね」
「そう。わたしがどこにいようと、ケイオスの魔術で造った分身を介して意思疎通をとることはできる。迷宮内なら、もう一つの命といっても差し支えのない精度で『わたし』を再現できるだろうね」
「えっ、あの、じゃあつまり……」
血染めの額にハンカチを擦りつけながら、クラウディアは二人に問いかけるような視線を注いだ。
迷うように瞳を動かした後、キャロルは小さく口にする。
「仮にわたしがアザフォースと一体化しても、新しく複製体を構築してこの世界に滞在することはできる」
ヒトでなくなることに変わりはないが、そうすることで理屈上は今と何ら変わりない生活を送れる可能性はあった。
——いや、実現すること自体は可能だろうという確信はある。
だが場合によっては成功したとしても徒労に終わってしまうかもしれない。キャロルが恐れているのはそこだ。
「でも、そのためには途方もない時間がかかる。アザフォースと一体化すれば、わたしはきっとこの星を……あなた達を正しく認識できない。複製を造ってそれを送り出すには、まず気が遠くなるほど広大な宇宙空間のなかでこの星を見つけなくちゃいけない。砂浜の中からたった一つの砂粒を見つけ出すことが難しいように、それはあまり現実的な話じゃない」
「で、でもルゥ様は“落とし子”の魔術でわたくしたちを正確に見つけ出しましたわ。アザフォースとやらの力なら、同じことができるんじゃ……?」
「お母さまでも対象を見つけるための時間は必要だったと思うよ。それにこの星と宇宙全体じゃ、単純に規模が違いすぎる。同じようにはいかないはず」
自分で話していて、キャロルはまた表情を沈ませた。
今なら断言できる。ヒトの体を得て転生したキャロルにとって最も恐ろしいのは「孤独」だ。
確固たる個が生きる指針だった前世とはまさに真逆。キャロル=ベルスーズという人間は独りきりになることが何より恐ろしい。
以前、邪神ケイオスとの戦いで覚えた恐怖が再燃する。
あのとき
それと同様の状況がアザフォースとの融合後にも起こるかもしれないのだ。
「仮にまたこの星へ戻れたとしても……その時にはもう何百年、何千年もの時間が過ぎているかもしれない。他のみんなにとっては、死に別れるのと同じでしょう? だから言葉にはしなかった。余計な期待をさせなくて済むし、それに————わたしも、言わないほうが心構えができる気がしたから」
「はいはい辛気くさい顔禁止〜。そんなの待てばいいでしょ、待てば」
軽薄な調子で言ったデビルーナにキャロルはまた渋い眼差しを向ける。
デビルーナはそれに動じることなくクラウディアの肩を叩きながら続けた。
「ほかに方法ないんでしょ? ならやるしかないじゃん。あたし達はキャロ坊が帰ってくるまでできる限り長生きするし、キャロ坊はできる限り早くあたし達を見つける」
「本気で言ってるの?」
「アンタは本気になれないわけ?」
じっ、と瞼を細めたデビルーナの視線が刺さる。
「だとしたら結構ショックなんだけど」
ほかの選択肢は許さないと言わんばかりに真っ直ぐ捉えてきたデビルーナから目を逸らしかけ、キャロルは息を呑む。
クラウディアもまたデビルーナに同調するように両手の拳を胸元まで掲げていた。
この状況も予想の範囲内だったが、いざ決断を迫られると躊躇してしまう自分がいた。
自分だけは揺るぎない覚悟を持っていると思っていたのに、蓋を開けてみればいつまでも踏ん切りがついていないのはキャロルだけだ。
「……わたしが帰るまで、待っててくれるの?」
「待つよ」
「待ちますわ。いつまでも」
二人の返答を耳にした瞬間、またひとつキャロルの胸にぶら下がっていた重しが外れる感覚があった。
のしかかっていた孤独感が薄れ、今すぐ彼女たちに抱きつきたくなる。
独りじゃないことがこんなにも幸せだなんて、邪神であった頃には考えられない感覚だった。
「ありがとう、二人とも」
「お礼なら帰ってきたとき言いなさい。お土産でも持ってね」
「宇宙のお土産って……どんなものなのでしょう?」
気づけば張り詰めていた空気が解け、自然とキャロルの口元も緩む。
役目を終えるまではこの温もりもお預けかと思うとやはり寂しさは消えなかったが、先ほどよりも随分と気が楽になった。
邪神としても、ヒトとしても……
いや、肩書きなんてどうでもいいだろう。課せられた不自由を破壊し、必ずこの世界に舞い戻る。
キャロル=ベルスーズとは、そういう存在なのだから。
「……ところで、さっきの話を聞いてわたしも思いついちゃったんだけど」
「ん?」
「どうかしましたの? ——えっ⁉︎」
不意に切り出してクラウディアと距離を詰めたキャロルが、文字通り彼女の目と鼻の先まで顔を寄せてくる。
どちらかが数セルー、いや数ミルでも前進すれば唇が触れ合ってしまいそうなほどに。
「ちょいアンタなにして……」
「きゃ、きゃきゃきゃキャロルさんっ!?」
「じっとしてて」
反射的に仰け反る幼馴染に構わず接近していくキャロル。
どこか情熱的な雰囲気を感じる光景にデビルーナが口元を両手で覆う。
「ん」
クラウディアが思わず固く目を閉じて縮こまっていると、優しい弾力が額に触れる感触があった。
「……⁉︎ えっ⁉︎ エ⁉︎」
いつにも増して唐突なキスを受けて耳まで沸騰させたクラウディアから離れると、キャロルは平然とした様子でなにかを確かめるように唇を舐めた。
しばし間を置いてから何事もなかったかのように話し出す。
「プランはともかく、”落とし子”じゃないわたしがどうやってアザフォースとの繋がりを得るのか考えていたのだけれど……奴も一応邪神なら、従来と同じように遺伝子を取り込めば接続できると思ったの」
「ああ、それで……」
ふと指先で赤面したクラウディアの額を示す。
ハンカチで拭いきれなかった血痕。通常であればそんなものを摂取したところで何の意味もないが、邪神由来の精密な魔力操作が可能なキャロルは別である。
遺物を取り込む際に邪神の自我を特定しそれのみを破壊することができる彼女なら、アザフォースから供給される魔力の残滓も辿れるのではないかと予測していた。
「んー……今のところは何とも言えないけど、時間をかければ掴めそう」
「それは……なにより……」
「キスしか手段を知らんのかアンタは」
自らも被害にあった以前のことを思い出したデビルーナは無意識に手で頬を守る。
キャロルの表情からはようやく今までのような余裕が戻っていた。
●
邪神の遺物から生まれる怪物——かつては眷属、現代ではよく魔物と呼称される存在が大量に発生した記録はそう多くはない。
遺物自体が長い時間をかけて形成されることに加え、それらが同時に覚醒し魔物を生み出すケースとなると様々な偶然が重ならなければ起こり得ないからだ。
だがそれらはあくまで人間の管理下にある土地の話。
はるか太古から魔物の発生が多発している——すなわち過去に遺物の完全な除去が認められず人々の文明が定着しなかった、どこの国にも属していない無主地となれば、その限りではない。
特定の国家の領土ではない故に聖騎士の手も及ばないまま魔物は増え続け、やがてヒトの近づくことのない魔境と化す。
出自の異なる魔物たちが産声を上げ、同時に喰い合うことで辛うじて狂気が外へ漏れ出すことなく環境が維持されている場所。
その中心部にあたる位置で、
「——————————」
異形が蠢く荒野のなかで、魔力をまとった閃光が幾度も交差する。
両者ともにヒトの姿をしているが、暴力を体現したかのような魔の波動は周囲に蔓延る魔物たちを圧倒し、完全に彼らだけの世界を作り上げていた。
騎士が剣を片手に光を放ち、広範囲を焼き払う。
魔術師が空間を歪曲させ、自分への被害だけを後方へと受け流す。
天高く昇った爆炎はまさしく神話のような光景だった。
「じゃまよ」
光の速度で放たれる斬撃の数々を捌き切った彼女——ルゥ=ベルスーズは、前方に佇む聖騎士に対して面白くないと言わんばかりに冷めた顔で言った。