【書籍化】時止めのキャロル〜かつての邪神はいま、少女となって魔をふるう〜 作:陸そうと
邪神ゾアの「石化」は自身と干渉したものを時間という概念を超越した異空間へ移動させる術。
元ある世界に別の
調整次第ではこの世から完全に隔離させることも可能な規格外の魔術だ。
ケイオスやその魔術のように模倣といった手段を除いて、ゾア以外にその世界を操ることのできる存在はいない。
孤独を体現した空間のなかでは、すべてを思い通りにできる術者の独壇場となる。
自らの力である「石化」に対して強い信頼を寄せるキャロルは、それ故に魔術発動中に起きた異変に対して喫驚を隠せなかった。
(————お母さまが、いない?)
停止した世界で周囲を見渡しながら困惑する。
魔術を行使した途端、目の前にいたはずのルゥが視界から——いや、
動揺しつつも魔力を抑え、一度「石化」を中断する。
「んふふ、びっくりしてるキャロルちゃんも可愛らしいわ」
瞬間、気配が戻ると同時に真横からルゥの声が聞こえた。
キャロルが視線を流すと、そこには魔術発動中は確認できなかったはずの母の姿がある。
不可解な現象に眉をひそめる愛娘へ、ルゥはあやすような声で言った。
「簡単なことだよー? キャロルちゃんが好きにできるのはその瞬間、そこにあるものだけ。なら魔術を使っている間、世界からいなくなれば自然と攻撃圏外から外れることになる」
「世界からいなくなる……? それって……」
「うん、要するにキャロルちゃんの真似っこね。キャロルちゃんが魔術を使うタイミングに合わせて、わたしも別の世界に移動したの。そうすれば手出しできないでしょ?」
説明を聞きながらキャロルはこの場にいない男の存在を思い返していた。
ルゥはキャロルの真似と言ったが、空間操作の系統ということを考えれば邪神教の教皇が行っていた技術と似ている。つまりは並行世界への干渉。
教皇が別世界からこちら側へヒトや怪物を引っ張ってきたのに対し、ルゥは自らを別世界へ転送したというわけか。
「さっきは不意を突かれちゃったけど、わたしを狙っていると分かればもう捕まらないわよ。言ったでしょ? キャロルちゃんのことは、赤ちゃんの頃からずうっと見守ってきたの」
「………………」
「キャロルちゃんがしそうなことも、考えそうなことも手に取るようにわかる。もちろん、こういう状況になることも想定していたしね。……ああっ、わくわくするわ! 親子喧嘩って、わたし初めて!」
少女みたいな笑顔を浮かべながら、ルゥは右腕から伸ばした鋭利な魔力でキャロルを切り裂こうとした。
当然避けることはできたが、観察する限り殺す気で放った攻撃とうかがえる。それともキャロルが回避するのを見越しての行動なのだろうか。
どちらにせよ、やはりルゥの感覚はまともとは言えない。
生まれたときからずっと、彼女が躊躇した瞬間なんてなかったのかもしれない。
母とアザフォースの繋がりを断つことへの熱が、キャロルのなかで再び燃え上がった。
「わたしはケンカなんてするつもりはない」
「お互いにするつもりがなくても、喧嘩は始まるものなのよ~。仲良しの裏返しなんて言われることもあるしねっ!」
予備動作なしで引き起こされる魔術の起動を、キャロルはルゥから立ち昇る魔力量の変化だけで瞬時に読み取る。
空間操作の魔術でキャロルをどこか遠い土地へ転送するつもりだったのだろう。
邪神教の教皇やレイニィと交戦したときの経験が活きている。
ルゥの魔術が自分を捉えるよりも早く「石化」を起こし、キャロルは即座に元いた座標から離脱した。
両者ともタイミングを読み違えた瞬間に敗北が決定する。目を離すことはできない。
そして互いの魔術が回避されるということは、残る手段は魔力操作を用いた単純な力比べしかない。
「いいわ、いい機会だもの。これまでできなかった分、お母さまの胸に飛び込んできて!」
大きく腕を広げたルゥに向かって、キャロルもまた惑うことなく飛び膝蹴りを放った。
回避される前提の一撃目の後、続けて連続で蹴撃を浴びせていくも、ルゥは風になびく軽やかな布のようにその全てをいなしてしまった。
「ああ、それにしても素敵だわ! なんて健気で愛らしい子なのかしら! 前世と現世の間で押し潰されそうになってもなお、お友達のために立ち上がるなんて!」
「……!」
動揺したキャロルの脚が伸びきった一瞬をつき、彼女が体勢を立て直す前に肉薄したルゥがバレエのデュエットさながらにキャロルを抱き寄せる。
「いい子に育ってくれて、お母さまは嬉しいわ」
「わたしのこと、全部知っていたの?」
「だからそう言ってるでしょう?」
恍惚とした表情でキャロルの頬に触れながらルゥが続けた。
「あの家を出たあとも、わたしは魔術を通してずっとあなたのことを見ていた。遺物も接種していない、それどころか未発見のはずの『石化』をどうして扱えるのか……思いつく候補をひとつずつ考えていけば、自然と答えには辿り着けたわ」
ルゥに密着されたまま、キャロルは再び「石化」の行使を試みる。
至近距離での魔術行使は通常よりもその起こりは事前察知しやすい。
やはり視界からルゥが消えたことを認識しつつ、キャロルは改めて目標である世界の「孔」のある方向を確認した。
「邪神ゾアの転生体……順序は逆だけど、言うなればキャロルちゃんはわたしの理想を体現した存在よね。ヒトと邪神がスケールが異なるはずの魂と肉体のなかで調和している。と〜っても————羨ましいわ」
真横から魔力と空間の揺らぎを感じ、キャロルは反射的に強化した左腕で体を庇う。
直後に振るわれたのは
ルゥは離れた座標同士を強引に繋げることで距離をとったはずのキャロルに攻撃を浴びせてきた。
人間とは思えない、キャロルに匹敵する緻密な魔力操作技術。そして威力。
キャロルを通り過ぎた打撃の風圧が背後にある建造物を面白いほどに次々と倒壊させていく。
「具体的にどこが羨ましいのかよくわからない。邪神に近づくことがいいことだとは思わないから」
「そう? ざんねん」
移動し、追撃を警戒しながらルゥへと視線を戻す。
張り付いたような笑顔のわりには、その声色は本当に「ざんねん」そうに思えた。
邪神ゾアの魂を持つ存在を娘として見れるのか? とか、この母に対してそういった人間らしさへの問いが愚問であることはキャロルも分かっている。
だがやはり、どうしても確認したいことがあった。
「お父さまとは、どうして結婚したの?」
「なぁに、恋バナがしたいの? キャロルちゃんもお年頃になったのね〜」
「わたし、あなたのことが少しだけわかってきたわ」
ひらひらとした受け答えをするルゥに構わず言う。
ベルスーズの屋敷で父から母の話を聞いたとき、キャロルは自然と理解した。
ルゥ=ベルスーズという人間の心と、その在り方を。
「生まれた時からアザフォースと繋がっていて、生まれた時から魔術が使えて、
前世が邪神ゾアであった自覚を得てから、キャロルは自分の欲望に正直に生きることに対して躊躇いがなくなったと思う。
だがそれと同じくらい、同じ時間を過ごしてきた兄や幼馴染の存在も大きかった。
彼らがいなければ今のキャロルはない。それだけは確かだ。
「……そうかもしれないわね。事実わたしを良く思ってくれた人はそう多くないでしょうし」
「あなたの愛情は常に一方的で、他人を顧みることなんて絶対にしない。自分の世界を保つことにしか興味がない、邪神の価値観がこびりついたヒトだったから」
ふと迷うように視線を外した後、キャロルは再度ルゥの瞳を見つめて言った。
「でもそれは……決して傷つかないことを意味するわけじゃない」
ぴくり、と、微かにルゥの眉が動く。
「あなたは他者を理解しようとはしないけれど、同時に理解してもらえない苦しみを感じる心を持ってる。…………お父さまからあなたの話を聞いて思った。愛って、きっと無限じゃないんだ」
屈託のない微笑みを保ちながら、ルゥは静かに娘の言葉に耳を傾けていた。
「与えてばかりじゃ自分はお腹いっぱいにはなれない。愛するだけで十分だと思っていても、どこかで愛された実感が欲しくなる。心に邪神が根付いていても、ヒトという生命体のかたちをとっているのならそれは避けられないことなの」
出自は違ってもルゥとキャロルは極めて近い性質を持った存在だ。
ヒトの心と、邪神の価値観が混ざり合う混沌とした生き物。
両者とも邪神そのものではない故、必ず群生としての特徴が表れる。すでにそれを体験しているキャロルにはわかっていたことだった。
「この世のすべてを愛する一方で、共感を得られなかったあなたは同時にとてつもない孤独も抱えていた。……お父さまはそれに気づいてくれた。だから一緒になりたいと思ったんじゃないの?」
「半分当たりで半分間違い、かな。生まれて初めてそうしてくれたのが偶然キャベロンだっただけ」
「偶然の話はしてない。事実を言ってるの」
きょとんと首を傾げる母を見据えながら、キャロルは依然冷静な顔で言う。
「たくさんの愛を振り撒いてきたというのなら、それと同じくらい、たくさんのお返しを受けるべきだと思う。お母さまにはその権利がある」
「も〜、まわりくどい話は嫌いだよっ? 結局なにが言いたいの? お母さまに教えて?」
キャロルの口元がうっすらと緩む。
「隙ありってことだよ」
瞬間、世界が漂白されるかのような閃光がルゥの視界の端で迸った。
その
純粋な魔力の砲撃————いや斬撃。
遥か彼方から天へと伸びる光の柱が現れ、巨大な虹を描くようにしてルゥの頭上へと振り下ろされた。
「あら————あらあらあらあら‼︎」
大気が焼け、衝撃が爆ぜる。
瞬間的に全身を魔力で固めたルゥは真正面から光を受け止めると、肉眼では捉えることのできない距離にいる発生源に対して嬉しそうに笑った。
「本当、
●
“聖地”から距離にしておよそ五キルー。
大地が盛り上がって出来た高台の上で無骨な柄を抱えた青年が光の大剣を必死に目標へ押し込んでいた。
聖騎士が長距離移動の際に用いる、魔力発動機搭載型移動二輪。
通称「鋼鉄馬アルゴスティール」と呼ばれる魔道具の“裏モード”。
変形した車体からは両手で握るための巨大な柄が伸び、それを握り締めている青年の魔力が光の刃となって溢れんばかりに解放されている。
本来複数人で扱うことを想定された大砲であり大剣。
はるか遠方にいる目標へ向けた超遠距離射撃、ならぬ斬撃だ。
過剰な威力と燃費の悪さから使用されることは滅多になかったが、それは一人の
「一度使って見たかったんだよな、これ……ッ‼︎」
苦し紛れな状況の中、つい青年から笑みがこぼれる。
まさか母親に振るうとは思ってもみなかったが。
——キャロルはわがままだ。そう簡単に自分を諦めたりはしない。
たとえ宇宙と融合しようが、最後には必ず帰ってきて、また無邪気に甘いものをねだるはず。
ただそう信じて、アーサー=ベルスーズは剣を振っていた。
●
「ふふ! んふふ! とっても可愛らしい作戦だわ!」
空を切り裂くような巨大な光をルゥが受け止めてからわずか三秒。
瞬時に魔力を練り上げた彼女はすぐさま空間操作を用いてその場から離脱する。
行き場を失った光の斬撃が建造物を巻き込みながら大地へ着弾すると、使用者も手応えがなくなったことを察知したのかすぐに粒子状になって空間へ溶けていった。
同時にルゥはこの一瞬の隙をついて「石化」を使いどこかへ潜伏したであろうキャロルの探知を始める。
真っ先に神殿へ向かえばすぐに移動ルートと居場所が露見してしまう。
賢い子だ。それくらいはわかっているだろう。
故にキャロルがとる手段は逃走ではなく追撃。
「——だよね? キャロルちゃんっ」
「……!」
極限まで気配を遮断していたキャロルの姿を難なく背後に捉え、間髪を入れずにルゥが右腕を振り抜く。
キャロルの小さな顔がルゥの手のひらで覆われ、勢いをそのままに一直線に地面へと突貫。巨大なクレーターが花開いた。
「ううっ……」
「つ〜かま〜えた〜、ちうっ」
ルゥは襟元を掴んで引き寄せたキャロルの額に口づけしつつ、魔術を使って彼女の四肢周りの空間を固定する。
このまま重ねがけしていけば時間を止めようとも簡単には抜け出すことはできない。
わずか数秒で、勝負は完全に決した。
「はい、もうおいたはダメね。用が済んだらちゃんと解いてあげるから、おとなしく待ってること。できる?」
「………………」
キャロルからの返答はない。
ただ冷めた眼差しで、それでいてどこか呆れたような様子でルゥを見つめている。
「……アンタらって」
ぞくり、とルゥの背筋に悪寒が走った。
わずかな言葉、わずかな発声のみで、ルゥはこの異常事態にいち早く気づく。
貫かれたような衝撃が走る。
「親子揃ってキス魔なわけ?」
瞬きの後、ルゥの目の前にいる人物は
身長はキャロルよりもずっと高く、年齢も明らかに上。
ほんの少しだけ背伸びをしたような都会に馴染む出で立ちをした彼女の顔を、ルゥは記憶していた。
「あな、た」
「どうも、別荘ではお世話になりました。デビルーナです。……これ気持ち悪いんで外してくれません?」
空間に固定された両腕を一瞥しながらうんざりした顔を向けてくる彼女にルゥは目を見開く。
————いつから入れ替わっていた?
考えるまでもなく先ほどの斬撃の時だ。
神殿へ向かうための時間稼ぎ……だけじゃない。
アーサーによる攻撃は「変身」魔術を発動させたデビルーナとキャロルが入れ替わる際の目くらましも兼ねていた。
キャロルは——いやキャロルたちは、はじめから馬鹿正直に戦うつもりなどなかったのだ。
「ッ……‼︎」
ルゥの表情に初めて焦燥が差す。
視線を向けた先には、すでにキャロルがたどり着いているであろう神殿があった。