「モリ坊~……もう
狐が、喋ってる……。
恐らく声質と見た目の尻尾からして、あの時の狐だろう。
それに何で、コイツは当然のように家に居るんだ?
この狐、意味深なこと言って最後消えたよな。あの言葉は何の意味があったんだ?
あの時、婆ちゃんが木箱を開封した事でコイツが現れた。だが今は、俺が閉じた状態で目の前に姿を晒している。木箱を閉じた状態で、どうやって現れた?
正直、聞きたい事が多すぎる……。
コイツは一体何者なんだ。
「お前は……誰なんだ」
意識するより、思わず言葉が口から出ていた。
紡いだ言葉に狐は首を傾げながら反応を示し、天井を仰ぐ。狐は見上げながら瞳をこちらに向け、返答する。
「名乗った方がいいのか、何故ここに居るのかを説明した方がいいか……。どちらがいい?」
切れ長の目を薄く引き伸ばし、鋭く小さな
狐に化かされるかのような笑みに、思わず身体が一瞬硬直してしまう。一種の催眠を振り払うように、俺は頭を左右に流しながら畳を見る。
思考を整理させ、先ずは名前を聞き出す。
「な、名前は……?」
ただ聞き出すだけのはずが思わず声が上ずり、恥ずかしさが込み上げてくる。
気にせず恥ずかしさを押し殺し、狐の返事を待つ。互いに双眸を交わしながら夕暮れの沈黙が流れ、縁側から心地よい風が入ってくる。風の気持ち良さに散漫し、唐突に狐の輪郭がボヤけていく。
全体が蜃気楼のように霞み、狐の体長が徐々に膨らんでいく。
輪郭がハッキリすると御払いした時、白い着物に身を包んだ蜂蜜色の髪をした狐の姿だ。耳をピコピコ動かしながら、つり目で鋭く澄んだ泉のような蒼い瞳でこちらを
御払いの時は切迫していた為、彼女を正確に熟視するのはこれが初めてになる。それを知らぬうちに、彼女を力強く凝視しすぎてしまった。
それが面白かったのか、袖で口元を隠しながら微笑し、仕草に可愛らしさが滲み出ている。
笑い終えた彼女は一呼吸置き、口を動かす。
「余の名は
「守り神……?」
眉間に皺をよせ、疑念を抱きながら返答を待つ。
空狐は眉間に人差し指を押し当て、唸りながら答える。
「これもババが言う事だが、余が言っても問題なかろう。面倒だからまとめて言うぞ。カラカラさんの話は聞いてるな?」
「う、うん……」
「何故、この家で霊感を持った者が生まれるか。それはな……初代神主、
あの稲荷神社の初代が、俺の先祖……?
名字も違うし世襲制であれば、今の里奈さんたちの三神家が先祖である方が正確な気が――。
空狐はそのまま続け、名前の
「日高見という名は、国から譲り受けた名前。初代が神社を建立し、
突然促されるまま手に持った木箱の蓋に手を掛ける。
その中には神社に安置されている御神体、同じ物が収められている。長く綺麗な金糸が束になり、丁寧に保管されていた。
これは空狐の髪の毛だと、すぐわかった。
じゃあ何故、大層なお役目を子供に任せて長い間、我が家の守り神をしているのか。
疑問に思う中、まるで心を読んでいるかのように空狐は自慢げに手を顎に当てる。
「それはな……盛貞を
何だそれ……。
「まるで理由になってないし、育児放棄にも程があるだろ……。だって、神社の仕事は子供に任せて自分は好きな人の家に憑りつくんだろ? 祟り神じゃん……」
冷淡な視線を送り、自分勝手な神様だと空狐を見下す。
それを空狐は訂正するように、手振りを大きく言い訳を作る。
「余だって悪いとは思うけどさぁ……一目惚れだから仕方ないだろ? この家の守り神で、モリ坊も心強いと思うだろ?」
「いや全く」
即答で答えると、空狐は雷を受けたように動かなくなった。
こんな邪な思いで家の守り神だと誇られても、恥ずかしくて他人に話せない。
だとしても、我が家がそういう家系だというのは分かった。だが、霊感が何故自分に二十代で発現したのかという疑問は晴れていない。それに、好きな人が亡くなって家に居座る理由もないはずだ。
それだけでも聞き出したい。
「なぁ、何で二十歳で――」
「ただいまー」
勝手口から舞桜の声が響いてくる。
妹が帰ってきた事で今の空狐を説明するのが困難だと感じた為、隠れるように促す。が、何を思ったのかコイツは返事をしてしまう。
「お帰りー」
「バカッ、お前! 何してんだ!」
状況分ってんのか、コイツは……。
返事したら気付かれるだろ!
兎に角、神棚下の押し入れに空狐を詰め、隠す事には成功させて動かないように指示し、舞桜に気付かれるのは避けた方が無難だろう。
口頭で神だと説明しても、気が触れたのかと兄妹の間に深い軋轢が生まれかねない。
今は自然に振る舞い、何も無かったように台所で料理を――。
「何やってんの? 押し入れに顔近付けて……だいじょぶ?」
見つかった……。
「い、いやぁ……。お帰りー……遅かったな……」
「部活だから。それより、家に誰かいるの? 女の人の声で、お帰りーって。お婆さんも帰ってきてないし」
考えを巡らせる中、後ろに近付く舞桜に全く気付いていなかった。
確実に怪しんでる。
怪訝な顔で覗き込み、
「まぁ、いいや。この家じゃ、しょっちゅうある事だし。視えても何も得しないし……」
舞桜は溜息を吐きながら居間に向かい、テレビを付けて気だるげに腰掛ける。
一難去り、胸を撫で下ろして汗を拭う。一先ず空狐が押し入れから出入りしないよう、襖を棒で固定する。
「おいっ、モリ坊! 出れないぞ!」
ガタガタと音を鳴らし懇願する空狐を無視して、料理を作る為に台所に向かう。
物音に気付いていない事を舞桜の横を通り過ぎ、確認してから冷蔵庫を開ける。中身は丁度、玉ねぎや人参の残り物が散在している為、カレーを作ることにした。
工程は順調に進み、ルーを入れて掻き混ぜれば完成だ。
それにしても婆ちゃん、まだ帰ってこないな――。
「旨そうな匂いだなぁ……。ん? モリ坊、余に糞を食わすのか? 久しい食事がこんなお粗末では――」
「だあぁぁぁっ!」
知らぬ間に自分の肩に空狐の頭が有り、身を引きながら驚く。
どうしたと言わんばかりに、空狐は真顔で見つめてくる。
それより、コイツはどうやって抜け出したんだ……?
訝しげに視線を送ると、また空狐は心を読むように答える。
「実体を持たぬ余に、襖なんぞ無意味よ!」
誇らし気に無い胸を張り、鼻を鳴らす。
それもそうかと納得しつつ、隣でテレビを見ている舞桜にバレていないか懸念を抱き、後ろを振り向こうと首を動かす。
それよりも先に、空狐が俺の後ろの存在に気付いて声を掛ける。
「おっ、舞桜。飯できたぞ」
「……兄さん?」
空狐に返答せず、明らかに敵意を剥き出した鋭い眼光が俺に向けられている。
ただそこに直立する舞桜のはずが、ゴミを見るような目つきに妹ながら恐怖を覚える。最初の段階で疑念を抱かれている状況から隠していたのがバレたことで、これ以上なにかすれば殺されるかもしれない。
ましてや、こんな変な奴を匿っている兄なんぞ、一生関わり合いたくないだろう。
ここは何とか穏便に。
俺は何事も無かったように出来上がったカレーを容器に移し、リビングに運んでいく。三人分用意し、仲良く食べよう。
「いただきます」
「いい匂いだぁ……」
「ちょっと待て」
透かさず舞桜に止められ、不服な空狐はスプーンを持ちながら目で訴えかける。
三人で食べれば無かった事にできると思ったが、そう甘くは無かった。舞桜に正座を命じられ、事の発端である空狐も隣で同じ体勢に矯正される。
舞桜は俺たち二人を左右、目で追いながら詰問する。
「兄さん、このコスプレイヤーは何?」
激しい語調と冷たい視線を一身に浴び、体を委縮させながら空狐の正体を舞桜に解説する。
終始、静かに聞いていた舞桜だが何故か怪訝な姿勢を見せる。明確に嫌な顔を見せ、空狐が家にいる事が都合が悪いように感じた。
しかも、少し俺に怒っているようにも見えた。
「元々ここの守り神だとしても、この家に住みつかせるのは反対っ! ただでさえ悪霊とか浮遊霊とか、視たくもない化物を振り払うのも面倒なのにっ……。その狐のせいで、引き寄せられる幽霊が沢山この家に集められたら……
憤るまま、舞桜はカレーの器を持って自分の部屋に戻ってしまった。
後ろ姿を目で追い、唖然としながら項垂れる。横で背中を
「無理も無いだろ……。幼少期から嫌なものに触れ、守る術もない自分に嫌気がさすのも当然だ。それに、兄を取られたと思ったのだろう。
「どういうこと?」
「余を隠していたんだから当然だろ。守る者も、妹からすれば二人もいらん。今日の送迎も、舞桜なりの兄への接し方。舞桜の照れ隠しだ。モリ坊は愛されてるのぅ」
「お前、何でそこまで分かってんだ……」
朝の送迎の話、コイツに言ってないよな……。
それも神様視点で何でもお見通し、筒抜けだという事が分かった。空狐に隠し事をしても無駄だと悟り、取り敢えず舞桜を説得しようと部屋に赴く。
「キャッ……!」
部屋をノックする直前、客間の方から舞桜の叫び声が聞こえた。
客間は里奈さんが寝ている部屋。何故、舞桜がその部屋に行ったのか謎だが慌てて客間に駆け付ける。