夏休みが終わり、実家から大学へと戻った僕たち四人──
高橋、松田さん、剣崎さん、そして僕──は、誰からともなく、ぼんやりとした日々を送っていた。
「……俺、最近集中できねぇんすよ」
ボクシング部のミット打ち中にそう漏らしたのは、高橋だった。
いつものように鼻歌まじりに冗談を飛ばす彼が、どこかうわの空で、ジャブのキレもない。
「……あの夏の日々が、まるで幻だったような気がしてさ」
「“幻”というより、“幻惑”だったろ」
剣崎部長が、クールに言った。
が、彼自身、手元のパンチがやたら正確すぎて機械的すぎる。逆に気持ちがこもっていないのがバレバレだ。
「俺は最近、なぜか目覚ましより早く目が覚めるようになった。心がざわついて仕方がない」
黒づくめの松田さんは、今日も黙々とランニングをしながら、突然ポエムのような台詞を口にしていた。
──僕はというと、毎晩、ふとした拍子に実家の廊下の匂いとか、夕飯の支度の音を思い出しては、スマホを手に取ってしまう。
でも、母さんからの連絡は「干し椎茸そっちにも売ってるかしら?」くらいのものだった。
「これじゃ、日常になじめねぇな……」
と、そんなある日──
「なあ、お前、見たか?」
高橋が、目を丸くして僕にスマホを突きつけてきた。
「なにを?」
「お前の……いや、“あの人”の……ブログだよッ!!」
「……は?」
急いで見せられた画面。
そこには、見慣れた、いや、よく知ってるあのフォント、あの余白、そして──
《母さんのほほん日記》
〜自然光と愛情に包まれて〜
みなさんこんにちは。今日はお庭のミントを摘んで、お昼は冷製パスタにしました。
息子が帰省していた間、ほんとうに楽しくて、ちょっと張り切りすぎちゃったかも。
写真は、帰る日の朝に撮った一枚。ちょっと恥ずかしいけど、夏の思い出ってことで……
──添付画像:
あの、あの白いリネンのワンピース姿で、朝の縁側に座ってる母さんの姿。
柔らかい逆光と、笑顔。まさに“反則級”。
「…………」
「…………」
「…………っっっっしゃああああああああ!!!!!」
最初に立ち上がったのは松田さんだった。
拳を握り、まるで何かの試合に勝利したかのようなガッツポーズ。
「アカンてこれは……伝説ふたたびや……」と、高橋が白目をむいている。
剣崎さんはといえば──
「読者登録した」
「お前が一番冷静に暴走してる!!」
この日を境に、四人は少しずつ“正気”を取り戻していった。
ボクシング部の練習後、ひそひそとスマホを開き、ブログの更新を確認するのが日課となり、
なぜか「母さんが次に紹介しそうな料理」を予想する謎の賭けも始まり、
ついには松田さんが「コメント欄に書くべきか否か」で3時間悩むという事件まで起きた。
母さんの知らぬところで、僕たちは“あの夏”の続きを、少しだけ夢見ていた。
そして、そのブログのコメント欄には今日も──
「ミントパスタ、今度真似してみます!」
「ワンピース姿、素敵でした」
「“また”お会いできる日を楽しみにしてます」
“また”の意味が、どこまでも深くて切ない。
けれど、誰もそれを言葉にしようとはしなかった。
──母さんの、静かなブログ。
それはまるで、“四人の聖闘士”をつなぐ、目に見えない糸のようだった。