「よし、次の人〜! はいそこ、グローブはめて! 肘、入ってる入ってる!」
ボクシング部のブースは異様な盛り上がりを見せていた。
──というのも、数分前まで花柄ロングスカートの“謎の女性”がサンドバッグを打っていたからだ。
部員の誰もが目を奪われ、先輩たちがザワつき、部長の剣崎に至っては「技術的には問題ない」とうなずいていた。
だが、そんな熱狂の渦の中──不穏な気配が忍び寄っていた。
「……おい、松田……」
その声に、空気が変わった。
「……なんで空手部のお前がボクシング部に入り浸ってるんだ」
ふいに姿を現したのは、学内でも伝説の男──剣道部の藤堂。
鋭い目つきに、剣道着のまま竹刀を背負い、無言の圧。
修羅の呼び名を持つ最強の男。
「藤堂……ッ!」
松田の表情が強張る。
「おまえ、最近……女にうつつを抜かしてるって噂だぞ」
「なに……ッ!」
「腑抜けたその根性、叩き直してやろうか。この聖剣でな」
スチャ。
藤堂が竹刀を抜きかけたその瞬間──
「おー、楽しかった〜! あら、松田くん。お友達かしら?」
──風が止んだ。
まるで映画のワンシーンみたいに、時間がピタリと凍る。
振り返ったその場の全員が、状況を理解するより先に目を奪われた。
白いカーディガン、花柄ロングスカート。柔らかくまとめられた黒髪。日傘を軽くたたみながら近づいてくる“女神”──いや、母さんだ。
そして、その姿を真正面から受け止めた藤堂の動きが……止まった。
目を見開き、唇がかすかに開く。
(……な、なんだこの胸のざわめきは……)
いつもなら感情を表に出さず、竹刀一本で黙らせてきた男が、今、動けずにいた。
「……き、君が……例の、松田がうつつを抜かしているという……女性……?」
「え? うふふ、違うわよ。私はただの──母親です。おじゃましてごめんなさいね?」
その声に、藤堂の耳が赤く染まる。
(こ、これはまずい……!)
「あ、ああ……いえ……こちらこそ、ご……ごきげんよう……じゃなかった……お、お邪魔しましたッ!」
──全力で敬語を噛んだ。
竹刀を背負いなおす仕草もどこかぎこちなく、肩がやたらと跳ねている。
「藤堂さん、なにその動き……」
「うるさいっ!!」
怒鳴って、くるりと背を向ける藤堂。その背中は普段よりやや猫背気味。
「ま、松田ァ! この決着はまた後日ッ! 忘れるなよ……! あと……その……お母様によろしく……ッ!」
カカカカカ……と小走りで去っていく修羅。
「……なに、今の、あの威圧感どこいったんだろ」
「……うちの母さん、すごすぎない?」
母さんはというと、サンドバッグの横にあった冷えたお茶をひと口飲みながら、
「お友達って個性的ねぇ〜。またお会いできたら嬉しいわ」
と、ふんわり笑っていた。
──その一撃が、一番効いたのは、修羅・藤堂だったのかもしれない。