「お母さん、無自覚美人です 大学生編」   作:松田義和

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第二十二章

午後、母さんと連れ立って買い物に出た。

 

まだ陽の高い秋の空の下、歩く母さんの横顔はなんだか軽やかだった。

僕は学生用のジャージとスニーカー。母さんは落ち着いたベージュのニットに白のロングスカート、ショルダーバッグを肩に下げている。

 

「スーパーの特売、今日は玉ねぎが安いのよ」

「え、目的それだけ?」

「ついでにお魚も見たいし、お花屋さんにも寄りたいの」

「いや、結構回るじゃん……」

 

そんなやりとりをしながら商店街を歩いていると──

 

「おっ、坊主! 帰ってきてたのか!」

 

突然、八百屋のおじさんの声が響いた。

その横ではすでに、母さんが笑顔で手を振っていた。

 

「いつもすみません、トマト美味しかったです」

「へへっ、お母さんが来ると店が華やかになるからなぁ。ほれ、おまけしとくよ」

「あらまぁ、またそんな〜。ありがとうございます」

 

──まるで、常連客どころか“町の看板娘”のようなやりとり。

僕は手持ち無沙汰にトマトの袋を預かるだけだった。

 

その後も、

 

「〇〇さん、この前の煮物、おいしかったわ〜。レシピ聞いてもいい?」とお総菜屋の奥さんに声をかけられたり、

 

魚屋の若旦那が、「お母さんが来るとマジで活気出るんスよ〜」と謎のコメントを残して笑っていたり──

 

どこへ行っても、“母さん人気”は健在だった。

 

僕が支払いを済ませようと財布を出そうとすると、

 

「あら、お兄ちゃん、今日は男前ねぇ」

「えっ? どこですかそれ」

「お母さんの隣だと、どうしても引き立つのよぉ〜」

 

なんて失礼なセリフを近所のおばちゃんに言われたりして。

 

「……母さん、ちょっと人気すぎない?」

「そんなことないわよ〜。ただね、ちゃんと“ありがとう”って言ってるだけ。あとはちょっと笑うのよ」

 

そう言って、母さんはほんのりと微笑んだ。

 

──それだけで、また一人通りすがりの男性が、思わず振り返っていた。

 

夕暮れ時、買い物袋をぶら下げて帰る道すがら。

母さんがふと、隣を歩く僕を見て言った。

 

「あなた、大きくなったわねぇ」

「今さら?」

「ううん、今が一番感じる。あっという間だったなって」

 

そんなことを言われると、なんだか妙に照れくさくて、僕は無言で袋を持ち直した。

母さんが僕の腕に視線を落とし、ちょっとだけ目を細めたのに気づいて──

 

夕方の風が、少しだけ肌寒かった。

 

でもその隣にいる母さんのぬくもりは、相変わらずやわらかくて、優しかった。

 

夜。明日にはもう戻るという夜。

 

実家のリビングは、ほんの少し肌寒くて、こたつを出すにはまだ早いような、そんな微妙な気温だった。

母さんはソファに座って毛布を膝にかけ、編み物なんてしている。いつの間にそんな趣味を?

 

僕はダイニングテーブルでぼんやり麦茶を飲んでいた。

 

テレビはついていたけど、誰も内容を追っていない。

流れてくるバラエティ番組の笑い声が、やけに遠く聞こえた。

 

「……明日、何時に出るの?」

母さんが、毛糸を編む手を止めずにぽつりと聞いた。

 

「昼前かな。駅までタクシー呼ぼうと思ってる」

「じゃあ……朝ごはん、ちょっと早く作るわね」

「いいよ、パンで適当に」

「……でも、最後の朝ごはんでしょう?」

 

その言葉に、ふと手が止まった。

 

最後って。たった数日いただけなのに、その言い方はずるい。

母さんの口調はいつも通りだったのに、なんだか胸が詰まった。

 

「じゃあ……味噌汁、お願いしてもいい?」

「ふふ。了解しました。具は何がいい?」

「豆腐と……わかめ」

 

「はいはい、わかめね。じゃあ切らしてないか見てくるわ」

そう言って、母さんはふわっと立ち上がると、キッチンへと消えていった。

 

僕は手元のコップを見つめながら、明日また一人になることを考えた。

あの部屋。あのアパート。布団をたたむのも洗濯も、自分でやる日々。

 

母さんがいないことは、当たり前になっていたはずなのに、

一度こうして一緒に過ごすと、空気ごと持ち帰りたくなる。

 

「……冷蔵庫にまだ漬物あるから、持って行きなさいねー」

奥から母さんの声。

 

「うん」

そう答えたあと、僕は小さくつぶやいた。

 

「……やっぱ、帰ってきてよかったな」

 

聞こえなかったはずなのに、キッチンの向こうで、母さんがそっと笑った気がした。

 

──翌朝、僕の荷物には、豆腐とわかめの味噌汁と、手作りのおにぎり、そしてほんのり花柄のハンカチがそっと添えられていた。

 

それが、また僕の新しい一週間の始まりだった。

 

 

 

 

 

下宿に戻ると、玄関前に妙に見慣れた影が三つ──いや、四つ。

 

「おかえり、久しぶりだな」

「よう、元気だったか?」

「……で、どうだったんスか」

「さあ語れ、すべてをな」

 

松田さん、剣崎さん、高橋、そして藤堂さんが、まるで交番前で職質でもするかのように並んで僕を囲んできた。

 

「……ただいま。なんでいるの」

「察しろ。おまえが“帰省する”って言った時点で、俺たちの秋も終わった」

松田さんが腕を組んで真顔で言う。

 

「何が“秋も終わった”だよ。……普通に帰省しただけだし」

「その“普通”がな。君の家では“事件”を意味するんだよ」

高橋がわざとらしくため息をつき、剣崎さんはうなずいている。

 

「で?母上は……お元気だったか?」

藤堂さんが、ものすごく丁寧に聞いてくる。なんだその敬語。

 

「……元気だったよ。買い物行って、晩ご飯一緒に食べて、駅まで見送ってくれた」

 

「うわー、その“駅まで見送る母”ってもうさ……エモの暴力だよな……」

高橋が後ろの壁に寄りかかり、目を閉じる。

 

「写真は?LINEは?動画は?ブログ更新は?」

松田さんが身を乗り出してくる。

 

「なんで松田さんのほうが母さん情報に敏感なんだよ……」

 

僕はスーツケースを引いて自室に戻ろうとしたが──。

 

ピコン♪

 

またLINEの通知が鳴った。

 

その場の空気が……ピタリと止まった。

 

「今の音……」

「まさか……」

「開けるのです」

「抵抗は無意味だ」

 

──恐る恐るスマホを見ると、

 

《さっき駅で撮った写真✨ 髪が風でボサボサだけど、記念にね☺️》

という母さんからのメッセージと、自撮り写真が添付されていた。

 

駅のホーム。夕暮れ。風に揺れる髪。

白いカーディガンに、秋色のストール。

そして──少しだけ寂しそうな、でもやっぱり優しい、笑顔。

 

僕はそっとスマホを伏せた。

 

「……ただいま、俺の静かな日常」

「いや、それはもう戻ってこないよ」

高橋が即答した。

 

こうしてまた、平穏とは程遠い、でもどこか居心地のいい“日常”が始まったのだった。

 

 

 

と思ったら。

 

ピコン。

 

まただ。またLINEだ。

 

「……いまの音、LINEですよね?」

「さっきの駅のやつで終わりかと思ってたのに……」

「まさか、まさか続編……?」

「いや、それはない。あってはならん……!」

 

ざわつく四天王。

四人の視線が一斉に僕のポケットに突き刺さる。

僕はため息と共にスマホを取り出し、そっと画面を覗いた。

 

──《夏に撮った水着写真あったから送るね ️》──

 

「…………」

「…………」

「…………」

「うわーーーーー!!!」

 

どよめき、というより、もはや地鳴り。

高橋がテーブルに頭をぶつけ、松田さんが拳を握りしめて天を仰ぐ。

剣崎さんは口を開いたまま固まり、藤堂さんはなぜか正座しはじめた。

 

「ちょ、お前……まさか……見るのか?」

「いや、開けるな。開けたら戻れないぞ!」

「我らが日常は、もはや日常ではないのだ……」

「静まれ!開ける前に、一度深呼吸を──」

 

「……開けるよ?」

 

ピッ。

 

──そこには、真夏の庭先。

鮮やかな水色のビキニに身を包んだ母さんの笑顔。

背景には一面の花。

そして日差しを受けてきらめく髪。

まぶしい。あまりにも、まぶしすぎる。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「うわああああ!!」

「無理!無理!俺、無理!!」

「アレは……反則だ……ッ」

「……これが“無自覚の神託”……」

 

誰だ今、神託って言ったの。

 

「ちょっとお水飲んでくる……」

高橋がふらつきながら台所へ。

松田さんは窓辺に立ち尽くし、剣崎さんはスマホの構造を見つめながら「記憶はどうやって消すんだ……」とつぶやく。

 

そして僕は、スマホを伏せて静かに言った。

 

「……だから言ったでしょ。帰省は、爆弾を持ち帰ることだって」

 

それでも彼らは、今日も僕の部屋に集まってくる。

たとえ爆発の余韻に包まれながらでも──この混沌こそが、僕たちの日常なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

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