週末の午後、まだ昼前だというのに、僕は部屋でゴロゴロしていた。
洗濯物は干した。レトルトのカレーも食べた。これ以上、何かする理由はなかった。
そのとき──
ピンポーン
インターホンが鳴った。
「……宅配、頼んだっけ?」
ドアスコープをのぞくと、そこには──
白いブラウスにリネンのロングスカート、肩にエコバッグを提げた母さんが立っていた。
「……は?」
僕は急いでドアを開けた。
「来るなら連絡してって、何回も言ったよね?」
「だって、今日お天気いいし。洗剤の詰め替え買ったら安くてね、それでつい」
手には詰め替えボトルと、小さな紙袋。「冷凍パン買ってきたの。あとでトーストして食べよ?」
そんなのんきな母の姿に、僕はもう何も言えず、ただ玄関を開けた。
「……まぁ、入って」
リビングに通して、エプロンまで取り出しそうな勢いの母を制止しようとしたそのとき──
「おーい、忘れ物したっぽいー」
扉の奥から、のんきな声とともに高橋が姿を現した。
「玄関に──」
言いかけて、止まった。
視線の先には、まさに伝説のアクスタと同じ構図の、母さんが立っていた。
高橋は言葉を失った。
母も、初対面の青年に驚いた様子で、けれどすぐにふわっと笑った。
「あら、こんにちは。もしかして……」
「……た、高橋です。友達の……あの、いつもお世話に──いや、お世話してもらってるのは僕の方で……いや、違っ」
高橋、壊れた。
母はくすっと笑って、「こちらこそ。ふふ、仲良くしてくれてありがとうね」と穏やかに微笑んだ。
──それが決定打だった。
高橋はそれから母の視線を一切まともに見られなくなり、
「じゃ、じゃあ僕、ちょっと用事あるんで! また!」と逃げるように出ていった。
その背中を見送りながら、母は小さく首を傾げる。
「……あの子、なんだか可愛かったわね。少し赤くなってなかった?」
「……気のせいだよ」
僕はため息をつきながら、冷凍パンの袋を受け取った。
でも──心の中はちょっとだけザワついていた。
たぶん、あれで高橋の“母ファン度”はさらに上がった。
“アクスタの中の存在”が、リアルに現れたんだから。
僕の母は、やっぱりちょっと反則なのだ。
翌日。昼休み。
学食のテーブルをはさんで座った高橋は、いつになく静かだった。
「……なあ」
「ん?」
箸を止めて顔を上げると、高橋が真剣な表情で僕を見ていた。
「お前の母さん……本当に実在してたんだな」
「……は?」
「いや、アクスタの完成度が高すぎて、なんかこう……現実味なかったっていうか。あれは幻かと思った」
高橋は妙に深刻なトーンで、続けた。
「まさか、生であの笑顔を浴びる日が来るとは思わなかった……」
「……昨日、まともに目合わせてなかったくせに」
「直視できなかったんだよ! 無理だってあれは……天使か?」
「落ち着け」
高橋はお冷を一口飲み、ゆっくりと息をついた。
「……で、なんで来てたんだよ、昨日」
「洗剤と冷凍パン持ってきたんだってさ。ほら、母なりの愛情表現」
「洗剤と……パン?」
「そう」
「くぅぅ……!」
高橋は頭を抱えた。
「なんで俺、あんな挙動不審になっちまったんだ……もっと、なんかこう……自然に振る舞えたはずなのに……」
「無理だよ。君はいつも不自然だ」
「慰めてくれよ!」
高橋は箸を握ったまま、ぐっと目を閉じた。
「次は……次はちゃんと話す。絶対、ちゃんと“こんにちは”からやり直す」
「……本気で言ってんのか?」
「本気で言ってる」
その目はまっすぐだった。
そして、その日の午後。僕のスマホに新着LINEが届いた。
高橋:今度、また遊びに行っていい? てか、なんか手伝いとかあれば……その……お母さんに……
……終わったと思った。