「お母さん、無自覚美人です 大学生編」   作:松田義和

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第四章 帰省

今年のゴールデンウィークは、思いのほかスケジュールがぽっかり空いた。

友達は帰省するか、恋人と旅行へ行くかの二択で、僕はというと──まあ、なんとなく流れで、久々に実家に帰ることにした。

 

最寄りの駅を降りた瞬間、空気が違った。

懐かしい土と草のにおい。風の音。静かすぎる信号。

 

駅から徒歩10分。玄関を開けると──

 

「おかえり〜!ほら、早く荷物置いて、冷蔵庫パンパンなのよ」

 

エプロン姿の母さんが、トング片手に出迎えてくれた。

 

 

「この前ね、あなたの好きだったお菓子、見つけたのよ。あれ、まだ好きかしら? あとで出すからね」

 

そう言って、母はあっという間にキッチンに戻り、包丁の音がリズムを刻む。

リビングにはほんのりとした出汁の香り。窓の外では鯉のぼりが揺れていた。

 

僕はリュックを床に置いてソファに沈み込んだ。

──やっぱりここは、“なにか”が違う。

 

 

夜、食後。

 

母さんはアイスを片手に録画していたドラマを見ていた。

僕は隣でスマホをいじりながら、なんとなくその画面をちらちら見ていたけれど──

 

「……これ、途中からだから全然わかんないよ」

 

「いいの、雰囲気だけでも十分泣けるから」

 

母はそう言って、ほんとうに目を潤ませていた。

 

「なんか泣いてない? え、えっ泣いてんの?」

 

「泣いてないわよ〜。……ちょっとだけ、ちょっとだけ感動してるだけ」

 

そんな言い訳をする母さんの顔が、たまらなく“平和”だった。

 

 

その夜、僕は布団に入ってもなかなか寝つけなかった。

 

静かすぎる夜。虫の声。遠くで犬が吠えている。

 

ふと、廊下の軋む音がした。

気になって襖の隙間から覗くと──

 

母がスマホを手に、そっと洗面所の鏡の前に立っていた。

 

前髪を直して、軽く口紅を塗って。

なぜか鏡の中の自分に、うっすら笑いかけて。

 

……誰に見せるつもりなんだよ。

そんな軽口を喉元まで出しかけたけれど、僕は声をかけなかった。

 

ただ、静かに目を閉じた。

 

 

翌朝。

 

「もう起きてる〜? 朝ごはんできてるわよ〜」

 

そう言いながら、母は割烹着を羽織ってキッチンに立っていた。

テーブルには焼き魚、味噌汁、炊き立てのごはん──

 

……実家の朝って、こんなに満たされてたっけ。

 

「帰るの、明日だったかしら? それとも今日の夜?」

 

「……今日の夕方には戻ろうと思ってる」

 

「そう、そっか。じゃあ……」

 

母さんは言葉を切って、ふっと微笑んだ。

 

「あとで、あなたの好きな駅弁、作ってあげるわね」

 

 

僕はうなずいた。

 

なんだか、この帰省は、少しだけ特別なものになった気がした。

 

──母は、いつだって“ただの母”でしかない。

でも、僕にとってその“ただの母”こそが、一番特別なのかもしれない。

 

そう思いながら食べた玉子焼きは、涙が出そうなほど、やさしい味がした。

 

 

 

駅までの道、母さんは「荷物、重くない?」と何度も聞いてきた。

キャリーケースは僕が持ってるし、リュックも背負ってるのに、横を歩く母はなぜか両手を空にして、少しそわそわしていた。

 

「ほら、あれ見て。昔はあの空き地でキャッチボールしてたわよね。覚えてる?」

 

「うん、……あの頃、母さん、変なグローブ使ってたよな。片方の手に入らなくて」

 

「ふふ、だってあなたの使い古しだったんだもの。捨てるには惜しかったし、あれでも結構キャッチしてたのよ?」

 

「うん、たしかに。…いや、してたな。けっこう…普通に」

 

そんな、どうでもいい話をしながら、駅前の信号が青に変わった。

改札口が見えた瞬間、足がふっと重くなる。

母さんの歩幅も、どこか鈍っていた。

 

「切符、大丈夫よね? スイカちゃんと入ってる?」

 

「大丈夫、母さんが入れてくれたやつだから」

 

「ふふ。でしょ?」

 

そうして改札前。

人の流れがある中で、僕と母さんはふと、立ち止まる。

 

「……じゃあ、そろそろ」

 

「あ、待って」

 

母さんがバッグの中を探って、小さな紙袋を取り出した。

 

「これ、お弁当。ほんと簡単なやつだけど……電車の中で食べて」

 

包みの上には、小さなシールで「よい旅を」と書いてあった。

 

「ありがとう。……なんか、こういうの、最後かもしれないと思うと」

 

「最後なんかじゃないわよ」

 

母さんは笑って言った。

 

「何度だって帰っておいで。あの家は、あなたの場所だから」

 

僕はうなずいた。

 

「……いってきます」

 

「いってらっしゃい」

 

改札を通って、後ろを振り返ると──

母さんは、まっすぐ僕を見ていた。

 

笑っていたけど、少し目が赤かった。

 

僕は手を振った。

 

母さんも、小さく手を振った。

 

その姿が見えなくなるまで、僕は何度も振り返った。

──あのときの背中は、なんだかやけに小さくて、

でも、不思議なくらい大きなものに見えたんだ。

 

 

 

新幹線を降りて、駅前のコンビニで食料を少し買い足し、重たいキャリーを引きずって、ようやくアパートの階段を上りきるころには、月が雲間から顔を出していた。

 

鍵を回してドアを開けると、誰もいない部屋がじんわりと出迎えてくる。

その静けさに、なんだかさっきまでの賑やかさが嘘のようだった。

 

「……戻ってきちゃったな」

 

照明をつけて、コンビニのおにぎりを頬張りながらスマホを確認する。

通知に、母さんからのLINEが届いていた。

 

【着いた?ごはんは食べたの?】

 

送信は、僕が電車に乗る頃だったようだ。

その下に、続けてもう一通。

 

【なんかね、ちょっと寂しくなってきたから。これ、今日の“見送りコーデ”。へへ】

 

そして、画像がひとつ添えられていた。

 

──まさか、と思いながらタップした瞬間。

 

「……っ!」

 

一瞬、息が詰まった。

 

画面に映し出されたのは、母さんだった。

鏡の前、昨夜撮ったと思われる一枚。

白のシャツに、薄いブルーデニム。軽く巻かれた髪を後ろでゆるくまとめて、ほのかに口角を上げている。

 

明るくもなく、笑顔というほどでもない──

それでいて、驚くほど、綺麗だった。

 

スマホを持つ手が、なぜか熱を帯びたような感覚がして、あわててスリープボタンを押してしまった。

 

(ちょ、なに今の……)

 

胸の奥で何かが不意に波立った気がした。

 

あの人が、あんな表情をするなんて。

それを“ただの見送りコーデ”なんて言葉でさらりと送ってくるなんて。

 

言いようのないざわめきが、喉の奥に引っかかる。

 

もう一度、そっと画面を開く。

でも、直視するのが妙に気恥ずかしくて、一瞬だけ見ては目を逸らし、また戻る……を繰り返す。

 

(これ……保存、しとくべき……?いや、待ち受けとかにしたら……いやいや、さすがに……)

 

ぐるぐると思考が回る中、アルバムの「お気に入り」フォルダにそっと追加だけして、画面を閉じた。

 

返信も、しばらく打てなかった。

 

けれど10分ほど経ってようやく指が動いた。

 

【写真ありがとう。ちゃんと届いてるよ。】

 

送信を終えたあと、スマホをベッドの上に伏せた。

不思議と、心の中はふわりとあたたかい。

 

──あの人が、いなくても、そこにいる。

そう確信できるような一枚だった。

 

そして僕は、そのまま布団にもぐりこみ、しばらくその写真の残像を抱えたまま、眠りについた。

 

 

そしてなぜかそれ以来母さんの自撮り写真がたまにくるようになり専用の写真ホルダーが作られることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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