というか初執筆です。
ラストヘイブンでは、希望すら安物だ。
それは雨に溶け、鉄を蝕み、やがて路地の隅でゴミと一緒に踏み潰されるような安物の幻想。
俺の根城であるコンテナの壁を叩く酸性雨の音は、そんな陳腐な真理を忘れた頃に思い出させる。金属が軋む、低く湿ったリズム。それはこの街の母のようなもので、どこまでも冷たく、どこまでも無慈悲だった。
オイルとオゾンが入り混じった重たい空気。空調なんて代物はとうに壊れて久しい。俺の作業灯だけが唯一の光源だ。照らされるのは、無骨な鉄の円盤――直径1.5メートル、鈍く光る銅色の躯体。
ドータクン。
古の神具、失われた文明の残滓。
そして今は、俺がこの街で唯一"執着"しているガラクタだった。
錆びついた装甲の下に眠るのは、母の残した謎。そして、俺自身の存在理由だ。
俺の右こめかみに差し込まれた神経接続ケーブルが、ドータクンの胸部ハッチにあるインターフェイスへと繋がっている。
思考を研ぎ澄ます。
瞬間、俺の視界に青いワイヤーフレームが走る。ドータクンの内部構造が、網膜に直接、投影される。独学で組み上げたインプラントと
SYSTEM DIAGNOSTICS
MAIN_POWER_UNIT: OFFLINE
GRAVITY_CONTROL_MODULE: OFFLINE
UNKNOWN_PROTOCOL_CIRCUIT: CRITICAL DAMAGE (87.3%)
「……チッ」
舌打ちが漏れる。
問題はいつだって最後のそれ――
UNKNOWN_PROTOCOL_CIRCUIT。
奴は未解析の回路基盤。その中核に存在する、正体不明のエネルギー伝導装置だ。
何度も分解し、再接続し、再起動を試みた。しかし駄目だ。解析が進めば進むほど、理解できない部分が露わになる。これは設計の狂気だ。意図された矛盾。まるで暴走を目的にしたかのような構造。技術ではなく、呪いに近い。
「どういう頭してりゃ、こんなモン造れるんだよ……」
誰に向けるわけでもなく呟く。だが、それは俺の心の奥にある問いでもあった。こいつは、母の遺品だった。物心ついた時から、俺のそばにあった。名前も知らない母が何者で、何をしようとしていたのか。
その答えが、この鉄塊の奥深くにある気がしてならなかった。
けれど、感傷に浸る時間は、この街には存在しない。
BALANCE: 3,450 CREDITS
3日分の合成栄養食と、レントラーの充電パックで帳尻が合う程度の残高。電気が止まれば、レントラーは動かない。レントラーが動かなければ、俺はこの街で死ぬ。ただそれだけの話だ。
俺はケーブルを引き抜き、汚れたジャケットを羽織り、フードを被った。コンテナの扉を開けると、酸性雨が躊躇なく顔を叩いた。
行き先は決まっている。第9ブロック、旧教会跡地。情報屋であり、非合法な仕事の仲介人。老ハッカー、ギムレット。
***
下層は、文明の墓場だった。
下層の路地は、鉄の骨が剥き出しになった巨大な獣の体内のようだった。頭上を覆う中層プレートが陽の光を遮り、永遠の黄昏が街を支配している。水たまりは虹色の油を浮かべ、腐敗した有機物の匂いと、時折ショートする配線の火花の匂いが混じり合っていた。
オーガニック・ユニットとして改造されたワンリキーやゴーリキーたちが、主人の怒号を浴びながら汚染廃棄物の入ったドラム缶を運んでいる。ギャングの下っ端が、腕にバイオパーツの電極を突き立て、サイバー・ビーストのゴローンを従えて縄張りを誇示していた。誰もが、生きるために他者を利用し、奪い、使い潰す。この街では、ポケモンはパートナーじゃない。生存競争を勝ち抜くための、歯車か、あるいは弾丸だった。
教会の扉は、固く閉ざされていた。俺は決められた回数だけノックする。分厚い鉄の扉の向こうから、電子ロックの解除音が鈍く響いた。
中は、サーバーの排熱で蒸し暑く、無数のケーブルが蔦のように床や壁を這っている。かつて祭壇があった場所には、巨大なサーバーラック群が鎮座し、その中心で、ホログラムの聖母像がノイズ混じりに明滅を繰り返していた。
「何の用だ、小僧。お前の顔を見る時は、いつも碌なことがない」
ケーブルの海の向こう、ホコリを被ったコンソールの前に、ギムレットが座っていた。痩せこけた体に、旧式のサイバーゴーグル。その声は、ひび割れたスピーカーから流れる音声のように嗄れている。
「仕事はないか。稼げるヤツ。」
「はっ。屑鉄拾いの天才、ジン坊やが、とうとう尻に火がついたか」
ギムレットは嘲るように笑い、コンソールのキーを叩いた。聖母像のホログラムが掻き消え、一枚の依頼書が宙に浮かぶ。
【依頼内容】中層第4貨物ターミナル、コンテナNo.773より指定ケースを窃盗。
【報酬】500万クレジット
【補足】旧世界製・軍事用AI制御基盤の入手経路
【依頼主】 不明
「……軍事用AIの制御基盤だと?」
俺の喉が、ゴクリと鳴った。そんな代物なら、ドータクンのイカれた回路の代替、あるいは修理のヒントになるかもしれない。報酬が、俺の心の最も柔らかい場所を的確に抉ってきた。
「ほう、興味があるのか?依頼主は不明。相手はメカニカル・コープだ。しくじれば、お前はコープの解体場で、生きたままバイオパーツに加工されるだろうな」
美味い話には裏がある。この下層の住人なら、ミルク離れも出来てない子供かよっぽどの馬鹿でもなければ皆知っている。そして、俺はそのどちらでもない。ただ、来月の家賃を払えるだけのクレジットもなかった。
「……リスクは承知の上だ。この仕事、受ける」
俺の返答に、ギムレットはサイバーゴーグルの奥の瞳を細めたように見えた。
「決まりだな。コンテナの警備データと、ターミナルの構造図は送っておく。だが、死んでも俺を巻き込むなよ」
「あんたに分け前を払う必要はねえってことだろ。了解だ」
俺は悪態をつき、ギムレットに背を向けた。背後で、聖母像のホログラムが再び明滅を始める。まるで、哀れな子羊に最後の祈りを捧げているかのようだった。まったく、反吐が出る。
根城に戻った俺は、すぐに「道具」たちのメンテナンスに取り掛かった。
俺の足元で静かに丸まっていたレントラーが、俺の呼びかけに応じて体を起こす。その体毛は黒と青が入り混じり、筋肉の付き方は野生のそれとは明らかに違う。戦闘に特化した調整の結果だ。俺は奴の顎を開かせ、高周波振動ファングの刃こぼれをチェックする。眼球に埋め込まれたマルチスペクトル・スキャナーのレンズを磨き、体内の電磁パルス・ジェネレーターの出力を確認した。こいつは、俺の「眼」であり、「牙」だ。
次に、コンテナの隅の暗がりで眠る、紫色の悪夢を呼び覚ます。ドラピオン。全長3メートルはあろうかという巨大なサソリ。その甲殻は複合装甲で補強され、並のレーザーガンでは傷一つ付かない。俺は奴の両腕のハサミ――高周波ブレードに換装された殺戮兵器――に潤滑オイルを注入し、尻尾の毒針に神経毒を補充する。こいつは、俺の「盾」であり、「槌」だ。
俺はポケモンを信じない。絆なんて言葉は、上層の連中が使う、俺たちには縁のない光だ。だが、俺が自分の手で組み上げ、調整し、修理した「道具」の性能だけは信じている。こいつらは、俺の命令を、思考を、寸分の狂いもなく実行する。裏切ることも、躊躇うこともない。それ以上の関係は、不要だった。
メンテナンスを終えた時、疲労がどっと押し寄せた。壁にもたれかかり、一瞬、意識が落ちる。
――閃光。
脳裏に、白い光が炸裂した。悲鳴。金属が引き裂かれる音。
血の匂い。
誰かが、倒れる。長い髪の、女の人。俺に向かって、何かを叫んでいる。
「やめて、アーク……この子だけは……!」
「――ッ!」
自分の短い悲鳴で、俺は覚醒した。心臓が、オーバーヒートしたエンジンのように嫌な音を立てている。額には、脂汗が滲んでいた。
「……また、この夢か」
時折見る、意味不明な悪夢。アーク、という名前。誰だか知らない女。思い出そうとしても、ノイズの向こうに霞んで消えていく。
俺は悪夢を振り払うように頭を振った。感傷はガラクタ以下の価値しかない。今は、目の前の仕事に集中するだけだ。
俺はジャケットのフードを再び目深にかぶり、調整を終えたレントラーとドラピオンのモンスターボールを腰のベルトに装着した。ドータクンに、留守を頼む、と意識だけで伝える。返事はない。ただの鉄塊は、静かにそこにいるだけだ。
コンテナの外は、相変わらず錆びた子守唄が降っていた。俺は、ネオンの光が滲む中層を目指し、闇の中へと歩き出した。