薄暗い洞窟の冷気が、じっとりと甲殻を撫でていた。目を覚ましたとき、世界はまだぼんやりとしていて、輪郭も色彩も霧の向こうにあるようだった。頭の中は靄がかかっており、今自分がどうしてここにいるのか、そもそも「ここ」がどこなのかすらわからない。焦燥と混乱がじわじわと胸を満たしていく。
やがて視界がゆっくりとクリアになっていくと、まず違和感として突きつけられたのは――自分の視点の“低さ”だった。いつもよりずっと目線が低く、床が近い。背が縮んだ? いや、もっと根本的に……何かがおかしい。おかしすぎる。
「ここは……どこだ?」
掠れた声で呟こうとしたが、声にならない。洞窟の壁は湿っていて、うっすら光を反射している。空気は冷たく、壁を伝って落ちる水滴の音が、やけに鋭く耳に届いた。身体はまだ重く、感覚も鈍い。まるで自分の身体でないような――そんな違和感が、じわじわと意識に食い込んでくる。
何かに触れた。冷たくて硬い、ざらついた質感。違和感を覚えて顔の横を確かめようとした瞬間、視界に入ったのは――青白く輝く、鋭い「ハサミ」だった。
「……え?」
人間の手ではない。指先はおろか、手首すらない。青く光る甲殻に覆われ、棘のような突起が整然と並ぶその“腕”は、まぎれもなく甲虫のそれだった。自分の感覚が、その異形の一部と繋がっていると気づいた瞬間、背筋をぞわりと何かが走った。
「うわ……これ、俺の手か?」
自分の口から出たはずの声は、出なかった。代わりに喉の奥から、金属を擦るような甲高い鳴き声がこだました。
「まさか……そんな……うそだろ……!」
混乱のまま、身体を動かそうとした。重い。しかし動かないわけではない。四本の足がぎこちなく地面をかき、体がぐらつきながらも移動する。硬い殻に包まれた身体が、現実味を持って重さを伝えてくる。
「これは……俺の身体じゃない……なんだこれ……」
呟く声も出ず、ただ喉から鳴き声をもらしながら、ふらふらと動いた先――そこに、小さな水たまりがあった。反射的に近づいて、覗き込んだその瞬間――
「な、なんだこれは……俺……ガミザミ……だと……?」
水面に映ったのは、青く光る甲殻を纏い、鋭いハサミを構える小さなモンスター。その姿を、俺は知っている。ゲームの中で何百回と見てきた、狩られる側の最下級――ガミザミだ。
「ちきしょうぅ! よりによって、ガミザミかよぉぉぉ!!」
ぎぃぃぃぃっと、甲高い鳴き声を上げて、鋏を天に向かって突き上げた。外から見たら、必死に自己主張するただの小さな蟹にしか見えない。それでもこの小さな身体の奥底には、確かにかつて“人間”だった意識が宿っていた。
混乱も絶望もある。だが、だからこそ燃え上がるものもある。この異形の中に宿った魂が、今まさに目覚めた。鋏を振り、泥の上を這う小さな命に、ほんのわずかな光が差し込む。
――ディノバルドの頭骨を背負い、鎌を振るう鎧裂ショウグンギザミへの道は、ここから始まったのだ。