ぬかるんだ泥の感触が、甲殻の裏にじっとり染み込む。
ぬっちゃ、ぬっちゃ。
ぬっちゃ、ぬっちゃ。
今日も今日とて素材集め。目的はキノコと薬草、それとまだ見ぬ新素材――あの白い鉱石も見つかればいいなと思いつつ、俺は沼地の外れを這っていた。体調は悪くない。脱皮明けで殻はつやつや、視界も良好。
(……よし、今日も平和だ)
そう思っていた、んだが。
ズギィィンッ!!
風を裂く重低音と共に、どこかで何かがぶつかった。耳ではなく、甲殻越しの“地鳴り”として伝わってくる。しかも一発じゃない。ズバン!ズギン!ドカァンッ! それが断続的に、まるで山が崩れているかのような連続音で響く。
慌てて首をすくめ、地面に伏せる。水飛沫と泥が飛ぶ方向を見極めて、そろりと岩陰に移動。地面の割れ目に身を潜め、細い目を岩の隙間から覗かせた。
(……なんだこりゃ)
そこには、まるで別の“物語”があった。
ゲリョスだった。
喉が脈打ち、毒々しい膨張を繰り返している、腐れ鳥。
その前に立つのは、ハンター――人間。
しかも、ただの人間じゃない。装備は手製ではない、鍛え上げられた金属の鎧。手には大剣。背丈ほどもある鉄塊を片手で担いでいる。
(うおおお、これが……“ハンター”ってやつか)
それは、まるで別の生き物だった。
俺のようなガミザミが、やれ食料だやれ寒いだと生きることに四苦八苦してるのに対し、あいつらは「戦う」ためにここにいる。狩るために。化け物相手に、化け物のような精度で。
ハンターが地を蹴る。凄まじい推進力で、ぬかるんだ大地が泥煙を上げる。
ゲリョスは首を伸ばして毒液を吐き出した!
だが、ハンターは跳んだ。
毒の霧の外側を、弧を描いて回避。中空で剣を構え――
ズバァンッ!!
ゲリョスの背に衝撃が走った。血のような液体が飛び散り、地に赤い水紋が咲いた。
(……やっべぇ、かっけぇ……!)
目が離せなかった。体は泥に潜めながら、視線だけは釘付けになっていた。
まるで舞踏だ。斬って、跳んで、かわして、振り向いて、また斬る。
ゲリョスが飛びのいて毒弾を放つ。ハンターは前転して避ける。
だがそのとき――。
「……ッ?」
ゲリョスが首をこちらへ向けた。
(……え?)
喉をふくらませたまま、ぬちゃ……とねっとりした音を立てながら、ゲリョスが狙いを変えた。
明らかに俺だ。毒弾を吐く姿勢のまま、俺の岩陰へと、ゆっくり首を傾け――
ボシュッ!!!
(へっ?)
放たれた毒弾は、信じられないほど綺麗な放物線を描き、
俺の顔面に一直線に飛来してきた。
反応する間もなく、弾けるように毒が爆ぜた。
感覚が一気に吹き飛ぶ。
目が、痛い。
鼻が、ないのに痛い。
口が、酸っぱいのにしびれている。
「がぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛おおおおぉおお!!!!???」
情けない声が漏れた。喉から勝手に震えが上がる。視界は黄色と紫で塗りつぶされ、岩陰の安心感も、戦闘への感動も、全部、毒の濁流に流されていった。
(……い、意味わからん……なんでだよ……なんで俺だけ……)
俺は戦ってすらいない。ただの通行人だ。
だというのに――ゲリョスの毒弾は、まっすぐ俺の顔面に直撃したのだ。
しかも、これが悲しいことに――ハンターはまったく気づいていない。
ちらりと視線を向けたが、「ああ、なんか変なカニが巻き添え食ってるな」程度の顔。
(ふざけんな……おい、そっち見ろよ!こっちは死にそうだぞ!)
だが叫ぶこともできない。喉が痺れて声にならない。
その間にも戦いは続いていた。
ゲリョスが閃光の準備に入る――!
(や、やめろ……俺に、まだ光は、無理……っ)
しかし、運命は待ってはくれなかった。
次の瞬間、ゲリョスの首が跳ね上がり、耳をつんざく甲高い金属音と共に――
バッッッ!!
世界が真っ白になった。
(……俺、今日……素材集めに来ただけなんだが?)
毒と閃光。
生きるために地を這ってた俺が、まさか巻き込まれるとは思ってもいなかった。