視界が少しずつ、泥の底から浮かび上がるように戻ってきた。地面に伏していた俺の体は、まだ鉛のように重かった。頭の芯が焼けるように熱く、息を吸えばまだ喉の奥がピリついた。
(……俺、生きてる?)
腹の下で泥がぬちゃりと鳴った。感覚がある。つまり、生きてる。信じられない。あれだけの毒を食らって、脳味噌が沸騰しかけて、意識も吹っ飛びかけたのに。
それでも、まだ……俺の心臓は動いてた。
頭を少しだけ持ち上げた。目の奥がじんじん痛んだ。まぶたの裏に残っていた閃光の残像が、青白く渦を巻いていた。
(……あの野郎……)
舌の奥で呻きながら、俺はそう思った。ゲリョス。あの毒袋膨らませた腐れ鳥。俺はただ、キノコを探してただけだ。薬草を集めてただけだ。今日は穏やかに素材でも集めて、夕方には洞窟でのんびりしてたかった。それだけだ。それだけだったのに——。
「巻き込みやがって……!!」
声にならない怒鳴り声が、喉の奥で泡立った。叫んだ瞬間、肺に残っていた毒気が刺激されたのか、咳が止まらなくなった。ぐおっ、うぇっ、げほっ……!
体をひねると、まだ体液が重く滲み出ていた。目の下、甲殻の隙間、関節の裏。毒の名残が肌の内側にまで染み込んでるみたいに感じる。俺は、泥の中で何度も咳き込みながら、やっと首をもたげて周囲を見た。
沼地の片隅、倒れ伏すゲリョスの死骸。胸の下から大きく裂けて、黒紫の血がどろどろと沼に流れ出している。くちばしは砕け、片方の翼は根本から折られていた。爪も折れ、尾も千切れかけている。
見るからに——徹底的に狩られた跡だった。
ゲリョスの横、剥ぎ取りを終えたのか、ハンターの姿はもうなかった。地面には泥にまみれた足跡と、ぬるりと光る痕跡だけが残されていた。
(……これが、ハンター……か)
俺の想像していた“人間の狩り”とは、あまりに違っていた。もっとこう、罠で拘束したり、安全なところから撃ったり、もっと慎重に……もっと卑怯に戦うものかと勝手に思ってた。だが違った。全身で斬り込み、閃光をかいくぐり、毒を避け、肉の奥にまで届く一撃で仕留めていた。
まるで、何十回も、何百回も、これを繰り返してきたみたいに——。
視界の端に、ゲリョスのぶよぶよした死体。もう動かない。だが残り香のように、あの毒の臭いがまだ鼻を突く。
「くそが……」
ずる……ずるり……。
這う殻の下、黒曜のような瞳がひたと屍を捉えていた。
「死んでる……な。あの鳥頭……ざまぁ見ろ、毒弾巻き添えにしやがって……!」
まだ腹の中が重い。内側から何かが泡立つような違和感――だが、今はそれどころではなかった。死体は新鮮、熱も煙もまだ揺らいでいる。つまり、そう遠くないうちに――ギルドの奴らが来る。ハンターの後詰か、後処理班か、いずれにせよすぐだ。
「拾えるだけ拾って……ヤドにブチ込んで……それで終わりだ……!」
がしゃり、と鋏が鳴った。岩陰から転がるように飛び出す。周囲を気にする素振りもなく、一直線に腐敗の始まったゲリョスの喉元へ――突き立てる!
ズブリッ……ぬちゃ……
腐肉が割れ、粘液があふれ出る。咳き込みながら、慣れない作業に手を滑らせながら、それでもガミザミは器用にハサミを動かした。内臓は避ける、液袋と皮膚下の光沢石、喉奥の鱗片、皮をはぎ、筋を切り、鼻先から尻尾の根元までを殴打と切断で丁寧に解体してゆく。
「うぉ……クサ……これ本当に素材か……?」
臭気は酸っぱく、鼻を突いた。だが目は爛々と輝いていた。ヤドが唸るように震えていた。獲物が、財が、狩人を打ち倒した証が、すぐそこにある。――誇りのようなものが、胸に生まれた。
トサカの閃光石、ノヴァクリスタルだったか?は……傷んでいた。あれは使えそうにない。それでも皮、爪、クチバシ、尻尾、毒腺の断片、そして――あの柔らかくも丈夫な皮膚の一部を剥ぎ取り、口に咥えて引きずり出す。
「うおっ……でけぇ……ッ!」
背に乗せては落ちる。咥えては滑る。三度目にようやく体の下に巻き込み、蟹の歩みでよろよろと岩陰へ戻る。
そこからはまさに逃走劇だった。転げるように、よろめくように、転がすように。腐肉の重みに足を取られながら、それでも半ば放心、半ば執念のように、洞窟までの道を戻る。
「ったく……毒弾一発でこれだけ苦労させやがって……!」
だが……悪くない。いや、悪くないどころか、どこか――誇らしい。
洞穴に潜り込むと、持ち帰った素材をヤドの奥へ丁寧に押し込んだ。皮は濡れたままでは腐る。干すべきだろう。爪やトサカの欠片も、そのうち何かに使える。
「……あのハンターがいなけりゃ、俺は死んでた。ゲリョスの奴も、まさか死体を漁られるとは思ってねぇだろうな……」
ハンターとゲリョス――この世界の頂点を張る者たちの戦い。その果てに、小さな蟹が、死体を奪い取り、爪を握りしめて息を吐いた。
世界は広い。そして恐ろしい。
だが、食い込むようなこの現実の中で、俺はまた一つ、生き残った。