――腹が減った。
湿地に差し込む日差しはじっとりとした熱気をまとい、泥の表面に虹色の油膜を浮かべていた。俺はその上を、ざぶざぶと甲殻を軋ませながら歩いていた。
目の前にいるのはブルファンゴの群れ。短気で鈍重、そして食うと旨い。狩り慣れた相手だ。
「ほれほれ、突っ込んで来いよ」
俺は両の鋏をわざと泥に叩きつけ、カチンと音を鳴らした。挑発にのった一頭が鼻息荒く突進してくる。
――ドゴォッ!
地響きを立てて突っ込む巨体を、俺はひょいと横へ飛んでかわす。泥を跳ね散らしたまま勢い余って突っ込んだ奴の首筋へ、すかさず鋏を突き立てる。
鉱石を喰って研ぎ澄ませた刃が、肉を容易く切り裂いた。傷口に毒が染みこみ、巨体は短い痙攣の後に崩れ落ちる。
「……ったく、やっぱ楽勝だな」
俺はカチリと鋏を打ち鳴らし、腹を裂いた肉に食らいついた。濃厚な血と脂が舌に広がる。
「んー……やっぱブルファンゴは最高のごちそうだぜ。歯ごたえもたっぷり……噛みごたえあって、力が漲ってくる」
次々と襲い掛かる奴らをさばいていくのも、もう日課のようなものだった。突進を横に逃げて、鋏で斬りつけ、毒を浴びせて倒す。俺の殻はもうブルファンゴ程度じゃ傷一つ入らねぇ。鉱石で強化された甲殻が衝撃を受け止めるたびに、自分が一歩ずつ「ただの雑魚」から抜け出しているのを実感する。
「ふぅ……おいおい、どんどん弱く見えてきたな。これじゃ狩りというより作業だぜ」
余裕の笑みを浮かべ、鋏についた血を振り払う。
だが、その時だった。
――ドスン。ドスン。
重い足音が湿地を震わせる。最初は遠く、だが一歩ごとに確実に近づいてくる。
ブルファンゴたちが一斉にざわめき、俺を置き去りにするように逃げ出した。恐怖に突き動かされた群れは、我先にと水しぶきを上げ、四方八方に散っていく。
「……あ? なんだよお前ら、まだやれるだろ。……いや、違うな」
ただの仲間割れじゃない。血の匂いに集まった程度の相手でもない。これは――格が違う。
俺はその足音に、自然と背甲を震わせていた。
湿地の奥から吹き抜けてきた風に、獣臭と土の匂いが混じる。
――縄張りを荒らした愚か者を始末しに来る。
そんな本能的な確信が、冷たい針のように背中を走った。
「まさか……来やがったのか……」
木々をへし折り、泥を抉り、ついに姿を現す影。
白いたてがみを逆立て、巨牙を剥き出しにした怪物。
「……ドスファンゴ……!」
思わず鋏がカチリと鳴った。
俺の視線を、奴は真っ直ぐに受け止めていた。怒気を纏った双眸が燃えるように血走り、鼻息ひとつで湿地の空気を震わせる。
「……は、ははっ……格が違ぇ……ブルファンゴとは別物だ……」
湿地を支配する王が、侵入者である俺を睨んでいた。
――空気が一変した。