――あっぶねぇ!!
巨体が飛びかかるように突っ込んできた瞬間、反射で泥に体を投げ出した。腹をすりむく勢いで前のめりに転がり、湿った地面が皮膚を焼くように擦れていく。背後を切り裂く轟音、破壊の奔流が駆け抜ける。ほんの一寸でも遅れていたら、俺の殻は木片のように粉砕され、血肉ごと大地に撒き散らされていただろう。
「っはぁ……っ、かすった……?」
喉がひゅうひゅう鳴り、心臓が胸骨を叩き割らんばかりに暴れる。振り返る余裕すらなく、耳には木々がへし折れる重音が響き、湿地の空気が揺れる。
振り向くよりも早く、奴は再び踏み込んできた。ドスファンゴ――その猛進は止まることを知らない。鼻息は熱風のように湿地を震わせ、血走った瞳は獲物を逃がす気配すらなかった。泥に立つ巨体はまるで怒りの塊。突進、それだけしか能がないはずなのに、その単調さが恐怖を倍加させる。
「間髪入れずに突っ込んできやがる……! こいつ……!」
単純だ。やっていることはただの突進。だが――その質量と迫力が、他のどんな技よりも圧倒的に命を刈り取る。普通の突進なら、一歩余裕を持って避けられる。だがこいつは違う。ほんの一歩遅れれば肉片。早すぎても巨体が軌道をねじ曲げ、避けたつもりの空間を貫いてくる。逃げ場がない。
俺は鋏を構え、呼吸を整えた。泥に踏み込み、瞳の奥に獰猛な獣の動きを焼き付ける。
(見切れ……必ず隙はある……! 恐れるな……!)
再び巨体が地を割り、突進してくる。地面を削る蹄の音が雷鳴のように迫り、瞬きすら許されない。俺は牙を視界に収めたまま、泥を蹴って横へ飛ぶ。
「っしゃ……!」
かすめただけ。背後で牙が地面を抉り、水飛沫と泥が全身に降りかかる。体を濡らす冷たささえ、生の実感を強めた。心臓が破裂しそうだが――避けた。確かに避けられたのだ。
「よし……やれる……やれるぞ!」
震える声が湿地に弾ける。泥を踏みしめ、巨体を迎え撃つように腰を落とす。
二撃目、三撃目。牙が唸り、地面が裂け、泥と血の臭気が混じり合う。俺は必死に転がり、巨体をかわし続ける。恐怖と同時に、少しずつ“見える”感覚が芽生えていた。鼻息の変化、肩の揺れ、泥の跳ね方。奴の突進は直線的で、読み切れる――そう思えた。
「……フッ、デカいだけじゃねぇか。読み切れる……!」
余裕すら口にして、鋏を構え直す。
その瞬間。
巨体が泥を割り、牙が迫る。いつも通りだ――そう思った俺は、ためらわず飛び退いた。避けた――確かにそう思った。
……違う。
奴は慣れたかのように、突進の軌道をねじ曲げてきた。質量の暴力が横滑りするように進路を変え、俺の回避を追いかける。
(――はっ!? やばっ……!)
次の瞬間、世界が、ごしゃぁ!!と音を立てて弾けた。轟音と衝撃が全身を蹂躙し、甲殻がめり込み、呼吸が押し潰される。体は宙に舞い、重力に叩きつけられて泥を割った。
「……ぐ、はっ……!」
視界がぐらつき、耳が遠のく。吐き出した息が泥を震わせ、鉄臭い血の味が口内を満たす。
立ち上がることすら許されず、影が覆いかぶさってきた。荒い鼻息と共に、ドスファンゴの影が揺れる。血走った眼光は、逃げ損ねた虫けらを正確に射抜いていた。
たった一度の読み違え――それだけで、死はすぐ隣に迫る。