――脇腹に鋏が喰らいついた瞬間、手応えは確かにあった。
ザクリ、と肉を抉る感触のあと、俺の特異な毒液が紫黒の筋を描きながらドスファンゴの体内へ流れ込む。置き螯に奴自身の突進の勢いを乗せてやったのだ。普段なら弾かれる硬皮すら裂け、内奥にまで届いた確信がある。
「……ッしゃああ……!!」
雄叫びにも似た咆哮が俺の口から洩れたが、それは勝利の歓喜ではなかった。むしろ、闘志を燃え上がらせる火打石の音だ。
ドスファンゴは巨体を捻じらせ、突進の軌道を無理やり逸らしながら大地を削るようにして止まった。脇腹に刻まれた深い溝から濁った血が泥に滴り、同時に毒が回り始めた証拠か、鼻息が乱れている。
俺は自分の内側に問いかける。
――効いてる。絶対に効いてる。
ただ、そこからが地獄だった。
奴は毒に苛まれながらも、狂ったように暴れ回った。湿地を薙ぎ払い、木々をへし折り、牙を振り回す。その一撃一撃が直撃すれば確実に俺の殻など粉砕される。
「くそっ……! 避けろ……避けろ俺ぇッ!!」
呼吸は荒い。肺はさっきから焼け続けている。避けるたびに脚のひび割れた甲殻が悲鳴を上げ、力が抜けそうになる。だが、奴の動きがわずかに鈍っているのも事実だった。毒で神経が焼かれている。タイミングさえ見切れば、かすめるように避けて鋏を当てることができる。
ギリッ……鋏が奴の腿を裂き、
ガリッ……鼻先をかわして厚皮を削る。
傷は増えていく。俺の毒も爪も、決して無駄じゃない。
だがそれ以上に、体力が削られていくのを痛感する。
「はぁ……ッ、はぁ……ッ……!」
視界の端で雨粒が舞う。湿地の泥に波紋を刻む雫が、やけに鮮明に映る。体力が尽きかけている証拠だ。集中が極限に達している。
ドスファンゴが一際大きく吠えた。
毒で荒れ狂い、理性の欠片も残っていない咆哮。
「……来るか……!」
奴の脚筋が一気に膨れ上がるのを見た。
次の突進――最後のあがき。
俺はそう直感した。
「行ける……押し切る……!」
心の中で叫んだ瞬間、地が裂けるような爆音とともに、巨体が疾駆してきた。
「――はやっ……!!」
眼が追いつかない。
毒にやられているはずだ。なのに、何だその速さは!?
まるで火事場の馬鹿力。死を前にした獣の本能。
避けろ――避けろ! だが脚が追いつかない。
かわすために全身を泥へ投げたその瞬間、奴は軌道をねじ曲げて牙を振るってきた。
「ッぐ……ぅ……!!」
辛うじてかすめたが、甲殻の一部が裂け、青黒い血が泥に飛び散る。
痛みで意識が揺らぎそうになる。
――もう避けきれねぇ。
次に来るのは、真正面からの一撃。
さっきの比じゃない。速さも威力も桁違いだ。
「……くっ……!! こいつは……無理だ……!」
歯を食いしばる。体はもう逃げられない。
だが――俺は笑った。
「上等だ……ッ!! 避けられないなら……耐えてやるッ!!」
脚と螯を地に突き立てる。
ガキィン! と硬い音が湿地に響く。
泥にめり込み、まるでアンカーのように俺の体を固定する。
そして、ヤドへと全身を縮めた。
殻を閉じ、流線型に身を丸める。
「来いよ……!!」
あの巨体が真正面からぶつかってきても、うまく流せば致命傷にはならないはずだ。角度は完璧。奴の勢いを受け流す可能性に賭ける。
――地鳴り。轟音。咆哮。
全てがひとつに混ざった瞬間――
「……ッッおらああああああああああ!!!」
衝突音が戦場を揺るがした。
湿地に雷鳴のような轟きが響き、視界は衝撃で白く塗り潰された。