――静かな沼地の洞窟。
しばらくの療養を経て、ようやく俺の身体は戦いの痛みから解放されていた。甲殻の軋みは収まり、背筋を伸ばせば以前よりも硬さと厚みを増した殻が音を立てる。動けばまだ微かにうずくが、それすらも「生きている証」と思える程度の痛みに変わっていた。
ふと、洞窟の中を見回す。
岩肌に削った肉の跡が残り、乾いた血が匂いを放つ。ここで過ごした日々は、俺を生かしもすれば閉じ込めてもいた。だが――今は違う。
狭さが、手狭さが、息苦しい。
成長した自分の体がこの洞窟には収まりきらず、かつての安らぎは「檻」に変わりつつある。
「……俺も、成長したってことか」
ぽつりと呟いた声が、湿った岩壁に吸い込まれていった。
だとすれば、次は進まねばならない。
目指すは火山。鉱石を取り込むため、そしてさらに強い殻を得るために。あの灼熱の地は危険に満ちているだろうが、それでも俺は行く。行かなければ、進化など望めない。
まずは旅立ちの準備だ。
俺は洞窟の隅に積んでおいた薬草とアオキノコを引き寄せ、ハサミで丁寧に潰していく。苦みの強い液体がじわりと滲み、岩の窪みに溜まっていった。
「よし……これで数本分は作れたな」
生き延びるための回復薬。持てるだけ持って行く。火山で何が待ち受けていようと、これがあれば少しは抗えるはずだ。
だが、すぐにもう一つの問題へと目が行った。
洞窟の中央に鎮座する巨大な影。
ドスファンゴの頭骨だ。
戦いの証、勝利の象徴。
肉は削ぎ落とされ、今や清らかな白骨となり、牙は泥の中でも光を失わず鈍く輝いている。その存在感は圧倒的で、この狭い洞窟においては異様な威圧を放っていた。
「……どうするかな」
独りごちる。
ここに置いていくか? だが、もしハンターに見つかれば、持っていかれてしまう可能性がある。
持ち運ぶか? だが今の俺には、この巨体をヤドとして背負えるほどの力はまだない。
成長した未来にこそ似合うだろうが、今はただ「宝」として重荷になるだけだ。
「……ん?」
ふと、頭の片隅にあのガミザミの姿が浮かんだ。
骨塚で再会した、小さくて愛嬌のあるやつ。俺より少しだけ小さいのに、会うたびにバンザイして挨拶してくる。どこか抜けたようで、それでいて妙に律儀。
そして何より――頭骨を集めて並べるのが好きな、あの奇妙な習性。
「そうだ、あいつなら……」
不意に声が弾む。
俺が悩み続けているこのドスファンゴの頭骨も、あいつなら大切に保管してくれるだろう。コレクションとして喜び、むしろ誇らしげに飾るかもしれない。
ハンターに見つかる心配もなく、俺は身軽に火山へ旅立てる。まさに一石二鳥じゃないか。
さらに思いつく。
そうだ、肉のお裾分けだ。
あのとき世話になった礼も込めて、乾燥させたドスファンゴの肉をいくつか持っていこう。
――頭骨を預かってもらう頼みとともに。
「決まりだな」
俺は立ち上がり、洞窟を満たす湿気を一息で吸い込む。
外では朝日が差し込み、薄霧に包まれた沼地を照らしていた。長く過ごしたこの地を離れる時が来たのだ。
ドスファンゴの頭骨に視線を戻す。
かつて俺を殺しかけ、そして俺に「生き残る力」を教えてくれた敵。その象徴を預けることで、過去と未来を繋ぐのだと思うと、不思議と胸の奥が熱くなる。
「……よし、明日はあいつに会いに行こう」
声に出してみる。
その瞬間、沼地の空気がどこか軽く感じられた。まるで長くまとわりついていた泥の重さが剥がれ落ちたかのように。
――こうして俺は、旅立ちの前に一つの決意を固めた。
ドスファンゴの頭骨をあのガミザミに託し、感謝の肉を届け、そして火山へと向かう。
新しい強さを求め、昨日よりさらに前へ進むために。