数日たつが、まだ森の中。
おっかしーなぁ……高台に登って、ちゃんと火山の方角を見たはずなんだけどな。
太陽の位置も確認したし、風の流れも感じてた。それなのに、気づけば同じ倒木、同じ岩。まるで森が俺をからかっているようだ。
この森、音が少ない。虫の羽音と風の擦れる音、それだけだ。
時々どこかで木が軋み、遠くで何かが鳴く。けれど姿は見えない。まるで“生きた森”に迷い込んだ気分だ。足跡をつけても、次の瞬間には苔に覆われて消えている。
幸い、食料は十分にある。
この辺りはキノコが豊富で、虫もそこら中に蠢いてる。
飢えの心配はない。……ただ、問題は別にある。
背中の甲殻が、また“ゴワゴワ”し始めてる。脱皮の前兆だ。
できれば脱皮する前に火山へ着きたかった。あそこなら熱気で新しい殻も硬化しやすいし、あの場所で次の力を得たかった。
だが現実はこの通り、森の迷路の中。
歩いても歩いても木の根が絡みつき、苔むした地面はどこまでも同じ景色だ。苛立ってハサミを鳴らすと、近くにいた虫が一斉に散った。
「はぁ……くそ、こんなとこで足止めかよ」
湿った空気が甲殻の隙間に入り込む。気持ち悪い。
森の匂いに慣れたつもりでも、こう長く居座るとさすがに息苦しくなる。日差しは葉に遮られ、昼も夜も曖昧。時間の感覚すら、曖昧になってきた。
その辺に生えていたキノコをもぎ取り、かじる。
傘の部分が紫で毒々しく、縁には白い斑点。毒テングダケだ。
初めて口にした時は腹を下した。だが今では慣れたもんだ。
むしろこのピリッとした刺激が癖になっている。
喉を通るたび、体の奥がじんわり熱を帯びていく。
ハサミの内側が紫がかり、金属のような光沢を帯びた。
毒が濃くなっている――そんな感覚がある。
体が、戦うために勝手に変わっていく。理屈じゃない。
「毒」が必要だと、俺の体が覚えている。
毒テングダケをさらに二つ、三つ。腹が満ちて、頭が冴えてくる。音のない森の中、風に混じって羽音が響いた。
遠くでランポスの鳴き声がしたが、あいつらとはもう関わりたくない。こっちは毒の備えをしてるだけだ。戦う気は……いや、あるけど。
ふと、湿った地面に映る自分の影を見た。
殻の色は深く沈んだ青紫。光を受けるとわずかに鈍く輝く。
あの沼地で泥まみれだった頃の俺とは、もう違う。
森で生き、喰い、戦って、知らぬ間に“こっち側”の生き物になっていく。不安よりも、妙な高揚があった。
「……人間だった頃の俺が見たら、引くだろうな」
独り言がやけに響いた。返事はない。
当たり前だ。この森には、俺しかいない。
それでも今は、闇雲に暴れるより抜け出す方が先だ。
脱皮が近づけば甲殻は軋み、視界も曇る。動きも鈍る。
このまま森に籠もってたら、脱皮の最中に襲われて終わりだ。
森の奥からまた鳴き声が響く。
ランポスどもか、それとも別の何かか。
生温い風が木々の間を抜け、葉の裏で何かが這う音がした。
すぐ近くに、何かいる。だが、今は相手をしている時間もない。
「火山は逃げねぇ。……けど、脱皮は待っちゃくれねぇ」
キノコの柄を噛み潰して吐き捨てる。
紫の汁が地面に滲み、腐葉土をじわりと溶かした。
その匂いに誘われるように、羽虫が集まり、蠢く。
その中心を踏みしめて、俺は森の闇の奥へと足を進めた。
火山に行くのが最優先だ。
早く――この森を抜けねば。