静寂に包まれた木々の中、水辺にわずかな波紋が広がる。光を反射した水面のそばで、ケルビが一頭、首を垂れて喉を潤していた。
──あれが、ケルビか。
ガミザミとなった“俺”は、遠くの岩陰からそれを見据える。碧い甲殻に身を包み、身を伏せ、息を殺す。
(チャンスだ……一気に詰めて、やれれば……!)
初めて目にした、狩りうる獲物。肉になる、命の価値を持つ相手。だが、どうやって?
脚をわずかに動かすと、土の上にざらりと音が走った。ケルビがピクリと耳を震わせ、首をもたげた。やばい──と、思った次の瞬間には、ケルビは跳ねるようにして草むらへ逃げ込んでいた。
「くっ、速い!」
思わず声を出してしまいそうになったが、喉からはガミザミ特有の「ギシャア!」という威嚇音が漏れた。ハサミが意図せずも頭上で振り上がり、草木の影で暴れてしまう。
(……まずい。こんなんじゃ、狩りにならない)
苛立ちを感じながらも、冷静を取り戻す。“俺”はそっと物陰に身を潜め、再び待った。しばらくして、別のケルビが水辺へと姿を見せる。
(今度こそ……今度こそ……!)
地を這うようにして近づく。甲殻を擦る音すら立てず、少しずつ距離を詰めていく。そして──!
「ギシャアァッ!」
跳ねるように飛び出し、全力で突進する。しかしその直前、ケルビは気配を察知して跳ね退いた。届かない。ガミザミの脚では、ラストの数メートルがどうしても縮まらない。
ケルビはまたしても森の奥へと駆けていった。残されたのは、地を抉った爪跡と、自分の吐息だけだった。
(ダメだ、どうしても察知される……この脚の速さでも、初動で気付かれる)
“俺”はふと、何かを思い出した。ガミザミ──ショウグンギザミの幼体として、ゲーム内で見かけたその姿。
(そういえば、ガミザミって……地面から出てきて襲ってこなかったか?)
モンスターハンターの世界において、ガミザミの特徴。それは、地中に潜み、頭上を通る者へ奇襲を仕掛ける狡猾なハンター。
ならば──!
(俺にも、できるか? 穴を……掘る?)
言葉にすれば単純。だが、問題はそこに至るまでの経験が“ゼロ”であること。だが、やるしかない。狩りたい、食いたい。ただ逃げられるだけの存在で終わってたまるか。
“俺”は静かに後退し、森の隅のやや柔らかい地面を見つける。あたりにケルビはいない、チャンスだ。前脚──いや、鋏を交互に使い、土を搔いていく。
(……掘れる、いける!)
爪の先が硬い土を砕き、浅いが自分の体が隠れるくらいの穴を形成していく。すぐに疲労が来るが、それでも掘る。掘る。掘る。
数時間が過ぎた頃には、前脚の付け根に痛みすら感じるようになった。けれども──
(くっ、……この程度で折れるな俺……!)
声にならぬ咆哮と共に、最後の一掻きを終える。“俺”はそのまま土の中へ身を潜める。熱がこもり、呼吸は重く、息苦しい。
しかし、不思議と感情の中には、焦りや不安はなかった。
(来い、ケルビ……ここまでやったんだ、絶対に一匹は──)
待つ。時が流れる。体の一部を除いて、地上の気配を探知するよう意識を集中する。ガミザミとしての本能が、少しずつ“俺”に馴染んでいく。
そして──来た。
土の上、軽い蹄の音。ケルビの足取り。水を飲みに来た音だ。
俺の真上に、獲物がいる。
(よし、今だ──!)
跳ねるようにして地中から飛び出す! 鋏を振り上げ、爪を広げ──
「ギシャアアッ!」
甲高い叫びと共に飛び出したその刹那、ケルビは硬直。そして──横に跳ねて逃げた。
“俺”の鋏は空を斬り、土を割り、無惨にも地面に着弾した。
「ギ……ギシャアアア!!」
吠える。怒りでもなく、苛立ちでもない。ただ、己の未熟さに対する唸り声。小動物の如きケルビに翻弄されることの虚しさ。それでも、悔しい気持ちよりも、“次”が見えてきた。
(惜しかった……!でも、今のはもう少しでいけた!)
成功ではなかった。だが、確かな成長は感じた。初回の無様な突撃とはまるで違う。タイミング、掘り方、飛び出し方、それらがあと数手噛み合えば──必ず仕留められる。
(……次はやれる。絶対にやってやる……!)
“俺”は再び地面を睨み、次なる奇襲に向けた小さな穴を掘りはじめる。甲殻が土を叩き、前脚が汗ばみ、鋏に泥がこびりつく。
しかし、その姿は──かつての無気力な“俺”ではない。
水の音がする森の中、ただ一匹、土の中から戦いを始めたガミザミがいた。
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