岩陰に潜み、甲殻の隙間からそっと視線を覗かせる。
水音が耳に心地よい。緩やかに流れる小川の水面を、朝の光が柔らかく撫でていた。その澄んだ水辺に、あの青緑の獣たち――ケルビが、今日も姿を現す。
(……来た)
あれから数日。俺はこの水場に棲みつき、じっと観察を続けてきた。
初めて彼らを見たあの日、勢いで飛びかかって失敗した。2度目も、3度目も同じ。気配を殺したつもりが、すぐに気づかれて逃げられる。脚は速いが、動きは単調。そして驚くと飛ぶように跳ねて逃げるあの反応速度。人間のときにゲームで見ていたケルビとは、違う。生き物として、圧倒的な現実味と、警戒心。
その厄介さを、身に染みて知った。
だから俺は、無謀な突撃をやめた。
岩陰に潜み、身を縮め、ただ観察する。
ケルビたちは毎日同じ時間帯に現れた。同じ場所で水を飲み、警戒しながらも数分はその場にとどまる。距離は約十メートル。狙える、そう思った。
俺の身体は小さい。だがその小ささこそが、潜伏に向いている。
甲羅の中に完全に身を収め、岩と同化するように息を殺す。
動かぬまま、時間をやり過ごす。時には一日待っても現れないこともあった。空腹も酷かった。
それでも、俺は決して狩りを急がなかった。
キノコが数種、水辺の岩陰に群生していることに気づき、慎重に味見をし、食用になるものを見つけた。巨大な甲虫を捕まえる要領も覚え、蟲もまた腹を満たす手段に加わった。
……だが、やはり足りない。
肉が、食べたい。
身体が欲しているのだ。甲殻の奥で、空腹とは違う渇望が、じわじわと広がっていく。
俺はガミザミだ。ショウグンギザミの幼体。蟹のような外見でありながら、間違いなく肉食。
獲物を喰らう生き物の血が、俺の中で疼いている。
(……今日だ。今日、仕留める)
満を持して、俺は水辺へと移動した。
昨日、ケルビたちが決まって水を飲みに来る小さなくぼ地を発見した。 そこは川が岩に当たってできた緩やかな澱みで、警戒を解きやすいポイント。
俺はその水際、岩陰の下に体を押し込み、静かに甲羅を地面に伏せる。
――潜るのだ。
ガミザミには、地中に潜って奇襲を行う習性がある。
思い出したのは数日前のことだった。ゲーム中でもその描写は見られた。ならば、できるはずだ。
地面を前脚で掻き、穴を掘る。 硬い岩が混じるが、湿った土の層に入れば意外と掘り進める。地中の空間に身を押し込めると、予想以上の静けさと隠蔽性に驚いた。
(これで……来い)
体を小刻みに震わせながら、俺はその時を待った。
そして――
地面の震えが、脚先に伝わった。
気配がある。
ゆっくりと土の中で前脚を構え、螯を立てる。振動の強さが、数頭の群れであることを教えてくれる。
やがて、頭上の地面の向こうに、柔らかな水音。
来た。
水を飲む音。鼻を鳴らす音。草を噛む音。 気配は頭上、すぐそこ。
俺は鎌を握りしめた。 呼吸を止める。
――跳ね上がれ!
爆発するように地面を突き破り、俺は跳び上がった。 螯を広げ、目の前の青緑に輝くケルビの首筋を狙って振り下ろす!
鋭い金属音。 血飛沫。 悲鳴とともに地面に転がるケルビ。
一頭。仕留めた。
「キシャァァアァッ!!!」
思わず声を上げる。咆哮のような、歓喜のような、まるで勝利を知らせる太鼓の音のように、俺の喉から飛び出したその声は、ガミザミの鳴き声だった。
他のケルビたちは驚いて逃げていく。が、構わない。 目の前には、一頭の命が転がっている。
肉だ。 初めての、肉だ!
落ち着け、とりあえず安全な場所まで運ぼう・・・。
いや・・・でも、一口くらいなら・・・
その死体に近づき、俺は慎重に食いついた。牙で裂き、咀嚼する。
血の味。 筋肉の繊維。 噛めば噛むほど、エネルギーが身体に染み込んでいくような感覚。
(う、うめぇぇえぇ……!)
涙が出そうだった。
俺は両腕を空へ突き上げ、勝利のポーズを取った。
まるで、モンハンのクエストクリア画面のように、背景にファンファーレが流れているような気さえした。
ガミザミが、ケルビを倒した。
俺はついに、初めての狩りを成功させたのだ――!