「あぁもう、ベッタベタだよ。どうすんのさ、これ……。」
身体を少し動かすたびに、甲殻のどこかでぬちゃりと嫌な感触がする。
昨日の夜までは、せいぜい傷だらけで汚れている程度だった俺の身体が、今ではブラキの粘菌と唾液で見るも無残な状態になっていた。
しかも、その原因を作った本人はというと――。
俺のすぐ横で丸まり、満足したように身体を休めている。
さっきまであれだけ俺に擦り寄ってきたくせに、もう満足したらしい。
「……お前なぁ。」
ちらりとベイビーを見る。
反応はない。
「俺はお前の親じゃないんだぞ?ただの蟹なんですけど?」
当然、返事なんて返ってこない。
まあ、返事をされても困るんだけど。
俺は身体を見回す。
緑色の粘菌が、あちこちに残っている。
このまま放っておくのは危険だ。
昨日の爆発を思い出す。
「……よし」
「洗い流しに行こう」
このままここにいたら、寝返りを打った拍子にでも爆発しかねない。
昨日の痛みは、できればもう味わいたくなかった。
洞穴を出て、岩場を抜ける。
水場までは、それほど遠くない。
……と思っていたのだが。
後ろから、妙に一定の足音が聞こえる。
とことこ。
「……」
俺は振り返った。
ベイビーがいる。
「…………」
また歩く。
とことこ。
振り返る。
いる。
「……なんでついてくるんだよ」
俺が止まると、ベイビーも止まった。
俺が歩くと、また歩き出す。
「いや、だから……」
少しだけ先へ進んでから振り返る。
やっぱりついてくる。
「お前、俺についてきてるよな?」
ベイビーは何の疑いもなく不思議そうにこちらを見ている。
「……」
昨日助けたからだろうか。
それとも、単純に一緒にいるのが気に入ったのか。
どちらにせよ、置いていくのもなんとなく気が引ける。
「まあ……いいか」
俺は再び歩き出した。
後ろから小さな足音がついてくる。
なんだか妙な気分だった。
ゲームで見ていたときは、ブラキディオスなんて絶対に近寄りたくない相手だった。
それが今は、その幼体が俺の後ろをちょこちょこと歩いている。
「……人生、いやモンスター生って何が起こるかわからんな」
そんなことを考えながら、しばらく歩く。
やがて岩陰の向こうに、水面が見えてきた。
「おっ」
水場だ。
「ちょうどいい」
俺は足を速め、そのまま水際へ向かった。
まずハサミを水へ浸ける。
バシャッ。
「うおっ、冷てぇ!」
思わず身体が跳ねる。
暑いところにずっといたせいか余計に冷たく感じる。
「よし……」
今度は身体ごと水へ入る。
バシャバシャと水をかき分けながら、甲殻についた粘菌を落としていく。
水に触れた粘菌は少しずつ剥がれ、濁った水と一緒に流れていった。
「おお……落ちてる落ちてる」
ハサミを水の中で擦り合わせる。
甲殻の表面についたものも、身体を左右に振って水をかければ、だいぶ綺麗になっていく。
「昨日みたいに爆発しなくてよかった……」
しばらく念入りに洗ったところで、身体を水から出す。
そして自分の身体を確認する。
「……うん」
大部分は落ちた。
これなら、とりあえず安心だろう。
……ただ。
「ここだけはどうにもならんな」
左のハサミを見る。
以前の爆破の時にできた亀裂。
そこだけは奥まで水が届かなかったらしく、隙間に緑色の粘菌が残っている。
しかも、じっと見ていると。
ぬるっ。
「……おい」
隙間の奥から、ほんの少し粘菌が滲み出てきた。
「まだ出てくんのかよ……」
ハサミを振ってみる。
落ちない。
水にもう一度浸けてみる。
やっぱり奥に残っている。
「まあ、ここは後でどうにかするしかないか」
そう呟いて、今度は背中を見る。
ヤドの表面は綺麗になっている。
だが、その内側にはまだ妙な湿り気が残っていた。
昨日から今朝にかけて、あれだけベイビーに舐められたのだ。
どうやら唾液がヤドの隙間から少しずつ染み込んでしまったらしい。
さらに、その先。
ヤドに守られた俺のプルンプルンの急所にまで、ほんのりとその感触が残っている。
「…………」
「……あの」
「俺、ブラキじゃないんですけど?」
「寄生しないで?」
しかし、そこでふと別の考えが浮かんだ。
「……いや待てよ」
俺は左のハサミを見る。
亀裂の奥に残った緑色の粘菌。
そして、自分の身体に染み込んだブラキの唾液。
「もしかして……」
ブラキディオスは、幼い頃から粘菌と共生している。
最初から完全に扱えるわけじゃない。
何度も粘菌に触れながら、その身体が適応していく。
「だったら俺も、適応できたりするのか?」
ハサミを眺める。
もし本当に扱えるようになったら。
毒とは別の武器になる。
爆破属性なんて、使えるようになったら相当強そうだ。
「……まあ、適応するまでがクソ痛そうだけど」
昨日の爆発を思い出す。
「何回もあれを食らうのは勘弁だな」
そんなことを考えていると――。
バシャァッ!
「ん?」
突然、水音が響いた。
振り返る。
ベイビーが水の中に入っていた。
しかも俺の真似をしているのか、楽しそうに水を跳ね飛ばしている。
「……お前、水遊びしていいのかよ」
俺が粘菌を洗い流しているのを見て、真似しているらしい。
だが、こいつの場合は話が違う。
「粘菌なくなるぞ?」
ベイビーは聞いているのかいないのか、さらに水を跳ねさせる。
「……」
俺はしばらく、その様子を眺めていた。
せっかく育てている粘菌を自分から洗い流しているのに、本人はいたって楽しそうだ。
「まあ……お前が楽しいならいいけどさ」
ベイビーは水の中で身体を揺らしている。
その姿を見ているうちに、ふと考える。
こいつはこの先、どうするんだろう。
親も見当たらない。
このまま一匹で生きていけるのか。
そもそも、俺だってまだこの世界で生き残るのに精一杯だ。
「……」
それでも。
ここまで付いてくるなら。
「どうせなら、戦力として育てるか?」
ハサミを軽く鳴らす。
「一緒に強くなったほうが、生き残るには都合がいいしな」
水の中では、そんな俺の考えなど知る由もないベイビーが、また楽しそうに水を跳ね飛ばしていた。