余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

10 / 38
先日、怪啖屋のメインストーリーをやりました。とても素晴らしかったです。
あのストーリーを受けて、書きたい描写ができたので、プロットを大幅に変更しました。

設定を練り直す関係上、投稿間隔が空く場合がありますが、ご了承いただけると幸いです。

よろしくお願いします。


10. 籠の中の太陽

その日、天宮ひかりの世界は、いつもと同じ完璧な調和に満ちていた。

 

新エリー都の摩天楼の中でも、ひときわ高くそびえる天宮家の高層邸宅。

 

その最上階にある彼女の部屋には、床から天井まで続く巨大な窓が設えられていた。

 

特殊な強化ガラスで作られたその窓は、あらゆる物理的・電子的攻撃を遮断する鉄壁の盾でもあった。

 

太陽の光は届く。

 

しかし、都市の喧騒も、危険も、そして自由も、この窓を越えてくることはない。金色の籠。

 

「ひかりお嬢様、こちらが今週の天宮慈善基金に関する活動報告書になります。当主様もすでに概要はご確認済みですが、詳細の確認と、緊急性の高い案件への指示はお嬢様にお任せするようにと」

 

背後から、老執事ヴァレリウスの穏やかな声が響く。

 

ひかりは、純白のグランドピアノに向かうのをやめ、優雅な仕草で振り返った。

 

その微笑みは、非の打ちどころのない、まさに「新エリー都の若き太陽」そのものだった。

 

天宮家の当主である父親は、TOPSの冷徹な実力主義の中で生き残るため、常に政治とビジネスの最前線にいる。

 

そして、一族の「良心」であり「広告塔」である慈善事業の運営は、その顔として最もふさわしいひかりに、幼い頃から一任されていた。

 

それは、彼女への信頼の証であると同時に、彼女を「天宮家のひかり」という役割に縛り付ける、巧妙な教育でもあった。

 

「ありがとう、ヴァル。…もう、またホロウ災害の被災者リストが増えているわ。TOPSの人たちはこういう時だけ動きが鈍いんだから…。すぐに支援物資を手配してちょうだい。特に、子供たちのための教育用端末と、暖かい食事を優先して。未来への投資を惜しんではダメよ」

 

「かしこまりました。すぐに手配いたします」

 

彼女は淀みなく指示を出す。

 

その声も、表情も、完璧だった。

 

けれど、その瞳の奥には、誰にも見せることのない、深く、そして静かな退屈と、何かを渇望するような光が宿っていた。

 

執事が静かに退出した後、ひかりは部屋の奥にある、もう一つの扉を開けた。

 

そこは、窓が一切ない、壁一面が高解像度のディスプレイに囲まれた彼女だけの書斎兼情報室だった。

 

指先一つでディスプレイを切り替える。

 

美しい風景が消え、そこに映し出されたのは、暗号化された無数のテキストデータだった。

 

彼女が、この街の裏側の情報を集め始めたのには、きっかけがあった。

 

あれは、2年前のこと。

 

彼女が心血を注いでいた、身寄りのない子供たちのための小さな図書館を建設するプロジェクト。

 

それは、TOPS内の派閥争いやTOPSに名を連ねたい企業による執拗な妨害工作によって、頓挫させられた。

 

資材の搬入遅延、建設予定地の地権を巡る嫌がらせ、そして、最後には建設作業員への暴行事件。

 

全てが「不運な事故」として処理され、天宮家の純粋な善意は、TOPSの権力闘争の前に、あまりにも無力だった。

 

その時、彼女は悟ったのだ。この街で、ただ清く正しくいるだけでは、何も、誰も守れない。

 

本当の意味で善意を貫くためには、悪意を知り、その動きを予測し、対抗する力が必要なのだと。

 

それ以来、彼女は誰にも知られず、都市の裏側の情報を収集・分析し続けていた。

 

しかしその情報は、ヴァレリウスが当主の指示でフィルタリングをかけた、あくまで「政治的」な暗闘や裏取引の情報。

 

人体実験のような、人の心そのものを壊しかねない深淵の情報は、まだ彼女の目には届かない。

 

それは、当主の「娘にはまだ早い」という親心と、「この街の最も醜い部分は、全て自分が引き受ける」という覚悟の表れであることを、ヴァレリウスは静かに理解していた。

 

ひかりがアクセスできる情報網の中に、最近、ひときわ彼女の興味を引くものが二つあった。

 

一つは、裏社会で囁かれる「ゴースト」

 

旧文明の遺物を狙い、高度なハッキング能力で神出鬼没に現れる、危険だが価値のある存在。

 

賞金稼ぎたちが血眼になって追い、その調査に乗り出しているという。

 

もう一つは、市民の間で語られる「謎の子供の影」

 

ホロウ災害の現場に現れ、人知れず人々を救い、失くした人形まで修復して返す、正体不明の救い主。

 

その目撃情報は、常に断片的で、まるで御伽話のようだった。

 

「真逆の噂…。でも、どちらも『子供』で、『正体不明』なのね…」

 

彼女は、この二つの噂が、同一人物を指しているのではないかと直感していた。

 

そして、その矛盾した行動原理に、強烈な違和感と、それ以上に強い興味を抱いていた。

 

ひかりは、この「ゴースト」の行動に、自分がずっと探し求めていた、純粋な「善意」のきらめきを感じ取る。

 

彼女自身の日常もまた、多くの人を救うための善意で満ちている。天宮家が掲げる理念は本物であり、ひかりも心からその活動に打ち込んでいた。

 

しかし、その一つ一つが、常にTOPS内での立場や、一族の利益といった「戦略」と結びついていることにも、彼女は薄々気づき始めていた。

 

誰かを助けるという純粋な気持ちが、いつの間にか数字や報告書に変わってしまう。

 

そのことに、言葉にできないもどかしさを感じていたのだ。

 

しかし、「ゴースト」の行動は、彼女が知るどの悪意とも、どの計算された善意とも異なっていた。

 

裏社会のチンピラと争ったかと思えば、ホロウ災害の現場で名もなき親子を救う。

 

その行動には一貫した目的が見えず、あまりにも衝動的で、非効率的だ。

 

何より、その存在は徹底的に匿名を貫き、誰からの賞賛も求めない。

 

影響力や評判といった『リターン』を一切計算に入れないその行動こそ、この街の闇を知るひかりにとって、信じがたいほどの『純粋な善意』に見えたのだ。

 

「ヴァル。明日の午後の予定、全てキャンセルしてちょうだい。少し、『お散歩』に出かけたくなったの」

 

ひかりは、内線でヴァレリウスを呼び出すと、悪戯っぽく笑った。

 

「お嬢様。またですか。ご当主様にお叱りを受けますぞ」

 

電話口から、困り果てたような、しかしどこか楽しんでいるような執事の声が返ってくる。

 

「大丈夫よ。SPたちには、いつもの『体調不良』ってことにしておいて」

 

「…承知いたしました。裏口に、いつもの『お散歩用』の車を回しておきます。くれぐれも、ご無理はなさいませんように」

 

彼女は、SPや執事の監視をかいくぐり、自らの持つ情報網と行動力を駆使して、「ゴースト」を保護し、その孤独な戦いを終わらせるために動き出す。

 

彼女にとって、メグを救うことは、自分自身を「籠」から解放するための、「自分のための冒険」なのだ。

 

***

 

崖っぷちに追い詰められ、自らホロウに飛び込むことを覚悟した、その瞬間。

 

賞金首の放った一撃が私を襲った。

 

それを避けようとして体勢を崩し、私は自らの意志とは少し違う形で、ホロウの裂け目へと落下した。

 

そこで、私の意識は一度途切れた。

 

次に気づいた時、私は硬い地面の上に倒れていた。

 

腕の中には、傷だらけのシロが、かろうじて機能維持のランプを点滅させている。

 

「クラヴィス…ここは…?」

 

《デッドエンドホロウの深層部。空間転移の衝撃で、座標が大きくずれた。…警告。エーテル濃度が極めて高い。君の身体ではあと30分もたない。常に私の身体最適化と、エーテルエネルギー変換を最大効率で稼働させているが、それでも限界が近い》

 

周囲には、これまで見たこともないような、より強力なエーテリアスが蠢いていた。

 

ねじ曲がった地下鉄の車両が墓標のように突き刺さり、壁からは不気味な色の結晶が生え、空気が重く淀んでいた。

 

「…あそこ。何か、重い気配がする。すごく、大きくて、嫌な感じ…」

 

私の「アンテナ」が、瓦礫の山の向こうに潜む、強大なエーテリアスの存在を捉える。

 

それは、このホロウのヌシ、「デッドエンドブッチャー」かもしれない。

 

《了解。その反応を基にルートを再計算。我々の目的は戦闘ではない。生存だ。左手の、崩れた通気ダクトを進め。奴の縄張りを迂回できる》

 

私は傷ついたシロを強く抱きしめ、クラヴィスの指示通りに、狭く暗いダクトの中を這うように進む。

 

《停止。前方30メートル、巡回型のエーテリアスが通過する。15秒間、完全に沈黙しろ。呼吸も最小限に》

 

私は息を殺し、壁に体を押し付ける。ダクトの隙間から、巨大な影が通り過ぎていくのが見えた。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。

 

絶望的な状況の中、クラヴィスが活路を見出す。

 

《…異常な空間歪曲を検知。このホロウの中に、極めて安定した低エーテル領域が存在する。旧文明の遺物…おそらくは、旧都の地下緊急避難シェルターだ。そこへ向けば、一時的に退避できる可能性がある》

 

私は、最後の力を振り絞り、シロを抱えてシェルターへと向かった。

 

***

 

ひかりは、自室でリアルタイムに更新される都市の情報を分析していた。

 

彼女の端末には、何でも屋の邪兎屋と賞金稼ぎたちがデッドエンドホロウの入り口で衝突し、ターゲットである「ゴースト」がホロウの裂け目に落下したという、断片的な速報が次々と流れ込んでくる。

 

「…やっと尻尾を掴んだわ」

 

これまで、ひかりが追っていた「ゴースト」の痕跡は、あまりにも微弱で、すぐに消えてしまうものばかりだった。

 

まるで、その存在を世界に悟られないように、常に誰かが情報を消去しているかのように。

 

だが、今回は違った。

 

デッドエンドホロウという高濃度のエーテル空間に飛び込んだ瞬間、「ゴースト」が発する特異な信号が、異常なまでに増幅されたのだ。

 

それは、嵐の中の一瞬の閃光のように、ひかりの監視網に、鮮明な軌跡を残した。

 

「ヴァル、旧都の地下構造図、最高解像度のものを今すぐここに」

 

執事が即座にデータを転送する。

 

ひかりは、ホロウの推定汚染範囲と、旧都のインフラマップを重ね合わせ、驚くべき速度で思考を巡らせた。

 

「あの危険なホロウに、子供が一人で飛び込んだ…。常識的に考えれば生存は絶望的よ。でも、『ゴースト』はこれまでも常識外れの行動で生き延びてきた。もし、彼女に生存の意志があるなら…そして、彼女が旧文明の遺物に詳しいという噂が本当なら、向かう場所は一つしかないわ」

 

彼女が指し示したのは、ホロウの深層部に存在するはずの、公式記録からも抹消された「旧都の地下緊急避難シェルター」だった。

 

「ヴァル、このシェルターには、地上に繋がる秘密のメンテナンス用搬入口があるはずよ。先回りして、彼女を待つわ」

 

「お嬢様。いくらお忍びとはいえ、お一人でホロウの近くへ行かせるわけにはまいりません。このヴァレリウス、お供させていただきます」

 

「ふふ、分かってるわよ。ヴァルがいないと、私、何もできないもの。…さ、準備をしましょうか」

 

ひかりは、いつもの純白のドレスを脱ぎ捨て、天宮家が特注した、純白の耐エーテル防護服に身を包む。

 

それは、およそ戦闘用とは思えないほど優雅なデザインだったが、機能性は最高レベルのものだ。

 

ヴァレリウスもまた、いつもの執事服の下に、特殊なアーマーを装着し、腰には一見するとただのステッキにしか見えない、仕込み武器を携える。

 

準備が整うと、ヴァレリウスは、あらかじめ用意していた車に乗り込み、ひかりが提示したポイントに急行した。

 

***

 

秘密の搬入口からシェルターへと続く地下通路は、二つの世界を分かつ境界線のようだった。

 

ひかりが今まで生きてきた、清潔で、管理された光の世界。

 

そして、これから足を踏み入れる、ホロウに侵食された、混沌と危険に満ちた影の世界。

 

一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わるのを肌で感じた。

 

静まり返ってはいるが、時折、壁の向こうからエーテリアスの不気味な鳴り声が聞こえてくる。

 

「お嬢様、お下がりください」

 

通路の角から、小型のエーテリアスが数体、飛び出してきた。

 

ひかりが後ずさるより早く、ヴァレリウスが前に出る。

 

ステッキから抜き放たれた細身の剣が、閃光のように煌めき、エーテリアスたちは音もなく切り伏せられていった。

 

「ありがとう、ヴァル。やっぱり、あなたがいると安心ね」

 

「お嬢様をお守りするのが、私の役目ですので」

 

二人は、何事もなかったかのように、シェルターの扉へと向かう。

 

***

 

ボロボロの体を引きずり、私はようやくシェルターの分厚い扉にたどり着いた。腕の中のシロは、完全に沈黙している。

 

《エーテル汚染レベル、87%。危険域だ。早く中へ》

 

クラヴィスの警告が、霞む意識の中で響く。

 

私は朦朧とする意識の中、扉の認証パネルに手を伸ばすが、寸前で頭痛により蹲る。

 

もうここまでだ。そう思った時。

 

プシュー、と空気の抜けるような軽い音を立てて、固く閉ざされているはずの扉が、静かに内側へと開いていく。

 

漏れ出したのは、温かい光。

 

ホロウの禍々しい紫色の光とは違う、柔らかくて、優しい、本物の光。

 

光の中に立っていたのは、私と同じくらいの年頃の、太陽のように明るい笑顔を浮かべた少女だった。

 

汚れ一つない純白のドレス。綺麗に整えられた長い髪。

 

そして何より、私に向ける、一切の警戒も、好奇心も、憐れみさえもない、ただ真っ直ぐな、曇りのない瞳。

 

「見つけたわ、『ゴースト』さん。いいえ…あなたは、そんな名前じゃないわよね」

 

***

 

私は、生まれて初めて見る、あまりにも眩しい「光」の存在に、言葉を失う。

 

彼女が向ける、計算も裏切りもない、純粋な善意。

 

それは、私が最も恐れていたものだった。

 

《警告!正体不明の人間との接触!極めて危険だ!直ちに離脱せよ!》

 

クラヴィスの警告が、脳内にけたたましく鳴り響く。

 

でも、もう私の体は、指一本動かすことさえ億劫だった。

 

視界が、白い靄に包まれていく。

 

ひかりは、怯えるメグに向かって、ゆっくりと一歩近づき、そっと手を差し伸べる。

 

「怖がらないで。私は、あなたの敵じゃないわ。ただ、あなたと『お友達』になりたいだけなの」

 

その優しい声が、まるで遠い世界の音楽のように聞こえる。

 

差し伸べられた白い手と、彼女の心配そうな顔が、だんだんとぼやけていく。

 

ああ、ダメだ。

 

エーテル汚染が、もう限界なんだ。

 

私は、その手を取ることも、拒絶することもなく、ただ、彼女の目の前で、

 

糸が切れた人形のように、静かに意識を手放した。

 

***

 

「きゃっ…!」

 

ひかりは、糸が切れたように倒れ込むメグを、慌てて抱きかかえた。

 

その瞬間、彼女の完璧な微笑みが凍りつく。

 

「ヴァル!この子…!」

 

「お嬢様、お下がりください」

 

ヴァレリウスが素早く駆け寄り、メグの状態を確認する。

 

彼の表情が、厳しいものに変わった。

 

「ひどい状態です。全身に打撲と裂傷…腕には火傷の痕跡も。ですが、それ以上に…このエーテル汚染レベルは…常人であれば即死していてもおかしくありません」

 

ひかりは、メグのボロボロの服から覗く無数の痣や、血の滲む傷口を見て、息をのんだ。

 

自分より幼い、あまりにも小さく、痩せた体。

 

一体、この子がこれまでどんな過酷な時間を過ごしてきたというのだろう。

 

「…ひどいわ…。こんなになるまで、たった一人で…」

 

彼女の瞳から、退屈の色が完全に消え失せ、強い意志の光が宿る。

 

「ヴァル、急いで!この子を屋敷に運ぶわよ!最高の医療チームを準備させて!絶対に、助けるの!」

 

「…かしこまりました」

 

ヴァレリウスは、お嬢様の瞳に宿った、これまで見たことのないほどの強い光を見ながら、静かに頷いた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。