余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

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11. 差し伸べられた手、握れない心

意識は、軋むような痛みの底から、柔らかすぎる感触の中へとゆっくりと浮上した。

 

私が最後に見たのは、純白のドレスをまとった少女が、私に向かって差し伸べる手だった。

 

ゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは、豪華で、広すぎるほどの寝室だった。

 

高い天井にはシャンデリアが輝き、床から続く巨大な窓からは、太陽の光が差し込んでいる。

 

「…ここは…?」

 

私の声は、ひどく掠れていた。

 

《天宮家の邸宅内にある、私設医療施設の一室だ。君が意識を失っている間、私は君の聴覚センサーと『アンテナ』機能だけを最低限稼働させ、情報を収集していた》

 

クラヴィスの声が、頭の中に響く。

 

彼の言葉と共に、私の脳内に断片的な音声データと、それを補完する情報が表示された。

 

音声データ1(ひかり):「ヴァル、急いで!この子を屋敷に運ぶわよ!最高の医療チームを準備させて!」

 

『対象:天宮ひかり。音声データと周辺ネットワーク情報から、TOPS財政ユニオン所属、天宮家の令嬢と断定。慈善事業家として知られている』

 

『…メグ。君の『前世』の記憶に、この『天宮家』に関するデータはあるか?』

 

「…ううん。知らない…。TOPSに、そんな家、あったかな…?」

 

私の記憶が確かなら、「天宮家」なんていう一族は存在しなかったはずだ。

 

音声データ2(医師):「ひどいエーテル汚染レベルだ…すでにエーテリアスになっていてもおかしくないぞ…」

 

『彼らの医療技術は、讃頌会のものとは根本的に異なる。君の身体から汚染を除去し、純粋な治療行為のみを行っていることを確認』

 

安全な環境。手厚い看護。

 

ベッドサイドには、修復され、新品のように輝くシロが静かに座っていた。

 

私が身じろぎすると、シロは「ピュイ」と短い電子音を鳴らし、心配そうにこちらを見つめてくる。

 

しかし、この充実した環境は、私に讃頌会の実験室を彷彿とさせた。

 

私はシロの頭をそっと撫でながらも、決して警戒を解くことはなかった。

 

***

 

部屋のドアが静かに開き、ひかりが入ってくる。

 

その気配に、私は咄嗟に身構え、ベッドの上を後ずさり、壁際に追い詰められた。

 

「おはよう。気分はどうかしら?」

 

その曇りのない笑顔が、私のトラウマを容赦なく刺激する。

 

ひかりは、怯える私の様子を見て、心配そうに眉を寄せると、それ以上近づくのをやめた。

 

「ごめんなさい、怖がらせるつもりはなかったの。…ひどい怪我だったと聞いているわ。それに、そのボンプも…。もう、大丈夫よ。ここは安全な場所だから」

 

ひかりは、私が強く抱きしめるシロに視線を送り、優しい声で語りかける。

 

「あなたが『ゴースト』なのね。噂では、とても危険な存在だって聞いていたけれど…。でも、私にはそうは見えないわ。ただ、傷ついて、何かに怯えている女の子にしか…」

 

「データセンターで、親子を助けたという話も聞いたわ。あなたは、優しい人なのね」

 

その真っ直ぐな言葉は、私を案じているかのように優しいものだ。

 

《…報告。対象の言葉は、極めて感情的だ。だが、彼女の生体反応…心拍数、発汗、声のトーン…その全てに、嘘や欺瞞の兆候は検出されない。信頼性は…78%》

 

私は何も答えない。ひかりは、少し寂しそうに微笑んだ。

 

「また来るわ。何か必要なものがあれば、そこのボタンで人を呼んでちょうだい」

 

彼女はそう言って、静かに部屋を出て行った。

 

一人残された部屋で、私は混乱していた。

 

あの優しさは、本物なのだろうか。

 

いや、そんなはずはない。優しさはいつだって私に牙を剥く。

 

 

しばらくしてその沈黙を、クラヴィスが破った。

 

《メグ。これまでの受動的な戦略は限界に達した。我々は追い詰められ、君は死の淵を彷徨った。戦略を転換する必要がある》

 

「…どうやって?」

 

《君の『前世の記憶』を、本格的に活用する。あれは、この世界の未来を記述した、今後の行動指針に欠かせないものだ》

 

「本格的に…?でも、今までも使ってたじゃない。私が何かを思い出すたびに、あなたはそれを分析してたでしょう?」

 

《訂正する。これまで私が行ってきたのは、君の記憶が引き起こす『情動反応』をリスクとして観測し、回避するためのものだ。記憶そのものを、未来予測のデータベースとして積極的に活用することはしてこなかった》

 

「…どうして?私の記憶が、役に立つって分かってたんでしょ?」

 

《理由は二つある。第一に、君の『前世の記憶』は、私にとって、感情という極めて非合理的なノイズにまみれた、信頼性の低い情報だった。観測可能な物理データと比較して、優先順位が低かった。

 

第二に、これが最も重要な理由だが、君がその記憶を深く思い出すことは、君の精神に多大な負荷をかける。

 

平穏だった前世と、この過酷な現実との差を強制的に認識させる行為は、君を傷つけるだけだ。ホストの精神的安定を損なうことは、私の最優先事項である『君の生存』を脅かす最大のリスクだった。だから、避けてきた》

 

「…私の心を…守ろうとしてくれてたんだね」

 

《感傷的な解釈だ。私はただ、君の精神的負荷がもたらすリスクを、合理的に回避していたに過ぎない》

 

「…うん。それでも、ありがとう」

 

私の声は、少しだけ震えていた。でも、それは恐怖からではなかった。

 

《…礼は不要だ。それより、本題に戻る。状況は変わった。我々はもはや、ただ逃げるだけでは生き残れない。君の記憶にある『今後起きる未来の出来事』を予測し、危険な事象には事前に介入、もしくはそれを避ける必要がある》

 

「…未来を、予測する…」

 

《そうだ。君が知る、今後発生する事象の時系列、各個体の行動原理、重要物資の所在地…それら全てを、君が思い出し、私が整理し、データベース化する。君の記憶を、我々が生き抜くための『武器』にするんだ》

 

私は、ベッドサイドのシロに目をやった。そして、いつも私を助けてくれているクラヴィスに思いを馳せる。

 

「家族」を守るためなら、私の「思い出」が、冷たい「武器」に変わってもいい。

 

「…やるよ。私の記憶が、あなたとシロを守る武器になるなら」

 

***

 

メグがまだ深い眠りについている頃、場面は天宮家の私設医療施設の一室へと移る。

 

ひかりの執事ヴァレリウスが、治療を終えた医療チームの責任者から報告を受けていた。

 

「…ヴァレリウス様。彼女の身体的な治療は完了しました。ですが、いくつか不可解な点が…」

 

「…詳しくお聞かせ願えますかな」

 

「まず、今回の戦闘によるものと思われる新しい傷が全身に。打撲、裂傷、そして腕部には爆風によるものか…重度の火傷の痕跡が見られます。ですが、それ以上に不可解なのは、それらの下に隠れるように存在する、無数の古い傷跡です。治癒痕から見て、長期間にわたって体系的な虐待…いえ、これはもはや『実験』と呼ぶべきでしょう。無数の注射痕、そして頸部にある、我々の技術をもってしても完全に解明できないほどの、極めて高度な外科手術の跡…」

 

医師は言葉を続け、タブレットに表示したデータをヴァレリウスに見せる。

 

「そして、これが最大の問題です。彼女の血液中から、未知のナノマシンが検出されました。極めて微細で、自己増殖と修復機能を持つようです。このナノマシンが、彼女の驚異的な回復力と、致死量のエーテル汚染に耐えられた原因であると推測されます。…正直に申し上げて、これはもはや、我々が知る医学の領域を超えています。まるで、彼女の体そのものが、一つの精密な機械であるかのようです」

 

ヴァレリウスは、その衝撃的な報告を、表情一つ変えずに聞いていた。

 

しかし、その固く握られた拳は、彼の内心の激しい怒りを物語っていた。

 

「…何ということを…」

 

普段の彼からは想像もつかない、低く、地の底から響くような声が漏れる。それは、長年仕えてきた医師でさえ初めて聞く、彼の感情が剥き出しになった声だった。

 

「…失礼。少々、取り乱しましたな。…承知いたしました。その件、他言無用にてお願い申し上げます。特に、ひかりお嬢様には、まだお知らせする必要はございません。あの方の優しすぎる心に、このような闇を見せるわけにはまいりません。当主様には、このヴァレリウスが、直接ご報告差し上げます」

 

彼は、この少女がただの迷子ではない、天宮家を、そして新エリー都全体を揺がしかねない、巨大な秘密を抱えていることを確信する。

 

***

 

場面は「Random Play」へ。

 

「ゴースト」の痕跡が完全に消えたことで、ニコは苛立ち、アキラとリンは途方に暮れる。

 

「あの子、本当にホロウに飲まれて死んじゃったのかしら…。あんたたちから頼まれた金庫の件も、全然進んでないし!最悪よ!」

 

《マスター、興味深いデータがあります。『ゴースト』が最後に観測されたデッドエンドホロウで発生した空間座標の崩壊…あれは、対象が消滅したのではなく、別の座標へ強制的に転移させられた可能性があります》

 

「えっ、それってどういうこと!?」

 

リンが、目を輝かせて身を乗り出す。

 

《つまり、『ゴースト』は生存のために意図的に崖縁に移動し、ホロウの強制転移を利用した可能性があります》

 

「そんなことあり得るの?もしそれがホントなら、ホロウを操っているようにも聞こえるけど…」

 

リンたちの間に静寂が訪れる。

 

その沈黙をニコがいつもの調子で破る。

 

「『ゴースト』はまだ生きている可能性があるってことね!よし、決めたわ!」

 

ニコはソファから飛び起きると、アキラとリンに向き直った。

 

「あんたたちは、その『ゴースト』を探しなさい!あたしは、あんたたちに頼まれた通り、金庫の出所…赤牙組の根城を洗ってみるわ。どっちが先にお宝情報にたどり着くか、競争よ!」

 

彼らは、それぞれの目的のために、二手に分かれて調査を再開することを決めた。

 

***

 

一方、ヴォルフは、謎のクライアントに任務の失敗を報告している。

 

「…逃げられた。いや、死んだか。獲物は、あのデッドエンドホロウに呑み込まれちまった。あそこから生きて帰ったヤツを、俺は知らねえ」

 

《…そうか。惜しいことをしたな。だが収穫はあった。お前が奴と直接戦闘したことで、貴重なデータが取れた。一つ、聞かせろ。お前が対峙した『ゴースト』は…怯える子供だったか?それとも、冷たい機械だったか?》

 

「は?何を言ってやがる。…最初はただの怯えたガキだった。だが、追い詰められた瞬間、動きが妙に変わったんだ。無駄が一切ねえ。まるで、誰かに操られてるみてえに、一番嫌なところを的確に突いてきやがった。だが、その目にはまだ恐怖が残ってた…。気味の悪いガキだったぜ」

 

《…そうか。ならば、まだ『器』が勝っている、か。奴は生きて戻る。次の『狩り』の準備をしておけ》

 

通信が切れる。

 

ヴォルフは、クライアントの不可解な質問と、『器』という言葉に、ただならぬものを感じていた。

 

これは、ただの捕獲任務ではない。

 

裏で糸を引いているのは、ただの金持ちや組織じゃねえ…もっとヤバい連中だ。

 

ヴォルフは、強い疑念を抱く。

 

***

 

翌日、ひかりが再び私の部屋を訪れた。

 

その手には、温かいスープが乗ったトレイがあった。

 

「おはよう。…昨日はごめんなさい、怖がらせてしまったわね。ヴァルから聞いたわ、まだ固形物は難しいって。だから、スープを持ってきたの。ここに置いておくから、気が向いたら食べてみて」

 

ひかりは、私から距離を取ったテーブルにトレイを置くと、無理に話しかけようとはせず、静かに部屋を出て行こうとした。

 

その、背中に向かって。私は初めて、か細い声で問いかけた。

 

「…どうして、私を助けたの…?」

 

ひかりは振り返り、悪戯っぽく笑った。

 

「言ったでしょう?あなたと、『お友達』になりたいだけよ」

 

「…お友達…?」

 

私が、生まれて初めて口にする言葉だったかもしれない。

 

「ええ。噂では、あなたは『ゴースト』と呼ばれて、とても危険な存在だって。でも、私が見たあなたは、ただ必死に生きようとしている女の子だった。それに、誰かを助けたりもしていた。…私は、そんなあなたのことを、もっと知りたいと思ったの。ただ、それだけよ」

 

ひかりは、私の警戒を解くように、ゆっくりと続ける。

 

「だから、今はゆっくり休んで。あなたがここにいる限り、誰にもあなたを傷つけさせたりしないから」

 

一人残された部屋で、私はひかりの言葉を反芻する。その言葉に嘘はない。

 

クラヴィスの分析でも、そう出ている。

 

でも、染み付いたトラウマは拭えない。

 

あの研究員たちだって、最初はみんな、本当に優しかった。

 

私が、まだ何も知らなかった頃。

 

実験のない日には、お菓子をくれたり、絵本を読んでくれたりした。

 

『メグちゃんは、本当にいい子だね』って、頭を撫でてくれた。

 

その手は温かくて、私は、それが嬉しくて、何度も笑った。

 

あの頃は、信じてた。この優しさが、ずっと続くんだって。

 

でも、いつからかその生活は変わっていった。

 

『さあ、メグちゃん、いい子だからね。これは君を強くするための、大切なお注射なんだよ。ちょっとチクッとするだけだから』

 

その言葉の後には、いつも腕に太い針が突き刺さり、骨まで凍るような冷たい液体が無理やり流し込まれる感覚が待っていた。

 

『怖がらなくていいんだよ。このヘルメットは、君の特別な才能を測るためのものなんだ。少しだけ、頭がじんじんするかもしれないけど、すぐに終わるからね』

 

その言葉の後には、頭蓋骨が内側からこじ開けられるような激痛と、脳を直接焼かれるような灼熱感が、私の意識を何度も刈り取った。

 

『みんな、君のことが大好きなんだから。君は、我々の希望であり、最高傑作なんだ。さあ、この綺麗な空気をたくさん吸ってごらん』

 

その言葉の後には、甘い匂いのする紫色の霧を無理やり吸わされ、意識が遠のく中で、名状しがたい怪物の出る悪夢の中に突き落とされた。手足が自分のものじゃないみたいに動き、喉からは聞いたこともないような悲鳴が漏れ出した。

 

彼らの優しさは、私を油断させるためのもので、もっと深い絶望に突き落とすための、甘い毒だった。

 

そう考えれば、彼女の優しさが、いつか私を傷つける鋭い牙に変わらないと、どうして信じられる?

 

仮に裏表のない善意だったとして、私と関われば、ここの人たちも危険な目に遭うかもしれないし、私自身が彼女の優しさを汚してしまうかもしれない。

 

だから、彼女たちのためにも、差し伸べられた手を取ることはできない。

 

《報告。ホストのストレスレベルは、依然として高い警戒レベルを維持。天宮ひかりとの対話は、君の精神状態に予測不能な変数をもたらした。この環境は、我々の新戦略を実行する上で、最適な拠点となりうるが、同時に最大の不安定要素ともなりうる》

 

天宮家の医療とクラヴィスのナノマシンのおかげで、体の表面的な傷は驚くべき速さで癒えていく。

 

でも、リミッター解除の反動で悲鳴を上げた体の芯は、まだ鉛のように重い。

 

これは、ただの筋肉痛じゃない。体の奥の、もっと根本的な何かが悲鳴を上げているような、嫌な感覚だ。

 

今はまだ逃げられない。逃げたとしてもすぐに捕まってしまうだろう。

 

この体の奥底からの痛みが消え、そして、新しい武器を手に入れるまで。

 

それまではここにいよう。

 

私は、この部屋の隅々までを見渡し、クラヴィスと共に、静かに「逃走経路」の構築を始める。

 

この優しすぎる世界に飲み込まれないために。

 

いつか来るかもしれない苦しみに備えることだけが、今の私が自分を保つための唯一の方法なのだから。

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