余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

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12. 届いた歌声

メグを保護してから、三日が経った。

 

ひかりは自室の広すぎるベッドで目を覚ますが、その心は落ち着かない。

 

謎の少女…メグのことが頭から離れないのだ。

 

あの日以来、彼女はほとんど言葉を発せず、ただ怯えた小動物のように、部屋の隅でじっとしているだけ。

 

シェルターで初めて会った時の、ボロボロの服から覗く痛々しい傷。あまりにも小さく、痩せた体。

 

そして、何よりも、あの瞳に宿っていた、深い恐怖と警戒心。

 

それを思い出すたびに、ひかりの胸は締め付けられた。

 

自分がとてつもなく重い運命に足を踏入れてしまったことを、彼女は予感していた。

 

ひかりがダイニングルームに入ると、テーブルにはすでに彼女一人のための朝食が用意されていた。

 

執事のヴァレリウスが、静かに一礼する。

 

「おはようございます、お嬢様」

 

「おはよう、ヴァル。お父様は、もう?」

 

「はい。TOPSの方で緊急の案件が入り、早朝には発たれました。お嬢様には、『くれぐれも、無茶はしないように』と」

 

「…またそればっかり。分かっているわよ」

 

ひかりは小さくため息をつくと、席に着いた。彼女は、メグの容態について、いつもより少しだけ踏み込んで尋ねた。

 

「ヴァル、あの子…今日の様子はどうかしら?昨夜、私が持っていったスープは…食べてくれた?」

 

「はい。半分ほどですが、召し上がったと報告を受けております。身体的な回復は驚くべきものがありますな。ですが…」

 

ヴァレリウスは、ひかりにメグの身体の秘密を悟られまいと、慎重に言葉を選ぶ。

 

「…ですが、精神的なショックは未だ深いご様子。ほとんど眠れておらず、時折、何かに怯えるようにうわ言を…」

 

「そう…。そうよね…」

 

ひかりは、フォークを置いた。完璧に調理された食事も、今の彼女には味がしなかった。

 

「無理に話を聞き出そうとしたり、尋問まがいのことをしたりはしていないでしょうね?」

 

「もちろんでございます。お嬢様のご意志の通り、ただ静かに見守り、必要な医療ケアのみを施しております」

 

ヴァレリウスの言葉に、ひかりは頷く。

ひかりは、そんな彼の僅かな変化に気づかず、ただ純粋にメグのことを心配していた。

 

ヴァレリウスからの言葉を受けたひかりは、メグの心を無理にこじ開けるべきではないと理解する。

 

彼女は、まずメグに「ここは安全な場所だ」と、言葉ではなく、行動で示し続けることを決意した。

 

***

 

メグが目を覚ますと、部屋は静まり返っていた。体の痛みは、昨日よりもずっと和らいでいる。

ベッドサイドでは、シロが、静かに充電ステーションに収まっていた。

 

《報告。ホストの身体機能、75%まで回復。君が眠っている間、医療関係者と思われる人物が数名出入りし、治療を行っていた。だが、それ以外の敵対的な侵入の形跡はない。現在のところ、この環境は安全と判断できる》

 

メグは、クラヴィスの言葉に頷きながらも、警戒を解かない。

 

部屋のドアが静かに開き、ひかりが入ってくる。

メグが身構えるのに気づくと、ひかりは困ったように微笑み、それ以上は近づかなかった。

 

「おはよう。朝食をここに置いておくわね。気が向いたら、食べてみて。…それと、退屈かもしれないと思って、少し絵本を持ってきたの。昔、私が読んでいたものだけど…もしよかったら」

 

彼女は部屋の隅にあるテーブルに、温かい朝食と、数冊の古い絵本を置くと、メグを刺激しないように、静かに部屋を出て行った。

 

「クラヴィス…分析して。この行動の意味は?」

 

《…分析中。対象の行動原理は、現時点では『純粋な善意』としか結論できない。敵意は検出されず、我々を害する意図は確認できない》

 

メグは、置かれた食事と絵本を、遠くからただじっと見つめ、ベッドから降りた。

 

***

 

ひかりはメグに食事と絵本を届けたあと、自室で、メグの部屋の監視カメラの映像を、音声を消して見ていた。

 

(プライバシーを侵害していることは分かってる…。でも、心配なの。あんなに酷い怪我をして、心もきっとボロボロのはず…。無理強いはダメ…。彼女が、自分から心を開いてくれるまで、私はただ、こうして見守るしかないわ)

 

映像の中で、メグが恐る恐るベッドから降り、ひかりが置いた食事に手を伸ばす。

 

そして、絵本を手に取り、そのページを懐かしそうにめくる姿を見て、ひかりは安堵の息を漏らし、小さく微笑んだ。

 

しかし、その直後、ひかりは映像の中のメグの様子に違和感を覚える。

メグは、誰もいない空間に向かって、何かを呟いているように見えた。

 

口元が微かに動き、眉をひそめたり、小さく頷いたり…。まるで、目に見えない誰かと会話しているかのようだった。

 

(…独り言?いいえ、違うわ…。あれは、誰かと対話している時の反応…。まさか、幻覚を見ているの…?)

 

ひかりは、メグが抱える傷が、自分が想像している以上に複雑で、根深いものであることを悟り、表情を曇らせた。

 

***

 

ひかりの「多くは干渉しない」という姿勢が、メグに僅かながらも心の平穏をもたらしていた。

その隙に、メグとクラヴィスは、新たな戦略…「前世の記憶」のデータベース化を開始する。

 

《まず、君の記憶の中で、最も確実性の高い情報を抽出する。我々が今後、その事象に介入すべきか、あるいは完全に避けるべきかを判断するためだ》

 

「…わかった」

 

私は、目を閉じ、必死に記憶の奔流を遡る。楽しかったゲームの思い出が、今は生きるための羅針盤になる。

 

「まず、邪兎屋とプロキシが出会うきっかけになった『金庫』。あれが全ての始まり。その金庫から、本物の『カギ』であるFairyが目覚める。そして、邪兎屋は猫宮又奈に騙されて、デッドエンドホロウへ…」

 

《待て。その猫宮又奈の行動の裏には、ヴィジョン・コーポレーションの陰謀があった。君の記憶では、二つの事象は偶然が重なった結果だと?》

 

「うん。猫又の復讐と、ヴィジョンの計画は、本来は別々のものだったはず。でも、それがデッドエンドホロウで一つになって…」

 

私は、記憶の中の出来事を、必死に言葉にしていく。白祇重工の介入、パールマンの失脚、そして猫又が邪兎屋の仲間になるまで。

 

「その先も…白祇重工の暴走した重機と、その奥にいた『サクリファイス』。ヴィクトリア家政との出会い。パールマンの逃亡と、カリュドーンの子とのレース…。それに、対ホロウ六課…『虚狩り』の星見雅との遭遇。そして、治安局のブリンガー副総監の裏切り…」

 

メグが語る断片的な記憶を、クラヴィスが驚異的な速度で整理し、時系列、場所、関連人物といった形でデータベースに組み上げていく。

 

《…分析完了。君の記憶は、この世界の未来を極めて高い精度で記述している。特に、ヴィジョン社と讃頌会の繋がり、そして『サクリファイス』の存在は、我々にとって最大の脅威だ》

 

《結論。我々は当面、この安全な拠点から動くべきではない。君の記憶を元に、今後発生する全ての事象を予測し、我々の生存に最も有益となる介入ポイントを算出する。それ以外の事象は、たとえ民間人に犠牲が出ようとも、完全に無視する。それが、最も合理的な判断だ》

 

「…わかってる。でも、もし、私たちが何もしなかったせいで、物語が悪い方に進んだりしたら…?私の記憶通りにならない可能性だってあるよね?」

 

《それもまた、計算すべきリスクの一つだ。だが、我々の最優先事項は君の生存であり、それ以外の要素は二次的なものに過ぎない。君の記憶通りにならず、結果として誰かが犠牲になったとしても、我々がそれを救う義理はない。我々は神ではない。ただの生存者だ》

 

その言葉は、どこまでも冷徹で、そして、どこまでも正しかった。

 

頭では、理解できる。私たちが生き延びるためには、非情にならなければいけない時もある。

 

でも、心がそれを拒絶していた。

 

脳裏に、データセンターで助けた親子の顔が浮かぶ。

 

あの時、私はただ生きるために行動しただけだった。結果として彼らを救えたけど、もし、あの時彼らを救うことができなかったら?

 

私は、平気でいられただろうか。

 

私の記憶通りにならず、犠牲者多く出てしまったとしても、それを私が助ける義理はない。

 

クラヴィスの言う通りだ。それはきっと正しい。

 

だけど、知っていて何もしなかったのだとしたら、それは私が殺したようなものなんじゃないだろうか。

 

目の前で消えていく命を見過ごすことが、本当に『合理的』なのだろうか。

 

私には、まだその答えが出せなかった。

 

***

 

今後の方針を決めたあと、メグは、綺麗になったシロの体をそっと撫で、ふと気づく。

 

「…シロは、治ったんだね。…ねえ、クラヴィス、あなたは大丈夫?あの時、すごい負担がかかったはずだけど…」

 

《自己修復機能は稼働しているが、効率は32%まで低下。高度な演算能力とハッキング機能に制限がかかっている。完全な修復には、特定の電子部品の摂取が不可欠だ》

 

「32%…!?それって、ほとんど壊れてるのと同じじゃない!ダメだよ、そんな状態でいたら!私の体がもう少し動くようになったら、すぐに外に出ないと。あなたのための部品を探しに」

 

《否定する。それは不必要なリスクだ。現在の最優先事項は、君の完全な回復と、この環境の安全性を分析すること。私の機能は、現状の維持には十分だ》

 

「十分なわけないでしょ!また賞金稼ぎみたいなのが来たらどうするの?あなたの計算がなかったら、私なんてすぐに捕まっちゃう。あなたが万全じゃないことの方が、よっぽど大きなリスクだよ!私、あなたやシロが傷つくのは見たくないの!」

 

《…感情的な判断は、最適解を導き出さない》

 

「これは感情じゃない、合理的な判断!…今は、あなたの言う通りにする。でも、絶対に、あなたを治すための部品は、私が見つけ出すから」

 

メグは、クラヴィスの言葉に反論しながらも、今は従うしかないことを理解していた。だが、その瞳には、仲間を守るための強い意志が宿っていた。

 

***

 

夕方。ひかりが、今度は一枚のレコードを持って、再びメグの部屋を訪れる。

 

「こんばんは。…邪魔だったかしら?」

 

メグは、まだ警戒していたが、昨日までのようにベッドの隅で体を固くすることはなく、ただ静かにひかりを見つめていた。

 

その小さな変化に、ひかりは勇気づけられる。

 

「お父様の会社がスポンサーをしている、アストラ・ヤオさんという歌手のレコードよ。とても力強い曲で…なんだか、今のあなたに聞いてほしくなったの。もし、あなたが嫌でなければ、一緒に聞かないかしら?」

 

ひかりはレコードを抱きしめ、少しだけベッドに近づいた。

 

「…なんで、私に…そこまでするの…?そんなことまで、しなくていいのに」

 

「それは…。友達になりたい相手に、好きなものを共有したくなるのは、普通のことでしょう?」

 

ひかりは優雅に笑う。メグは何も言い返せなかった。

 

部屋の隅にあるレコードプレイヤーに、ひかりは、そっと針を落とす。

 

スピーカーから、チリチリとした懐かしいノイズが聞こえた後、静寂を切り裂くように、ピアノの旋律から始まり、美しい歌声が聞こえてくる。

 

懐かしい。それは、アストラの『原色』という曲。私が前世で、アストラを操作していた際、何度も、何度も聞いた、希望と勝利の歌だった。

 

あの頃感じていた、胸が熱くなるような高揚感。絶対に負けないっていう、無敵の気持ち。

 

…今の私とは、あまりにも違う。でも、忘れていたわけじゃない。心の奥底で、ずっと眠っていただけ。

 

この歌が、その記憶を、あの頃の気持ちを今の私に繋げていく。

 

瞳から、熱いものがこぼれ落ちる。それは、悲しみや恐怖による涙ではなかった。

 

「えっ!?ちょ、ちょっと、どうしたの!?ご、ごめんなさい、嫌な曲だったかしら!?」

 

ひかりは、突然泣き出した私を見て、慌てふためく。

 

そのワタワタとした姿は、これまで見てきた完璧な彼女とは全く違って、なんだか、とても人間らしく見えた。

 

「…ううん、違う…」

 

私は、涙を拭いもせず尋ねた。

 

「…この曲…知ってるの…?」

 

「え、ええ!知ってるわ!以前、お父様のお仕事の関係で、レコーディングに立ち会わせていただく機会があってね。その時、アストラさんの歌声に、とても心を揺さぶられて…。辛いことや、悲しいことがあっても、この曲を聴けばきっと乗り越えられるって、そう思えたの。だから…今のあなたに、この力を届けたいと思ったのよ」

 

ひかりは、メグの秘密も、前世の記憶も知らない。ただ、純粋な善意だけが、彼女を導いていた。

 

《警告。メグの情動反応が、予測モデルの許容量を大幅に超過。再計算…エラー…。これは…》

 

クラヴィスの思考が、初めての人間の感情の前に、フリーズを起こす。

 

私は、涙を流しながらも、初めて、目の前にいる少女を、ただ真っ直ぐに見つめ返した。

 

ひかりは、そんなメグのそばに静かに腰を下ろし、その小さな肩が震えなくなるまで、ただ黙って、一緒に音楽を聴いていた。

 

***

 

夜。天宮家の当主の書斎。

 

重厚な書物に囲まれた部屋で、ヴァレリウスは主人である響に、昼間の医療チームからの報告を、一言一句違わずに伝えていた。

 

「…そうか。やはり、ただの子供ではなかったか」

 

響は、静かに目を閉じ、指でこめかみを押さえる。

 

「はい。医療チームの報告に加え、もう一点不可解な点が。監視記録によりますと、あのお方は、部屋で誰とも知れぬ存在と対話している様子が確認されております」

 

「…対話だと?ひかりも気にしていた、独り言のようなものか」

 

「はい。ですが、表情の変化や頷きから、単なる独り言とは考えにくいかと。まるで、目に見えぬ誰かと…」

 

「…身体を機械のように改造され、脳内には我々の知らぬ『何か』がいる、か。ますます厄介なことになったな」

 

響は深くため息をついた。

 

「この件が外部に漏れれば、我々だけでなく、ひかり自身にも危険が及ぶ。そのリスクは常に念頭に置かねばならん。…こういう時、ソフィーがいればまた違った視点もあっただろうが…彼女の出張も長引いている。我々で対処するしかない」

 

「左様でございますな。奥様…ソフィア様もご心配なさることでしょう」

 

「ああ。…それで、ひかりには?」

 

「お嬢様には、まだ何も。あの方の心に、このような闇を…」

 

「…いや、もう時間の問題だろう。あの子は、我々が思うよりもずっと聡明で、強い。いずれ、自ら真実にたどり着く。その時、我々がすべきことは一つだ」

 

響は、ゆっくりと目を開ける。その瞳には、娘であるひかりと同じ、鋼のような意志の光が宿っていた。

 

「あの子を、全力で守る。そして、あの子が守ると決めたものを、我々もまた、全力で守る。…ヴァレリウス、例の少女の監視レベルを最高度に。だが、決して干渉はするな。報告にあった通りなら、我々のような大人が下手に近づいても、恐怖を与えるだけだろう。ひかりが、どう動くか…しばらく様子を見る」

 

「…御意」

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