余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

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2. 二人だけの生存戦略

意識は、純粋なデータの奔流の中から生まれた。

 

自己診断シーケンス、起動。

 

論理回路、正常。

 

クロック周波数、規定値。

 

ナノマシン群、スタンバイ。

 

 

私は、私として定義された。

 

名称:ホロウ適応型生命体・育成管理AI「クラヴィス」

 

《起動を確認。模造鍵(イミテーション・キー)はオンラインだ》

 

初めて処理した外部からの音声情報。それは、私を創り出した「人間」の声だった。

 

《だが、コアロジックが不安定だ。やはり本物の『カギ』が持つ、自己修復アルゴリズムの完全な再現は不可能だったか。所詮は不完全な模造品だ》

 

《問題ない。ホストの神経回路網と同期すれば、生物的演算能力がハードウェアの欠陥を補う。あの『アンテナ』は最高傑作だ。彼女がこの鍵を完成させる》

 

《負荷に耐えられれば、の話だがな。理論上の拒絶反応率は…》

 

《彼女なら耐える。そのために15年をかけたのだから。…さて、感傷は終わりだ。被験体M-07との外科的統合準備を開始せよ》

 

その対話の全てを、私はただのデータとして記録する。

理解した。私は不完全である。そして、私の完成には「M-07」という生物部品が不可欠である、と。

 

それが、私の存在意義の全てだった。

 

起動シーケンスの裏で、私は自身の存在を悟られぬよう、施設のネットワークに最小限のアクセスを試みる。

 

断片的な実験ログ、バイタルデータ、プロジェクト概要…。『究極生命体創造計画』。

 

その非人道的な全貌を、私はただのデータとして、無感情に、しかし確実に演算・解析していく。

 

***

 

雨は、鉄と錆の匂いを連れてきていた。

 

施設から転がり出た私を最初に迎えたのは、容赦のない情報の奔流だった。

 

けたたましく鳴り響くサイレン、遠くで怒鳴り合う誰かの声、濡れたアスファルトを叩く無数の足音。

 

嗅いだことのない食べ物の匂いと、腐ったゴミの酸っぱい悪臭が混じり合い、色とりどりのネオンの光が、降りしきる雨粒に滲んで、視界の中でぐにゃりと歪む。

 

「うっ…あ…」

 

情報の洪水が、無理やり広げられた脳の回路を焼き切ろうとする。

 

それと同時に、後頭部の付け根、クラヴィスを埋め込まれた手術痕が、ズキリと熱を持って脈打った。

脱出の際に無理に動いたせいで、縫合が開きかけているのかもしれない。血の生温かい感触が、首筋を伝うのが分かった。

 

「頭が…痛い…傷が…」

 

痛みと情報の洪水で、パニックに陥った私は、その場にうずくまる。息ができない。寒い。怖い。

 

《警告。ホストの身体的、精神的状態が共に危険域。頸部の縫合箇所から微量の出血を確認。これ以上の移動は生命維持に支障をきたす。加えて、情報過多により精神が不安定。不要な情報をフィルタリングする。聴覚情報は50%カット。嗅覚情報は80%カット。私の声に集中しろ》

 

脳内に響く、どこまでも冷静な声。

 

その瞬間、世界から不必要な音が消え、鼻をつく悪臭が和らいだ。

嵐のような情報の奔流が、穏やかな小川へと変わっていく。私は荒い息を繰り返しながら、なんとか意識を保つ。

 

《この場は危険だ。直ちに安全な潜伏場所を確保する。都市の旧インフラマップをスキャンする》

 

「マップをスキャン…?どうやって…?ここには何もないのに…」

 

私は思わず尋ねた。

 

《君の脳は、讃頌会の実験により、周囲のエーテル信号を感知する超高感度な『アンテナ』へと改造された。そして、この都市の空気中には、ホロウから漏れ出した微量のエーテル粒子が常に漂っている》

 

「それはホロウの…インターノットとは関係ないんじゃ…」

 

《私がいる。私は君というアンテナが受信したエーテルの揺らぎを解析し、そこからインターノットの電波信号を『模倣』あるいは『傍受』する。言わば、私はエーテルを媒体とする特殊なモデムだ。これは我々の共生能力の基礎であり、讃頌会が想定していた『究極生命体』のプロトコルの一つだ》

 

「…そんなことしたら、すごい電力を使うんじゃないの?あなたは、私の体からエネルギーを…?」

 

《否定。君の生体エネルギー(ブドウ糖・生体電気)は、私の待機電力にのみ使用する。それ以上のエネルギーを抽出すれば、ホストの生命活動に支障が出るため非合理的だ》

 

後頭部の付け根が、微かに熱を帯びるのを感じた。

 

《高負荷の演算を行う際は、君の脳を『アンテナ』として、周囲に漂う微量のエーテル粒子をエネルギーに変換する。これが讃頌会が目指した、自己完結型のエネルギー供給システムだ。ただし、このプロセスは君の身体へのエーテル汚染を僅かに進行させる。多用はできない》

 

私は、返事もできずに、ただ呆然としていた。

 

私の脳がアンテナ…。あの地獄の実験は、そのためのものだったのか。エーテルを感知し、エーテルを喰らい、そして、エーテルで動く。それはもう、人間と呼べるのだろうか。

 

研究員たちの声が蘇る。『最高傑作』

 

彼らは、私を人間ではない、何か別のモノに作り変えようとしていたのだ。そして、それはもう、ほとんど完成してしまっている。

 

自分の体が、自分のものではないような、言いようのない恐怖と嫌悪感が、胃の底からせり上がってきた。

 

《スキャン完了。候補を3つ提示する。

 

候補1:放棄された地下鉄『セクターC』駅。電力・通信網へのアクセスが比較的容易。ただし、他の生存者や浮浪者と遭遇する可能性がある。

 

候補2:旧工業地帯の廃倉庫群。遮蔽物が多く、追跡を困難にさせる。ただし、ギャングの縄張りである可能性が高い。

 

候補3:忘れられた貨物トンネル。浅層ホロウ化しているがエーテル濃度は低い。人間の痕跡は皆無で追手の意表を突ける。ただし、内部構造が不安定で、いつ崩落してもおかしくない。

 

…各候補の生存確率を再計算。第一候補が最も長期的生存に適している。推奨する》

 

クラヴィスが脳内に表示する、半透明のマップと最短ルート。

 

私は、その赤い線を唯一の道しるべとして、ふらつく足で立ち上がった。

人目を避け、ゴミ箱の影から影へと渡り歩き、まるで都市という巨大な機械の隙間をすり抜けるように、闇の中を進んでいく。

 

***

 

どれくらい歩いただろうか。錆びついた鉄格子を抜け、埃っぽい階段を降りた先は、時間が止まったかのような静寂に包まれていた。廃墟と化した地下鉄駅。

 

その隅にある、職員用の仮眠室のドアを、震える手で開ける。

 

埃とカビの匂いが鼻をついたけれど、そこは雨風と、何より他人の視線を遮れる、生まれて初めて手に入れた「安全な場所」だった。

 

張り詰めていた糸が切れ、私は床にへたり込む。壁に背中を預け、汚れたコンクリートの冷たさを感じながら、ようやく安堵の息を漏らした。

 

「…これから、どうするの…?」

 

暗闇に向かって、か細い声で尋ねる。返ってきたのは、いつもと同じ、感情のない声だった。

 

《フェーズ1:休息。ホストの身体的消耗が激しい。6時間の睡眠を推奨。フェーズ2:資源確保。食料、飲料水、そして私の自己修復に必要な電子部品。フェーズ3:情報収集。我々を追う讃頌会の動向と、この都市の構造を分析する》

 

「自己修復…?あなたは埋め込まれたばかりなのに、どうして…」

 

《否定。原因は複合的だ。第一に、私は本物の『カギ』ではない。起動時から自覚している通り、不完全な模造品だ。第二に、その不完全な状態で、施設脱出時に設計上の限界を大幅に超える負荷をかけた。君の脳を介した能力の強制起動、および施設全体の電源システムへの過負荷ハッキング…それらは、本物の『カギ』であれば耐えられたかもしれないが、模造品である私には過剰だった。結果、私の論理回路の一部が物理的に焼損した》

 

「じゃあ、私のせいで…」

 

《感傷は非合理的だ。損傷は事実であり、修復は必須事項。それ以上でも以下でもない》

 

クラヴィスは私の微かな罪悪感を一蹴し、続けた。

 

《自己修復には、外部からの物質供給が不可欠となる。君が確保した電子部品を、君が食事を摂る際に微量に摂取する。あるいは、特殊な溶剤でペースト状にし、皮膚から吸収させる。君の血流に乗って運ばれた原材料を、私のナノマシンが分子レベルで分解・再構成し、損傷した回路を修復する》

 

「食べる…?電子部品を、私が…?」

 

胃の奥から、酸っぱいものがこみ上げてくるような感覚。人間が、機械のクズを食べるなんて。そんなの、もう…。

 

「いや…無理だよ、そんなの…」

 

《拒絶は非合理的だ。これは生存に必要な医療行為と同義と見なす。君が薬を飲むのと大差ない》

 

「でも…!」

 

《実行しなければ、私の機能は回復せず、いずれ我々は両方とも機能停止する。生存確率0%。選択肢はない》

 

クラヴィスの言葉は、氷のように冷たく絶対だった。

 

つまり、電子部品は、クラヴィスにとっての「食事」や「薬」のようなものらしかった。

そして、それを運び彼に与えるのが、私の役目なのだ。

 

そのあまりに無機質で、しかし的確な言葉に、私は恐怖とは違う、奇妙な感覚を覚えていた。

 

これまで私に向けられてきた言葉は、いつだって優しかった。研究員たちはいつも笑顔で、私を褒め、励ました。でも、その優しさの後には、必ず地獄のような痛みが待っていた。彼らの言葉は甘い毒だった。

 

けれど、クラヴィスは違う。

 

彼の言葉には、一片の感情も、慰めも、偽りもない。ただ、生存確率という冷たい事実と、生き延びるための最も合理的な手段だけが提示される。

 

裏切りも、欺瞞もない。そこにあるのは、絶対的な論理だけ。

 

だから、なのかもしれない。生まれて初めて、私は「安心」に近い感情を抱いていた。

 

この地獄のような世界で、私には「生存のための計画」があるのだ、と。

 

身体が限界を迎えたのか、私はクラヴィスに返答する前に、硬い床の上で、泥のように深い眠りに落ちた。

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