余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

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21. 黎明の瞳、狼の矜持

ひかりさんに招待されて私たちは、彼女のお家に来ていた。

 

「うっわー…」

 

思わず、私の口から間抜けな声が漏れた。

 

隣でお兄ちゃんがやれやれって感じで肩をすくめるのが気配で分かる。

 

でも、しょうがないじゃん!

 

だって、目の前にあるんだもん。新エリー都の夜空に、宝石みたいに輝く一本の巨塔…天宮タワーが!

 

「ここが…ひかりさんのお家…。ホテルにもなってるって聞いたけど、ホロウで家をなくした人たちのための居住エリアとか、仕事まで用意してるんでしょ?ほとんど一つの街だよ!」

 

案内されたタワーの内部は、外観以上に、もうめちゃくちゃだった。

 

床は雲の上を歩いているみたいにピカピカだし、壁には見たこともない絵が飾ってあるし、すれ違う人たちはみんな、寸分の隙もない執事さんやメイドさんたちばっかり。

 

私とお兄ちゃんなんて、完全に場違いだ。

 

「皆様、こちらへ」

 

ヴァレリウスさんに導かれて、私たちが足を踏み入れたのは、最上階にあるプライベートラウンジだった。

 

壁一面の窓ガラスの向こうには、新エリー都の夜景が、まるで宝石箱をひっくり返したみたいにキラキラと輝いている。

 

「皆さん、本日は本当にありがとうございました。よくお越しくださいました」

 

純白のドレスに着替えたひかりさんが、優雅な、でも少しだけ疲れたような笑みで私たちを迎えてくれた。

 

その隣には、ひかりさんとは違う、もっと厳しくて、重いオーラを放つ男性が静かに立っている。

 

天宮響。ひかりさんのお父さんであり、この天宮家の当主。その人だった。

 

「娘が、そして新エリー都の市民が、君たちに救われた。ヴィクトリア家政の諸君、そしてプロキシ『パエトーン』。心から感謝する」

 

その言葉の重みに、ライカンさんが代表して恭しく一礼する。

 

「もったいないお言葉でございます、響様」

 

ヴィクトリア家政の皆は、もてなされる側に慣れていないのか、少し居心地悪そうにしている。

 

私もなんだかそわそわしてしまって、お兄ちゃんにこっそり耳打ちした。

 

「ねえ、お兄ちゃん。あの時、ひかりさんにちゃんと私たちの名前、言っておいてよかったね」

 

「…ああ。天宮家はTOPSの中でも、慈善事業に熱心だと聞いていたからね。それに、彼女のあの真っ直ぐな目を見ていたら、偽名を使う気にはなれなかった」

 

お兄ちゃんはそこで一度言葉を切ると、私にだけ聞こえるように、静かに続けた。

 

「…それに、リン。ひかりさんのような人がいるんだな。彼女はただ一人の友人を探しているだけじゃなかった。僕達が救助した市民に向ける眼差し…あれは本物だった」

 

お兄ちゃんの言葉に、私もこくりと頷く。

 

ただ友達を助けたいっていう真っ直ぐな気持ちだけじゃなくて、危険を顧みずに、知らない人たちのために本気で動ける人なんだって、あの時分かったから。

 

カローレ先生のことだって、きっと誰かが信じてくれたら…。

 

***

 

カローレ・アルナ。

 

兄弟が幼い頃から「先生」と呼び師事していた彼女はヘーリオス研究所の上級研究主任だった。

 

現在の彼女は、表向きには零号ホロウを暴走させ、旧都を陥落させた大罪人とされている。

 

だが、リン達は信じている。

 

「先生」がそんなことするはずないと。

 

旧都が崩壊するあの日、研究所が謎の兵士たちに襲撃され、カローレが不気味な『白い腕』に攫われていくのを、リンたちは見ていた。

 

彼女は罪人などではない。

 

巨大な陰謀に巻き込まれた、被害者なのだ。

 

いつか、零号ホロウの深部に眠る研究所の残骸を調査し、カローレの汚名をそそぐ。

 

それが、リン達がプロキシとして、仕事を請け負いながら、この街の裏側で生き続ける唯一の理由だった。

 

そしてその目的を誰にも明かすことはできない。

 

『夥しい犠牲者を出した大罪人』と呼ばれているカローレ。

 

その研究所にいた子どもたちは、社会において『罪人の子』と呼ばれている。

 

もしリンたちが、自分達の目的を言い、『罪人の子』だと明かせば、数多の被害者や真犯人から敵視され、襲われるだろう。

 

ゆえに、公的機関にも頼れず、仲間にも真意を明かすことを避けていた。

 

***

 

私たちの本当の目的は、誰にも話せない。

 

それでも、ひかりさんみたいに、ただ誰かを助けたいっていう真っ直ぐな人の力になれるなら、それはきっと、先生が信じていたことにも繋がるはず。

 

私たちの歩みが、間違いじゃなかったって思える。

 

そう思ったら、なんだかすごく嬉しくなって、思わず大きな声で言っちゃったんだ。

 

「わあ…!すごい眺め!ここからだと街の光が、星空みたいに見えますね!」

 

「リン、少しはわきまえなさい」

 

お兄ちゃんが、やれやれといった様子で私を窘める。

 

でも、響さんは気にした様子もなく、ふっと笑みを漏らした。

 

「ははは、構わんよ。素直な感想で、私も嬉しい。歓迎するよ、お嬢さん。長旅でお疲れだろう。まずはゆっくりと休んでほしい」

 

ひかりさんは、そんな私たちを見て、にこやかに言った。

 

「お食事の用意もしてあります。詳しいお話は、その後でゆっくりと。今は、難しい話は抜きにして、皆さんの労をねぎらいたいのです。私の大切な友人たちとして」

 

その真っ直ぐな言葉と瞳に、私たちの間に流れていた緊張の糸が、ふっと緩んだ気がした。

 

これから、きっとすごく大変な話になる。それは分かってる。

 

でも、今は少しだけ、この夢みたいな場所で、翼を休めるのも悪くないかもしれない。

 

私は、お兄ちゃんと顔を見合わせると、こくりと頷いた。

 

 

***

 

ラウンジに集った仲間たちが、天宮家のスタッフが用意した飲み物や軽食に、少しずつ緊張を解きほぐし始めた頃。

 

響は、ひかりにだけ聞こえるように、静かに声をかけた。

 

「ひかり、少しだけいいか」

 

「はい、お父様」

 

響は無言で頷くと、ラウンジの奥にある自身の書斎へとひかりを促した。

 

重厚なマホガニーの扉が、外界の喧騒を完全に遮断する。

 

そこは、天宮家当主のプライベートな領域であり、このタワーの中枢でもあった。

 

「…ひかり。お前がホロウにいる間、少し調べさせていた」

 

響は、書斎の中央に置かれたデスクの前に立つと、重々しく口を開いた。

 

「ヴィクトリア家政と、プロキシ『パエトーン』。彼らは、ただの便利屋ではない。特にヴィクトリア家政は、メイフラワー市長と深い繋がりがあるようだ」

 

「市長と…?」

 

「ああ。市長の意向で、任務を請け負っている可能性がある。そして、パエトーン…アキラとリンと名乗っていたな。彼らは、旧都列車爆破事件にも深く関わっている」

 

響の言葉に、ひかりは息を呑んだ。

 

「それだけではない。先日の司法府飛行船のハイジャック事件…表向きは邪兎屋の知能機械人が解決したことになっているが、あの時、ヴィクトリア家政の部隊が、墜落予測地点であったバレエツインズにいたことが確認されている。そして、そのすぐ近くで、パエトーンのボンプがいたことも確認されている」

 

「では、あの事件を本当に解決したのは…」

 

「確証はない。だが、ヴィクトリア家政が、バレエツインズでパエトーンと行動を共にしていたことは確かだ。偶然にしては、出来すぎているだろう」

 

響は、静かに、鋭く続ける。

 

「無論、彼らが悪事に加担したわけではないだろう。むしろ、事件の真相を追い、多くの市民を救ったという記録もある。だがな、ひかり。問題はそこではない」

 

響は、娘の瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

その視線は、父親として娘を案じる優しさと、当主としてリスクを計る厳しさが同居していた。

 

「彼らが市長と繋がっている可能性がある以上、我々TOPSの人間がこれ以上深入りするのは危険すぎる。

 

今回は『ホロウ災害』という、誰の目にも明らかな大義名分があった。

 

だが、今後も個人的に彼らと関わり続ける場合は別だ。

 

TOPSの連中は、我々が市長側に寝返ったと邪推し、足を引っ張ろうとするだろう。

 

逆に市長側も、TOPSの天宮が何を企んでいるのかと、腹の探り合いを仕掛けてくる。

 

最悪の場合、我々は双方から潰されかねん。

 

それでも、お前は彼らと協力し続けるのか?」

 

響の言葉は、重くひかりの肩にのしかかった。

 

TOPSと市長…二つの巨大な権力の間で、天宮家は容易く潰されかねない。

 

父の懸念は、あまりにも現実的で、正論だった。

 

だが、ひかりの脳裏に浮かぶのは、あの混沌としたホロウの中、背中を預けてくれた仲間たちの姿だった。

 

(危険なのは、分かっているわ。でも…)

 

ライカンさんの揺るぎない忠誠心。

 

リナさんの笑顔を絶やさず仲間を導く、指揮官のような気高さ。

 

エレンさんのぶっきらぼうな優しさ。

 

カリンさんの秘めた強さ。

 

そして、プロキシのお二人…アキラさんとリンさん。

 

彼らは確かに「裏」の世界の住人なのかもしれない。

 

けれど、あの場で私が見たのは、ただのプロフェッショナルな顔だけではない。

 

仲間を案じ、市民の無事を心から喜ぶ、確かな人間としての顔だった。

 

(メグを救うためには、表の世界にいるだけでは駄目なのよ…)

 

闇の中にいるあの子の手を掴むには、自分もまた、その灰色の中間領域に足を踏み入れる覚悟が必要だ。

 

そして、そこに生きる彼らを信じる心が。

 

ひかりの中で、恐怖を凌駕するほどの強い決意が固まる。

 

「はい」

 

ひかりは、父の目を真っ直ぐに見つめ返し、迷いなく頷いた。

 

「彼らは、信頼できる人たちです。それに、メグを救うためには、彼らの力が必要不可欠です」

 

「…そうか」

 

響は、静かに頷くと、デスクのモニターに一枚の資料を映し出した。

 

「だが、忘れるな。

 

我々がメグを保護しようとする動きは、市長から見れば、彼女の力を独占しようとしているようにしか見えないだろう。

 

この資料が示す通り、市長はすでに我々の動きを警戒している。

 

もし、市長がメグの身柄を狙うようなことがあれば…その時は、天宮家としても、相応の覚悟を決めねばならん」

 

その言葉に、ひかりは一瞬唇を噛んだ。

 

だが、すぐに顔を上げ、父の目を真っ直ぐに見つめ返した。

 

その瞳には、迷いも揺らぎもなかった。

 

「…もし、市長がメグ自身の意思に反して彼女を捕らえようとするなら、その時は…私は天宮の名を捨ててでも、メグの味方として市長に弓を引きます」

 

その言葉に、響は、驚いたように目を見開いた。

 

そして、すぐに、どこか嬉しそうに、ふっと笑みを漏らした。

 

「…いつの間に、そんなに強くなったのだ、お前は。…ますます母さんに、ソフィアに似てきたな」

 

「お母様に…?」

 

「ああ。あいつも、一度こうと決めたら、決して曲げない芯の強さを持っている。今頃、遠い出張先で心配しているだろうが…お前の成長した姿を見たら、きっと喜ぶだろう」

 

「お父様…」

 

「良いだろう。その覚悟、確かに聞き届けた。ならば、私も腹を決めよう。…行け、ひかり。お前の信じる道を、この私が切り開いてやる」

 

それは、天宮家当主としてではなく、一人の父親としての、娘への最大の信頼と愛情の言葉だった。

 

ひかりは、胸に込み上げてくる熱いものを感じながら、深く、深く頷いた。

 

***

 

食事の後、ラウンジには再び、穏やかな、しかしどこか緊張をはらんだ空気が流れていた。

 

ひかりは、ティーカップを静かにソーサーに戻すと、意を決したように顔を上げた。

 

その瞳には、これから語られる言葉の重みが映し出されているようだった。

 

「皆さん、本日は本当にありがとうございました。そして、お疲れのところ申し訳ありませんが、もう少しだけ、お時間をいただけますでしょうか」

 

彼女の静かな声に、ラウンジにいた全員の視線が集まる。

 

「本日の作戦で、皆さんも多くの疑問を抱かれたことと思います。特に、私たちが探していた『メグ』という少女について。

 

あなた方には、多大なリスクを冒して、私たちの『市民救助』に協力してくださいました。

 

その信頼に応えるためにも、まずは、私たちの知る全ての真実をお話しなければならないと思っています」

 

ひかりは一度言葉を切り、皆の顔を見渡した。

 

「その上で、改めて、皆さんにお願いがあります。それは、これまでの契約とは全く別の、私個人の…極めて危険な戦いへの協力です」

 

ひかりは、リンとアキラ、そしてライカンの目を真っ直ぐに見つめた。

 

「これからお話しすることを聞けば、メグを追う組織が、どれほど巨大で、危険な存在かお分かりになると思います。

 

関われば、皆さんの身にも危険が及ぶかもしれない。

 

それでも…それでも、私に力を貸していただけますか?

 

もちろん、この話を聞いた上で、断ってくださっても構いません。

 

私は、あなた方を危険に晒したいわけではないのですから」

 

それは、クライアントから協力者へ向けた言葉ではなかった。

 

一人の少女が、仲間として信じた者たちへ送る、心からの問いかけだった。

 

沈黙を破ったのは、リンだった。

 

「ひかりさん、何言ってんの!当たり前じゃん!ひかりさんの友達を想う気持ち、本気だって伝わってきたから!それに、メグちゃんのこと。詳しいことはまだ分からないけど、酷いことされてたのは、何となく分かる。だったらプロキシとか関係なく、人としてほっとけないよ!」

 

「リン…」

 

アキラが妹を窘めるが、その声はどこか優しい。

 

彼もまた、静かに頷いた。

 

「ひかりさんの覚悟は、あのホロウで伝わったつもりだ。君はただ一人の友人を探しているだけじゃなかった。僕達が救助した市民に向ける眼差し…あれは本物だった。君のような人が、本気で誰かを救おうとしているのなら、力を貸すことに、理由はいらないよ」

 

ライカンもまた、ひかりの前に進み出ると、深く一礼した。

 

「ひかりお嬢様。我々ヴィクトリア家政は、ご主人様の『願い』を叶えるのが仕事。そして今、お嬢様の願いは、一つの『戦い』となりました。ならば我々は、ご主人様の剣となり、盾となり、この戦いの最後までお供いたします。なんなりと、御用命を」

 

その言葉に、ひかりの瞳が熱く潤んだ。

 

「…ありがとうございます」

 

彼女は深々と頭を下げると、顔を上げ、これまで彼らに明かさなかった真実を、語り始めた。

 

「皆さん。今からお話しすることは、決して外部に漏らさないでください。メグや皆さんにも危険が及ぶ可能性があります」

 

一呼吸置き、続ける。

 

「…私がメグと出会う少し前…彼女は、裏社会で『ゴースト』と呼ばれ、多くの賞金稼ぎに追われていました。

 

そして、私は『ゴースト』がデッドエンドホロウに飛び込んだ情報を…」

 

「ゴースト!?」

 

ひかりの言葉を遮ったのは、リンの驚愕に満ちた声だった。

 

彼女の唐突な反応に、ひかりは目を見張る。

 

「…リンさん、あなたも『ゴースト』を…?」

 

ひかりが問いかけるより早く、リンが身を乗り出すようにして叫んだ。

 

「ひかりさん!そのゴーストって、もしかして銀髪で…!?」

 

「…そうです。銀色の髪に、薄紫の瞳をした…」

 

「やっぱり!私たち見たんだ!あの子が、大勢の賞金稼ぎに追い詰められてるところを…!助けようとしたんだけど、間に合わなくて…目の前でデッドエンドホロウに…!だから、ずっと気になってて…!」

 

リンの悔しそうな声に、ひかりの中で点と点が繋がっていく。

 

(…メグと最初に出会ったとき、あんなにもボロボロだった理由はそういうことだったのね)

 

「ええ。リンさんが探していたゴーストこそが、メグです。

 

私があの子と出会った時、重症を負っていたため、天宮家で保護していました」

 

ひかりはそう言うと、痛ましげに表情を曇らせ、話を続けた。

 

「ですが、あの子が負っていた傷は、その時のものだけではありませんでした。

 

私もヴァレリウスからの報告で知ったのですが、メグの身体には…無数の、古い実験の痕と、頸部には外科手術の痕が残っていたようです…」

 

「…なんだって?」

 

それまで黙って聞いていたアキラの静かな声に、怒りが滲んだ。

 

「ふざけないでよ!一体誰がそんな酷いことを!」

 

リンが、テーブルを叩いて立ち上がる。

 

その瞳は、怒りに燃えていた。

 

ライカンもまた、いつもは完璧なポーカーフェイスを僅かに歪ませ、静かに目を伏せた。

 

その背後で、エレンは普段の気だるげな表情の奥で、静かに拳を握りしめているのが見え、カリンは小さく悲鳴を上げて口元を押さえていた。

 

「そして、彼女の体内には未知のナノマシンが埋め込まれていました」

 

「ナノマシン?」

 

今度はアキラが反応する。

 

「私から説明を。ホロウから救出した後、我々でメグ様の治療を行いました。

 

治療を行った医療チームによれば、彼女の負傷は、長く見積もって半月ほど治療が必要であると報告されておりました。

 

しかし実際には、怪我の跡は残りつつも、たった数日で回復しており、メグ様自身の動きを見ていても、無理して動く様子は見られませんでした。

 

以上のことから、メグ様の驚異的な回復力の源泉はそのナノマシンであると判断しております。

 

そして、廃工場で確認できた映像、エーテルを利用した治療についても、そのナノマシンがあったからこそ、致命的な状況を脱することができたのだと予測しております」

 

ヴァレリウスが静かに補足する。

 

「…最後に、私は、メグの中に『もう一人』の誰かがいると考えています」

 

「もう一人?」

 

リンが、訝しげに問い返す。

 

「あの子がここで過ごしていた際、時々、誰もいない場所に向かって話しかけることがありました。

 

映像で見たように、それは独り言にしてはあまりにも論理的で…まるで、誰か別の、非常に知的な存在と対話しているかのようでした」

 

ひかりは、あの時の映像を思い出しながら、慎重に言葉を選ぶ。

 

「そして、メグが意識を失った後、シロ…あの子が連れていたボンプが、まるで人間のように的確な応急処置を始めました。

 

あれは、ただのボンプにできる芸当ではありません。

 

…ここで思い出してください。先ほど見つけた、エイゼン・フォークト博士の研究記録を」

 

ひかりは、皆の顔を見渡す。

 

「そこには、こう書かれていました。

 

『ホロウの膨大なエーテル情報を処理し、自在に制御するためには、人間の脳では演算能力が絶対的に不足している。…これを回避するには、外部からの演算補助、あるいは脳そのものを生体CPUとして最適化する何らかの補助装置が不可欠となる』…と」

 

その言葉に、アキラとライカンが息を呑む。

 

「メグの中にいる『誰か』…それこそが、彼女の脳を守るための『補助装置』なのだとしたら?シロに指示を出し、エーテルを使って奇跡的な治療を行う高度な演算能力を持つ存在…私には、高度なAIが存在しているとしか考えられません」

 

ひかりはそこで一度言葉を切ると、今度はホロウで遭遇した、もう一つのグループについて語り始めた。

 

「…そして、リアムと名乗る男と、彼に従う6人の子供たち。彼らはメグのことを『大切な家族』だと言っていました。ですが、メグがここで見せた、人に怯えるような姿は、とても温かい家族に囲まれて育った子のものとは思えませんでした」

 

アキラが静かに問う。

 

「…何か、引っかかることでも?」

 

「ええ。リアムさんたちは、『主任』という人物からメグを救い出すために来たと。

 

そして、あの研究記録の署名にあった『エイゼン・フォークト』こそが、その『主任』なのでしょう。

 

エイゼン博士の理論が、メグの状況と正確に合致していることも、その根拠です。

 

…ですが」

 

ひかりは、そこで言葉を区切り、皆の顔を見渡した。

 

「話が噛み合わないのです」

 

リンが声を上げる。

 

「そりゃそうでしょ!そのエイゼンって奴が、メグちゃんをあんな目に遭わせた元凶なんだから!リアムさんたちが、そいつからメグちゃんを助け出そうとしてるって言うなら、彼らは味方なんじゃないの?」

 

「…そうでしょうか」

 

ひかりの静かな声が、リンの興奮をいさめる。

 

「考えてみてください。

 

もしメグが、あの論文にあった『理想的な触媒』なのだとしたら、執筆者であるエイゼン博士は、彼女の価値を誰よりも理解しているはずです。

 

それほどの貴重な存在を、むやみに傷つけたり、怯えさせたりするでしょうか?

 

私なら、細心の注意を払って、丁重に扱います。

 

それなのに、リアムさんたちは、その『主任』からメグを救い出すと言っている。

 

まるで、エイゼン博士こそが悪であるかのように。

 

それに、あの論文にはこうも書かれていました。

 

『触媒本人を直接制御下に置くことで、間接的にホロウの操作が実現できるかもしれない』と。

 

ですが、メグは外部で自由に…いえ、追われる身ではありますが、私たちと会うまでは誰の管理下にも置かれていませんでした。

 

これもまた、おかしな話なのです」

 

ひかりの言葉に、アキラが眉をひそめる。

 

「…つまり、君が言いたいのは、リアムさんたちが嘘をついている可能性がある、ということかい?」

 

「ええ。あるいは、彼ら自身も、誰かに嘘を吹き込まれているのかもしれません。

 

そう考えると、メグを怯えさせていた原因は、エイゼン博士ではなく、リアムさんの方である可能性も考える必要があります」

 

ひかりは、リアムと会ったときの光景を思い出し、言葉を続ける。

 

「気になることが、もう一つ。

 

リアムさんが連れていた子どもたちも、メグと同じような境遇のはず。

 

にもかかわらず、メグとは対象的に、皆とても健康そうでした。

 

まるで、メグに起きたこと…彼女の衰弱や逃亡が、彼らにとっての『失敗例』であるかのように、あの子たちは、壊れてしまわないよう、適切に管理されているように見えたのです。

 

そして、彼らもメグと同じように、特殊な力を持っているようでした。

 

それほどの力を持つ子供たちをすでに手駒にしながら、それでもなお、メグを探している。

 

それはつまり、メグという存在が、あの子たち以上に、比べ物にならないほどの価値を持っているのだと私は考えています」

 

話が全て終わる頃には、ラウンジは重い沈黙に包まれていた。

 

ひかりが語ったあまりにも過酷な真実や可能性に、ただ言葉を失っている。

 

ひかりは、皆の顔に浮かんだ怒りや同情、そして困惑を静かに受け止めた。

 

この重苦しい空気を、変えなければならない。希望を、示さなければ。

 

「…重い話を、申し訳ありませんでした。ですが、これが私の知る、メグの全てです」

 

彼女は、窓の外に広がる夜景に一瞬目をやり、そして続けた。

 

「最後に、一つの希望についてお話しさせてください」

 

その言葉に、全員の視線が再びひかりに集まる。

 

「ホロウでリアムさんたちと別れる直前、ノエルという少女が、私に教えてくれました」

 

ひかりは、あの時のノエルの怯えた、しかし真摯な瞳を思い出しながら、その言葉を正確に紡ぐ。

 

「メグが最後にいた場所から、『優しくて、守っている音』がすると。そして、メグを連れて行った誰かの音は、敵意のあるものではなかった、と」

 

「優しい…音?」

 

リンが訝しげに呟く。

 

「ええ。最初は、私も信じられませんでした。

 

ですが、監視カメラの映像を思い出してください。

 

メグが治療を終えた直後、謎の人影が現れましたね。

 

映像は不鮮明でしたが、その人影は、確かにメグを壊れ物を扱うように、丁重に抱きかかえていました」

 

ひかりは、皆の顔を見渡す。

 

「ノエルさんの言葉と、あの映像が示すもの。それは、メグが敵の手に落ちたわけではない、ということ。

 

今は、誰かに…敵意のない、誰かに守られている。私は、そう信じています」

 

その力強い言葉は、ラウンジの重い空気を、確かに震わせた。

 

暗雲に差し込んだ、細く、しかし確かな一筋の光。

 

そして、ひかりは改めて、全員に深々と頭を下げた。

 

「改めて、どうか皆さんのお力を貸してください。メグを狙う組織の情報を集めるために。

 

そして、もし再び彼女の痕跡を見つけた時、共に戦っていただくために。

 

私は…もう一度、あの子と話がしたいのです。彼女が本当に望んでいることを、今度こそ、聞きたいから」

 

最後に呟くように言ったその言葉には、ひかりの決意が表れているかのように、静かで力強いものだった。

 

***

 

エイゼンから一方的に通信を切られたヴォルフは、苛立ちを隠さずに、乱暴に通信機を置いた。

 

「…んだよ、あいつ。相変わらず、人使いが荒いにもほどがあるぜ」

 

舌打ちしながら、安物の酒を呷る。

 

前回の依頼の失敗は、彼のプライドを酷く傷つけていた。

 

メグという少女一人を「確保」するだけの、簡単な仕事のはずだった。

 

だが、横槍が入ったとはいえ、結果として彼女に深手を負わせ、取り逃がした。

 

挙句の果てに、依頼主からは遠回しに「殺す」とまで言われる始末だ。

 

「…それにしても、アシスト、ねぇ…」

 

ヴォルフは、主任の言葉を反芻する。

 

前回の依頼は、こうだった。

 

『ゴースト本人と、その白いボンプを、可能な限り無傷で確保しろ』

 

だが、その言葉の裏には、ヴォルフが読み取れなかった真意が隠されていた。

 

彼の脳裏に、メグと初めて対峙したときを思い出す。

 

他の賞金稼ぎどもを駒として使い、ゴースト…メグを追い詰めた時のことだ。

 

最初はただの怯えた子供だった。

 

だが、追い詰められた瞬間、彼女の動きは別人のように変貌した。

 

無駄が一切なく、冷徹で、的確。

 

まるで、百戦錬磨の兵士のように、こちらの攻撃を捌き、一番嫌なところを的確に突いてきた。

 

(…『お前は、あの時すでに二つの存在と対峙していた』…か)

 

エイゼンの言葉が、妙に腑に落ちる。

 

あの時の報告で、エイゼンは言っていた。『奴は生きて戻る』と。

 

デッドエンドホロウに落ちて、生きて帰ってきた者などいない。

 

ただの希望的観測だと、ヴォルフは鼻で笑った。

 

だが、結果はどうだ。

 

あの男の言う通り、少女は生きていた。

 

「…チッ」

 

ヴォルフは、グラスに残った酒を飲み干すと、不敵な笑みを浮かべた。

 

「…つまり、こういうことかよ。あんたは最初から、あの嬢ちゃんを『保護』したかった。だが、下手に動けば、あんたのいるヤバい組織の連中に嗅ぎつけられる。だから、俺に高額の懸賞金を餌に『確保』させ、安全な場所に移そうとした」

 

そのあまりにも回りくどく、不器用なやり方に、ヴォルフは思わず笑ってしまった。

 

(…あの男、ヤバい組織にいる割には、妙に人間臭いところがあるじゃねえか…)

 

そして、エイゼンが最後に言った言葉。

 

『メグは、極めて貴重なサンプルだ』

 

あれは、本心ではないだろう。

 

あの声色…あれは、ただのサンプルに向けるものではない。

 

もっと、個人的で、執着に満ちた響きがあった。

 

「…借りは、返さねえとな」

 

前回の依頼は、失敗した。

 

獲物を追い詰めるまでは、完璧だったはずだ。

 

愛用のワイヤーアンカーで路地裏に蜘蛛の巣を張り、他の賞金稼ぎを撒き餌にして、彼女を地下鉄の隠れ家へと追い込んだ。

 

シャッターに突き刺さったアンカーを見た時の、あのガキの絶望に染まった顔は、今でも鮮明に思い出せる。

 

あの瞬間、俺は確かに勝利を確信していた。

 

だが、今回は違う。

 

護衛など専門外だ。

 

しかし、この街で最強の賞金稼ぎであるヴォルフが、本気で「守り」に回った時、どうなるか。

 

狩るも守るも、本質は同じだ。

 

テリトリーを把握し、脅威を予測し、先んじて排除する。

 

この特殊合金製のワイヤーアンカーは、獲物を絡めとるだけが能じゃない。

 

敵の侵入を防ぎ、こちらの動きを補助する、最強の結界にもなり得る。

 

「面白え。見せてやるよ。俺の、本当の腕前ってやつをな」

 

ヴォルフは立ち上がると、壁に立てかけてあった、愛用の特殊ワイヤー射出機を手に取った。

 

ずしりと重いその感触が、彼の闘志に火をつける。

 

その瞳には、獲物を守り抜くことを決意した、孤高の狼の光が宿っていた。

 

彼は無言でジャケットを羽織ると、部屋の扉を開け、新エリー都の夜の闇へとその姿を消す。

 

新たな「狩り」が、今、静かに幕を開けた。

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