余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

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25. 燻る火種

朝日が診療所の埃っぽい窓ガラスを透過し、柔らかな光の筋となってメグの瞼を優しく照らす。

 

「ん…」

 

身じろぎした瞬間、全身の筋肉が奇妙な悲鳴を上げた。

 

大きく身体を動かしたわけでもないのに、まるで全身がひどい筋肉痛にでもなったかのような、重く鈍い疲労感。

 

昨日始まったばかりのエーテル操作の訓練が、脳に強烈な負荷をかけると同時に、知らず知らずのうちに全身の筋肉を強張らせていたのだ。

 

ベッドの上で、メグは腕の中にある小さな温もりを、無意識のうちにぎゅっと抱きしめる。

 

硬質ながらもどこか安心する感触。小さな機械の身体、シロだ。

 

「ピュイ…」

 

主の目覚めを察したのか、シロが嬉しそうに電子音を鳴らし、メグの胸元にこてんと頭をすり寄せる。

 

その健気な仕草に、まだ半分夢の中にいたメグの口元が、自然と綻んだ。

 

「おはよ、シロ…」

 

まだ眠気から抜け出せない。

 

もう少しだけ、このままでいよう。

 

そう思って、再び目を閉じようとした、その時。

 

じーっ、とベッドの脇から、突き刺すような強い視線を感じた。

 

薄目を開けると、そこには腕を組み、心なしか不満げな表情でこちらを見下ろす雅の姿があった。

 

「む」

 

雅の形の良い唇から、小さく、しかしはっきりとした不満の音が漏れる。

 

次の瞬間、彼女は何の躊躇もなく、当たり前のようにメグのベッドに滑り込んできた。

 

そして、シロを抱きしめるメグごと、その細い腕でぎゅっと抱きしめてきた。

 

「え、ちょ、雅さん!?狭いって!」

 

突然の重みと温もりに驚くメグをよそに、雅は満足げに目を閉じ、メグの髪に自分の頬をすり寄せ始める。

 

その様子は、まるで自分のお気に入りのおもちゃを取り上げられそうになって、慌てて抱え込む子供のようだった。

 

「…おはよう、雅さん」

 

そのあまりにも人間らしい独占欲に、メグは思わず笑ってしまう。

 

こうして、追われる少女と、彼女を守るドッペルゲンガー、そして主を想うボンプが、一つのベッドで身を寄せ合う、奇妙で、しかし穏やかな朝が始まった。

 

 

しばらく三人でぬくもりを分かち合った後、メグは「よし!」と自分に気合を入れ直し、ゆっくりと身体を起こした。

 

「そろそろ起きないとね」

 

診療所の外へ出て、軽く身体を動かそう。

 

そう決めてベッドから降りる。

 

その過程で、ふと、昨日から増えた同居人のことを思い出した。

 

(ヴォルフ…まだ寝てるかな)

 

そっと隣の部屋の扉を開けて中を覗くと、簡易ベッドの上で、ヴォルフが大の字になって豪快ないびきをかいていた。

 

昨日着ていた服のままで、部屋には微かにアルコールの匂いが漂っている。

 

どうやら、持ち込んでいた携帯用のスキットルを一人で空けてしまったらしい。

 

「…」

 

そのだらしなさにメグは小さくため息をつきつつも、彼の眠りを妨げないよう、静かに扉を閉めた。

 

(まあ、いっか。昨日はいろいろあったし。起きるまで待って、後で一緒にご飯にしよう)

 

---

 

外のひんやりとした空気が、眠気を完全に吹き飛ばしてくれる。

 

メグは入念にストレッチを始め、凝り固まった筋肉をほぐしていく。

 

身体が温まってきたところで、雅と向かい合い、昨日と同じようにエーテル操作の練習を再開した。

 

やはり、脳への負荷は大きい。

 

数分集中すると、ズキズキとした鋭い頭痛がこめかみを刺す。

 

「うっ…!」

 

思わず膝をつきそうになる。

 

その度に休憩を挟み、呼吸を整え、また意識を集中させる。その繰り返し。

 

雅は、ただ黙ってその隣に立ち、時折、自らの手のひらに安定した光球を生み出しては、メグに手本を示してくれていたが、メグがなかなかコツを掴めないのを見て取ると、すっとメグの後ろに回り込んだ。

 

そして、昨日と同じように、メグの身体を後ろから優しく抱きしめる。

 

メグの腕に自分の腕を、彼女の手に自分の手を、ぴったりと重ね合わせた。

 

雅がエーテルを操る動きを始めると、その微細な感覚が、重ねた手を通じてメグの身体に直接流れ込んでくる。

 

エーテルの流れ、指先の微細な動き、力の込め方。

 

その全てが、まるで自分の意志であるかのように、身体に刻み込まれていく。

 

「…ありがとう、雅さん」

 

雅のアシストのおかげで、ただ一人でやるよりも遥かに深く、エーテルの感覚が刻まれる。

 

しばらくそうしていると、太陽が完全に昇り、荒野を暖かな光で照らし始める。

 

集中力と体力の限界を感じたメグは、ついに練習を切り上げた。

 

「お腹すいたね。診療所に戻って、ご飯にしようか」

 

ヴォルフを起こしに行こう。

 

そう思って彼の部屋を再び訪れたが、状況は全く変わっていなかった。

 

「朝だよ、ヴォルフ」

 

何度か呼びかけても、肩を揺さぶってみても、彼は「んん…」と唸り声を上げるだけで、一向に起きる気配がない。

 

部屋に充満したアルコールの匂いと、時折苦しげに顔をしかめる様子から、ひどい二日酔いであることは明らかだった。

 

(この人…本当に私の観察任務、やる気あるのかな…)

 

そのだらしなさに呆れつつも、目の前で苦しそうにしている男を放っておくこともできなかった。

 

(…しょうがないなあ)

 

メグは再びため息をつくと、何か温かいものでも作ってあげようと、診療所の食料庫へと向かった。

 

「缶詰ばっかりだけど…これなら、スープくらいは作れるかな」

 

幸い、診療所には簡単な調理器具と、いくつかの乾燥野菜、そして肉の缶詰が残されていた。

 

メグは、自分一人だったら絶対にやらなかったであろう手間を、このだらしない賞金稼ぎのためにかけることにした。

 

 

外で慣れない手つきで火を起こし、鍋に水と乾燥野菜、そして肉の缶詰をほぐして入れる。

 

コトコトと煮込んでいくうちに、塩と備蓄されていた香辛料で味を調えると、食欲をそそる良い匂いが辺りに立ち込めてきた。

 

その匂いに釣られたのか、診療所から、鳥の巣のようにボサボサになった頭で、寝ぼけ眼のヴォルフがふらふらと現れた。

 

「…う…気持ち悪ぃ…」

 

彼は顔をしかめ、おぼつかない足取りで火に近づくと、そこでようやく鍋の匂いに気づいたようだった。

 

「…なんだ、いい匂いじゃねえか…」

 

「あ、起きた。おはよ、ヴォルフ。ひどい顔だよ」

 

メグが苦笑しながら声をかける。

 

「苦しそうだったから、スープ作ったの。飲める?」

 

メグが差し出したスープの入った木製の椀を、ヴォルフは無言で受け取り、ふーふーと息を吹きかけてから、一口すする。

 

「…あ゛ー…」

 

疲弊しきった喉の奥から絞り出すような声が漏れ、その顔にじんわりと生気が戻っていくのが分かった。

 

二日酔いの身体に、温かいスープが染み渡っているらしかった。

 

 

メグも自分の分のスープを椀によそい、ヴォルフの向かい側に腰を下ろす。雅も静かにその隣に座り、三人の奇妙な朝食が始まった。

 

「ねえ、ヴォルフ」

 

スープを半分ほど飲んだところで、メグが口を開いた。

 

「今日は何するの?」

 

「あ?あぁー」

 

ヴォルフは残りのスープを雑に飲み干すと、椀を置いた。

 

「飯食ったら、少しこの辺りを調べてくる。最低限、周囲の地形と、ホロウ内部の状況くらいは把握しとかねえと、プロとは言えねえ」

 

「ふーん、そっか」

 

メグは、ヴォルフの真剣な言葉を、特に緊張するでもなく、あっさりと受け流した。

 

ヴォルフは、そのあまりにも気楽な反応に、拍子抜けして眉をひそめる。

 

てっきり「私も行く」と駄々をこね、それを「待ってろ」と一喝する流れを想像していたのだ。

 

「なんだよ。ついてくるとか言わねえのか」

 

「言わないよ。私が行っても足手まといになるだけだから」

 

メグは、きょとんとした顔でヴォルフを見返す。

 

「それに、私もやることあるし。ここで雅さんと待ってるよ」

 

「…そうか」

 

ヴォルフは、完全に調子を狂わされたようだった。

 

彼の心境をよそに、メグは彼が「観察対象がいなくなること」を心配しているのだと解釈し、悪戯っぽく笑いかけた。

 

「大丈夫だよ。私はこの診療所から離れないし、何かあったら雅さんに守ってもらうから。だから安心して自分の『お仕事』してきてよ」

 

その言葉に、ヴォルフはぐっと言葉を詰らせ、バツが悪そうにそっぽを向いた。

 

「…別に心配なんざしてねえよ。今の嬢ちゃんを相手にするなら、相手のほうがかわいそうだ」

 

ヴォルフは、雅の方をちらっと見て、不器用ながらもプロとしての顔つきに戻り、指で自分が来た方向を指し示した。

 

「もし何かあったら、西の岩場のルートを使うといい。足場は悪いが、嬢ちゃんなら平気だろ」

 

以前メグと戦ったときを思い出しながら、ヴォルフは伝える。

 

そして、彼は懐から鞘に収められたコンバットナイフを取り出し、メグに渡した。

 

「それから、これを持っとけ。気休めだがな」

 

メグは、ずしりと重いそれを受け取り、驚いたように目を見開く。

 

「これ…ナイフ?」

 

「お守り代わりだ。そこの護衛の嬢ちゃんがとんでもねえのは分かってる。だが、身を守る術は一つでも多いほうがいい」

 

ヴォルフは、ぶっきらぼうにそう付け加えた。

 

メグは、渡されたナイフの冷たい感触と、その言葉の裏にある真剣さを感じ取り、それを大事そうに腰に下げた。

 

「ありがとう。…いってらっしゃい、ヴォルフ。気をつけてね」

 

メグは、彼の真剣さに応えるように、ひらひらと手を振った。

 

ヴォルフは、その素直な反応に、また少し調子を狂わされたように一度だけ振り返り、大きなため息をつくと、今度こそ荒野の調査へと一人で向かっていった。

 

---

 

ヴォルフは、背後でひらひらと振られるメグの手に振り返ることなく、荒野へと踏み出した。

 

(…チッ。調子が狂うぜ、まったく)

 

二日酔いのせいか、それともあの妙に人懐っこい少女のせいか、思考がどうにもすっきりしない。

 

賞金稼ぎ。それがヴォルフの稼業だ。

 

ターゲットを追い、観察し、時に追い詰め、そして確保する。

 

だが、今回の依頼は名誉挽回の意味もあるが、普段受けているものは、違うものだった。

 

『アシストに回れ』

『傷一つでもつけたら殺す』

 

クライアント…エイゼンの執着とも言えるあの声色を思い出す。

 

昨日、喉元に突きつけられたあのドッペルゲンガーの刃。

 

あの化け物がいる限り、並大抵の敵はメグに近づくことすらできまい。

 

(…なら、俺の役目は何だ?)

 

ヴォルフは思考を切り替える。

 

まずは地形の把握だ。

 

この診療所は、ホロウと荒野の境界線という、最悪の立地にある。

 

ホロウ側は天然の要塞だが、荒野側は遮蔽物が何もない。

 

西にある岩場…自分が使ったルートは、確かに身を隠しやすいが、それは追手にとっても同じこと。

 

 

調査をしながら、ヴォルフは、昨日のメグとの会話を思い出す。

 

(あの嬢ちゃん、自分がどれだけヤバい代物か、分かってねえ)

 

ホロウの外でエーテリアスを使役する少女。

 

クライアントがそこまで執着する存在。

 

そんなものが、いつまでも平穏でいられるはずがない。

 

この荒野は、嵐の前の静けさに過ぎなかった。

 

ヴォルフは、自らの痕跡を消しながら、昨日自分が通ったルートとは逆方向…診療所の東側を大きく迂回するように調査を開始した。

 

この辺りは、特に何もない。

 

風化しかけた岩と、枯れた草だけが広がる、見通しの良い荒野だ。

 

(…ん?)

 

その時、ヴォルフの鋭い視線が、地面の僅かな違和感を捉えた。

 

彼は音もなくその場にしゃがみ込み、地面に触れる。

 

(…足跡だ)

 

風に消えかかっているが、まだ新しい。半日、いや、それよりも前か。

 

ヴォルフの足跡ではない。

 

メグや雅のものでも、この辺りにいるであろうスカベンジャー(廃品漁り)の雑なものでもない。

 

体重移動が計算されている。痕跡を最小限に抑えようとする、訓練された動き。

 

そして、一つではない。最低でも、二人。

 

ヴォルフは、その足跡を慎重に追った。

 

足跡は、診療所には向かっていない。

 

まるでコンパスで円を描くように、診療所から一定の距離を保ちながら、半円を描くように移動している。

 

(…偵察(スカウト)か)

 

ヴォルフの背筋に、冷たいものが走った。

 

どうやってこの場所が嗅ぎつけられた?

 

ここは、ホロウに侵食された郊外、それも境界線の隙間に打ち捨てられた廃墟だ。

 

偶然見つかるような場所じゃねえ。

 

ヴォルフは立ち止まり、懐から賞金稼ぎ用の暗号化端末を取り出した。裏社会のコミュニティにアクセスする。

 

『ゴースト』や『メグ』といった直接的な単語での検索には、何もヒットしない。

 

エイゼンが手を回しているか、あるいはまだ情報が表に出ていないか。

 

だが、キーワードを変えて検索すると、いくつかの気になる情報が引っかかった。

 

『旧第7工業地区の廃工場で、天宮と治安局が派手にドンパチやったらしい』

 

『あのホロウ、何かヤバいもんでも隠してたのか?』

 

『同時刻、郊外方面で高エーテル反応を観測したって噂があるが、詳細不明』

 

(…これか)

 

ヴォルフは端末をしまった。

 

物理的な証拠(足跡)と、状況証拠(噂)。

 

廃工場の騒ぎ。そして、郊外でのエーテル反応。

 

おそらく、ドッペルゲンガーがメグを連れてホロウの外を移動したところを、観測されたか。

 

その二つの情報が、嗅覚の鋭い者の耳に入れば、繋ぎ合わせるのは容易い。

 

噂を嗅ぎつけた「プロ」が、物理的な調査に来て、この足跡を残していった。

 

(…エイゼンの野郎、最初からこうなることが分かってたな?)

 

この偵察の動き、ドッペルゲンガーがメグを連れ出したあの瞬間から、こうして嗅ぎつけられることまで、『計算済み』だったに違いねえ。

 

だから、メグの元に護衛として、自分を送り込んだ。

 

(…面倒なことになってきやがった)

 

ヴォルフは、忌々しげに舌打ちをする。

 

二日酔いで回らなかったヴォルフの思考が、賞金稼ぎ(ハウンド)のそれへと切り替わっていく。

 

(俺が攻めるならどうする?)

 

敵は、東側(ここ)の偵察を終えた。

 

十中八九、西側の岩場(俺が使ったルート)もすでに把握済みだろう。

 

ドッペルゲンガーの存在をどこまで把握しているか分からねえが、プロなら最悪を想定する。

 

ならば、攻め手は夜闇に乗じて、東西両面から同時に来る。それが定石だ。

 

ホロウ側は天然の要塞だが、逆に言えば逃げ場がないことを意味する。

 

奴らは、ドッペルゲンガーをホロウ側に釘付けにしつつ、別動隊が荒野側から獲物をさらう手筈か。

 

(…上等だ)

 

ヴォルフの口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。

 

(だったら、その定石、逆手に取らせてもらうぜ)

 

ヴォルフは、周囲の地形を頭に叩き込みながら、迎撃のプランを練り始めた。

 

(西の岩場、奴らが隠れやすいポイントは三箇所。

 

そこに、ワイヤーと連動させた発信機を仕掛けておく。

 

東側は開けていて隠れにくい。だが、夜なら関係ねえ。こっちは音で撹乱する。

 

いくつかの空き缶に小石でも詰めて、風で不規則に鳴るように吊るしとくか。それだけで、夜間の聴覚はかなり殺せる)

 

侵入経路を限定させ、敵の神経をすり減らす。

 

そして、奴らが焦れて強引に踏み込んできた瞬間、そこが俺の狩場だ。

 

 

ヴォルフは、メグに渡したナイフのことを思い出す。

 

(…気休め、か。本当に気休めで済めばいいがな)

 

この静かな荒野で、すでに次の騒動の火種は、静かに燻り始めていた。

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