余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた 作:夜琥
荒野を見下ろす小高い丘陵地帯。
風化した岩陰に身を潜めるようにして、漆黒の塗装が施された数台の装甲車両が停車していた。
車体に企業ロゴはなく、所属を示すものは何もない。
ただ、その威圧的なシルエットだけが、この車両が「運搬」ではなく「戦闘」のために存在していることを雄弁に物語っている。
車内は、低い電子音と冷却ファンの回転音だけが響く、静謐な空間だった。
薄暗い照明の下、壁一面に設置されたモニターが青白い光を放ち、オペレーターたちの顔を無機質に照らし出している。
「――偵察ドローン『オウル・アイ』、目標ポイントに到達」
ヘッドセットを装着した技術兵の一人が、抑揚のない声で報告する。
指揮官席に深く腰掛けた男は、組んだ指に顎を乗せ、目の前のメインモニターを無言で見つめた。
「映像を出せ」
短く命じると、ノイズ混じりの画面が切り替わり、上空からの俯瞰映像が映し出された。
荒涼とした大地にぽつんと佇む、廃診療所。
その前庭で、一人の男が慌ただしく動いているのが見える。
賞金稼ぎ、ヴォルフだ。
彼はどこからか調達してきたらしい改造車両のボンネットを開け、最後の整備を行っているようだった。
「ターゲット『M-07』および護衛対象、移動の兆候あり。車両への物資積み込みを確認しました」
技術兵の報告に、指揮官は冷ややかな笑みを浮かべる。
「やはり動くか。一箇所に留まって守りに徹するとは思えんかったが…予想以上に早かったな」
「追跡しますか?」
「いや、泳がせろ。ドローンは高度を維持。決して気づかれるな」
指揮官は手元のコンソールを操作し、周辺の地形データを呼び出した。
複雑に入り組んだ等高線と、ホロウ侵食予測エリアを示す赤いラインが重なり合う。
ヴォルフが選ぶルートは限られている。
ホロウの影響が比較的薄く、かつ車両で走行可能なルート。
指揮官の指が、地図上の一点をなぞる。
「ここだ」
切り立った崖が両側に迫る、狭く険しい峡谷地帯。
かつては物流の要所だったが、今はホロウ災害の影響で放棄され、無法者たちの狩場となっている場所。
『人』の悪意が詰まったそこには、郊外の走り屋でさえ、めったに近寄らない。
「奴らは必ずここを通る。地形的にも、ここを抜けるのが最短かつ、ホロウを回避できる唯一のルートだ」
指揮官は振り返り、通信士に指示を飛ばす。
「先行している『掃除屋』どもに連絡を入れろ。峡谷のポイントB-4地点で待ち伏せさせろ」
「『掃除屋』…リアム様が手配された、現地の傭兵たちですか?」
通信士が少し戸惑ったように聞き返す。
指揮官は鼻で笑った。
「そうだ。金で動く有象無象。使い捨ての駒だ。奴らに派手に暴れさせ、ターゲットの足を止めろ。車両を破壊し、機動力を奪うだけでいい」
「了解しました。しかし、相手はあのヴォルフです。傭兵程度で止められますか?」
「止められんよ」
指揮官は即答した。
「ヴォルフの実力は私も知っている。あの程度のゴロツキが何人束になろうと、奴の足元にも及ばん。だが、時間稼ぎにはなる。奴らが雑魚の相手に気を取られ、物資と体力を消耗したところを――我々が叩く」
それは、合理的で、冷酷な作戦だった。
味方であるはずの傭兵たちを捨て石にし、確実に獲物を仕留める。
それが、この部隊のやり方だ。
「全部隊、戦闘配置につけ。獲物を袋小路へ追い込むぞ」
指揮官は立ち上がり、車両の奥、厳重にロックされた特殊コンテナへと視線を向けた。
そこには、今回の作戦の要となる『切り札』が眠っている。
「…『実験体』の準備も忘れるな。もしヴォルフが予想以上に粘るようなら、あいつの鎖を再度解く」
「はっ!バイタル、安定しています。いつでも投入可能です」
技術兵が、緊張した面持ちでモニターの数値を確認する。
そこには、不安定に揺れ動く脳波の波形が表示されていた。
「…さあ、狩りの時間だ」
指揮官の冷酷な号令と共に、黒塗りの車両群がエンジンを唸らせる。
重低音が荒野の静寂を震わせ、鉄の獣たちが獲物を求めて動き出した。
砂塵を巻き上げ、死神の鎌のような隊列が、峡谷へと向かっていく。
***
乾燥した風が、窓の隙間からヒュウヒュウと入り込んでくる。
ヴォルフがどこからか調達してきた改造された四輪駆動車は、唸りを上げて荒野を疾走していた。
後部座席で、メグはシロを抱きしめながら、流れていく赤茶けた景色をじっと見つめていた。
隣には雅が座り、微動だにせず、しかし油断なく周囲を警戒している。
「…意外と静かだね」
エンジンの駆動音に負けないよう、メグは少し声を張り上げて言った。
運転席でハンドルを握るヴォルフが、バックミラー越しにメグを見る。
「嵐の前のなんとやら、ってやつだ。この辺りは『走り屋』連中の縄張りでもある。今は出くわしてねえが、油断すんなよ」
ヴォルフの声は軽いが、その目は鋭く前方と左右のサイドミラーを行き来している。
彼が選んだルートは、ホロウの侵食が比較的薄い、かつての物流ルートだという。
だが、舗装はとうに剥がれ落ち、岩と砂利だらけの悪路だ。
それでも、ヴォルフのハンドルさばきは驚くほど滑らかで、車体は岩を避けるように蛇行しながらも、速度を落とすことなく突き進んでいく。
「ヴォルフ、運転上手だね」
「賞金稼ぎやってりゃ、逃げる時も追う時も車は相棒だ。これくらいできなきゃ、とっくに野垂れ死んでる」
ヴォルフは鼻で笑うと、ダッシュボードに置かれた缶コーヒーを手に取り、片手で器用に開けて煽った。
その横顔を見て、メグは少しだけ緊張が解けるのを感じた。
やがて、前方に巨大な影が落ち始めた。
両側を切り立った崖に挟まれた、狭く険しい峡谷地帯。
「…ここを抜ければ、次のポイントまで一直線だ。しっかり掴まってろよ」
ヴォルフがギアを上げ、アクセルを踏み込む。
エンジンがさらに高く唸り、車体が加速する。
岩壁が迫り、空が細く切り取られたような閉塞感が、車内を包み込む。
その時だった。
ヴォルフの眉間がピクリと動いた。
「…チッ」
短く舌打ちをした瞬間、彼は急ハンドルを切った。
ドォォォンッ!!
直後、ついさっきまで車が走っていた場所で、爆音が轟いた。
上空から落下してきた岩石が地面を砕き、土煙が舞い上がる。
もしハンドルを切るのが一瞬でも遅れていたら、車体ごとペシャンコになっていただろう。
「きゃあっ!?」
メグは悲鳴を上げ、前のシートにしがみつく。
「シロ、大丈夫!?」
「ピュイ!」
「クソッ、やっぱり待ち伏せか!分かりやすい歓迎だぜ!」
ヴォルフが悪態をつきながら、巧みに落石を回避していく。
頭上を見上げれば、崖の上から数台のバイクとバギーが、砂塵を巻き上げながらこちらに向かって急降下してくるのが見えた。
「ヒャッハァァァ!獲物だァァ!!」
「止まれ止まれェ!その車は俺たちのもんだァ!」
拡声器越しの下卑た笑い声と共に、銃弾の雨が降り注ぐ。
カカンッ、カンッ!
弾丸が装甲板を叩く乾いた音が、車内に響き渡る。
「伏せてろ、嬢ちゃん!雅の嬢ちゃん、やれるか!?」
ヴォルフが叫ぶと同時、雅が無言で頷き、窓から身を乗り出した。
風圧でエーテルを纏った長い髪が激しく舞う。
彼女は腰の刀を抜き放つと、迫りくる銃弾や火炎瓶を、目にも留まらぬ速さで斬り払った。
キンッ!ガキンッ!
「すごい…さすが、雅さん」
メグは感嘆の声を上げる。
その剣技は人間業を超え、飛来する脅威を的確に排除し、車体を守る鉄壁の盾となっている。
「へっ、頼もしいこった!なら、俺は走りに集中させてもらうぜ!」
ヴォルフはニヤリと笑うと、さらにアクセルを踏み込んだ。
改造車は獣のような咆哮を上げ、荒れた峡谷を駆け抜ける。
追手のバイク部隊が、左右の崖や岩場を利用して並走し、執拗に攻撃を仕掛けてくる。
「右から来るぞ!3台!」
ヴォルフの警告に、雅が即座に反応する。
彼女は車体から身を乗り出し、すれ違いざまに一閃。
先頭のバイクのタイヤを正確に切り裂いた。
「うわあっ!?」
バランスを崩したバイクが転倒し、後続の車両を巻き込んで爆散する。
「よし、いい気味だ!」
ヴォルフが快哉を叫ぶ。
だが、敵の数は多い。
倒しても倒しても、次々と新たな車両が湧いてくるようだった。
「しつこい…!ただの野盗じゃない…?」
メグが不安げに呟く。
「ああ、ただの『野盗』にしちゃあ、統率が取れてやがる。…誰かが裏で糸を引いてるな」
ヴォルフはあらかじめ練っていたルートを脳内で思い起こし、冷静に、軌道修正していく。
「この程度の包囲網で俺たちを止められると思うなよ!」
ヴォルフはハンドルを操り、迫りくる敵車両に体当たりを食らわせ、強引に突破口を開いていく。
峡谷の出口が見えてきた。
あそこを抜ければ、地形が開ける。
そうすれば、この改造車のスピードで振り切れるはずだ。
「抜けるぞ!歯ぁ食いしばれ!」
車が峡谷の出口に差し掛かった、その瞬間だった。
横合いの死角、岩陰から、一台の重装甲トラックが飛び出してきた。
それは、こちらの進行方向を塞ぐように、猛スピードで突っ込んでくる。
「なっ…!?」
ヴォルフがブレーキを踏むよりも早く、トラックは改造車の側面に激突した。
ガシャアアアアンッ!!
耳をつんざく轟音と共に、世界が反転したかのような衝撃が車内を襲う。
金属が悲鳴を上げ、強化ガラスに蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
改造車は紙切れのように弾き飛ばされ、地面を削りながら横滑りし、岩壁に激突してようやく止まった。
「ぐっ…あぁ…!」
ヴォルフの喉から、苦悶の呻き声が漏れる。
衝撃で頭を強打したのか、額から流れる血が視界を赤く染めていた。
エアバッグの作動音が耳鳴りのように響き、呼吸をするたびに肋骨が軋むような鋭い痛みが走る。
「…メグ…!無事か…!」
彼は朦朧とする意識を叱咤し、後ろを振り返る。
後部座席では、メグが前のシートと床の間にうずくまるように倒れていた。
とっさにシロを抱きかかえて守ったためか、彼女の腕や肩はガラスの破片で傷つき、血が滲んでいる。
「…ッ……!」
メグの口から、声にならない悲鳴が漏れた。
痛みで顔面は蒼白になり、額には脂汗が玉のように浮かんでいる。
彼女の視線は、自分の足元に釘付けになっていた。
車体の激しい変形でひしゃげた鋼鉄のフレームが、メグの右足を挟み込み、無慈悲に押し潰していたのだ。
骨が軋む嫌な音と、焼けるような激痛が脳を支配する。
「おい、大丈夫か!今助ける!」
ヴォルフが慌てて手を伸ばそうとするが、メグはそれを片手で制した。
彼女は震える手でシロの無事を確認すると、痛みに耐えて荒くなる呼吸を整え、ヴォルフを見据えた。
「…平気。骨は、まだ折れてない…と思う」
嘘だ。
まともな感覚があれば、悲鳴を上げて泣き叫んでいるはずの激痛。
だが、ここで自分が泣いて取り乱せば、迷惑をかける。
最悪全員が死ぬ。
その事実が、恐怖よりも先に彼女の思考を支配していた。
生き残るためには、痛みに支配されている場合ではない。
「…潰されてるけど、感覚はある。…まだ、走れる」
彼女は歯を食いしばり、無理やりにでも自分を奮い立たせるように言い放った。
「雅…!」
ヴォルフが呼ぶと、ひしゃげたドアを蹴り破り、雅が外へ出た。
彼女も無傷ではなかった。
左腕が大きく裂け、そこから血の代わりに、エーテルがゆらりと立ち昇っていた。
だが、その表情は変わらず冷徹で、すでに次の敵襲に備えて刀を構えている。
「くっそ…!特攻かよ!」
ヴォルフは血を吐き捨てるように悪態をつくと、ひしゃげた運転席から這い出るようにして外へ出た。
左後輪のタイヤは無惨にバーストし、車軸はひん曲がっている。
車体からは黒煙が上がり、ガソリンの匂いが鼻をつく。
もう、この車は走れない。
後方からは、追手のバイク部隊が狂喜の声を上げながら迫ってくる。
「…ヴォルフ!あそこ!」
メグが潰された足の激痛に耐え、震える指で指差した先、峡谷の壁面に、巨大な亀裂が走っていた。
その奥には、不気味な紫色の靄が立ち込め、歪んだ空間が広がっている。
さらにその奥に、古びた工場のシルエットが見えた。
「…ホロウの裂け目か!」
ヴォルフは瞬時に判断する。
このままここで立ち往生すれば、袋叩きにあって終わりだ。
だが、あの裂け目の向こう――ホロウ内部なら、車両での追跡は困難になる。
それに、複雑な廃墟群なら、身を隠して戦うこともできる。
「上等だ!地獄の一丁目へご案内といこうじゃねえか!」
ヴォルフは後部座席のドアを強引にこじ開けると、フレームに挟まれたメグの足を引き抜いた。
「…っぐぅ!!」
メグの喉から苦悶の声が漏れるが、彼女は決して悲鳴を上げなかった。
「走れるか?」
「うん…!絶対、走る…!」
メグは脂汗を流しながらも、強い瞳で頷いた。
ナノマシンが、損傷した組織を必死に繋ぎ止めているのが分かる。
「よし、車は捨てるぞ!」
ヴォルフが叫ぶと同時、雅が殿を務めるように位置につく。
三人は煙を上げる車両を放棄し、足を引きずりながら紫色の靄が満ちる廃工場跡へと走り出した。
背後で、追手たちの罵声と、ブレーキ音が響く。
「こっからが正念場だ。…行くぞ!」
ヴォルフはワイヤーアンカーの射出機を確認し、血を拭いながら、メグと雅を促して、廃墟の奥深くへと消えていった。