余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた 作:夜琥
「……ダメ、かな?」
工場の暗闇に響く、甘く、そしてどこまでも悲痛な声。
拘束された少女は、血走った瞳でメグをじっと見つめていた。
その瞳には、狂気と紙一重の、純粋な渇望が渦巻いている。
メグは、言葉を発することができなかった。
喉の奥が引きつり、声が出ない。
メグの脳裏に、クラヴィスから聞いた自身の身体の秘密が蘇る。
異常なエーテル親和性。
ホロウを支配する「触媒」としての適性。
かつて研究所で受けた数多の実験。
そこから導き出されるのは、彼女が私の――
「…おい、答えろ」
沈黙するメグに代わり、ヴォルフが一歩前に出る。
彼は銃口を下げず、しかし引き金には指をかけずに、少女を鋭く観察していた。
「お前、自分の意志でそこにいるんじゃねえな。…誰にやらされた?お前を作ったのは誰だ?」
ヴォルフは瞬時に悟っていた。
この少女は敵ではない。「兵器」だ。
ただ破壊を振りまくためだけに調整された人形。
メグのクローンか、あるいは模造品か。
いずれにせよ、まともな神経をした人間の所業ではない。
少女は、ヴォルフの問いにきょとんとした顔をする。
「…つくった? …知らない」
彼女は、本当に何も知らないようだった。
自分が何者なのか。
なぜここにいるのか。
なぜこんな姿なのか。
彼女の世界には、「痛み」と「命令」しか存在しないのだ。
「知らないの。…ただ、痛い。ずっと、痛いだけ」
少女は、再びメグに視線を戻す。
その瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「ねえ…教えて?」
彼女の声が震える。
「どうして、あなたは私と同じ顔をしてるの?」
「どうして、あなたは痛くないの?」
「どうして、あなたは…自由なの?」
純粋な疑問。
それが、メグの心を鋭いナイフのように抉る。
「どうして、あなたのまわりは…そんなに、あったかいの…?」
少女の視線が、メグの足元にいるシロや、背後に控える雅、そして隣に立つヴォルフへと向けられる。
彼女には見えるのだ。
メグを取り巻く、目に見えない絆の温もりが。
自分を取り巻く冷たく無機質な闇との、決定的な違いが。
「…ズルい…」
小さな呟きと共に、空間が軋むような音がした。
少女の感情の昂ぶりに呼応するように、彼女の身体から溢れ出すエーテルが暴走を始める。
紫黒色の稲妻が周囲の瓦礫を弾き飛ばし、鉄骨を飴細工のようにねじ曲げる。
制御を失った力の奔流は、無差別に周囲を破壊し、その余波はメグたちの方へも容赦なく押し寄せてきた。
「ッ!嬢ちゃん、防げ!」
ヴォルフが叫ぶと同時、雅が前に出て刀を一閃させる。
見えないエーテルの刃が衝撃波を切り裂くが、防ぎきれなかった余波がメグの頬を掠め、一筋の血が流れた。
「メグ!」
ヴォルフがメグを庇うように腕を伸ばす。
その温かさが、凍りついていたメグの声を解かした。
「…行けない」
メグは、吹き荒れるエーテルの嵐の中で、はっきりと答えた。
「私は、そっちには行けない」
その言葉に、少女の動きがピタリと止まる。
「…なんで?」
「私には…家族が…仲間がいるから」
メグは、シロを抱きしめ、いまは眠っているクラヴィスのことを思い浮かべる。
そして、いま自分を助けてくれているヴォルフと雅を見上げた。
真っ直ぐに少女を見つめ返す。
「私が自由なのも、温かいのも…全部、この人たちがいてくれたから。私一人じゃ、何もできなかった。…だから、私はこの人たちを置いて、そっちには行けない」
それは、拒絶だった。
けれど、少女を傷つけるための言葉ではなかった。
自分を支えてくれている大切な存在を、誇るための言葉だった。
少女は、呆然とメグを見つめていた。
やがて、彼女は力なく笑った。
「…そう、だよね」
分かっていた。
無意識のうちに、分かっていたのだ。
こんな痛くて、暗くて、寒い場所に、誰も来たいはずがないことくらい。
それでも、同じ顔をしたあの子なら、分かってくれるかもしれないと。
ほんの少しだけ、期待してしまっていた。
「…うん。わかってた」
少女は、糸が切れたように脱力した。
それと同時に、彼女の身体から溢れ出すエーテルが、爆発的に膨れ上がる。
感情の堤防が決壊し、絶望が濁流となって溢れ出したのだ。
暴走したエーテルが、少女自身をも傷つけ始める。
皮膚が裂け、血が噴き出す。
だが、彼女は痛みを感じていないかのように、ただ虚ろな瞳で天井を見上げていた。
もう、どうでもよかった。
痛いのも、辛いのも、全部。
***
「…実験体のエーテルが暴走しています」
廃工場から離れた指揮車両の中。
指揮官は、モニターに映し出される少女の暴走を、冷ややかに見つめていた。
「リミッターが外れたか。その力を利用しろ」
「はっ。調整を始めます」
技術兵がキーボードを叩く。
少女の背後にある装置が、不気味な駆動音を立てて唸りを上げた。
「あ゛っ…!?」
廃工場の中。
少女の身体が、ビクンと跳ね上がった。
自暴自棄になり、ただ力の奔流に身を任せていた彼女に、新たな、そしてより強烈な激痛が走る。
装置が、彼女の暴走したエネルギーを無理やり束ね、指向性を持つ「兵器」として再構築し始めたのだ。
「あ、があぁぁぁぁっ!!」
少女が絶叫する。
それは、自分の意思ではない。
見えない手によって、内臓を雑巾のように絞り上げられるような感覚。
「だ、大丈夫!?」
その悲痛な叫びに、メグが思わず声を上げる。
敵だと分かっていても、自分と同じ顔をした少女が苦しむ姿を、黙って見てはいられなかった。
少女はメグの声に答える余裕がないのか、苦しそうに顔を歪める。
その直後、彼女の意思とは無関係に、右腕がゆっくりと持ち上がった。
掌が、メグの方へと向けられる。
少女が必死に抵抗しようとするが、身体は言うことを聞かない。
掌に、どす黒いエーテルの光が収束していく。
ズドンッ!!
放たれた光弾が、メグの足元の地面を抉った。
爆風で吹き飛ばされ、メグは地面に転がる。
「メグ!」
ヴォルフが駆け寄り、抱き起こす。
「…くそっ、あいつら、あんなガキを…!」
ヴォルフが憎々しげに少女の背後のコンテナを睨む。
あそこに、遠隔操作のための受信機があるはずだ。
少女は、涙を流しながら、再び左手を持ち上げた。
今度は、ヴォルフと雅を狙っている。
彼女はもう、何も言わない。弁明もしない。
痛みも、悲しみも、抵抗する気力さえも、全てが磨耗しきっていた。
ただ、操り人形のように、破壊を撒き散らすだけ。
「ヴォルフ…!」
メグは、ヴォルフの腕を掴んだ。
「あの子を…助けたい!作戦考えよう!」
「…無理だ」
ヴォルフは即答した。
その声には、苦渋の色が滲んでいた。
「状況が悪すぎる。俺たちは今、敵の包囲網の中にいるんだ。あいつが暴れてくれているおかげで、包囲が崩れて逃げ道ができてる。…皮肉だがな」
ヴォルフは、崩れかけた工場の壁を指差した。
少女の攻撃によって壁が崩れ、外部へのルートが開いている。
「逃げるなら今しかねえ。あいつの拘束を解いてる時間なんてねえんだよ。それに、あいつを解放したところで、どうやって連れて行く?今のあいつは、触れるもの皆傷つける爆弾だぞ」
「…っ!」
メグは唇を噛み締める。
ヴォルフの言うことは正しい。
論理的で、合理的だ。
クラヴィスがいたら、きっと同じことを言っただろう。
でも、心が納得しなかった。
あの子は、私だ。
もし、私が逃げ出せていなかったら。
もし、クラヴィスがいなかったら。
もし、ひかりさんやヴォルフに出会えていなかったら。
あそこに繋がれて、泣き叫んでいたのは、私だったかもしれない。
彼女には、家族もいない。仲間もいない。
誰も、彼女の名前を呼んでくれない。
(…私が、味方にならなきゃ)
他の誰でもない。同じ痛みを知る私だけが、あの子の痛みを分かってあげられる。
「…よし」
メグは、ヴォルフの手を振りほどき、立ち上がった。
「メグ!?」
「ヴォルフ、雅さん。…道を作って。あの子のところまで」
メグの瞳に、強い光が宿る。
それは、恐怖を乗り越えた者だけが持つ、覚悟の光だった。
「助けることはできなくても…声なら、届くはずだから!」
***
「ほんっとに、手間のかかる嬢ちゃんだぜ!」
ヴォルフは悪態をつきながらも、口元に獰猛な笑みを浮かべた。
「雅の嬢ちゃん!道を開けるぞ!突っ込め!」
雅が音もなく疾走する。
少女から放たれるエーテルの弾幕を、最小限の動きで回避し、時には刀で弾き飛ばす。
その背後を、ヴォルフがワイヤーアクションでカバーし、メグの進路を確保する。
メグは走った。
潰れた足の激痛など、もう感じなかった。
爆風が頬を打ち、瓦礫が身体をかすめる。
それでも、彼女の目は、少女だけを捉えていた。
「…なんで?」
少女が、迫りくるメグに気づき、驚愕に目を見開く。
どうして?
どうして逃げないの?
私はあなたを殺そうとしているのに。
メグは、少女の目の前、エーテルの奔流が渦巻くギリギリの場所で立ち止まった。
そして、叫んだ。
「ねえ!私と、友達になろう!」
その言葉は、轟音にかき消されることなく、少女の耳に届いた。
少女の動きが、一瞬止まる。
「…とも、だち…?」
知らない言葉。
でも、なぜだか胸の奥が温かくなる響き。
「あなたのこと、今は助けてあげられない!」
メグは、涙を流しながら、必死に言葉を紡ぐ。
「でも、絶対!絶対に、そんなところから連れ出してあげるから!」
「あなたが苦しいなら、私が、あなたを傷つける人たちと戦う!」
「あなたが自由になりたいなら、私が、その鎖を全部、壊してあげるから!」
「だから…!」
メグは、少女に向かって、手を差し伸べた。
届かない距離。
でも、心は確かに触れ合った。
「待ってて!!」
その言葉は、呪いのように少女を縛り付けていた絶望を、一瞬で打ち砕いた。
(…来て、くれるの?)
(…本当に、待ってて、いいの?)
(…希望を持っても、いいの?)
自暴自棄になっていた心が、震える。
誰も助けてくれないと思っていた。
自分には価値がないと思っていた。
でも、この子は。
私と同じ顔をしたこの子は、私を「見て」くれた。
少女の瞳から、憎悪の赤色が消え、本来の薄紫色の光が戻る。
「…う、あああああっ!!」
少女は、メグたちを傷つけようとしていたエーテルの奔流を、自らの内側に無理やり押し込めた。
***
「実験体が制御に抵抗しています!逆流が発生!」
指揮車両の中で、技術兵が悲鳴を上げる。
「…なに?」
指揮官は驚愕する。
これまでの運用では、見られなかった現象。
(…ターゲットとの接触が原因か?)
想定外だ。だが、指揮官の冷静さは揺らがない。
「慌てるな。状況は変わらん」
指揮官は、手元の戦況マップを見下ろした。
実験体の暴走と、それによるエーテル場の乱れ。
その中心にいるターゲットと護衛たち。
彼らは今、実験体の暴走を抑えるために動きを止めている。
「好機だ。実験体とターゲット、両者の注意が互いに向いている今こそ、包囲を完成させる絶好の機会」
彼は、通信機を通じて全隊に新たな命令を下す。
「全部隊に通達。作戦を変更する」
「はっ!」
「ターゲットの逃走ルートを遮断しろ。実験体の暴走を利用し、奴らを一箇所に釘付けにする。隙を見て捕獲せよ」
少女の抵抗すらも計算に入れ、それを囮として利用し、メグたちを逃げ場のない檻の中へと追い込んでいく。
悪意が、静かに、確実に、メグたちを包囲し始めていた。
***
少女の身体が、内側からの圧力でミシミシと音を立てる。
骨が砕けるような激痛。
それでも、彼女は笑った。
今度は、狂った笑みではない。
痛みに歪みながらも、どこか誇らしげな、本当の笑顔。
「…うん」
彼女は、メグに向かって、唇を動かした。
『ありがとう。まってるね』
声にはならなかった。
でも、メグには確かに聞こえた。
その直後、工場の壁を突き破り、無数の兵士たちが雪崩れ込んできた。
「ターゲット発見!包囲しろ!」
「実験体は無視だ!ターゲットを確保せよ!」
退路を塞ぐように展開する兵士たち。
ヴォルフと雅が即座に身構えるが、数は圧倒的だった。
逃げ場はない。
(…逃がさないと)
少女は、迫りくる兵士たちを見つめ、瞳を細めた。
あの子との約束。
「待ってて」と言ってくれた、あの言葉。
それを守るためには、あの子をここで捕まえさせてはいけない。
それに、わたしはあの子の友達だから。
あの子を苦しめるなら、わたしだって、戦わなきゃ。
少女は、内側に押し込めていたエーテルの奔流を、自分たちの周囲ではなく、敵兵たちが押し寄せてくる方向へと一気に開放した。
凄まじい衝撃波が兵士たちを吹き飛ばし、瓦礫の壁を作り出す。
それは同時に、メグたちの退路を守る、鉄壁の障壁となった。
「なっ…!?実験体が、奴らを逃がすつもりか!?」
「指揮官!侵入ルートが塞がれました!」
兵士たちの狼狽する声が響く。
少女の周りに展開されていた攻撃的なエーテルが霧散し、代わりに、メグたちの退路を守るような障壁へと変化する。
「今だ!行くぞ、メグ!」
ヴォルフがメグを抱え上げる。
崩落が始まる廃工場。
「…っ!うん!」
メグは、遠ざかる少女の姿を目に焼き付けながら、その場を離れる。
瓦礫の向こう、煙に巻かれて見えなくなる少女。
彼女は最後まで、メグの方を見て、小さく手を振っていた。
(必ず、助ける。絶対に)
メグは、胸の中で強く、強く誓った。
その決意は、彼女を「守られるだけの存在」から、「戦うための存在」へと、確実に変えていった。