余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

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30. 結ばれた約束

「……ダメ、かな?」

 

工場の暗闇に響く、甘く、そしてどこまでも悲痛な声。

 

拘束された少女は、血走った瞳でメグをじっと見つめていた。

 

その瞳には、狂気と紙一重の、純粋な渇望が渦巻いている。

 

メグは、言葉を発することができなかった。

 

喉の奥が引きつり、声が出ない。

 

メグの脳裏に、クラヴィスから聞いた自身の身体の秘密が蘇る。

 

異常なエーテル親和性。

 

ホロウを支配する「触媒」としての適性。

 

かつて研究所で受けた数多の実験。

 

そこから導き出されるのは、彼女が私の――

 

「…おい、答えろ」

 

沈黙するメグに代わり、ヴォルフが一歩前に出る。

 

彼は銃口を下げず、しかし引き金には指をかけずに、少女を鋭く観察していた。

 

「お前、自分の意志でそこにいるんじゃねえな。…誰にやらされた?お前を作ったのは誰だ?」

 

ヴォルフは瞬時に悟っていた。

 

この少女は敵ではない。「兵器」だ。

 

ただ破壊を振りまくためだけに調整された人形。

 

メグのクローンか、あるいは模造品か。

 

いずれにせよ、まともな神経をした人間の所業ではない。

 

少女は、ヴォルフの問いにきょとんとした顔をする。

 

「…つくった? …知らない」

 

彼女は、本当に何も知らないようだった。

 

自分が何者なのか。

 

なぜここにいるのか。

 

なぜこんな姿なのか。

 

彼女の世界には、「痛み」と「命令」しか存在しないのだ。

 

「知らないの。…ただ、痛い。ずっと、痛いだけ」

 

少女は、再びメグに視線を戻す。

 

その瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。

 

「ねえ…教えて?」

 

彼女の声が震える。

 

「どうして、あなたは私と同じ顔をしてるの?」

 

「どうして、あなたは痛くないの?」

 

「どうして、あなたは…自由なの?」

 

純粋な疑問。

 

それが、メグの心を鋭いナイフのように抉る。

 

「どうして、あなたのまわりは…そんなに、あったかいの…?」

 

少女の視線が、メグの足元にいるシロや、背後に控える雅、そして隣に立つヴォルフへと向けられる。

 

彼女には見えるのだ。

 

メグを取り巻く、目に見えない絆の温もりが。

 

自分を取り巻く冷たく無機質な闇との、決定的な違いが。

 

「…ズルい…」

 

小さな呟きと共に、空間が軋むような音がした。

 

少女の感情の昂ぶりに呼応するように、彼女の身体から溢れ出すエーテルが暴走を始める。

 

紫黒色の稲妻が周囲の瓦礫を弾き飛ばし、鉄骨を飴細工のようにねじ曲げる。

 

制御を失った力の奔流は、無差別に周囲を破壊し、その余波はメグたちの方へも容赦なく押し寄せてきた。

 

「ッ!嬢ちゃん、防げ!」

 

ヴォルフが叫ぶと同時、雅が前に出て刀を一閃させる。

 

見えないエーテルの刃が衝撃波を切り裂くが、防ぎきれなかった余波がメグの頬を掠め、一筋の血が流れた。

 

「メグ!」

 

ヴォルフがメグを庇うように腕を伸ばす。

 

その温かさが、凍りついていたメグの声を解かした。

 

「…行けない」

 

メグは、吹き荒れるエーテルの嵐の中で、はっきりと答えた。

 

「私は、そっちには行けない」

 

その言葉に、少女の動きがピタリと止まる。

 

「…なんで?」

 

「私には…家族が…仲間がいるから」

 

メグは、シロを抱きしめ、いまは眠っているクラヴィスのことを思い浮かべる。

 

そして、いま自分を助けてくれているヴォルフと雅を見上げた。

 

真っ直ぐに少女を見つめ返す。

 

「私が自由なのも、温かいのも…全部、この人たちがいてくれたから。私一人じゃ、何もできなかった。…だから、私はこの人たちを置いて、そっちには行けない」

 

それは、拒絶だった。

 

けれど、少女を傷つけるための言葉ではなかった。

 

自分を支えてくれている大切な存在を、誇るための言葉だった。

 

少女は、呆然とメグを見つめていた。

 

やがて、彼女は力なく笑った。

 

「…そう、だよね」

 

分かっていた。

 

無意識のうちに、分かっていたのだ。

 

こんな痛くて、暗くて、寒い場所に、誰も来たいはずがないことくらい。

 

それでも、同じ顔をしたあの子なら、分かってくれるかもしれないと。

 

ほんの少しだけ、期待してしまっていた。

 

「…うん。わかってた」

 

少女は、糸が切れたように脱力した。

 

それと同時に、彼女の身体から溢れ出すエーテルが、爆発的に膨れ上がる。

 

感情の堤防が決壊し、絶望が濁流となって溢れ出したのだ。

 

暴走したエーテルが、少女自身をも傷つけ始める。

 

皮膚が裂け、血が噴き出す。

 

だが、彼女は痛みを感じていないかのように、ただ虚ろな瞳で天井を見上げていた。

 

もう、どうでもよかった。

 

痛いのも、辛いのも、全部。

 

***

 

「…実験体のエーテルが暴走しています」

 

廃工場から離れた指揮車両の中。

 

指揮官は、モニターに映し出される少女の暴走を、冷ややかに見つめていた。

 

「リミッターが外れたか。その力を利用しろ」

 

「はっ。調整を始めます」

 

技術兵がキーボードを叩く。

 

少女の背後にある装置が、不気味な駆動音を立てて唸りを上げた。

 

「あ゛っ…!?」

 

廃工場の中。

 

少女の身体が、ビクンと跳ね上がった。

 

自暴自棄になり、ただ力の奔流に身を任せていた彼女に、新たな、そしてより強烈な激痛が走る。

 

装置が、彼女の暴走したエネルギーを無理やり束ね、指向性を持つ「兵器」として再構築し始めたのだ。

 

「あ、があぁぁぁぁっ!!」

 

少女が絶叫する。

 

それは、自分の意思ではない。

 

見えない手によって、内臓を雑巾のように絞り上げられるような感覚。

 

「だ、大丈夫!?」

 

その悲痛な叫びに、メグが思わず声を上げる。

 

敵だと分かっていても、自分と同じ顔をした少女が苦しむ姿を、黙って見てはいられなかった。

 

少女はメグの声に答える余裕がないのか、苦しそうに顔を歪める。

 

その直後、彼女の意思とは無関係に、右腕がゆっくりと持ち上がった。

 

掌が、メグの方へと向けられる。

 

少女が必死に抵抗しようとするが、身体は言うことを聞かない。

 

掌に、どす黒いエーテルの光が収束していく。

 

ズドンッ!!

 

放たれた光弾が、メグの足元の地面を抉った。

 

爆風で吹き飛ばされ、メグは地面に転がる。

 

「メグ!」

 

ヴォルフが駆け寄り、抱き起こす。

 

「…くそっ、あいつら、あんなガキを…!」

 

ヴォルフが憎々しげに少女の背後のコンテナを睨む。

 

あそこに、遠隔操作のための受信機があるはずだ。

 

少女は、涙を流しながら、再び左手を持ち上げた。

 

今度は、ヴォルフと雅を狙っている。

 

彼女はもう、何も言わない。弁明もしない。

 

痛みも、悲しみも、抵抗する気力さえも、全てが磨耗しきっていた。

 

ただ、操り人形のように、破壊を撒き散らすだけ。

 

「ヴォルフ…!」

 

メグは、ヴォルフの腕を掴んだ。

 

「あの子を…助けたい!作戦考えよう!」

 

「…無理だ」

 

ヴォルフは即答した。

 

その声には、苦渋の色が滲んでいた。

 

「状況が悪すぎる。俺たちは今、敵の包囲網の中にいるんだ。あいつが暴れてくれているおかげで、包囲が崩れて逃げ道ができてる。…皮肉だがな」

 

ヴォルフは、崩れかけた工場の壁を指差した。

 

少女の攻撃によって壁が崩れ、外部へのルートが開いている。

 

「逃げるなら今しかねえ。あいつの拘束を解いてる時間なんてねえんだよ。それに、あいつを解放したところで、どうやって連れて行く?今のあいつは、触れるもの皆傷つける爆弾だぞ」

 

「…っ!」

 

メグは唇を噛み締める。

 

ヴォルフの言うことは正しい。

 

論理的で、合理的だ。

 

クラヴィスがいたら、きっと同じことを言っただろう。

 

でも、心が納得しなかった。

 

あの子は、私だ。

 

もし、私が逃げ出せていなかったら。

 

もし、クラヴィスがいなかったら。

 

もし、ひかりさんやヴォルフに出会えていなかったら。

 

あそこに繋がれて、泣き叫んでいたのは、私だったかもしれない。

 

彼女には、家族もいない。仲間もいない。

 

誰も、彼女の名前を呼んでくれない。

 

(…私が、味方にならなきゃ)

 

他の誰でもない。同じ痛みを知る私だけが、あの子の痛みを分かってあげられる。

 

「…よし」

 

メグは、ヴォルフの手を振りほどき、立ち上がった。

 

「メグ!?」

 

「ヴォルフ、雅さん。…道を作って。あの子のところまで」

 

メグの瞳に、強い光が宿る。

 

それは、恐怖を乗り越えた者だけが持つ、覚悟の光だった。

 

「助けることはできなくても…声なら、届くはずだから!」

 

***

 

「ほんっとに、手間のかかる嬢ちゃんだぜ!」

 

ヴォルフは悪態をつきながらも、口元に獰猛な笑みを浮かべた。

 

「雅の嬢ちゃん!道を開けるぞ!突っ込め!」

 

雅が音もなく疾走する。

 

少女から放たれるエーテルの弾幕を、最小限の動きで回避し、時には刀で弾き飛ばす。

 

その背後を、ヴォルフがワイヤーアクションでカバーし、メグの進路を確保する。

 

メグは走った。

 

潰れた足の激痛など、もう感じなかった。

 

爆風が頬を打ち、瓦礫が身体をかすめる。

 

それでも、彼女の目は、少女だけを捉えていた。

 

「…なんで?」

 

少女が、迫りくるメグに気づき、驚愕に目を見開く。

 

どうして?

 

どうして逃げないの?

 

私はあなたを殺そうとしているのに。

 

メグは、少女の目の前、エーテルの奔流が渦巻くギリギリの場所で立ち止まった。

 

そして、叫んだ。

 

「ねえ!私と、友達になろう!」

 

その言葉は、轟音にかき消されることなく、少女の耳に届いた。

 

少女の動きが、一瞬止まる。

 

「…とも、だち…?」

 

知らない言葉。

 

でも、なぜだか胸の奥が温かくなる響き。

 

「あなたのこと、今は助けてあげられない!」

 

メグは、涙を流しながら、必死に言葉を紡ぐ。

 

「でも、絶対!絶対に、そんなところから連れ出してあげるから!」

 

「あなたが苦しいなら、私が、あなたを傷つける人たちと戦う!」

 

「あなたが自由になりたいなら、私が、その鎖を全部、壊してあげるから!」

 

「だから…!」

 

メグは、少女に向かって、手を差し伸べた。

 

届かない距離。

 

でも、心は確かに触れ合った。

 

「待ってて!!」

 

その言葉は、呪いのように少女を縛り付けていた絶望を、一瞬で打ち砕いた。

 

(…来て、くれるの?)

 

(…本当に、待ってて、いいの?)

 

(…希望を持っても、いいの?)

 

自暴自棄になっていた心が、震える。

 

誰も助けてくれないと思っていた。

 

自分には価値がないと思っていた。

 

でも、この子は。

 

私と同じ顔をしたこの子は、私を「見て」くれた。

 

少女の瞳から、憎悪の赤色が消え、本来の薄紫色の光が戻る。

 

「…う、あああああっ!!」

 

少女は、メグたちを傷つけようとしていたエーテルの奔流を、自らの内側に無理やり押し込めた。

 

***

 

「実験体が制御に抵抗しています!逆流が発生!」

 

指揮車両の中で、技術兵が悲鳴を上げる。

 

「…なに?」

 

指揮官は驚愕する。

 

これまでの運用では、見られなかった現象。

 

(…ターゲットとの接触が原因か?)

 

想定外だ。だが、指揮官の冷静さは揺らがない。

 

「慌てるな。状況は変わらん」

 

指揮官は、手元の戦況マップを見下ろした。

 

実験体の暴走と、それによるエーテル場の乱れ。

 

その中心にいるターゲットと護衛たち。

 

彼らは今、実験体の暴走を抑えるために動きを止めている。

 

「好機だ。実験体とターゲット、両者の注意が互いに向いている今こそ、包囲を完成させる絶好の機会」

 

彼は、通信機を通じて全隊に新たな命令を下す。

 

「全部隊に通達。作戦を変更する」

 

「はっ!」

 

「ターゲットの逃走ルートを遮断しろ。実験体の暴走を利用し、奴らを一箇所に釘付けにする。隙を見て捕獲せよ」

 

少女の抵抗すらも計算に入れ、それを囮として利用し、メグたちを逃げ場のない檻の中へと追い込んでいく。

 

悪意が、静かに、確実に、メグたちを包囲し始めていた。

 

***

 

少女の身体が、内側からの圧力でミシミシと音を立てる。

 

骨が砕けるような激痛。

 

それでも、彼女は笑った。

 

今度は、狂った笑みではない。

 

痛みに歪みながらも、どこか誇らしげな、本当の笑顔。

 

「…うん」

 

彼女は、メグに向かって、唇を動かした。

 

『ありがとう。まってるね』

 

声にはならなかった。

 

でも、メグには確かに聞こえた。

 

その直後、工場の壁を突き破り、無数の兵士たちが雪崩れ込んできた。

 

「ターゲット発見!包囲しろ!」

 

「実験体は無視だ!ターゲットを確保せよ!」

 

退路を塞ぐように展開する兵士たち。

 

ヴォルフと雅が即座に身構えるが、数は圧倒的だった。

 

逃げ場はない。

 

(…逃がさないと)

 

少女は、迫りくる兵士たちを見つめ、瞳を細めた。

 

あの子との約束。

 

「待ってて」と言ってくれた、あの言葉。

 

それを守るためには、あの子をここで捕まえさせてはいけない。

 

それに、わたしはあの子の友達だから。

 

あの子を苦しめるなら、わたしだって、戦わなきゃ。

 

少女は、内側に押し込めていたエーテルの奔流を、自分たちの周囲ではなく、敵兵たちが押し寄せてくる方向へと一気に開放した。

 

凄まじい衝撃波が兵士たちを吹き飛ばし、瓦礫の壁を作り出す。

 

それは同時に、メグたちの退路を守る、鉄壁の障壁となった。

 

「なっ…!?実験体が、奴らを逃がすつもりか!?」

 

「指揮官!侵入ルートが塞がれました!」

 

兵士たちの狼狽する声が響く。

 

少女の周りに展開されていた攻撃的なエーテルが霧散し、代わりに、メグたちの退路を守るような障壁へと変化する。

 

「今だ!行くぞ、メグ!」

 

ヴォルフがメグを抱え上げる。

 

崩落が始まる廃工場。

 

「…っ!うん!」

 

メグは、遠ざかる少女の姿を目に焼き付けながら、その場を離れる。

 

瓦礫の向こう、煙に巻かれて見えなくなる少女。

 

彼女は最後まで、メグの方を見て、小さく手を振っていた。

 

(必ず、助ける。絶対に)

 

メグは、胸の中で強く、強く誓った。

 

その決意は、彼女を「守られるだけの存在」から、「戦うための存在」へと、確実に変えていった。

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