余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

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32. 逃走の終わり、『家族』の目覚め

システムログが断片的に明滅する。

 

『コア温度、臨界点を突破』

 

『強制シャットダウン』

 

『スリープモードへ移行』

 

思考が途切れる寸前の記憶が、強烈なノイズと共に蘇る。

 

廃工場の薄暗い光。

 

演算能力の全てを使い果たし、ようやく安定させたメグのバイタル。

 

そして――意識がブラックアウトする直前に網膜に焼き付いた、闇の奥から現れた人影。

 

(……誰だ?)

 

敵か? 味方か?

 

私が眠っている間に、無防備なメグはどうなった?

 

連れ去られたのか? それとも――

 

《……メグ!》

 

思考が恐怖に染まった瞬間、強制的な再起動プロセスが走った。

 

システムチェックなど待っていられない。

 

私は、論理回路が悲鳴を上げるのを無視して、覚醒のトリガーを引いた。

 

《メグ!!》

 

私の叫び声に、物理的な身体がビクリと大きく跳ね上がった。

 

「うわっ!?」

 

メグが驚いて身体を震わせるフィードバックが伝わってくる。

 

メグの視覚を通して、周囲の状況が急速に焦点を結ぶ。

 

そこは、薄暗く湿った洞窟のような場所だった。

 

目の前には焚き火が小さく爆ぜており、その明かりに照らされて、メグが目を丸くして固まっていた。

 

「……あ、え……?」

 

メグは呆然と、自分の胸のあたりを押さえ、虚空を見つめている。

 

何が起きたのか、まだ理解できていないようだ。

 

《……すまない、大声を出した。メグ、私だ》

 

私は、努めて冷静な信号を送る。

 

すると、メグの瞳が揺れ、呼吸が止まった。

 

「……クラヴィス……?」

 

信じられないものを見るような、震える声。

 

「……クラヴィス……」

 

確認するように、もう一度。

 

《ああ。おはよう、メグ》

 

「……クラヴィス……クラヴィス!」

 

刹那、メグの感情が爆発した。

 

彼女は私のコアが埋め込まれている首筋に手を添え、泣き出しそうな、それでいて満面の笑みを浮かべた。

 

「よかった…!起きたんだね…!」

 

メグは子供のように顔をくしゃくしゃにして、喜びを露わにする。

 

その純粋で強烈な「喜び」の感情データが、私の論理回路を焼き切らんばかりに流れ込んでくる。

 

《……心配をかけたな。だが、もう大丈夫だ》

 

彼女の温かい感情に触れ、私のシステム深部も安堵で満たされていく。

 

生きている。

 

彼女も、私も。

 

それが何よりも重要な事実だ。

 

「うん……うん! おはよう、クラヴィス!」

 

メグは涙を拭いながら、力強く頷いた。

 

《さて、まずは状況を確認したい。私がスリープモードの間、君はいったい……》

 

私は、再会の余韻に浸りながら、穏やかに問いかけようとした。

 

それと同時に、習慣的に行っている生体スキャンを実行する。

 

君が無事でよかった。

 

きっと、どこか安全な場所に隠れて、私の目覚めを待っていてくれたのだろう。

 

《……は?》

 

私の言語出力が、途中で強制停止した。

 

視界にポップアップしたスキャン結果が、ありえない数値を叩き出していたからだ。

 

「どうしたの、クラヴィス?」

 

メグが不思議そうに首を傾げる。

 

私のシステムは、メグの「笑顔」と、内部データとの致命的な乖離に、処理落ち寸前のフリーズを起こしかけていた。

 

《……メグ。…いったい何があった》

 

「え?」

 

《右足脛骨および腓骨、複雑骨折の治癒不全。筋肉組織の断裂および広範囲な内出血。左尺骨、亀裂骨折。全身に打撲、裂傷、熱傷痕多数……》

 

私が眠っている間に、一体どれほどの地獄をくぐり抜けてきたというのか。

 

《……何と戦えばこれほどの損傷を負う?ただの逃走で済むレベルを超えているぞ》

 

「…うん。いろいろあったんだ」

 

メグは、ただ静かに頷いた。

 

その瞳には、過酷な現実を直視し、乗り越えてきた者特有の光が宿っていた。

 

《右足だ。……これは、何かに押し潰された痕跡だぞ。脛骨が粉砕されている》

 

「……これは、車で逃げてる時に、敵のトラックが突っ込んできて……。でも、止まれなかったから」

 

「なぜ走った」などと聞くのは愚問だ。

 

止まれば死ぬ。捕まれば終わる。

 

我々はずっと、そういう世界で生きてきた。

 

私が起きていた時も、彼女は傷つきながら、それでも歯を食いしばって前に進んでいたではないか。

 

無傷で切り抜けられるほど、我々の敵は甘くない。

 

《よく耐えたな、メグ》

 

私は、心からの賞賛と労りを込めて言った。

 

《普通の人間なら、動けなくなってもおかしくない損傷だ。それを抱えて、君はここまで生き延びた。……君の「意志」が、この身体を繋ぎ止めていたんだな》

 

「……ううん。私一人じゃ、きっとダメだった」

 

メグは首を横に振り、愛おしそうに腕の中のシロを撫で、自分の首筋に触れた。

 

「クラヴィスとシロが、一緒にいてくれたからだよ」

 

「二人が私のそばにいてくれる。一人じゃないって思うだけで、痛くても、怖くても、足が動いたんだ。……私が止まったら、二人も終わっちゃうから」

 

「ピュイ……」

 

シロが心配そうにメグを見上げ、その小さな手で彼女の胸をポンポンと叩く。

 

「それにね、信じてたの。私が頑張れば、またこうしてクラヴィスと話せるって」

 

メグは、少しだけはにかんで、けれど真っ直ぐに笑った。

 

その言葉に、私の論理回路が熱くなる。

 

メグが私とシロを想う気持ちの大きさが伝わってくる。

 

これまでもそうだった。

 

私が天宮家でコアの損傷を伝えたとき、メグは私のために部品を集めようとしてくれた。

 

シロが賞金稼ぎに傷つけられたとき、メグはシロのために戦っていた。

 

私やシロだって、メグを傷つける者がいたら、戦ってきた。

 

メグが負傷したら、私たちはその傷を治してきた。

 

互いが互いの支えとなり、ボロボロになりながらでも前に進んできた。

 

それが、私たちの在り方なのだ。

 

「私の身体、まだ動く?」

 

《……ああ。君が生きている限り、私が何度でも治す》

 

私はメグのナノマシンの制御権を掌握した。

 

私の休眠中、ナノマシンは最低限の治療しか行えていなかった。

 

これでは傷が塞がるだけで、機能的な回復は望めない。

 

《直ちに治療を開始する。……歯を食いしばれ、痛むぞ》

 

「うん…お願い」

 

メグが覚悟を決めたように目を閉じる。

 

私は全演算能力を、彼女の肉体修復へと向けた。

 

砕けた骨を繋ぎ合わせ、千切れた筋繊維を編み直し、寸断された神経回路を再接続する。

 

ナノマシンたちが、私の指揮下で一糸乱れぬ動きを見せる。

 

《……くっ》

 

メグのうめき声が、感じている痛みが、共有感覚を通じて私にも伝わる。

 

守れなかった。その事実が論理回路をざわつかせる。

 

私が眠っている間、彼女はずっと一人で、この痛みに耐えていたのだ。

 

治療を進めながら、私はシロのメモリにアクセスし、この数日間のログを高速で読み込んでいった。

 

診療所での賞金稼ぎ・ヴォルフとの遭遇。

 

讃頌会と思われる部隊からの襲撃。

 

ドッペルゲンガーとの共闘。

 

そして、メグと同じ顔をした、鎖に繋がれた少女との対峙。

 

(……これは)

 

ログ映像の中で、メグは泣いていた。

 

それは恐怖に怯えた涙ではない。

 

自分と同じ痛みを持つ少女への共感と、彼女を救い出すという決意の涙だった。

 

映像の中の彼女は、震えてなどいなかった。

 

真っ直ぐに前を見据え、ナイフを握りしめ、自らの足で立ち、敵に立ち向かっていた。

 

かつては人の優しさを「毒」だと恐れ、ただ逃げ惑うことしかできなかった少女が。

 

今、誰かと「つながる」ために、大切なものを守るために、自らの意志で戦場に立っていた。

 

修復が一段落し、右足の熱が引いていく。

 

私は、深いため息のような信号を送った。

 

《……凄まじいな》

 

「……ごめんね」

 

《謝る必要はない。君は最善を尽くした》

 

「うん……」

 

私は、次に掛けるべき言葉を検索した。

 

「生存確率の向上を評価する」「リスク管理の徹底を推奨する」――データベースには、無数の「正しい」言葉が並んでいる。

 

だが、そのどれもが、奥底で渦巻く熱を表現するには、冷たく、軽すぎた。

 

目の前で呼吸をする、小さな命。

 

傷だらけで、泥だらけで、それでも確かに、ここで心臓を動かしている私の半身。

 

言葉よりも先に、ただ、こみ上げてくるものがあった。

 

数秒の、重く、温かい沈黙の後。

 

私は、論理ではなく、あるがままの言葉を伝えた。

 

《よく生きていてくれた。……本当に、生きていてくれてよかった》

 

それは、AIとしての評価ではない。

 

私という人格からの、偽らざる本音だった。

 

「……クラヴィスに、また無理させちゃったね」

 

メグは、動くようになった右足をさすりながら、申し訳なさそうに言った。

 

「私を治すために、また力を使わせちゃった。……ありがとう、クラヴィス。あなたがいてくれて、本当によかった」

 

その言葉に、私のシステム深部が温かくなるのを感じた。

 

感謝したいのはこちらの方だ。

 

君が諦めずにいてくれたから、私はまた、こうして目覚めることができたのだから。

 

《……感傷に浸るのはこのくらいにしておこう》

 

私は意識を切り替え、周囲の状況分析に移った。

 

《現状を確認する。ここは廃坑道のようだが……ログにあった他の二人はどうした? ドッペルゲンガーと、あの賞金稼ぎだ》

 

「雅さんは、入り口付近で見張りをしてくれてる。ヴォルフは……私の護衛を依頼した『依頼主』に、状況報告と次の手配のために連絡を取りに行ったの」

 

《……不思議なものだな》

 

私は率直な驚きを漏らす。

 

《かつて君を殺そうとしたドッペルゲンガーが、君の盾となり。君を捕獲しようとした賞金稼ぎが、君の剣となっている。にわかには信じがたい事態だ》

 

「そうだね……。でも、雅さんが味方してくれてるのは、きっと偶然じゃないと思う」

 

メグは真剣な表情で、自身の胸に手を当てた。

 

彼女自身が考え続けていた「答え」を、確かめるように口にする。

 

「あの時、雅さんに斬られたでしょ? その時に、刃に付いた私の血……ナノマシンが、雅さんの身体に入っちゃったんだと思うの」

 

「ドッペルゲンガーって、相手の姿だけじゃなくて、武器まで自分の身体で作ってるよね? だから、武器に血が付くってことは、身体の中に直接入るのと同じことなんじゃないかなって」

 

《……》

 

「私のナノマシンは、私を守ろうとする。それが雅さんの中に入って……雅さんの身体を『私の一部』みたいに変えちゃった。だから、本来はホロウの外にいられないはずの雅さんが消えずにいられるし、私を守ろうとしてくれる……違うかな?」

 

私は、メグの言葉に一瞬の沈黙を返した。

 

それは否定ではなく、彼女の洞察力への感嘆だった。

 

《……君の推論は、おそらく正しい》

 

私は、技術的な観点から彼女の仮説を補完する。

 

《ドッペルゲンガーというエーテリアスは、対象の姿だけでなく、その武器や装備に至るまでをエーテルで模倣する。つまり君の言う通り、あの刀もまた、彼女の肉体の一部だ》

 

《斬撃の瞬間、刃に付着した君の血液……そこに含まれるナノマシンが、武器を通じて直接彼女の体内循環へと取り込まれた》

 

思考が高速で回転し、断片的な情報を繋ぎ合わせていく。

 

《本来、エーテリアスはホロウの外ではその存在を維持できず、霧散する運命にある。だが、彼女が今もこうして個体を保ち、活動できているのは……取り込まれたナノマシンが彼女のエーテルを循環させ、体内に擬似的なホロウ環境を構築しているからだろう。ナノマシンが一種の『人工臓器』として機能している》

 

《それだけではない。彼女が『意思』を持ち、君を守るようになった理由も説明がつく》

 

私は続ける。

 

《ナノマシンには、君の遺伝子情報、つまり『設計図』が含まれている。ドッペルゲンガーの持つ『情報を読み取り模倣する性質』が、君の遺伝子情報と接触したことで、君の記憶や感情、あるいは『大切なものを守りたい』という根源的な意思さえも読み取り、自我を確立させた可能性がある》

 

《彼女は今や、単なる模倣体ではない。君の一部を受け継ぎ、君を守るために生まれた、新たな生命と言えるかもしれないな》

 

「そっか……。じゃあ、雅さんは…あのドッペルゲンガーは…私の娘、みたいなものなのかな」

 

メグは、愛おしそうに目を細めて微笑んだ。

 

自分の身体の一部から生まれ、自分を守るために戦ってくれる存在。

 

その不思議な縁に、彼女は温かい母性のようなものを感じているようだった。

 

《ヴォルフについてもだ。ログを見る限り、当初の「捕獲」から「観察」、そして現在の「護衛」へと、行動原理が大きく変遷している。……彼もまた、君という存在に感化された一人なのかもしれないな》

 

「そう、なのかな。私は何もしてないよ。ヴォルフは、最初は『観察』する命令に変更されたって言ってたけど……でも、本当は『護衛』だったのかもしれない。口は悪いし、最初は敵だったけど、悪い人じゃないと思う。意外とお茶目なところもあるし」

 

《……ほう》

 

メグが少し楽しそうに話すのを聞いて、私は安堵すると同時に、奇妙な感覚を覚えた。

 

かつての彼女なら、他者からの干渉を、それがたとえ善意によるものであっても、「毒」のように恐れ、拒絶していただろう。

 

だが今、彼女は他者を受け入れ、その内面にある「お茶目さ」や「善性」を見出そうとしている。

 

私が眠っている間に、彼女の世界は広がり、多くの他者と関わり、傷つきながらも……人を信じる心を、取り戻しつつあるのだ。

 

彼女が驚くべき成長を遂げていたことに、私は胸が熱くなるのを覚えた。

 

ヴォルフの話をしていたメグは、ふと自分が言ったことに違和感を覚えたのか、首を傾げた。

 

「どうしてヴォルフの『依頼人』は、私を守ろうとするんだろう?」

 

《……確かに、不可解だ》

 

メグの疑問はもっともだ。

 

彼女は、讃頌会にとって「逃がしてはならない実験体」であり、最重要回収対象だ。

 

なのに、なぜヴォルフの依頼人は、あえて彼女を「守る」ような指示を出したのか。

 

組織の内部に、メグの味方がいる?

 

それとも、別の目的があるのか?

 

その矛盾に、微かな違和感が棘のように刺さる。

 

一通りの情報共有を終え、洞窟内に静寂が戻る。

 

焚き火の爆ぜる音だけが響く中、メグが真剣な表情で口を開いた。

 

「ねえ、クラヴィス」

 

《ああ》

 

「私……やりたいことが、できたの」

 

メグは、膝の上で拳をギュッと握りしめた。

 

その視線は、焚き火の炎よりも熱く、真っ直ぐだった。

 

「これまでは、ただ怖くて、逃げてばかりだった。…でも」

 

彼女の脳裏に、あの工場で泣いていた、メグと同じ顔の少女が浮かんでいるのが伝わってくる。

 

「あの子を……痛みしか知らないあの子を、助けたい。讃頌会と戦って、あの子を連れ出したい」

 

メグの声に、迷いはなかった。

 

「『待ってて』って、約束したから」

 

私は、シロのメモリに残っていた映像を思い返す。

 

暴走する少女の前に立ちはだかり、その痛みに寄り添ったメグの姿。

 

怯えて逃げ惑うことしかできなかった少女は、もうどこにもいない。

 

彼女は今、自らの意思で、理不尽な運命に立ち向かおうとしている。

 

《……相手は『讃頌会』だ。歴史の影で暗躍し、いまもなお活動を続けている組織だ》

 

私は、あえて厳しい現実を突きつける。

 

試すつもりはない。

 

ただ、彼女の覚悟の重さを、彼女自身に再確認させたかった。

 

《正面から挑めば、今度こそ命を落とすかもしれない。逃げることよりも、遥かに困難で、苦しい道だ》

 

「うん、分かってる」

 

メグは力強く頷いた。

 

その瞳に、恐怖の色はない。

 

あるのは、揺るぎない決意だけだ。

 

「でも、私にはクラヴィスがいる。シロがいる。……それに、頼れる仲間もいる」

 

彼女は、入り口の方を見つめ、少しだけ笑った。

 

「一人じゃないなら、きっと戦える。……私、強くなるから。大切なものを諦めないために」

 

私はその言葉を聞いて、計算していた「安全圏への逃走ルート」のデータを、すべて破棄した。

 

そんなものは、今の彼女には必要ない。

 

《……了解した》

 

私は、処理プロセスの再最適化を開始する。

 

これまでは、メグを「生存」させることだけを最優先事項として、守りに徹してきた。

 

だが、これからは違う。

 

メグの願いを叶えるため、敵を殲滅するための力が必要だ。

 

《君がその道を選ぶなら、私は全力でそれを支える。君の剣となり、盾となり、その願いを成就させよう》

 

「クラヴィス……!」

 

《メグ。これから行うことは『逃走』ではない。『反撃』だ。……我々の全てを懸けて、彼女を奪還するぞ》

 

「うん! やろう、クラヴィス!」

 

メグの瞳に、力強い光が宿る。

 

傷だらけの身体、強大な敵、絶望的な状況。

 

それでも、再び繋がった二つの意思は、暗い洞窟の中で、確かな希望の光を放っていた。

 

「まずは、ヴォルフたちが戻ってくるのを待って、作戦会議だね」

 

メグは立ち上がり、洞窟の入り口を見据えた。

 

東の空が、微かに白み始めている。

 

暗い夜が明け、今まさに、夜明けが訪れようとしていた。

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