余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

34 / 38
更新が遅くなり申し訳ありません。
少しスランプ気味だったので、執筆から距離を置いていました。

可能な限り、週1本ペースで更新していきますので、またお付き合いいただけると嬉しいです。


34. 忠誠の形

湿った路地裏の空気が、一瞬で凍りついたようだった。

 

ひかりは、背後に控えるリオンとノエルを庇うように一歩前に出る。

 

その瞳は、眼前に佇む派手な化粧の男――ヴィクターを鋭く射抜いていた。

 

「あらぁ……。そんなに怖い顔をしないでちょうだい、お嬢様。お肌に障るわよ?」

 

ヴィクターは艶然とした笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄る。

 

その一歩ごとに、物理的な重圧が路地の壁を伝って押し寄せてくるようだった。

 

男の視線が、ねっとりとひかりの肌を這うように動く。

 

それは、私たちが店に入る直前に感じていた、あの不快な視線そのものだった。

 

やはり、彼がリオンさんたちを狙っていた尾行者なのか。

 

ひかりはインカム越しに聞こえたヴァレリウスの警告を反芻する。

 

「包囲されつつある」という言葉。

 

目の前の男がその包囲網の主導者であるとすれば、状況は最悪だ。

 

ひかりは呼吸を整え、冷徹な声で問う。

 

「貴方が、私たちの後をつけていた方かしら? ……目的は何? その二人をどうするつもり?」

 

ひかりの問いに、ヴィクターは「心外ねぇ」と言わんばかりに、大仰に肩をすくめて見せた。

 

「あら、お嬢様こそ。うちの大事なスタッフを、ずいぶんと長いこと独り占めしてくれたじゃない。おかげで、嗅ぎつけてきた外の薄汚いネズミどもを掃除する手間が増えちゃったわよ」

 

「……ネズミ、ですって? …貴方が、彼女たちを無理やり連れ戻そうとする『組織』の人間なのではなくて?」

 

一触即発の空気。

 

ひかりが腰の得物に手をかけようとしたその時、背後から服の裾を引く感触があった。

 

「ひかりさん……待って」

 

ノエルだ。

 

彼女は大きなフードの下で、怯えたように、けれど確かな確信を持ってヴィクターを見つめていた。

 

「ノエルさん、下がってて。この男は――」

 

「違うの、ひかりさん。この人……私、知ってる。リアム先生……リアム先生と一緒にいた時に、戦った人なの」

 

ノエルの言葉に、ひかりの眉が微かに動く。

 

エイゼン側の戦力として、リアムや子供たちの前に立ちはだかった怪人。

 

ノエルは覚えていたのだ。

 

そして、今なお彼女の口から漏れる「先生」という呼び名。

 

真実を知ってもなお、かつて抱いた信頼の名残が、彼女の中に棘のように刺さっている。

 

一方でリオンは、「え、誰やこの派手な人……? ウチ、こんな知り合いおったっけ?」と、記憶の糸を必死に手繰り寄せている様子だった。

 

ノエルは震える声を振り絞り、ヴィクターに向き直った。

 

「……あの。ひかりさんは、悪い人じゃないです。ただ……私たち、一緒にお茶を飲んで、お話ししてただけなんです」

 

「あら、そう。ただのお茶会、ねぇ……」

 

ヴィクターの視線はノエルを掠め、再びひかりへと固定される。

 

その瞳に宿る冷徹な光は、少しも衰えていない。

 

「だったら、この周囲を囲んでいる『武装した子たち』は何かしら? ただのお茶会に、これだけの数の私兵を動員して完全な包囲網を敷く……。それがお嬢様の『おもてなし』の流儀なのかしら?」

 

「……っ」

 

ひかりは息を呑んだ。

 

ノエルがその言葉を聞き、驚いたようにひかりを振り返る。

 

ノエルの「耳」は、ヴィクターの言葉に一切の嘘がないことを告げていた。

 

「……本当なの? ひかりさん。私たち、囲まれてるの?」

 

「それは……」

 

ひかりは一瞬、言葉に詰まった。

 

包囲網のことは、ヴァレリウスが自身の判断で手配したものだ。

 

ひかり自身は感知していなかった。

 

けれど、あの老執事が独断で動くときは、必ず正当な理由がある。

 

二人を狙う不穏な気配を察知したからこそ、先手を打ったのだろう。

 

そしてひかりは、その判断が間違いだとは微塵も思わなかった。

 

「……貴女たちを守るために、ヴァルが手配したのよ。貴女たちを狙う不審な影があったから」

 

ひかりはヴィクターを指し示した。

 

「貴方のことよ。貴方が、彼女たちを狙う『敵』ではないという証拠はどこにあるの?」

 

「ふふ、傑作ね。……あたしが、彼女たちを狙う『敵』? 面白い冗談ね」

 

ヴィクターは呆れたように首を振り、紅い唇を歪めて嘲笑した。

 

「あたしが掃除したのは、あなたが『敵』と言っているネズミたちよ。それよりも、お嬢様」

 

ヴィクターが一歩踏み出す。

 

その圧力に、路地の空気が軋む。

 

「ボスの大事なスタッフを無断で連れ回した挙句、武装した私兵でこの店を包囲している……。客観的に見て、彼女たちを『無理やり』どうこうしようとしているのは、どちらかしら?」

 

膠着状態。

 

ひかりはヴィクターが「尾行者」ではない別の敵を排除したと言っていることを知り、思考を巡らせる。

 

だが、この男がエイゼンの味方であるという保証はまだどこにもない。

 

ひかりに揺さぶりをかけているだけの可能性も捨てきれないのだ。

 

その沈黙を破ったのは、リオンの声だった。

 

「ちょい待てや。……あんた、エイゼンの使いっ走りか?」

 

張り詰めた空気を切り裂くように、リオンがひかりの横から顔を出した。

 

緊張感のかけらもないその声に、ひかりが驚いて振り返る。

 

ヴィクターは片眉を器用に上げ、この場に似つかわしくない白衣の女を見下ろした。

 

「あら。使いっ走りとは失敬ね。優秀な『ビジネスパートナー』と呼んで欲しいわ」

 

「口が減らんやつやな。…ええわ。そこのド派手な厚化粧が敵か味方か、ウチが試したる」

 

「リオンさん、何を…?」

 

ひかりが止めようとするのを手で制し、リオンは不敵に笑ってヴィクターに指を突きつけた。

 

「質問は三つや。答えられたら、あんたを信じたる。……一つ! エイゼンが徹夜明けに必ず飲む、常人なら一口で気絶する飲み物の名前は?」

 

ヴィクターはふっと鼻で笑い、即座に答える。

 

「『高濃度エーテル入りブラック。シュガー抜き、カフェイン3倍、隠し味にタウリン2000mg』。……もちろん、エーテルなんて入ってないただの覚醒作用重視の激マズ缶コーヒーだけど、飲むだけで胃に穴が開きそうな、中々物騒な商品名よね」

 

「正解や。……二つ! あいつが計算に行き詰まった時、無意識に机を叩くリズムの法則は?」

 

「素数。2、3、5、7、11……。一度始まるとエンドレスよ。あれ、知らない人が見たら相当な威圧感あるわね」

 

「よう観察しとるな。……最後や」

 

リオンの瞳から、試すような色が消え、真剣な光が宿る。

 

「エイゼン・フォークトが、この世で一番嫌いな言葉は?」

 

ヴィクターから、ふざけた雰囲気が消えた。

 

彼は背筋を伸ばし、主への深い敬意と、少しの呆れを込めて言い放つ。

 

「『不可能』。……それから、『妥協』ね」

 

その答えを聞いた瞬間、リオンはパンと手を叩き、大きく頷いた。

 

「はい終了!降ろしや、2人とも。あんたは、間違いなくエイゼンの部下やわ。あいつの生態をここまで把握してんのは、身内かストーカーくらいや」

 

「リオンさん、いいの……?」

 

ひかりが警戒を解かずに問う。

 

リオンはあっけらかんと笑った。

 

「ええよ。そこの派手なお兄さんも、すまんな。ひかりちゃんは、ウチらを捕まえようとしてたんやない。ウチらを助けようとしてくれてたんや。」

 

ヴィクターは数秒、ひかりを観察するように見つめた後、ふぅと長い溜息をついて肩の力を抜いた。

 

「…そう。悪かったわね、お嬢様。おいたが過ぎる連中を片付けた後だったから、少し気が立っていたの」

 

「…こちらこそ。貴方を『追手』だと勘違いしてしまったわ。ごめんなさい」

 

互いに頭を下げ合う。

 

張り詰めていた空気が、ようやく和らいだ。

 

ひかりはふと思い出したように、目の前の男に問いかけた。

 

「そういえば、まだ名前を伺っていなかったわね。貴方は…?」

 

「あら、失礼したわね。ヴィクターよ。部隊の分隊長をしているわ。……以後、お見知りおきを、お嬢様?」

 

ヴィクターは芝居がかった仕草で一礼して見せた。

 

「ヴィクターさんね。私は天宮ひかり。……ヴァル、聞こえる? 状況が変わったわ。彼らは敵ではない。警備隊の警戒を解いてちょうだい」

 

ひかりがインカムに指示を飛ばすと、路地裏に満ちていた刺すような緊張感が、潮が引くように消えていった。

 

「ヴィクターさん。貴方の目的は、やはり彼女たちの『護衛』かしら?」

 

「そうよ。ボスから『お使いに出ている二人を護衛しろ』って命じられていたのだけど……。寄り道が長すぎて、あたしも退屈していたところ」

 

ヴィクターはわざとらしく肩をすくめて見せた。

 

「エイゼンの奴、護衛を付けるなら最初から言っとけや! ホンマ、言葉が足らんやつやな!」

 

リオンが毒づくと、ノエルが苦笑しながら「エイゼンさんらしいですね」と宥める。

 

「それで、ヴィクターさん。エイゼン博士とは連絡はつくかしら? さっきリオンさんが掛けたのだけど、繋がらなかったの」

 

ひかりの問いに、ヴィクターは、思考を巡らせた。

 

今、研究所は讃頌会の長官による査察と、それを迎え撃つための準備で戦場同然のはずだ。

 

二人を戻すわけにはいかない。

 

「ああ、さっきまで連絡してたわよ。ボス、今はちょっと立て込んでてね。……そうそう、ボスから伝言を預かってたわ」

 

「伝言?」

 

ノエルが身を乗り出す。ヴィクターは悪戯っぽく、指先で唇をなぞった。

 

「『ずっと研究所に閉じこもっているのは、ノエルにも毒だ。ほとぼりが冷めるまで、外でしばらく遊んでいろ』……だって。お使いを頼んだのも、体裁の良い連れ出し口実だったってわけ。言い方はあたしの方で、少しマイルドにしてあげたわよ♡」

 

「エイゼンさんが……そんなことを? あんまりイメージつかないな……」

 

ノエルは目をぱちぱちさせた。

 

(……今の音、変な感じがする。……嘘じゃないと思うけど……)

 

ノエルの「耳」は、ヴィクターの言葉に混じる奇妙なノイズを感じ取っていた。

 

でも、それが何を意味するのか、ノエルには分からなかった。

 

リオンは腕を組んで、何かを深く考え込んでいるようだった。

 

「……そうねぇ。せっかくだし、こちらのお嬢様に甘えさせてもらったらどうかしら?」

 

ヴィクターが畳みかけるようにひかりを見た。

 

「積もる話もありそうだし、何より、天宮の警備は盤石そうだしね。良ければ、この二人を預かってくれないかしら?」

 

ひかりは、ヴィクターの真意を測るようにその瞳を見つめた。

 

先ほどまでの対峙を振り返る。

 

彼はひかりが『TOPS』に名を連ねる天宮家の令嬢であると認識していたはずだ。

 

それでも、リオンとノエルへの危害を疑った瞬間、躊躇なく殺気を叩きつけてきた。

 

(……ヴィクターさんにとって、エイゼン博士の意思は、何よりも優先されるものなのね)

 

それほどの忠誠心を持つ相手が、大切な二人を私に託そうとしている。

 

これは、少なくともエイゼン博士も私を敵とは見なしていないということだろうか。

 

だとすれば、この提案は渡りに船だ。

 

リオンとノエルを守りながら、エイゼン博士への糸口を繋ぐ――今の彼女にとって、これ以上の好機はない。

 

「お二人が良いのなら、喜んで」

 

ひかりは毅然とした態度で頷き、リオンとノエルに向き直った。

 

その表情には、どんな事情があろうとも二人を守り抜くという、誇りと覚悟が滲んでいた。

 

すかさず、ヴィクターが二人の背中を押すように口を開いた。

 

「ほら、決まりね。リオンちゃん、ノエルちゃん。お言葉に甘えてきなさい。天宮のセキュリティは万全よ。今のあなたたちには、最高の隠れ家になる。それに、ボスからの『休暇命令』を遂行するなら、薄暗い研究所に戻るより、お嬢様の屋敷で優雅に過ごす方がよっぽど建設的でしょう?」

 

ヴィクターの強引な説得と、ひかりの歓迎するような眼差しに、リオンは少し悩み、ノエルの顔を覗き込んだ。

 

ノエルが小さく頷くのを見て、リオンは決断した。

 

「……しゃーない、少しだけ厄介になろか。……あ! ちょい待ってや!」

 

リオンが急に声を上げた。

 

「ウチ、大事な機材とか資料を研究所に置いてきてしもたんや。厄介になると言うても、放置したままにするのは気が気やなくて……」

 

「あら、心配性ね。大丈夫よ、研究所にはボスがいるわ。リオンちゃんの大事な機材くらい、ちゃんと守ってくれるわよ」

 

ヴィクターが軽く肩をすくめる。

 

「むぅ……そうやけど……」

 

「落ち着いたら取りに行けばいいでしょう? 今はとにかく、お嬢様のところで大人しくしてなさい。リオンちゃん、理由付けて研究所に戻りたいだけでしょ? ノエルちゃんもいるんだから、自重しなさいな」

 

ヴィクターがたしなめるように言うと、リオンは観念したように両手を上げた。

 

「バレたか……。しゃーない、ヴィクターさんの言う通りにするわ」

 

ひかりは別れ際に、ヴィクターに一歩歩み寄った。

 

「ヴィクターさん。もしエイゼン博士と連絡が取れたら……今すぐでなくてもいい。私を繋いでくれないかしら。彼から、聞かなければならないことがあるの」

 

「……さっき言ってたことね。いいわ、ボスに会ったら伝えておく。連絡するように、ね」

 

ヴィクターはひかりにウィンクをして見せた。

 

「改めてさっきは悪かったわね。また会いましょう、お嬢様。……二人をよろしくね」

 

ヴィクターはひらひらと手を振り、闇の中に溶け込むように姿を消した。

 

***

 

「……ふぅ。冷や汗ものね」

 

路地から数ブロック離れたビルの屋上。

 

ヴィクターは派手なコートを翻し、夜風に吹かれていた。

 

手元の通信端末を操作し、周囲に潜ませている部下たちに暗号信号を送る。

 

『引き続き、リオンたちを遠巻きに護衛しなさい。天宮家の警備隊とは接触しないように。あたしもすぐ合流するわ』

 

あたしの任務は、リオン達を護衛し、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らって、ボスが用意した箱舟まで送り届けること。

 

天宮家という強固な盾を手に入れたとはいえ、任務が完了したわけではない。

 

(さて、と)

 

ヴィクターは端末をポケットにしまい、夜空を見上げた。

 

さきほど、リオンが「研究所に戻りたい」と言い出した時、正直なところ心が揺れた。

 

護衛対象の「望み」を叶えるという名目なら、研究所に足を運ぶ理由になる。

 

エイゼンのもとに、駆けつける口実になる。

 

だからこそ、ヴィクターはリオンを諭した。

 

自分自身に言い聞かせるように。

 

『戻ってくるな』

 

ボスの声が、今も耳の奥で響いている。

 

あの時の沈黙。

 

多くを語らない男が、あの一言に込めた意味。

 

『お前たちがいても邪魔なだけだ』

 

その言葉が本心でないことくらい、ヴィクターには分かっていた。

 

足手まといだと思っているなら、最初からこんな任務は与えない。

 

部下を信頼しているからこそ、自分にあの二人を任せたのだ。

 

『土産話、楽しみにしてるわよ』

 

ヴィクターはそう言ってエイゼンからの通信を切った。

 

それは、ボスの「戻るな」という命令を受け入れた上での、別れの言葉だったはずだ。

 

「……最後まで、やり遂げるわ」

 

ヴィクターは静かに呟いた。

 

エイゼンが長官と戦うにあたって、ヴィクターに与えた役割は「リオンとノエルを守ること」

 

それは、エイゼンがヴィクターに託した信頼の形だ。

 

ならば、その信頼に応えることこそが、最大の忠誠。

 

ヴィクターの唇が、艶然と弧を描く。

 

「ボスの命令は絶対よ。『戻るな』って言われたんだから、戻らない。……それだけのことよ」

 

誰に聞かせるでもない言葉。

 

けれどそれは、主への変わらぬ忠誠の証明でもあった。

 

ヴィクターは、研究所がある方角へと視線を向けた。

 

「今度会ったら、とびきりいい酒でも開けましょうか。ゆっくり聞かせてもらうわ、ボスの武勇伝」

 

その言葉を夜風に託し、ヴィクターはビルの屋上から姿を消した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。