余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた   作:夜琥

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37. 泥を被る覚悟

オイルの匂い。金属が焼け焦げる匂い。

 

そして、重低音を響かせるエンジンの駆動音が、鼓膜をびりびりと震わせる。

 

新エリー都の郊外、『トライアンフ』のガレージ。

 

ポンペイさんと直接言葉を交わし、ここに身を寄せることになってから、すでに数日が経過していた。

 

ここには、むせ返るような「生」の熱気が充満している。

 

「いっ、ってえええ!」

 

「動かないでね。傷口が開いちゃうから」

 

私は静かに声をかけて、大柄な男の太い腕に巻かれた、血のにじむ包帯を少し強引に剥ぎ取った。

 

トライアンフの走り屋の一人であるザックは、大げさに顔をしかめて身をよじった。

 

「頼むよメグちゃん! もう少し優しく……」

 

「古い包帯のままだと化膿しちゃうから。……はい、消毒するよ」

 

「ぎゃあああっ!!」

 

私が消毒液を染み込ませた布を傷口に押し当てると、ザックは情けない悲鳴を上げた。

 

その声を聞いて、周囲でバイクの整備をしていた他の走り屋たちが、ドッと遠慮のない笑い声を上げる。

 

「ダッセェなザック! 泣いてんじゃねえよ!」

 

「メグちゃんに泣きついて手当てしてもらってるとか、どの面下げて親分に報告すんだ?」

 

「うるせえ! お前らだって昨日、メグちゃんに湿布貼ってもらってデレデレしてただろうが!」

 

喚き散らすザックたちを尻目に、私は黙々とザックの腕に新しい包帯を巻き、手際よく固定した。

 

右半分の顔を覆う分厚い包帯の下では雅さんが私の「痛々しい火傷痕」として静かに息を潜めている。

 

膝の上では、シロが、丸くなって横になっていた。

 

「……終わったよ。しばらくは、無理に動かさないでね」

 

「おう……助かったぜ、メグちゃん。ここ数日見てたが、キャロット作るだけじゃなくて手当てもすげえ上手いんだな」

 

「……痛いのは嫌だから。誰かが痛がってるのを見るのも」

 

怪我をしている人を放置できなかった。ただそれだけのことだ。

 

「違いねえ」とザックは豪快に笑い、私の頭を乱暴に、しかし明確な親愛を込めて撫でようとした。

 

私が少しだけ身をすくめてしまい、彼はハッとして手を止め、「わりぃ」と気まずそうに頭を掻いた。

 

私は小さく首を振って、救急箱を片付けた。

 

ガサツで、声が大きくて、乱暴。

 

でも、ここには嘘がない。彼らの笑い声には裏がない。

 

痛ければ叫び、嬉しければ笑う。

 

この数日で分かった、ただそれだけの当たり前の命の形がここにあった。

 

ヴォルフは今、ここにいない。

 

「セーフハウスの確認をしてくる。俺の仕事だ」と言って、昨日の夜から拠点を出ていた。

 

彼がいないことに不安はない。私たちはお互いの役割を分かっている。

 

私もここで、自分のやるべきことをやらなくちゃいけない。

 

顔色を伺わなくていい、この活気ある場所で。

 

あの子を助けるための反撃の準備を、一つずつ確実に進めていくんだと、私は密かに気合を入れ直した。

 

――しかし、その気合に水を差すように、ガレージの空気が唐突に変わった。

 

入り口付近が、さざ波が引くように静まり返ったのだ。

 

工具のぶつかる音も、粗野な笑い声も消え、ただ重苦しい沈黙だけが伝染していく。

 

走り屋たちが、サッと道を空ける。

 

そこに立っていたのは、二人の男だった。

 

一人は、威圧感を纏わせた寡黙なシリオン、モルス。

 

そしてもう一人は、仕立てのいい服を着崩し、口元に柔らかな笑みを浮かべた男――トライアンフのNo.2、ルシウスだった。

 

「やあ、邪魔をして悪いね。皆、整備は順調かな?」

 

ルシウスが穏やかな声でそう言うと、周囲の走り屋たちは緊張した面持ちで短く会釈をした。

 

覇者であるポンペイへの敬意とは明らかに違う、恐怖と警戒の入り混じった態度。

 

ルシウスの視線が、一直線に私を捕らえた。

 

彼がゆっくりと近づいてくる。

 

その口元に張り付いた「優しい笑顔」を見た瞬間、私の背筋にゾッと冷たいものが走った。

 

トラウマが、警鐘を鳴らす。あの笑顔を知っている。

 

対象を「人間」ではなく「便利な道具」や「実験動物」として見ている時の、冷え切った目の奥。

 

研究員たちと同じ、甘い毒の匂い。

 

『心拍数の上昇を検知。鎮静プロトコルを実行を推奨』

 

『……大丈夫。平気だよ、クラヴィス』

 

私はクラヴィスに答えながら、深く息を吸い込んだ。

 

私の後ろには仲間がいて、足元には自分が選んだ戦いがある。

 

私は表情を一切崩さず、彼を真っ直ぐに見据えた。

 

「やあ。もうここには馴染んだかい?あの時の君の堂々とした覚悟……横で聞かせてもらって、とても感銘を受けたよ」

 

ルシウスは私の前に立ち止まると、親しげに語りかけてきた。

 

「今日は君に、折り入って頼みがあってね。近々開催される『ツール・ド・インフェルノ』……我らが親分が、その王座を確固たるものにするための、重要なレースだ」

 

「……」

 

「君の腕を見込んで、レースに向けた特別なルート選定をお願いしたい。親分を、安全かつ確実に勝利へ導くための道をね」

 

組織のNo.2が、トップの勝利のために腕利きのプロキシを頼る。

 

表向きは、何もおかしくない、もっともらしい口実だ。

 

しかし。

 

『メグ。対象が提示したルート要件と君の記憶を照合する』

 

脳内で、クラヴィスの演算結果が響く。

 

『自由なルート選択が可能なレースであるにも関わらず、彼が「安全確保のため」と指定した経由条件は、君の記憶にある「『カリュドーンの子』に対する妨害工作を行う地点」へと意図的に誘導する設定になっている。結論――「ポンペイ暗殺と『カリュドーンの子』妨害工作」の前準備の確率、98%と推測される』

 

数日前、拠点でクラヴィスと擦り合わせていた通りだ。

 

ツール・ド・インフェルノ。ルシウスの裏切り。

 

彼はポンペイさんを勝利させる気などないし、カリュドーンの子に対してもそうだ。

 

彼が私に求めているルートは、『カリュドーンの子』が「不幸な事故」に遭うポイントを洗い出すためのものであり、ポンペイさん誰にも知られず始末するためのもの。

 

ルシウスは、私にポンペイさんの「死出の道」を引かせようとしている。

 

腹の底から吐き気が込み上げてくるのを、私は必死に飲み込んだ。

 

ここで拒絶してはいけない。

 

彼らの目的を知らない「プロキシ」を演じきらなければ、ルシウスたちを出し抜けない。

 

「……うん、分かった」

 

私は、努めて平坦な声で短く答えた。

 

「親分の勝利のためのルートだね。引き受けるよ」

 

「素晴らしい」

 

ルシウスは満足そうに手を叩き、さらに口角を上げた。

 

その笑顔が、ひどく醜く見えた。

 

「では、さっそくホロウに入ろう。現地の事前調査といこうじゃないか」

 

私は無言で頷き、膝の上のシロを抱え上げた。

 

包帯の下で、雅さんの流体がかすかに熱を帯びるのを感じる。

 

――これは罠だ。カリュドーンの子を、そしてポンペイさんを陥れるための真っ黒な罠。

 

でも、私がその罠のド真ん中に立たなければ、ポンペイさんを死の運命から引きずり下ろすことはできない。

 

私の目的はあの子を助けること。

 

でも、「死の結末」を知っていて恩のあるポンペイさんを見殺しにするなんて私にはできない。

 

私は、ルシウスの背中を追い、熱気に満ちたガレージを後にした。

 

***

 

ルシウスが手配した装甲車は、ガレージの奥で重々しいエンジン音を立てて待機していた。

 

車の周囲には、トライアンフの人間ではない、見慣れない走り屋たちが数名、それぞれのバイクに跨って待機している。

 

「彼らはレース当日の警備を頼んでいる外部の連中だ。気にしなくていい」

 

ルシウスは私の視線に気づいたのか、あえてそう説明した。

 

装甲車に乗り込む直前、ルシウスがふいに距離を詰めてきた。

 

彼の手が、私の肩に親しげに回される。

 

「さて、我らが親分のために、最高の仕事をしようじゃないか。頼りにしているよ、プロキシ」

 

至近距離で囁かれる甘い声。顔に当たる彼の息遣い。

 

全身の鳥肌が立つほど不快だった。

 

今すぐその腕を振り払いたくなる衝動を、私は奥歯を噛み締めて必死に堪えた。

 

ルシウス自身は、自分の計画が完璧に進むことを疑わず、上機嫌なのだろう。

 

私はただ、この不快な時間が早く過ぎることを祈っていた。

 

『メグ。不快指数が閾値を突破。反撃の許可を要請する』

 

『……クラヴィス。これも仕事のうちだから』

 

『……了解した』

 

私は背筋に嫌な冷たさを感じながら、ルシウスの腕からさりげなく身体をすり抜け、装甲車の後部座席に乗り込んだ。

 

隣には、無言の圧力を放つモルスが座る。

 

逃げ場のない鉄の箱の中で、私たちはホロウへと向かった。

 

目的地は、ツール・ド・インフェルノのゴール地点である『シンダーグローレイク』へと続くホロウ。

 

「ここだ。親分にはこのルートを通ってもらいたいと考えている。その上で……プロキシの君の目から見て、対立する『カリュドーンの子』がゴールへ向かってくるルートを、ここから逆算して算出できるかな? 事前に危険なポイントを把握しておきたい」

 

ホロウの深部、シンダーグローレイクを遠くに望む崖の上で、ルシウスは立ち止まって地図を広げた。

 

モルスが私の背後に立ち、その巨大な影で私を覆い隠す。

 

私は、広げられた地図と、目の前の広大な地形を交互に見比べた。

 

「アンテナ」が、地形に沿ったエーテルの流れを可視化している。

 

「……できるよ。親分のルートから見て、彼らが最速で合流してくるとしたら……東側のこの峡谷ルートになる。でも、そこは崖の地盤が脆い。エーテルも滞留しやすい地形だから、少しでも強い衝撃があれば、大規模な崩落が起きる。彼らが安全策を取るなら使わないと思うよ」

 

「なるほど。では、親分の安全確保のため、そのルートの詳細なデータもキャロットに組み込んでくれ」

 

ルシウスの言葉は丁寧だが、その目には冷たい野心が浮かんでいた。

 

『メグ。地形データを解析。君が指摘した峡谷は、エーテル爆薬の設置に極めて最適なポイントだ』

 

クラヴィスの声が、淡々と事実を告げる。

 

――分かってる。

 

ルシウスはポンペイさんのルート選定に便乗して、私に「カリュドーンの子を生き埋めにするための最適な爆破ポイント」も決めるつもりなんだ。

 

ここで嘘をつくことも出来るけど、ルシウス達は自分たちでも調査をしてるはず。ここで疑われるのは得策じゃない。

 

大丈夫。

 

「カリュドーンの子」が爆破に巻き込まれたとしても、彼らは無事に切り抜けられる。

 

そうなる、はずだ。

 

それでも、地図を持つ私の手が、微かに震えた。

 

ポンペイさんが使うルートに嘘はない。

 

だからこそ、私が作るこのデータは「凶器」になる。

 

ゲームの中で見ていた、熱くて、騒がしくて、でもどこか憎めない「カリュドーンの子」の面々。

 

私がこのデータを渡せば、ルシウスの計画に加担することになる。

 

「カリュドーンの子」を傷つける手助けをしてしまう。

 

――痛いのは嫌だ。誰かが傷つくのを見るのも。

 

さっきガレージで言った自分の言葉が、重くのしかかる。

 

私は唇を強く噛み、決断した。

 

ごめんなさい、カリュドーンの子。 私は、ポンペイさんを優先する。

 

「死ぬ結末」を知っていて、見過ごすことなんてできないから。

 

「……分かった。データに組み込むね」

 

私はルシウスに向かってそう言い切り、腕に装着した端末を引き寄せた。

 

ルシウスが満足そうに頷き、背後のモルスがわずかに身を引く。

 

「助かるよ。それでは、ルートの構築をお願いしよう」

 

私は端末の画面に向き合い、ホロウの座標データを入力し始めた。

 

表向きは、ポンペイさんの最速ルートと、他勢力の動向予測をマッピングしていく作業。

 

『クラヴィス。お願いがあるんだけど』

 

『なんだろうか』

 

『私がデータを作っている裏で、もう一つのデータを作って。……この爆破ポイントから、シンダーグローレイクのポンペイさんに最速で駆けつけられるルートを』

 

『……了解した。並行処理にて実行する。モルスの視線とルシウスの監視の死角を突くため、君はダミーの作業を続けてくれ』

 

私は息を殺し、無表情を保ったまま指を動かした。

 

モルスが後ろから私の手元を覗き込んでいるプレッシャーを感じる。

 

少しでも不審な操作をすれば、その瞬間に彼の巨大な拳が降ってくるだろう。

 

私は、ルシウスたちに怪しまれないようにしながら、クラヴィスと感覚を同期させた。

 

クラヴィスが私の神経系を介して端末に直接アクセスし、「最短の裏道」の座標を計算して、普通だったらアクセスできないレイヤーにデータを刻み込んでいく。

 

――キィン、と。脳の奥で、耳鳴りのような鋭い痛みが走った。

 

視界が一瞬、明滅する。

 

息が浅くなる。喉の奥からせり上がってくる熱と吐き気。

 

並行した作業が脳への負担になっていることが分かった。

 

タイピングする指先が、わずかに止まる。

 

「どうした? 気分でも悪いのか」

 

私の異変に気づき、ルシウスが冷たく観察するような声をかけてきた。

 

モルスの影が、一歩私に近づく。

 

「……少し、エーテル酔いが……」

 

私は視線を端末に落としたまま、震える声で誤魔化した。

 

「ふむ。まあ、無理もない。だが、もう少しで終わるだろう。続けてくれ」

 

ルシウスは興味を失ったようにそう言い、モルスの影も再び元の位置に戻る。

 

綱渡りのような緊張感の中、それでも作業を進めていく。

 

すべてに手を伸ばすことはできない。

 

だからといって、黙って操り人形になるつもりもない。

 

ルシウスがどんな罠を仕掛けようと、私とヴォルフが必ずポンペイさんを救い出す。

 

「……できた。これが当日使えるキャロットだよ」

 

私は端末の画面に表示された、表向きのデータをルシウスに見せた。

 

ルシウスは目を細めて画面を確認し、ゆっくりと拍手をした。

 

「素晴らしい。期待以上の仕事だ。これで親分の勝利は揺るがないだろう」

 

嘘の笑顔と、仕組まれた罠。 拠点に戻ったら、ヴォルフに話さなきゃ。

 

ツール・ド・インフェルノ当日、ルシウスの裏の裏をかくための戦いが始まるのだから。

 

***

 

ルシウスたちとの息の詰まるような「事前調査」を終え、ガレージで解散した後。

 

私は、拠点内で自分に割り当てられた部屋へと戻り、ドアの鍵をしっかりと掛けた。

 

少し埃っぽいものの、壁は分厚くしっかりとした造りだ。

 

ブラインドの隙間から差し込む荒野の西日と、階下のガレージから響く粗野な笑い声が、ここが安全な場所であることを教えてくれる。

 

私はふらつく足取りで、小さな手洗い場に向かい、蛇口をひねった。

 

ルシウスに触れられた肩のあたりが、まだひどく粟立っている。

 

トラウマが呼び起こした「甘い毒」の記憶を洗い流すように、冷たい水で何度も顔と首筋を洗った。

 

タオルで顔を拭って深く息を吐き出した時、少し開けていた窓の隙間から、シロが音もなく滑り込んできた。

 

「……おかえり、シロ。見つからなかった?」

 

シロは「ピュイ」と短く鳴き、私の足元にすり寄る。

 

私がルシウスと共にホロウへ向かっている間、私はシロに一つの指示を出していた。

 

――ポンペイさんの周囲に潜伏すること。

 

『メグ。シロから視覚ログを受信した。解析を実行する』

 

脳内でクラヴィスの声が響き、私の視界の端に、シロが録画した映像がホログラムのように直接投影される。

 

映像の場所は、ポンペイさんの私室のようだった。

 

誰もいない部屋に、ルシウスが一人で足を踏み入れる。

 

彼は親分に渡す飲み物を手に取ると、懐から小さな小瓶を取り出し、無色透明の液体を数滴、素早く混入させた。

 

『映像からの成分特定は不可能だ。だが、行動の隠匿性、および君と構築した「記憶」のデータベースと照合した結果……混入された液体は、「エーテル適性低下薬」であると推測される』

 

ポンペイさんが本来の力を出せずに崩れ落ちる悲劇。

 

ただの不調ではなく、レース前から仕組まれていた計画。

 

ルシウスはやっぱりポンペイさんを殺す気だ。

 

ホロウの中で「不運な事故」のように見せかけて。

 

私はシロの頭を「ありがとう」と撫でてから、少し軋むベッドの端に腰を下ろし、腕の通信端末を操作した。

 

ヴォルフがあらかじめ設定していた回線を開く。

 

『戻ったか、メグ』

 

「うん。…ヴォルフ。ルシウスの尻尾を掴んだよ」

 

私は挨拶もそこそこに、シロが持ち帰った映像データをヴォルフの端末へ送信した。

 

『こいつは…ポンペイの飲み物に何か入れてやがるな』

 

「成分までは分からないけど……タイミング的に、エーテル適性を下げる薬だと思う。レースももうすぐだし、もしポンペイさんを殺すなら、ホロウの中が都合が良い」

 

通信の向こうで、ヴォルフが低く喉を鳴らす音が聞こえた。

 

科学的な証拠がなくても、ルシウスの淀みない手つきが何を意味しているか、十分に伝わったはずだ。

 

「私がホロウに連れ出されている間に、シロにポンペイさんの周りを監視させてたの。この映像は私たちが帰ってきてすぐの様子。……ヴォルフ、ルシウスの計画は組み上がってるよ」

 

ヴォルフはなにかを考えているのか何も言わない。

 

『……メグ。この映像を持って、今すぐポンペイにルシウスの裏切りを報告するって手もあるぜ。そうしない理由は何だ?』

 

ヴォルフの試すような問いかけに、私は小さくかぶりを振った。

 

「……新入りのプロキシが出したよく分からない映像より、ずっと一緒に組織を引っ張ってきたNo.2の言葉を、ポンペイさんは信じたいと思うはずだから。それに、ここで問い詰めてもルシウスはしらばっくれるか、逆に私たちに毒を盛った罪をなすりつけるかもしれない」

 

『ルシウスは外部の連中も抱き込んでる。下手に拠点内で騒ぎを起こしても藪蛇にしかならないか』

 

「うん。確実にルシウスを止めるには、ホロウの中で本性を現したところを叩くしかない。……それに、一番危ないところでポンペイさんを助ければ、私たちの『足場』は誰にも崩せないくらい強固になるから」

 

通信の向こうで、ヴォルフが満足げに鼻を鳴らす気配がした。

 

『はっ、したたかだな。だが、それでいい。俺達にはそのくらいの図太さが必要だ』

 

そう言ってヴォルフは話の続きをするように促す。

 

「今日、ルシウスは私に、ポンペイさんのための安全なルートだって言って『カリュドーンの子』を妨害する予測ルートを引かせたの。東側の峡谷のポイント。あそこに仕掛ける気だよ」

 

『……ポンペイには何も気づかせないままゴール地点のシンダーグローレイクへ向かわせるわけか』

 

「うん。ポンペイさんは相手が遅れているとしか思わないし、エーテル適正が下がった状態でゴールに到着する。……あとは、周囲のエーテルが高くなれば、ポンペイさんはエーテリアスになる」

 

私が淡々と説明すると、通信の向こうでヴォルフが小さく息を吐いた。

 

『……自分の手は汚さず、全てを周りになすりつける算段ってわけだ。だが、これでルシウスの狙いの全貌が割れた。で、メグ。お前があいつの思い通りに道を引いてきたわけじゃねえんだろ?』

 

ヴォルフの確信めいた問いかけに、私は端末の操作パネルを数回タップした。

 

ヴォルフに送ったキャロットに、隠蔽していたもう一つのレイヤーを展開させる。

 

「ルシウスに渡したルートとは別に、私たちが使うマップを組み込んだんだ。……この峡谷のポイントから、シンダーグローレイクまで、最速で駆けつけられる『裏道』のデータだよ」

 

『ルシウスとモルスの目を盗んでバックドアを仕込んだわけか。いい仕事だ。……シロの映像と、この裏道。これで主導権はこっちで握れそうだな』

 

ヴォルフは満足げに言い切った。

 

でも、私の胸の奥には、ホロウで感じた重い澱みがまだべったりと張り付いていた。

 

「……でもね、ヴォルフ」

 

『あ?』

 

「私、ポンペイさんを守るために、カリュドーンの子たちを天秤にかけた。……私が作ったキャロットを使えば、彼らは確実に罠にかかって、モルスが立ちはだかるはず」

 

私は膝の上で両手を強く握りしめた。

 

爪が食い込む痛みが、私の罪悪感をさらに浮き彫りにする。

 

「私が引いた線が、何も知らない彼らを傷つける手助けをした。私自身が、ルシウスたちの計画の『加害者』になったんだ…」

 

ぽつりとこぼした私の言葉を、ヴォルフは静かに聞いていた。

 

窓の外から聞こえるバイクの排気音と、通信特有のホワイトノイズだけが響く。

 

『……そうだな。お前が引いたルートで、「カリュドーンの子」は罠に嵌まる。お前が加害者になった事実は変わらねぇ』

 

突き放すようなヴォルフの言葉が、私の心に冷たく刺さる。

 

けれど、続く彼の声には、私を責める響きは全くなかった。

 

『だが、そこでお前がいい子ぶって断ってたら、ルシウスは別の奴を使って同じ罠を張り、ポンペイもろとも皆殺しにして終わりだっただろうぜ。お前は、状況の主導権を奪い取るために、自分から進んで泥を被ったんだ。……綺麗事だけで、すべてを無傷では救えねえ。それは分かってるだろ』

 

ヴォルフの言葉は重い事実を突きつけるものだったが、不思議と私の震えを落ち着かせた。

 

『お前は、目的のために、一番大事な足場を守ることを優先した。手を汚す覚悟を決めたってことだ。非情だが、勝つためには絶対に必要なスキルだ。お前は今日、プロとして百点満点の判断をしたんだよ、メグ』

 

「……プロとして」

 

『それに、だ』

 

通信越しでも、ヴォルフがニヤリと牙を覗かせて笑ったのが分かった。

 

『お前が心配してるカリュドーンの子だがな。チャチな企みで全滅するようなヤワな連中じゃねえ。モルスが立ちはだかろうが、奴らは必ず這い上がってくる。……なら、俺たちはそれを利用させてもらうまでだ』

 

ヴォルフの言葉に、私はハッとして顔を上げた。

 

『レース当日。ルシウスが罠を作動させ、カリュドーンの子がモルスとドンパチやってる間……俺たちはこの「裏道」を使って最悪のタイミングで不意を打ち、ポンペイを救い出す。事態を引っくり返すぞ』

 

「……うん」

 

私は端末に向かって、しっかりと頷いた。

 

泥を被る覚悟は決めた。

 

私はこの足場を守り抜き、必ずあの子のいる場所へ辿り着く。

 

『よし。セーフハウスの確認も終わった。これから俺も拠点に戻る』

 

「気をつけてね」

 

『ああ。また後でな』

 

通信が切れ、部屋に再び外の喧騒が戻る。

 

しかし、先ほどまでの冷たい澱みは消え、私の心には確かな熱が灯っていた。

 

必ずポンペイさんのことを助けてみせる。

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