余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた 作:夜琥
ポンペイさんの広く分厚い背中に両手を押し当てた瞬間、私の掌を強烈な感覚が襲った。
皮膚を突き破って生え出したエーテル結晶から伝わってくる、脈打つような灼熱感。
悪意を持った別の生き物の心臓に直接触れてしまったかのような、生々しく暴力的な鼓動。
『警告。対象ポンペイのエーテル侵蝕率が臨界点を突破しつつある。細胞組織の結晶化が加速度的に進行中。あと数分で対象の生命活動は不可逆的な停止、あるいは完全なエーテリアス化へと至る』
クラヴィスが、残酷な真実を告げる。
ポンペイさんの荒い呼吸のたびに、彼の強靭な肉体が内側から崩壊していくのが音を立てて伝わってくる。
(……助ける。絶対に繋ぎ止める)
私は目を閉じ、自分の中で静かに稼働しているものを意識した。
私の血を巡る、極小の機械たち。
「……クラヴィス。ナノマシンを使えれば、ポンペイさんの侵蝕、抑え込めるよね?」
私の問いかけに対し、クラヴィスは即座に、結論を突きつけてきた。
『推奨しない。君のナノマシンを対象に使用するということは、君の血を体外へ排出し、対象に移植することを意味する。それは君の生存を著しく低下させる』
「でも、それしか方法がない」
『対象の生命を救う確証もない。君が命を賭してナノマシンを移植したとしても、対象が激しい拒否反応を起こすだろう。最悪の場合、君とポンペイ、両名が共倒れとなる』
クラヴィスは私のことを想ってくれているのは分かる。
けれど、今の私には迷いはなかった。
「……それでも、やるよ」
私の固い意志を感じ取ったのか、クラヴィスはわずかに沈黙した。
私は焦る気持ちを抑え、ゆっくりと、彼に私の考え――仮説を伝えた。
「拒否反応が起きる原因は、ナノマシンが持ってる遺伝子情報が私のだから。違う血液型の血液を人に輸血しちゃいけないのと同じ理屈だよね」
それなら、話は簡単なはず。
「ナノマシンが持つ遺伝子情報をポンペイさんの情報に『更新』すれば解決する。クラヴィスにはそれができると思うんだ」
『……理屈上は可能だ。しかし、それには最大の難関がある』
クラヴィスが私の言葉を引き継いだ。
『ナノマシンの『更新』および最適化は、私が管理・演算することを前提としている。そして、管理・演算のためには、対象の情報を深く把握できている必要がある』
『メグ、私が君のナノマシンを管理できるのは、私と君が一体となっているからだ。一体となっていることで、私は君の情報を深く把握できる。仮にポンペイにナノマシンを移植したとしても、私が管理することはできないだろう』
クラヴィス言葉を聞き届け、私は目を開いた。
視界の端では、カサネが髪を揺らしながら、周囲の危険を警戒して立っている。
私はポンペイさんの背中に当てた手に、もう一度ぎゅっと力を込めた。
脈打つ灼熱感が、私の覚悟を試すように熱を帯びる。
「それなら……私とポンペイさんの身体が一時的にでも繋がっていれば……私の身体だってみなせないかな。」
『…………まさか』
クラヴィスの演算回路が、一瞬だけ止まったような間があった。
「ポンペイさんに移植するナノマシンは血液中を巡らないとだから、それに接続するためには……」
『……物理的につなげる。君の身体と、ポンペイの身体を』
クラヴィスの声が、わずかに震えているように聞こえた。気のせいかな。
私は小さく頷く。
不思議なほど、恐怖はない。
なぜなら、これからやる無茶苦茶な治療が、成功するって確信しているから。
だって私は。
「私はカサネのおかげで、エーテルを少しだけ操れるようになった。クラヴィスは、前から使いこなしてくれてたよね。これが、今回ケーブルになるの」
私はポンペイさんの背中から片手を離し、宙に向けた。
「私の身体と、ポンペイさんの身体を、エーテルで繋げる。クラヴィスの管理がポンペイさんにも届くように、少しだけ乱暴に繋げる必要があるけど……大丈夫」
私は深く息を吸い込み、すべてをクラヴィスに委ねるように、伝える。
「私とクラヴィスなら、できるよ」
クラヴィスを信じてるんだから。
静寂。
数秒の間に、クラヴィスがどれほどの演算を繰り返したのか、私には分からない。
それでも、あの洞窟でクラヴィスは、いっしょに全て懸けることを誓ってくれた。
『……承知した。君の考えを肯定する。リスクは高いが、私とメグなら可能だ』
クラヴィスの声は、いつもの冷静な響きを取り戻していた。
そのすぐ後。
『……しかし、君に言いたいことが多く出来た。今後のことも含め、じっくり話をしよう。覚悟しておくと良い』
予想外の言葉に、私は思わず虚を突かれて、瞬きをした。
いまのクラヴィスの言葉は、まるで私を叱るみたいで。
張り詰めていた心の糸が緩む。
「……手加減してね」
私は宙に掲げた右手に意識を集中させた。
周囲のエーテルが集束していく。
紫色の光が手の中で渦を巻き、やがて鋭く尖った一本の「槍」が形作られる。
自分の身体とポンペイさんの身体を、貫き、繋ぎ合わせるための槍。
「……ポンペイさん、少し痛いよ。でも、絶対に離さないから」
私は目を細め、脈打つ灼熱の中心へ向けて、エーテルの槍を構えた。
***
メグの「信じて」という、力強い声が、頭の中で何度も反響していた。
背後から強烈な紫色の光が膨れ上がるのを背中で感じながら、俺はスロットルを限界まで捻り込む。
エンジンの咆哮が、空気をビリビリと震わせる。
「……手間のかかるやつだぜ、まったく」
無意識のうちに舌打ちが漏れた。
メグを異常なエーテル濃度の中心に置き去りにすること。
それがどれだけイカれた選択か、よく分かっている。
だが。
「俺も影響されてるってことか?はっ、笑えねぇ!」
以前の俺ならこんな選択しなかっただろうに。
まあいい。
いまの俺の役割は、「カリュドーンの子」を、最速でシンダーグローレイクへ叩き込むこと。
それだけだ。
ルシウスが投げ込んだ「エーテル重合融媒」の影響か、ホロウ内の空気はひどく淀み、肌を刺すような静電気めいた刺激がまとわりついてきやがる。
「……いねえな」
メグに共有してもらったキャロットを頼りに、カリュドーンの子が使うであろうルートを逆走するが、バイクの影はおろか、タイヤの跡すら見当たらない。
(シンダーグローレイクに至るルートは限られてる。怪我人を抱えてるなら、安定した道を選ぶはずだが……)
そこまで思考を回し、俺は自分の甘さに気づいて鼻で笑った。
(バカか俺は。いまはレース中。たとえ負傷したとしても、「勝つ」ことを諦めてねぇなら……)
悪路中の悪路。
直線距離なら一番近い、崩落しかけの岩棚ルート。
俺は強引にハンドルを切り、バイクの車体を地面すれすれまで倒し込んで急旋回した。
後輪が砂利と火花を撒き散らす。
「いいねぇ……!」
俺が考えている通りなら「カリュドーンの子」は覇者の資格を持っているはずだ。
ルシウスの野郎が邪魔さえしなければ、ポンペイにだって負けやしねぇ。
岩だらけの急斜面を、跳躍するように駆け上がる。
サスペンションが悲鳴を上げ、骨に嫌な振動が伝わってくるが、構わずスロットルを開け続けた。
数分後。
鼻腔を突くオイルの焦げる匂いと、微かな血の匂いが風に混ざった。
土煙の向こうに、ひしゃげた排気音を立てながら進むバイクの群れを捉えた。
シーザーのバイクのフロント部分には、見慣れないボンプが張り付いている。
俺が猛スピードで接近すると、イアスが「ンナッ!」と短く警戒音を鳴らした。
同時に、ボンプから若い少女の声が響き渡る。
『シーザー! 後ろからものすごいスピードで近づいてくるバイクがあるよ! トライアンフのコートを着てる……気をつけて!』
少女の切羽詰まった警告に、最後尾を走っていたライトが瞬時に反応した。
「俺はいま穏やかじゃねぇ。失せろ」
ライトがバイク上で身を翻し、火炎を纏った拳を油断なく構える。
シーザーもバックミラー越しに俺を睨みつける。
当然の反応だ。
今、俺はトライアンフのコートを着ている。
モルスとやりあったこと、爆薬のことも考えれば、明らかに俺は敵にしか見えねぇな。
「殺り合ってる時間はねえ!!」
俺は敵意がないことを示すため、ワイヤーアンカーの射出機から手を離し、横並びになるまで一気にバイクを寄せて叫んだ。
「てめえらの事情も怒りもいまは置いとけ!シンダーグローレイクの火が消える!火打ち石が必要だ!!」
エンジンの爆音に負けないよう、腹の底から怒鳴りつける。
その言葉に、シーザーとライトの顔色が変わった。
ボンプから再び少女の声が弾けた。
『今の言葉……!やっぱり……!』
裏付けが取れたことで、奴らの間に明確な動揺が走る。
「テメェらなら分かってるな!火が消えれば、郊外は終わりだ!その前に火打ち石を火口に投げ込まなきゃならねえ! 信用しろとは言わん! だが、もっと早く走らせろ! もう時間がねえ!!」
俺の怒鳴り声に、カリュドーンの連中は一瞬だけ視線を交わす。
その様子を見ていた俺は、奴らのバイクの無惨な有様が飛び込んできた。
フレームは歪み、マフラーからは黒煙が噴いている。
これ以上回せば、確実にエンジンが焼き切れる。
その状態で怪我人を乗せてるんだ。スピードを出せるわけもねぇ。
「……物理的にスピードが出せねえなら、その怪我人を俺に渡せ!」
俺はシーザーの背中で血に染まっているルーシーを指差した。
『ルーシーを!? そんなの無理に決まってるでしょ!』
ボンプ越しに少女が悲鳴のような声を上げる。
「オレ様の大事な仲間を、お前みたいな得体の知れない奴に渡せるかよ!」
シーザーが激昂し、バイクを俺に幅寄せしてくる。
「……お待ちなさい、シーザー。ライト」
さらに言葉を重ねようとするシーザーと、こちらに攻撃する準備を整えているライトを抑える声。
シーザーの背中で、虫の息だったはずのルーシーが顔を上げた。
額から流れる血が目を塞ぎかけているというのに、その瞳には強烈な意思の光が宿っていた。
「ルーシー! 無理すんなって!」
「……足手まといなのは、わたくしが一番分かってますわ……」
ルーシーは荒い息を吐きながら、俺を真っ直ぐに睨みつけた。
「あなたの言葉が嘘なら……あとで豚の餌にしてやりますわ……。近づきなさいな」
「ルーシー!?正気かよ!」
『ルーシー、だめだよ!』
シーザーの制止も、少女の叫びも振り切り、ルーシーは手を伸ばしてきた。
敵かもしれない俺のバイクに乗る。
それがどれだけイカれた選択か、頭の切れる嬢ちゃんが理解していないはずがない。
だが、状況を天秤にかけ、リスクを背負ってでも「最速」を選んだのだ。
その先にある「勝利」を見越して。
「……上等」
俺はニヤリと笑い、シーザーのバイクにギリギリまで車体を寄せた。
走行中のバイク同士。
一歩間違えれば大惨事だが、俺も、カリュドーンの連中も、その程度の技術は持ち合わせている。
「来な!」
俺が腕を伸ばすと、ルーシーはシーザーの背中から身を乗り出し、俺のジャケットを力強く掴んで後部座席へと飛び移ってきた。
車体が沈み込み、後ろにズシリと重みがかかる。
「……ごきげんよう。悪いですわね、血で服を汚してしまいますわよ」
「構わねえさ。振り落とされるなよ、嬢ちゃん!」
俺は前を向き、シーザーとライトに向かって顎をしゃくった。
「死ぬ気でついてこい!!」
俺はスロットルを限界まで捻り込んだ。
『シーザー!彼が使ってるルートは、私たちが使おうしてたルートと同じ! そのまま進んで大丈夫だよ!』
背後で少女が気丈に叫ぶのを聞き届けながら、エンジンの咆哮を響かせる。
よし。これでこっちは大丈夫だ。
俺は真っ直ぐに、エーテルが渦巻くシンダーグローレイクへの最短ルートを駆け抜けた。
みなさま、いつも応援いただきありがとうございます。
そして、投稿が遅くなり申し訳ありません。
今回の話は、生存報告を兼ねて、クライマックスに入る直前で話を切っています。
クライマックス部分に関しても今回の話に含めるつもりでしたが、もう少し調整させてください。
以上のほどよろしくお願いします。