余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた 作:夜琥
白濁した意識の底で、ただポンペイさんの背中の重みだけに縋り付いていた。
心臓を貫く大槍を伝って、泥のように重い熱が胸の奥へと逆流してくる。
血が混ざり合うたび、胃の腑を雑巾のように絞り上げられる悪寒が全身を駆け巡る。
歯の根が合わず、ガチガチと不規則な音を立てて鳴った。
意識を手放せば、その瞬間に接続が切れる。
腕の力だけは絶対に抜かない。
それだけを呪いのように繰り返していた、その時だった。
――チッ、と。
熱風の轟音のただ中、針先ほどの一点が頸動脈の薄い皮を抉り抜いていた。
冷たい硬質物が肉を裂いて侵入し、管のど真ん中を捉える。
心臓が跳ね、全身の血圧が一気に跳ね上がるのと同時に、シリンジが内容物を吐き出す、かすかな振動が身体を震わせた。
カラン、と。
砂利を転がる、小さく乾いた金属の音。
役目を終えた空の筒が足元へ弾け落ちたのだと、皮膚に残る灼熱感の残滓が遅れて教えてくる。
「っ、――ぁ……!」
喉の奥が痙攣し、吸い込みかけた空気が声帯に引っかかって途切れる。
白く濁りきっていた思考の底へ、無理やり冷水を叩き込まれたような感覚。
暗闇の奥から、強制的に意識が浮上させられる。
視界が戻り、目の前の赤黒い染みと、ポンペイさんのごつごつとした背中の皮膚が、ぎらつく陽炎の熱とともに輪郭を結び直した。
先の衝撃で目が覚めたはずだった。
激痛に撃ち抜かれ、眠りかけの神経が無理やり叩き起こされたはずだった。
なのに――何かが、おかしい。
首筋から、冷たく濁った重みが、心拍の波に乗って胸郭へと滑り落ちていく。
熱く煮え立つシンダーグローレイクの大気とも、胸の槍を逆流してくるポンペイさんの血とも違う。
まるで鉛の粉末を水に溶かして、太い血管の太刀筋へ一気に流し込まれたような、生々しい異物感。
奥歯を噛み締め、ポンペイさんの背に回した両腕へ意識を集中させる。
抱きかかえる力を緩めてはいけない。
槍による血液の循環が途切れれば、即座にポンペイさんの肉体が崩壊する。
指先に力を込め、彼の服を強く掴み直そうとする。
動かない。
指の関節に送ったはずの命令が、肘のあたりでふつりと霧散する。
湿った紙を破くように、意志と筋肉の接続が千切れていく。
握りこぶしを作ることすらできない。
指先の皮膚がポンペイさんの衣服に触れている感触だけはあるのに、そこから先、つかみ上げる力が、立ち上がってこない。
「……え……?」
声にすらならず、掠れた息だけが唇から漏れ出る。
指先だけではない。
二の腕、肩、背中。
ポンペイさんを抱きすくめていた腕の芯から、じわりと骨が抜き取られていくような、不気味な虚無感が広がっていく。
中身を綺麗にすくい取られた抜け殻。
自分の肉体であるはずのものが、分厚いゴムの塊となって、ただ相手の背中に垂れ下がっているだけのような感覚。
息を深く吸い込もうとする。
だが、胸郭が十分に持ち上がらない。
肋骨を押し広げるための筋肉が、錆びついた歯車のように鈍く軋み、浅い呼気ばかりが気道を往復する。
出血のせいだろうか。
左手、両の太もも、そして胸。
自らの身体を穿ち、何本もの槍でポンペイさんと縫い合わせた代償。
失われた血液の量が限界を超え、脳へ巡る酸素が底をつきかけているのか。
あるいは、ポンペイさんから取り込んだ、血液に対する拒絶反応か。
――違う。
胸の奥で、警鐘が鈍く鳴り響く。
失血のめまいは、頭の芯がふわふわと浮き上がり、視界が白く遠のいていくものだ。
拒絶反応の苦痛は、激しい吐き気と悪寒を伴うものだ。
今、首筋から染み渡っているこれは、そのどちらでもない。
痛みがない。
刺された瞬間の一撃を最後に、首筋の感覚は驚くほど平坦に凪いでいる。
凪いだまま、冷たい油のような何かが、頸動脈から鎖骨へ、鎖骨から肺へ、そして心臓の周囲へと、血管の網目を一本ずつ塗りつぶすように這い回っている。
ただ、失われていく。
神経のスイッチが、上から順番に、音もなく切断されていく。
足元に目を落とそうとするが、首の筋肉が強張り、頭の重みを支えることすら億劫だった。
辛うじて視線を下げる。
両太ももを貫き、ポンペイさんの身体を縫い止めている紫色のエーテル槍。
あれがなければ、私は今この瞬間にでも、彼の背中から滑り落ちて地面へ崩れ落ちている。
支えているのは私の力じゃない。肉を貫通して突き刺さった、紫色の結晶の硬度だけだ。
泥の底へ沈んでいくような無力感。
動け。
動いて。
心の中でどれだけ叫んでも、手足はただ重たい鉛の塊として、そこに放置されている。
首筋に撃ち込まれた「何か」。
その冷たい脈動が、ドクン、と心臓の直前で大きく跳ねた。
「クラ、ヴィス……」
喉が固まって声が出ない。それでも、奥歯を噛み締め、思考を直結させて呼びかける。
「何か……何かが首に刺さった。手足に力が入らない。動かそうとしても、全然言うことを聞かない……!」
ポンペイさんを抱きしめている両腕は、ただ重力に従って垂れ下がっているだけだった。
すぐに、頭の中でクラヴィスの声が響く。
いつも通りの平坦な声。けれど、わずかに音飛びが混ざっている。
『――状況を確認。バイタルデータに急激な血圧低下、および心拍数の乱れを検知』
「首のところ……! 金属の筒が当たって、何かが流れ込んできたの。そこから急に身体が動かなくなった……!」
必死に訴える私の言葉に、クラヴィスは考えを巡らせているのか、間が空く。
『……君と私の間に認識の齟齬が発生している。君が感じた首の物理的接触を確認できなかった。また、ナノマシンのログにも異常は出ていない。ナノマシンはすべて正常に稼働している』
「……正常?」
『現在、ポンペイの体内から流れ込んでくる侵蝕因子の解析に、演算リソースの大半を割いている状態だ。四肢の脱力は、重度の失血と、異種血液の流入に伴う急性拒絶反応による神経ショックの可能性が高い』
私の、勘違い?
ううん、そんなわけない。
浅く引き攣る呼吸の奥で、心臓だけが嫌な速さで脈打っている。
ポンペイさんの命を繋ぎ止めるために、一瞬のミスも許されない極限の状況。
身体の自由を失った焦燥が喉元までせり上がってくるのを、奥歯を噛み締めて無理やりねじ伏せる。
首筋に走った、皮膚が裂ける鋭い熱。
傍で響いた、小さく乾いた金属の反響。
幻覚なんかじゃない。私は確かに感じ取れてる。
私の身体のことは、痛覚も感情も、すべてクラヴィスと共有できているはずなのに、首への衝撃にすら気づいていないのは絶対におかしい。
これまでだって、私たちの認識がズレたことなんてなかった。
――なら、いま異常が発生しているのは。
「……クラヴィス。私の感じたことと、あなたの認識が違うこと自体が、すでに異常だよ」
私は焦りを抑え、クラヴィスに伝える。
「私の感覚はクラヴィスにも伝わる。これまでもそうだった。なのに、いまそれが届いていないなら」
動かない手足、首筋から静かに染み渡る冷たさを見据えながら、言葉を継ぐ。
「……狙われたのは私じゃなくて、クラヴィスだったのかも」
私の言葉に、クラヴィスは一瞬凍りついたように止まる。
『……仮説を、妥当性ありと判断。私の生体認識インターフェース、ならびに監査ログそのものへの干渉の可能性を再定義する』
平坦な音声の端に、かすかなノイズが走る。
『だが、現在の演算リソースはポンペイの侵蝕解析に大半を費やしている。原因の特定のために、解析を一時中断し――』
「ダメ。絶対に止めないで」
私は即座に、返す。
「相手の狙いが私でも、クラヴィスでも、ここで治療を止めたらポンペイさんが危ない。……解析を続けて。さっきは焦っちゃってごめん。けど、大丈夫。手足が動かなくたって、まだポンペイさんを支えられる。身体のことは私がクラヴィスに伝える。本当にダメなときは、伝えるから」
『……了解した。ポンペイの生体データ更新を最優先で維持。……解析に影響の出ない最小リソースで、認識齟齬の要因特定を継続する』
「うん、ありがとう」
クラヴィスとの合意を終えた瞬間、ふっと全身の重みが後ろへ引かれた。
完全に弛緩した手足は、ポンペイさんの背中を支えきれない。
ガクンと身体が傾きかけた瞬間、胸と太ももを貫通している紫色のエーテル槍が、骨と肉の内側でギチリと軋みを上げて私の体重を受け止めた。
串刺しにされた槍の硬度だけで、無理やり体勢を縫い止められている。
激痛が走るけれど、その痛みに構っている余裕はなかった。
「――メグッ!!」
奥へ籠もっていた私の意識を、力ずくで引き裂くような絶叫。
鼓膜を突き破ってきたのは、聞いたこともないほど切迫した、ヴォルフの声だった。
ハッと息が詰まり、外の世界の音が耳を殴りつける。
重い瞼を、力を振り絞って押し上げた。
視界を塞いだのは、濛々と立ち込める灰色の煙幕。
鼻腔を刺すのは、シンダーグローレイクの熱風だけじゃない。
火薬の焼けた異臭、足元の砂利を薙ぎ払う無数の銃声、金属が激しく火花を散らす衝突音。
治療に全神経を注ぎ込み、目を閉じていたその間に、外では激しい戦闘が繰り広げられていたのだと、網膜を焼く光景が一瞬で叩きつけてくる。
「っ……!」
数歩先。
荒い呼吸と共に砂利を削り、こちらへ向けて踏み出そうとするヴォルフの姿があった。
顔を歪ませ、視線が私の首筋を射抜いている。
駆け寄ろうとする彼の左肩は、止めどなく鮮血が噴き出し、荒野の土を黒く濡らしていた。
肩の肉を深く抉られ、腕の筋肉が不自然に引き攣れている。
そのすぐ傍ら、カサネの姿も尋常ではなかった。
足元には、煙幕とは違う粘り気のある藍色の汚濁がまとわりついている。
刀を振るうたび、刀身の紫光が激しい火花を散らしながら急速に光量を落としていく。
輪郭が濁り、砂利を踏みしめる膝が、目に見えて重く沈んでいた。
二人が、限界まで削られている。
私がポンペイさんの治療のために縋り付いていたその間、二人は背中を合わせ、押し寄せる敵を食い止め続けてくれていた。
そして今、ヴォルフは肩を撃ち抜かれながらも、私を守るために、相手の射線に強引に割り込もうとしている。
煙の奥から、ヴォルフの足元を狙って牽制の銃弾が容赦なく撃ち込まれた。
弾かれた破片が頬を掠め、ヴォルフの踏み込みが、強引に止められる。
――来ちゃダメだ。
助けに行かなきゃいけない。
制止の声を上げなきゃいけない。
身体に、指先に、喉に、強く命令を叩きつける。
けれど、首筋から全身を締め上げる冷たい麻痺は、私の命令をことごとく途中で握り潰していく。
指先ひとつ、ピクリとも動かない。
エーテルを練り直し、ヴォルフの前に障壁を張ろうと胸の奥の感覚を探る。
だが、集中しようとする意識の端で、心臓を貫く大槍がドクンと嫌な拍動を返してくる。
今、エーテルを乱せば、ポンペイさんとの繋がりが千切れる気がした。
繋がりが途切れれば、ポンペイさんはナノマシンの拒絶反応で死ぬか、エーテリアス化に呑み込まれる。
動けない。
声も出ない。
エーテルを使って支援することもできない。
血を流すヴォルフが、足枷を嵌められたカサネが、私の目の前で命を削っているのに。
私はただ、二人を巻き込み、見つめることしかできない。
噛み締めた口の端から、じわりと鉄の味が滲んだ。
***
煙幕の奥で、無機質な軍靴の音が小さく地表を擦った。
ヴォルフを取り囲んでいた敵の気配が、わずかに揺らぐ。
誰一人として叫ばない。指示を飛ばし合う声すらない。
ただ極限まで無駄を削ぎ落とした沈黙のまま、敵の包囲網がじわりと後退を始めていた。
まるで、もう任務は達成した、そう言わんばかりに。
――その瞬間だった。
首筋の奥、冷たい澱みとなって沈んでいた一点が、唐突に跳ねた。
「っ……、あ……!?」
熱い。
それまで感じていた悪寒とは一転して、内側になにか火種を落とされたかのように灼熱化する。
私の制御下にあったエーテル猛烈な勢いで膨張していく。
ドクン、ドクンと暴れる脈動に合わせて、黒い熱が鎖骨へ、喉元へ、そして胸郭へ向かって容赦なく這い広がっていく。
『――警告。頸部から右胸部にかけて、局所的なエーテル濃度の急上昇を検知』
クラヴィスの警告音が鋭く跳ね上がる。
ノイズ混じりの電子音声が、焦燥を帯びて思考を叩いた。
『……エーテルが、変異を起こしている。結晶化の兆候――ッ、急速に拡大中……!』
「ぐ……っ、は……!」
喉が焼ける。
吸い込んだ熱風が気管を焼き焦がし、呼吸が引き攣れて肺が酸素を拒絶する。
視線を落とせば、破れた襟元の隙間、私の肌の下を、ドス黒い紫色の血管が樹枝状に浮き上がっていた。
皮膚の表面がチリチリと乾いた音を立て、微小なエーテル結晶の角が皮膚を破って芽吹き始めている。
手足を縛っていた冷たい痺れが、今度は全身を焼き尽くす侵蝕の熱へと塗り替えられていく。
動かない身体の内側で、肉体が勝手に作り変えられていくような、おぞましい感覚。
『――メグ、状況を視覚および神経知覚より再確認。頸部のエーテル強制変異に対し、ナノマシンの局所展開を行う』
頭の中で、クラヴィスの声が鳴る。
クラヴィスは、即座にナノマシンを動かし、首筋から胸元へと広がる変異を抑え込もうとしてくれる。
けれど。
『……自律抑制プログラム、反応なし。ナノマシン群から返還されるステータスは――「正常」のままだ』
皮膚のすぐ下で、結晶がじりじりと肉を裂きながら芽吹いているのに。
ナノマシンは、依然として何一つ異常を告げてこない。
『優先順位を変更。ポンペイに使用しているリソースを三十パーセント削減、再割り当てを実行。……自律モードを解除、私が直接制御し、侵蝕を抑制する』
クラヴィスが手動で介入し、ナノマシンを操作しようとする。
だが――
『……接続エラー、だと?』
「クラヴィス……?」
『……再実行……接続エラー……。ナノマシンへのアクセスが無効化されているのか……!?』
――制御が、効かない?
喉の奥がカラカラに乾き、冷たい塊が胃の底へ一気に落ちていく。
私の体内に埋め込まれたナノマシンは、私自身の細胞とエーテルに適合するように作られている。ポンペイさんのように異物として拒絶反応が起きることはない。
けど、それは「安全」を意味するわけじゃない。
傷を塞ぎ、組織を繋ぎ、エーテルの循環を調整する――それらすべては、クラヴィスの制御があって初めて成り立つ機能だ。
手綱を失ったナノマシンが、暴走を始めたらどうなるか。
死ぬ。
細胞を修復するための機能が過剰に動作するのかもしれない。
エーテルを制御するための機能が狂って、私が耐えきれなくなるのかもしれない。
『優先度を再設定……! ポンペイの解析ルーチンを凍結……!』
それでも。
『全リソースをナノマシン強制再掌握へ移行――』
【私の命】を理由に、助けられる誰かを見捨てる理由にはしたくない。
「……ダメ。クラヴィス」
『君は何を言っているのか分かっているのか!?このままでは君は――』
「大丈夫、分かってる。そのうえで言ってるの」
奥歯を噛み締め、思考を直結させて訴えかける。
「考えてみて。私の中のナノマシンは制御できなくても、ポンペイさんの中にあるナノマシンはまだクラヴィスの言うことを聞いてる。そうだよね? 私の中のナノマシンがおかしくなったのは、さっき首に打ち込まれた『何か』のせい。だから、今使えるナノマシンを全部ポンペイさんに移して、保険にするの。その保険にしたナノマシンで――」
『……建前がうまいな。メグ。』
説明している途中でクラヴィスから言われる。
そっか。分かるよね。ずっと一緒にいるんだから。
「……ふふ、バレちゃった。本当はね、目の前の助けられる人を見捨てたくないだけなんだ。私の命を、助けない理由にしたくないの」
『……君は私たちの気持ちを、考えてはくれないのか』
「――えっ」
思いがけない言葉に、息が止まる。
『……君が死ねば、私もヴォルフも、カサネだって、悲しみに暮れるだろう。それでも君は、自分の命を天秤にかけるのか?』
そんな、なんでいまそんな、ことを。
「……悲しい、んだ。……私、ずっと自分のことばかりだから、そんな風に言われるなんて、思わなかった」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛む。
「……ごめんね、クラヴィス。でもね、私、死ぬつもりで言ってるんじゃないよ」
浅く引き攣る呼気の向こうで、思考の炎を強く灯し直す。
「諦めて命を投げ出したいんじゃない。全員で、生きて帰りたいの。ポンペイさんも、ヴォルフも、カサネも……クラヴィスも。誰一人欠けずに、ここを抜け出したいの」
だから、と。
動かない身体の内側で、ありったけの願いをクラヴィスへ手渡す。
「……ポンペイさんの治療を先に終わらせて、そこから、ナノマシンを取り戻す方法を一緒に探そう。私たちなら、絶対にできるから」
沈黙が続く。
計算では割り切れない私の我が儘を、命の重みを、クラヴィスが必死に噛み砕いている気配が伝わってくる。
やがて、わずかに震えるような声が返ってきた。
『……ポンペイのナノマシン最適化を継続する。現在、八十五パーセント。……メグ、絶対に意識を手放すな』
「……ありがとう」
直後、胸を貫く大槍へ向けて、残っていた正常なナノマシンたちが一斉に流れ込んでいった。
ポンペイさんの身体へと、命を繋ぐ光が吸い込まれていく。
その代償として――
「ぐ、っ……あ……!?」
首筋に残された変異エーテルの濁流が、歯止めの利かない勢いで鎖骨から右胸へと這い広がった。
血管を突き破り、黒ずんだ紫のエーテル結晶が、無数の棘となって皮膚を押し破って芽吹いていく。
吸い込んだ空気がそのまま肺を切り裂く刃に変わるような激痛。
視界の端が赤黒く明滅し、焦点が激しく揺らぐ。
そんな私の異変に、ヴォルフが気づかないはずがなかった。
「……メグ?」
肩を血で染めたヴォルフが、息を呑むのが見えた。
私の首筋から胸元にかけて芽吹いた禍々しい黒の結晶と、苦痛に歪む顔。
その光景を目にした瞬間、ヴォルフの眼奥に宿っていた冷徹な光が、激しい怒りと焦燥によって一気に吹き飛んだ。
「てめぇら……ッ! あいつに、何を打ち込みやがった!!」
左肩から鮮血を撒き散らしながら、ヴォルフが地を蹴る。
退却しようとする敵の殿へ向けて、右腕のワイヤーアンカーを容赦なく撃ち放とうとした。
――そのとき。
ゴ、と。
シンダーグローレイクの熱風とも、火口の轟音とも違う。
大気そのものが上から叩き潰されるような、重苦しい超重低音が頭上から降り注いだ。
砂利が一斉に浮き上がり、肌を裂くような突風が吹き荒れる。
後退していた讃頌会の特殊部隊が、その音と同時に一斉に散開し、姿を消した。
「……ッ!? 上か!」
ヴォルフが足を止め、即座に銃口を天へと跳ね上げる。
足元の泥に囚われていたカサネもまた、濁った刀身を構え直し、鋭く首をもたげた。
雲を突き破り、黒い塊が落ちてくる。
コンテナではない。
砲弾でもない。
それは――歪に脈動する、巨大な肉と鋼の塊だった。
自由落下で叩きつけられたそれは、鼓膜を破壊するほどの衝撃波を発生させ、大気を揺るがした。
立ち込めていた灰色の煙幕が吹き飛ばされ、視界が一気に開ける。
巻き上がった粉塵の向こう、穿たれたクレーターの中心から、黒煙を纏った異形がゆっくりと立ち上がった。
四肢をエーテル結晶で覆われ、背中から無数のシリンダーを生やした、巨大な人型の怪物。
全身から漏れ出るエーテルの熱波が、周囲の岩肌を触れる端からドロドロに融解させていく。
あんなエーテリアス、私は見たことない。
だけど、その特殊な姿から分かることもある。
人間の面影が、色濃く残ったその異形。
実験で使われたであろう人間の顔たちが、皮膚のあちこちから歪に浮かび上がり、こちらを覗き込むように見つめている。
――あれは。
讃頌会が研究している【サクリファイス】だと、確信できた。
首筋から胸を焼き尽くす、変異したエーテルによる侵蝕。
動かない身体と、解くことのできないポンペイさんとの接続。
肩から血を流し続けるヴォルフと、足元を拘束されたカサネ。
逃げ場のない状況のただ中で、私は激しい戦いの気配を感じ取っていた。
みなさま、いつも応援いただきありがとうございます。
また感想欄でのコメントや、誤字脱字のご指摘もありがとうございます。励みになっております。
今回は以前よりも筆が乗り、文量も多くなりました。
過去の自分の投稿を見ていると、メグ視点で執筆を進めると筆が乗りやすいような気がしています。
さて、ここから今後の物語の方針について、以下に示していきます。
まず、私の執筆が遅いこともあり、本作の時間軸と原作メインストーリーの時間軸が徐々に離れていき、明かされる設定も増えてきました。
これにより、矛盾が生じる箇所も出てくるかと思いましたが、現状、致命的な矛盾は確認できていません。
そのため、引き続き現在の設定を維持しつつ、物語を進めていきたいと思います。
また、物語を進めていくにあたって、新しく明かされた設定も積極的に取り入れて行くことも考えています。
本作で登場している設定との親和性が高いものもありましたので、このあたり、みなさまに楽しんでいただければと思います。
長くなりましたが、今後ともよろしくお願いいたします。