余命0.03%の実験体だった私、脳内AIと脱走したら『都市のゴースト』と呼ばれる正体不明の救世主になっていた 作:夜琥
意識は、軋むような痛みの底からゆっくりと浮上した。
最初に感じたのは、全身の筋肉が、まるで内側から引き裂かれるかのような激痛だった。
次に、視界の端で揺れる、小さな青白い光。
「…シロ…?」
か細い声で呟くと、その光が「ピュイ」と短い電子音を立てて、私の顔を覗き込んできた。
傷だらけの白いボディ。EMP攻撃で黒く焦げた塗装。それでも、その丸いカメラアイは、健気に私を見守っていた。
《…ホストの意識回復を確認。筋繊維の断裂は自己修復機能により70%回復。ただし、24時間は絶対安静を推奨する》
クラヴィスの声が、頭の中に響く。いつも通りの、感情のない報告。
「…シロは?」
私は、身じろぎもできない体で、それだけを尋ねた。
《シロは、私が応急処置を施した。主要な機能に問題はない。外装の損傷は、代替部品が見つかり次第、修復する》
その言葉に、私は安堵の息を漏らした。よかった。シロは、無事なんだ。
私が眠っている間、この二人がずっとそばにいてくれたことを、私は悟った。
クラヴィスが私の体を、そしてシロの体を、守ってくれていたのだ。
体を起こそうとすると、全身に激痛が走り、うめき声が漏れた。
「う…く…」
すると、シロが器用に小さな手を動かし、備蓄していた水のボトルと、チューブ状の栄養補助食を、私の枕元までゆっくりと運んできた。
「ピュイ…」
まるで、「食べて」と言っているかのように、シロは私の顔をじっと見つめている。
私は、震える手で水のボトルを受け取った。
「…ありがとう、シロ」
初めてだった。誰かに、こんな風に「お世話」をされるのは。
施設では、食事は常に「投与」されるものだった。
私の健康状態を管理するためだけの、無機質な作業。でも、シロが運んできてくれた水は、違った。温かい。うまく言えないけれど、とても温かい味がした。
《ホストのストレスレベルが安定。身体の回復速度が15%向上。…この行動は、合理的と判断する》
クラヴィスの声には、ほんの僅かな、データ以上の何かを認めたような響きがあった。
***
数日後、私の体はようやく動けるまでに回復した。
クラヴィスがシロの傷ついたボディを修理し、隠れ家には、以前と変わらない、静かな時間が戻ってきていた。
だが、世界のほうは、私たちを待ってはくれなかった。
《警告。裏社会のネットワーク上で、我々に関する情報が『賞金首』として拡散されているのを確認。特徴:銀髪の少女と、白いカスタムボンプ。複数の賞金稼ぎが動き出した形跡がある》
クラヴィスが脳内に表示したのは、私の不鮮明な監視カメラの映像と、シロの姿。
そして、その横には、信じられない額のディニーが表示されていた。
「…もう、隠れているだけじゃダメなんだね」
私の声は、不思議と落ち着いていた。
シロが傷つけられたあの瞬間、私の中で何かが変わったのだ。ただ怯えて、逃げているだけでは、何も守れない。
「クラヴィス」
私は、決意を込めて、脳内の同居人に語りかけた。
「この前の、リミッター解除…。あれを、私の意志で使えるようになりたい。身体への負担も、どうすれば減らせるか知りたい」
《…非合理的だ。あれは緊急用のプロトコルであり、君の身体を破壊する諸刃の剣だ。前回の反動を忘れたのか?》
「忘れてないよ。でも、シロを守るためには、力が必要。それに、あなたにもしものことがあったら、私一人じゃ何もできない。だから、私も戦う。これは、私の『合理的選択』だよ」
私は、クラヴィスの言葉を引用し、自らの意志を告げた。
クラヴィスは数秒間沈黙した後、答えた。
《…了解した。君の意志を受理する。これより、身体への負荷を最小限に抑えつつ、戦闘能力を向上させるためのシミュレーションを開始する》
隠れ家で、私とクラヴィス、そしてシロによる、奇妙な「訓練」が始まった。
***
その頃、「Random Play」では、ニコから半ば強引に依頼を受けさせられたプロキシ兄妹が、頭を抱えていた。
「Fairy、何か分かった?」
リンが、Fairyに話しかける。
《これまでの『幸運な偶然』が起きた場所の共通点を洗い出しています。…全ての現場で、微弱ながらも極めて特殊なエーテル反応が観測されています》
「特殊なエーテル反応…?まさか、新型のエーテリアスか?」
アキラの言葉に、Fairyは呆れたようにモニターの目玉を細めた。
《助手2号の分析は浅はかです。確かにこれは広義にはエーテル反応ですが、その中に含まれるパターンが異なります。エーテリアスが発する無秩序なノイズとは違い、観測されたのは、エーテルの流れに乗って送信された、極めて高度な人工的信号です》
「待てよ。それだけ高度なハッキングなら、何かしらの痕跡が残るはずだ。ハッカー本人か、ボンプのような装置か、少なくとも『勝手に扉が開く』みたいな異常現象そのものが、街の監視カメラに映っていてもおかしくない」
《そこが興味深い点なのです、助手2号。ゴーストが観測されたエリアの監視カメラのログは、不自然なほどクリーンです。まるで、誰かが侵入して現象を起こしただけでなく、自分自身とその瞬間の映像だけをピンポイントで消去した痕跡があります。しかしいくつかの消し忘れを確認。このFairyと比べれば、かなり雑な作業であるといえます》
Fairyの言葉に、兄妹は顔を見合わせる。ただの偶然ではない。明らかに、高度な技術を持つ何者かが、意図的に痕跡を消しながら暗躍しているのだ。
***
一方、裏社会では、腕利きの賞金稼ぎである「ヴォルフ」という名の男が、バーのカウンターで酒を呷りながら、端末に表示された「ゴースト」の賞金首情報に目を通していた。
端末には、複数の情報源から集められた断片的なデータが並んでいる。
情報源A(ホロウ荒らし):『正体は銀髪のガキ。白いカスタムボンプを連れている。旧文明の遺物を狙うお宝好き。とんでもない力で罠を仕掛けてくるが、本人も無事では済まない様子』
情報源B(治安局からのリーク):『データセンターのホロウ災害における唯一の民間人要救助者。子供。しかし現場のシステムに大規模な干渉の痕跡あり。関連は不明』
ヴォルフは、グラスを傾けながら口の端を吊り上げた。素人どもは「幸運」だの「幽霊」だのと騒いでいるが、プロの目から見れば、いくつかの事実は読み取れた。
(なるほどな…ただのガキじゃない。旧文明のお宝を嗅ぎつける妙な鼻と、それを守るための厄介なハッキング能力。だが、ホロウ荒らしの報告じゃ、派手に動いた後は消耗しきってたらしい。…何かしらの切り札があって、その反動もデカい、か)
賞金額は確かに魅力的だ。
だが、それ以上にヴォルフの心を駆り立てたのは、今回の依頼主…その謎めいた『クライアント』の存在だった。
そのクライアントは、法外な報酬と引き換えに、ただ一つだけ条件を出してきた。
『ゴースト本人と、その白いボンプを、可能な限り無傷で確保しろ』と。
お宝や賞金目当ての連中とは違う。クライアントの目的は、この「ゴースト」という存在そのものだ。
「銀髪のガキと、白いボンプ…か。面白い。久々に、骨のある『仕事』になりそうだ」
***
隠れ家での仮想空間シミュレーションだけでは、私の訓練は終わらなかった。
《仮想空間でのシミュレーションは、あくまで基礎動作の習得に過ぎない。君の肉体がリミッター解除にどう反応し、どの程度の負荷に耐えられるか…その物理的な限界データを得るには、実地訓練が不可欠だ》
私とシロは、夜な夜な廃墟区画に出て、より実践的な訓練を重ねていた。
シロを陽動に使い、自分は死角から回り込む。
クラヴィスが敵の弱点を提示し、私がリミッターを瞬間的に解除して一撃を加え、すぐに離脱する。
それは、まだ不格好だが、確かな「共闘」の形だった。
訓練を終え、隠れ家への帰路につく。
私の体は心地よい疲労感と、確かな手応えを感じていた。だが、その油断が命取りだった。
《警告!後方より高速接近する物体!回避!》
クラヴィスの警告と同時に、私のすぐ横の壁に何かが突き刺さる。
それは特殊なワイヤーアンカーだった。続けざまに放たれるアンカーが、私とシロの退路を塞ぐように網を形成していく。
闇の中から、男がゆっくりと姿を現す。
「見つけたぜ、『ゴースト』ちゃん。あんたに法外な懸賞金をかけたクライアントから仕事を受けてな。あんたが最後に目撃された、あの水道のホロウからずっと足跡を追わせてもらった。毎晩毎晩、同じような廃墟をうろちょろしやがって。プロを舐めるなよ。お前さんのその『切り札』、使った後は相当消耗するんだろ?訓練で体力を使った後が、一番の狩り時だ」
彼は、私たちの行動パターンを完全に読み切っていたのだ。
「クラヴィス!」
《分析完了。敵はプロの賞金稼ぎ。我々の行動は完全に予測されていた。勝率は…17%》
絶望的な状況の中、私はシロに叫んだ。
「シロ!訓練通りに!」
シロは、私の言葉に反応し、ヴォルフに向かって目くらましになるほどの強い光を放つ。
その隙に、私はクラヴィスの補助を受け、リミッターを解除する。全身の筋肉が悲鳴を上げる。でも、迷わない。
「これは、ただ逃げるための力じゃない…!」
仲間を守るために、自らの意志で力を使う。
ヴォルフが光に怯んだ一瞬を突き、私は地面を蹴った。
二つの影が、闇の中で激しく激突する。
***
「Random Play」の店内で、Fairyが警告を発した。
「《警告》!マスター、助手2号!例のノイズ信号が、廃墟区画で急速に増大!付近に、正体不明の第三者のシグナルも確認!これは…戦闘です!」
「お兄ちゃん、急いでニコに連絡しないと!」
「分かってる!Fairy、現場の映像は取れるか?」
「肯定。付近の監視ドローンのカメラをハッキングします。…映像受信。モニターに映し出します」
リンはその映像を確認する。
「…いた!廃墟区画のクレーンの下!女の子が…ボンプといっしょに、誰かと戦ってる!」
アキラはスマートフォンを取り出し、ニコに緊急通信を入れる。
「ニコ!ゴーストの居場所が分かった!今から送る場所でイアスを拾ってくれ!リンがナビゲートする!」
***
数分後。邪兎屋の車が、凄まじいエンジン音を響かせながら現場に到着する。
車から飛び出したニコ、アンビー、ビリー、そして彼らの足元を先行するイアスが見たものは、激しい戦闘の痕跡だけが残る、もぬけの殻の廃墟だった。
「チッ、間に合わなかったってワケ…?で、どっちが勝ったのよ」
《分析。現場に残された痕跡から判断するに、両者ともに深手を負い、撤退したものと推測されます。…マスター、ゴーストの痕跡を追跡しますか?》
「うん!絶対に見つけ出すんだから!」