目覚めると、知らない天井が見えた。
「……緑谷…………生きてる……?」
「……うん…………なんとか……」
隣に誰が寝ているのかもわからなかったが、呼んだら返事が聞こえた事に、俺は安堵する。
林間合宿以来となる、知らない布団に知らない枕。点滴と心音メーターの機材。薬品の匂いから察するに、病院なのは間違いないだろう。
そもそも、何が起こったのか。俺はなんとかして直前の出来事を思い出そうとする。
緑谷が治崎を殴りつけて大穴へ叩き戻した所までは見ていたが、そこから先の記憶がない。道路の地面に着地しようとして視界が真っ暗になり、気が付いたらベッドの上で体は腕以外、筋肉痛みたいに痺れていて動かせなかった。
それでも、俺は体にかけられた布団を触ろうとして、そして気づいた。
「あれ?」
治崎に千切られたハズの両腕が、あった。
間違いなく奴の腕に掴まれて、個性で粉微塵に弾け飛んだ俺の腕が、夢でも見ているかの様にソコにはあった。
「切裂くん……?」
「お、俺……」
布団から出した両手を震わせながら自分の腕を凝視する俺を見て、全身包帯だらけだった緑谷は顔だけをこちらに向け、何があったのかを俺に教えてくれた。
治崎を倒した直後、俺は大量出血で心臓が止まっていた事。
エリちゃんが個性を発動して、飛散した血液も、俺の腕も、その命まで全て巻き戻してくれた事。
そんな彼女が力を使い果たして意識を失い、同時にソレを見ていた緑谷も力尽きてしまった事。
そして緑谷も、気がついたら知らない天井を見上げていたそうだ。
「エリちゃんが……!」
「うん……『巻き戻す』 それが、あの子の個性だったんだ……!」
俺の呟きに、緑谷は自分で導き出した答えを告げた。
あの時、治崎に囚われたエリちゃんを助け出す時は、無我夢中だった。
そして、彼女の個性による暴走が起こらないまま戦う緑谷を見て、正しい未来にするべく俺は自棄を起こした。
エリちゃんを助け出して、アドレナリンもドバドバだっただろう。正気じゃなかった。
そこから新たな能力を目覚めさせてまで、その力を使い果たしてしまったのだ。
もしも彼女の個性が暴走していたら、俺は助からなかったかもしれない。
彼女が、救ってくれたのだ。
明るい未来を示したのは、俺でもサーでもなく、エリちゃんだった。
「あの子に……お礼……言わないと……」
「そう……だね……」
優しく笑う緑谷の隣で、すぐにでも俺は動き出そうとしたが、体はまるで言う事を聞かなかった。
そこに病室のドアが開いて、最後に見た時と同じ……右腕に包帯の巻かれた入院患者服姿の峰田が入ってきたかと思えば、俺と視線を合わせてその動きを止めた。
「き、切裂ぃ……!」
「峰田くん……!」
最初は俺を見て驚いていた彼の瞳から、次の瞬間にはウルウルと大粒の涙が溢れ、峰田は感情のままに叫びながら俺の下に走り寄ってきた。
「うわぁぁァァァァァァァァッッっッッ!!!!!!」
そのまま俺の横たわるベッドに飛びついた彼は、まだ怪我の治っていない俺の体に左腕の拳を握り締め、ポカポカと何度も体を叩き続けた。
「バカヤロぉぉォォォォッッっッ!!!!!! バカバカバカバカバカバカあァァァァァァァァッッっッッ!!!!!!!」
「あででででで……!」
「峰田くん……」
拳を振るう彼にされるがままの俺を、緑谷も止めなかった。
あの時、刃を突き出してまで彼を拒否し、血の刃で外へと飛び出してしまった俺を、峰田も目で追う事しかできなかっただろうし、それで俺がどうなったかも知っているのだろう。
本当に、心配してくれたのだから。
「っ、デクくん……!」
「ぁ……う、麗日さん……」
そこに続いて開きっぱなしだったドアから部屋に入ってきたのは麗日。格好は峰田と同じ、入院用の患者服を着ていた彼女は、頭や体の数ヶ所に包帯を巻いていた。
いったい何があったのか、そういえば峰田もどうしてそんな重傷だったのか、聞きたい事を山ほど質問しようとすると、麗日に続いて相澤先生が病室へと入ってくる。
「目が覚めたか2人とも」
「「相澤先生……!」」
俺達を見てひと安心した様な表情で現れた先生は、目の前まで歩み寄りながら現在の状況について教えてくれた。
ここは八斎會邸宅近くの大学病院。あの作戦に参加していた多数の傷病者である警官もプロヒーローも、全員ココに入院しているそうだ。
先生の話を聞きながら時間を確認してみると、事件から数時間も経っており、窓から差し込む空は遠くの方が夕焼けに染まり始めていた。
なんだか林間合宿の時を思い出す様な、不思議な既視感だった。
更に話は事件の全貌へと続いていく。
八斎會邸宅襲撃は、1時間もかかっていない大捕物だったそうだ。
勝瓶を始め、地下で待ち伏せしていた『八斎衆』こと幹部等は、入中によって各個に分断されたプロヒーロー達の活躍によって全員無力化し、拘束に成功した。
一般の構成員も屋敷の外で相当数が暴れ回っていたが、それはリューキュウと波動先輩、そしてモブヒーローや警官隊によって1人も逃がす事なく無力化。途中地震が起こって屋敷の一部が崩壊したらしいが、外は完全に制圧していたそうだ。
プロヒーロー達の懸念事項だった敵連合については、俺の戦ったマグネを含めて、トゥワイスもトガちゃんも行方不明。警察とプロヒーロー達は、不利を察知して逃げたと判断した。
マグネとトガちゃんに関しては、多分俺しか全貌を知らないだろう。史実で2人と遭遇するハズの緑谷と相澤先生、そしてこのあと会う事になるロックロックの話からも出てこなかったのだから。
更に俺と治崎の間を割って現れた脳無は、治崎が完全に分解したせいで、1体は回収不可能になっていた。残ったのは、俺も最後まで知る事のなかったもう1体のみ。
最後に、治崎が暴れた事で起こった周辺の被害は、家屋倒壊4棟。人的被害は軽傷者3名、それもかすり傷だった。平日の朝の住宅街だから、ほとんど人がいなかったのも奇跡が重なった。
そして、治崎が住宅街に開けた大穴を、更に緑谷が広げてしまった事による修繕作業が、動けるプロヒーロー達と業者によって全力で行われているそうだ。緑谷の申し訳なさそうな顔が印象に残ったが、治崎相手にアレぐらいで収まったのだから、十分だろう。
続いて俺達ヒーロー側の被害を、先生は教えてくれた。
俺は見ての通り、腕以外の怪我が治っていない。もちろん先生は、俺がマグネと戦っていたなんて知る由もない。両腕は元通りとなっていたが、それまでマグネや治崎に受けた傷や疲労は戻る事なく、今はベッドから起き上がるのもやっとだった。
緑谷もエリちゃんの個性なしで戦った上、ワン・フォー・オールのフルカウル99パーセントを引き摺り出し、更には現時点で彼の限界である100パーセントスマッシュを発動したせいで、林間合宿以来となる酷い状態になっていた。
せっかくマスキュラーとの戦いを軽減させたハズなのに、緑谷の体の傷は誰から見ても目立つほど増えていた。
次に俺と緑谷以外の被害について。
切島は史実通り乱破と戦っていたのか、全身打撲に腕の裂傷が酷かったが、立って歩けるぐらいには無事だそうだ。俺とずっとぶつかり稽古していたのだから、結果が現れたのだと思いたい。
ファットガムも、拳の骨に何ヶ所かヒビが入っただけで、入院する必要はなし。派遣されるリカバリガール待ちで、食べる物がなくて文句垂れているとの事。
天喰先輩は、打撲が何ヶ所かあるらしいが入院する程の傷ではないらしく、今日にでも退院するそうだ。
バブルガールは奇跡的に無傷。センチピーダーが触手を多部に齧られて何ヶ所か欠損したそうだが、本人曰く時間が経てば再生できるとの事。史実と違って八斎衆と戦闘までしていたらしいが、サーのサイドキックなのだから実力だって相当だろう。無事で良かった。
ロックロックは右腕を脳無のドリルに弾かれ、筋肉剥離と複雑骨折を起こしていたが、なんとか無事だ。病院で再会した時はボロボロの俺達に最後まで小言垂れていたが、奥さんも見舞いに来て嬉しそうに、少し恥ずかしそうにしていた。
マウントレディも俺が駆けつけるまで、治崎の攻撃を身で受け止める事になっていたそうだが、巨大化と縮小化を繰り返して、傷を最低限に極限していた。俺も峰田も心配だったが、痕に残る様な怪我はないらしく、本人も気にしてないと言っていた。
リューキュウと波動先輩も、油断した勝瓶に少し活力を吸われたらしいが、怪我らしい怪我もなく、無事だった。
峰田は右腕の手の平を脳無に貫かれ、そのまま二の腕も貫通されたらしく、リカバリーガールに治癒された後にも傷痕が残ってしまっていた。
と言うか、そもそもハイエンドは俺の見た1体だけじゃなかったらしく……俺の全く知らない所で、邸宅の地盤沈下に巻き込まれた蛙吹と麗日の3人と一緒に大激戦を繰り広げていたそうだ。
それでも、なんとか倒す事に成功したらしい。さすがは峰田だ。
そんな蛙吹と麗日もそこそこの軽傷。麗日は地盤沈下に巻き込まれた時に頭を打って一時的に気絶していたらしく、さっきまで検査を受けていたが問題ないとの事。
それより蛙吹の方が酷かったらしく、身体中の包帯に加えて、舌の切り傷にまで針を縫われていた。
「切裂、緑谷」
「「はい……」」
そこまで話を終えた相澤先生は、まだ横になっている俺達に個性を発動する時みたいな、少し厳しい視線を向ける。
「今回お前達はエリちゃんの救出に尽力した。が……正直に言って、お前等2人に仮免を付与したのは少し時期が早かったと思った」
「……っ」
「せ、先生……」
相澤先生の言葉に俺と緑谷だけでなく、俺を叩くのを止めてベッドから降りた峰田と、緑谷のベッドの隣に立つ麗日まで重く口を閉ざす。
「特に切裂……お前はプロの制止を無視して治崎に挑み掛かり、その命を落とした。エリちゃんの個性がなかったら、お前は今頃ベッドの上じゃなくて別の所で眠る事になったんだ。わかるな?」
「っ……はい……」
先生の視線は真剣そのもので、俺は何も言い返せなかった。
先生は雄英の学生だった頃に、同級生を失っている。細かい話は全く知らないが、それが大きなトラウマなっているのは間違いない。
そして、事実通りならこのあと、更に残酷な運命が先生を待ち受けるのだが、その果てがどうなるのか俺は知らない。
「例え、その身を呈した姿が美談になったとしても、せっかく助けたエリちゃんの心に傷を残す事になったんだぞ」
「はい……」
治崎から散々、奴の恐ろしさと自分の個性を呪いの様に植え付けられ、心身共に支配されていた彼女だ。
自分を助けた結果で俺が死んだなんて聞いたら、それこそ取り返しのつかない思いをさせてしまう所だったのだ。
相澤先生の視線は俺の隣の緑谷にも向けられる。
「緑谷、個性の調整が安定していたのも俺は知っていたが……今のお前の姿、母親に見せられるのか? ボロボロのお前が世間から持て囃される一方で、哀しむ人がいる事を忘れるな」
「は……はい……」
彼の力ない返事を聞いて、俺は洸太くんの事を思い出した。凶悪すぎるヴィランの凶行を、文字通り命を懸けて阻止したヒーロー。
俺も緑谷も、危うくそうなる所だったのだ。
先生の説教に何も言い返せなかった俺達に、相澤先生はそこまで言ってから目を閉じてため息を吐く。
「俺も、気絶した治崎の部下を警戒しなかった事に落ち度はある。1番重要な所で、そばにいてやれなかった事、お前達にそんな決断をさせてしまった事もだ」
「そんな事、ありません……」
「先生も、大丈夫なんですか……?」
自分の不甲斐なさを謝ってくる先生も、ヒーローコスチュームの上から包帯を巻いている、そこそこの重傷だ。曰く、黒乃に襲われて10針縫ったと言っていた。
「お前達がいなかったら、エリちゃんの救出は叶わなかったのも事実だ。俺もお前達も、反省する事は山積みなんだ。切り替えていこう、問題児共……」
「「はい……」」
そう言って少しだけ穏やかな顔を見せた相澤先生に、俺達2人は力なく返事をするしかなかった。
そうして先生の話と説教が終わってから、俺は気がかりだった事を先生に話す。
「先生……エリちゃんは……」
「入院中だ……通形もな」
「ぁ…………!」
俺の問いかけに答える先生を見て、緑谷が小さく声を漏らした。
エリちゃんは個性を使ってから熱が引かずに眠っていて、隔離されたままだ。面会もまだできないそうだ。治崎の部下から聞き出した彼女の情報から、また『巻き戻し』が発動するかもしれないリスクを考慮しての結論だった。
彼女は自分の個性をコントロールできなかったハズだ。もし、また何かのはずみで発動したら、相澤先生以外止めるすべがない。
俺も緑谷も、よく彼女の個性に巻き込まれて無事だったものだ。
運が良かったのだと……思いたい……
そして、透形先輩は残念な事に、史実の通りに個性を完全に消失していた。
エリちゃんの個性で巻き戻せないかと俺は考えたが、彼女の個性が建物や地面には作用せず対人のみだった事を考えると、調整の訓練も気軽に行えるモノではなかった。未知数な上に精神的にも不安定な今は、彼女のためにも隔離しておくのが合理的とは先生の台詞。
現状では、彼女の個性には頼れなかった。
通形先輩は事実を受け入れるしかないだろう。
治崎は個性破壊弾と同時に血清を作っていたハズだ。弾をヴィランに配って、血清をヒーローに配り、このヒーロー社会を裏から独占する魂胆だった。
血清さえ手に入れれば、通形先輩をすぐに戻せるかもしれないが、情報がほとんど開示されていない個性破壊弾について、俺が血清の事を知っているのは不可解な話になる。
携帯電話も今は手元には無い。トガちゃんと連絡を取る事もできなかった。
「今、リカバリガールを派遣できるように調整している。2人とも、今日1日は病院で休め」
「はい……」
相澤先生の言葉に緑谷は素直に返事をしたが、俺はもう1人確実に知りたい人がいる。
「先生……サーは……?」
「事件の後処理で動いている。おそらく、今日は来れないだろう」
「そうですか……」
彼はまだ生きている。
守り切る事に成功した。
運命を変える事ができたのだ。
実感は湧かなかったけれども、先生の言葉を聞いてどこか安心してしまった。
「オイラ達もリカバリガールの治療待ちだからよ、明日みんなで帰れるぜ」
「うん……」
もう一度ベッドに飛びついてきた峰田が、俺の顔のすぐ横に並んで目線を合わせる。目元はまだ腫れていたが、いつもの笑顔を見せてくれた。
「麗日さん……ゴメン、心配かけて……」
「私こそ……あんなコトしかできなくて……」
隣のベッドでは緑谷と麗日が話をしていた。横たわる彼の目の前の椅子に腰掛けた彼女が、目線を合わせるようにして。
「でもね……デクくん、凄かった……!」
「ぅ、麗日さん……?」
浮遊の訓練を行ってからか、距離感がいつもより……いや、いつも以上に近い気がした。麗日の少し明るい声が、緑谷の瞳を開かせる。
「飛んでるデクくん……絵本のヒーローみたいだった……!」
「っ! ……っ、ぅ、うん……っ!」
なんか……トガちゃんに会いたかった。
そんな2人のやりとりを般若みたいな顔した峰田と眺めていたら、不意に彼が思い出した様に呟く。
「なぁ、切裂? そういやあ、お前の腕から伸びたあの刃の事なんだけどよぉ……?」
「ハッ!!?」
そのひと言で、麗日と話をしていた緑谷の顔がグルリと俺の方を向いた。
「そうだよ切裂くん! あの時はエリちゃんと治崎の事でいっぱいいっぱいだったから話をするタイミングが全くなかったけれどアレって君の血液が刃になったって事で良いんだよね!? スゴいよ体を刃にするだけじゃなくて血液までとなると刃の形や柔らかさまで自由自在みたいだったし切裂くん、君物凄いあの刃で飛び回ったり巻き付けたりしていたから機動力も瀬呂くんや峰田くんに並べるぐらい上がったみたいだったし刃を加減すればヴィランの拘束までできちゃうじゃないか! 治崎や死柄木みたいに触れたらアウトな個性にも対抗できるしフックショットみたいに動かす事もできたしもしかしたら刃そのものを射出…………ブツブツブツブツ」
「デ、デクくん……!」
「緑谷くん……」
「へ……ッ!」
全身包帯だらけで身動きが取れないのに、完全に俺の個性に興味を抱いたクソナードの呪文によって、目の前で見せつけられた2人の時間は終わりを迎えた。
それから少し経ってから、派遣されてきたリカバリガールに俺と緑谷と仲良く治癒された。
本当は通形先輩の様子を見に行きたかったが、今度は強烈な眠気に襲われてしまい、峰田と麗日も部屋に戻されて2人きりとなった俺と緑谷は、食事も入浴も取れず静かに目を閉じたのであった。
それでその日は終わってしまったが、俺の中では最後まで普段のサーの姿が脳裏に残っていた。
・・・♡・・・♡・・・
時間は少し巻き戻り、警察に確保された治崎が八斎會邸宅から最寄りの敵犯罪者専用病院に護送されている頃、敵連合は襲撃を実行していた。
トガヒミコによって『核』である壊理の確保はプロヒーロー達によって叶わなかったが、彼女は治崎が完成品を持っているのは確認済み。彼が倒されて八斎會の構成員が軒並み警察に捕まっても、まだ付近を潜伏していたマグネからの情報で、彼等は先回りに成功していたのだ。
護衛だったプロヒーローを秒殺し、警護車両を破壊して護送車両を強制停止させた死柄木は、その中から拘束台に寝転がっていた治崎を外に引き摺り出した。
「なぁにが『次の支配者になる』だ……」
「……殺しに来たのか……」
八斎會も弾丸も壊理も組長も、全てを失った治崎は空虚だった。緑谷と切裂に肉体を徹底的に削られて、体こそ元の人の姿へと戻れていたが、両手を拘束されて身動きの一切取れない彼の肌は、脳無の黒い斑点で病気の様な斑ら模様に染まっていた。
そんな治崎の姿を死柄木はマネキンの手越しにニヤニヤと笑いながら、虚な目をした彼に答える。
「いいや、お前が最も嫌がる事を考えた。俺は、お前が嫌いだ……偉そうだからな」
「俺も」
死柄木とは別の人間が呟いた瞬間、治崎の左腕が圧縮されて消失した。
「ッ!?」
痛覚すら曖昧だった治崎が目を向けると、そこには自分が腕を奪った相手であるコンプレスが、珍しく仮面を外した黒のフェイスマスクを被っただけの姿で立っていた。
治崎の顔の隣に、彼が個性で圧縮したビー玉が地面に落ち、遠くに転がっていく。断面となった治崎の腕からはみるみる内に鮮血が溢れ出た。
「コレさ……2箱あるけど、どっちが完成品? まあ、いっか」
そんな腕の事を無視して、死柄木はいつの間にか警護員から奪い取っていた2つの小さな箱を治崎の前に見せる。それぞれ色は赤と青、手の平サイズの平箱だ。
それは、治崎が完成させた個性破壊弾とその血清の入ったケースだった。赤いケースを開けた中には、通形に使用された1発が消失し、まだ4発の弾丸がある。
「返せ……」
この状況下で、まだ返り咲こうとしているのか。個性破壊弾を求める治崎に、死柄木は彼を見下ろしながら呆れてため息を吐く。
「あのなオーバーホール、個性消してやるって人間がさぁ、個性に頼ってちゃ……いけねえよな……!」
通形の戦闘で使用した通り、治崎は個性破壊弾によるヒーロー社会のシステムを支配するだけでなく、弾を使用した直接的な支配も目論んでいた。そんな浅はかな考えを予測していた死柄木は、コンプレスに使用された個性破壊弾を見てトガヒミコと企んだ最初から、彼でその弾丸の効果を確認しようと決めていたのだ。
だが、そんな彼の凶行を止める者がいた。
「待ってください、死柄木くん」
ソコには史実とは違い、治崎の襲撃に参戦したトガヒミコとトゥワイスが一緒に並んでいたのだ。
彼女に止められなくとも、死柄木はまず彼女にやるべき事を任せるつもりだった。
それだけ、この男の個性は魅了的だったのだから。
「女……!」
自分の駒にすると決めていた彼女が死柄木の隣に立っている姿を見て、治崎は自分の計画が甘かった事と、その浅はかさを後悔した。
そんな彼女は死柄木よりも前に歩み出て、足元に寝かされたままの治崎を見下した。
今までに連合の誰にも、切裂 刃も見た事のない、彼女のヴィランとしての鱗片を示す、切れ込みの様な鋭い目付きで。
「私、ヤイバくんが好きです」
「いきなり告白!? 相手が違うぞ! ヒューヒュー♪」
後ろで手を叩きながら茶化すトゥワイスに構わず、トガはその場で動かした片手を痙攣の様に震わせる。
彼女は自分の大好きな人が、両腕を失っても治崎と戦い、その命を散らす一部始終を見ていた。
力尽きた彼を遠目に、一緒になって様子を窺っていたトゥワイスにも構わず、自分の役目も忘れて彼に駆け寄ろうとした時、壊理による奇跡を目の当たりにしたのだ。
「あなたなんかにボロボロにされるヤイバくんを見て、私は怒り狂ってどうかしてしまいそうです。でも……」
そう言いながらトガが懐から取り出したのは、透き通ったガラスで作られた大きな注射器だった。
それを見た瞬間、ただでさえ潔癖症の治崎の顔に蕁麻疹が浮かび上がった。
「な、何を……!」
「あなたの個性があれば……私はもっと面白いコトができそうなのです♪」
力なく動揺する彼に対し、トガはその手に握った注射針を治崎の胸に容赦なく突き立てたのだった。
「ガぁぁぁッ!?」
刺突と同時にシリンダー内が吸い上げられた彼の血で真っ赤に満たされ、繋がっているチューブに流れて彼女の保有する血液のケースに溜め込まれていく。
コップ1杯どころではない。治崎の血液を、彼女は失血死ギリギリまで吸い取ろうとしていた。
「ァ……あ…………ぁ………………!」
人間の体内に流れる血液量は体重のおよそ13分の1、つまり8パーセント程度。体重60kgの人間なら約4.6kgが血液の重さとなり、その血液の体積はおよそ4~5Lとなる。
その殆どを奪い取ったトガは、握り締めた注射器を治崎から引き抜いた。
急激に大量の血を奪い取られ、ヒュぅヒュぅと浅く早い虚ろな呼吸を繰り返す治崎の前で、彼女は注射器に繋がっていた管を外し、そこから余った彼の血を舐める。
「テテレテッテッテッテ〜♪ トガチャンハ『オーバーホール』ヲオボエタ⭐︎」
裏声でレベルアップの音楽を奏でるトゥワイスの前で、彼女は早速と言わんばかりに自分の片手を治崎の腕に伸ばし、『分解』と同時に彼女の隣に立っていたコンプレスの腕へと『再構築』させる。
「ハイっ、
「イ゛ぃ痛ッ…………っ!? ぅおおっ!!? おぉおぉ〜〜っ!!! ありがとうトガちゃん!!」
一瞬の激痛を失っていた腕に感じるも、次の瞬間には新しく生えた自分の腕を見て、コンプレスは元々の手で腕を触りながら上機嫌な声を上げる。
そんな彼を見てニコニコと笑っている彼女を前に、トゥワイスが後ろから明るい声を上げた。
「アレぇ、トガちゃん!? 変わってないよ! 『見た目』っ! 治崎に!!!」
「っ!」
彼女は目を見開いて自分の姿を確認する。
個性を使用しているトガの姿が治崎に変化せず、彼女のままだったのだ。
「もしかして……『選べる』ようになったんじゃないの!? カ〜〜〜ッ、最近の若い子は強いねぇ〜〜! オジサン、置いていかれる一方よっ!」
「〜〜〜〜あっハ♡ コレでまたひとつ楽しみが増えましたァ♡♡」
新しい手を使って装着した仮面越しに、顔へ手を当てながら唸らせるコンプレスの前で、トガは享楽とした表情で半開きの口から牙を覗かせて笑ってみせる。
個性とは可能性。彼の言葉が更なる実感となり、彼女は頬を染めていた。
その隣で、死柄木はケースから摘み出した個性破壊弾を手に取り、治崎に刺し込んだ。
既に反応もない治崎だったが、死柄木は地面を触って分解と再構築を試すトガを見ながら、独り言の様に治崎へ話を続けている。
「へえ……消されても向こうの個性は生きてるみたいだな。コレで『オーバーホール』も俺達のモンだ……!」
もはや治崎の返事など期待せず、満足した死柄木は2つのケースを眺めながら、用のなくなった彼に踵を返す。
そこへ、先ほどからワイワイと上機嫌に騒ぐ3人の間を抜けた荼毘が、彼の持つケースを見ながら不服そうな声を漏らす。
「新型の脳無2体犠牲にしちゃあ……ちっちぇ対価だな……!」
「いいじゃないか荼毘。俺達の脳無とは全く違う代物。ドクターも興味を示すだろうさ」
死柄木の言い草に彼はまだ不満を示していたが、トガからデータだけでも提出されていた彼は素直に諦め、死柄木が手に入れた弾丸が対価に見合う物である事を期待した。
「オーバーホール……お前が費やしてきた努力、無駄にはしないさ。これからは、この世界が壊れる様子を……その咥える指もなく眺めて生きていけ……!」
治崎に顔を向ける事なく死柄木が呟き続けていると、不意に遠くから聞こえてきたパトカーのサイレンが徐々に大きくなり、自分達の乗ってきたトラックのクラクションが鳴り響く。
「追っ手が来るぞ、早く乗れっ!」
運転していたスピナーが窓を開けて、ダラダラと戻ってくる仲間達に叫んでいる。
トガとトゥワイスはスキップをしながらトラックに乗り込み、死柄木と荼毘はスピナーの言葉に構わず歩き続ける。その後ろではコンプレスが治崎へと振り向いて、ショーの幕引きを演出する様に大きく弧を描いた手を振り上げてから、トラックへと飛び乗った。
「次は俺達だ……!」
そう囁きながら機嫌の良い足取りで歩く彼の後ろで、息絶え絶えの治崎は悲鳴すら上げる事もできなかった。
・・・♡・・・♡・・・
時間は深夜となった病院。リカバリガールの治癒を受けた切裂と緑谷が眠る病室に、サー・ナイトアイは立っていた。
あの激戦を生き残り、入院したサイドキック達の調整や、警察との事後処理に全てとはいかないが概ねの目処をつけたナイトアイは1人、ベッドに眠る2人の元へと訪れていたのだ。
「………………」
穏やかな寝息を立てている2人に、話しかけるでもなく、起こそうともせず、ただ黙ってその様子を眺めている彼の背後から、不意に開いたドアから入ってきた訪問者へと振り返って笑った。
「オールマイト……ようやく会う気になりましたか?」
「ナイトアイ……私は君に、謝らないといけないな……」
そこにいたのは、インターンに赴いた緑谷が重傷であるとの知らせを人伝に聞いて、心配で彼の下に訪れたオールマイトであった。
『平和の象徴』の在り方から、いつか訪れる自らの死の未来、そして次の継承者を巡っての対立。彼の想いを散々裏切り続け、会う顔もなかったオールマイトの声色は優れない。
それでも、今こうして奇跡的に彼と巡り合わせたナイトアイは、優しく笑っていた。
「随分と畏ってるじゃないか……私は貴方を恨んではいません。貴方に幸せになって欲しかっただけですから……」
後々にだが、彼は緑谷からオールマイトが死の未来に対して抵抗する意思を聞く事となるのだが、それはもう少しだけ先の話。
抗うと決めたのならナイトアイはそれで良かったが、今の彼にはそれを超えてくれる、自分の視た未来を変える存在が目の前に存在する。
自分自身の破滅の未来すら変えて見せた、イレギュラーヒーロー。
ナイトアイは傍でベッドに眠る、切裂 刃のシーツに触れた。
「この少年も、ソレを望んでいる……!」
「切裂少年……!」
ナイトアイが彼を、通形を介してインターンに指名したという話は雄英の教師達による情報網で聞いていた。自分が通形経由で推薦した緑谷が細部を尋ねても、しどろもどろで理由を答えようとせず、本人に聞いても「通形先輩に指名を受けました」と一点張りな答えしか言わなかったため、オールマイトは今回の騒動に関わるアテを失っていた。
もちろんナイトアイとの関係も悪い彼は、本人に尋ねる事もできなかったのだ。
戸惑うオールマイトに対して、ナイトアイは穏やかな表情で眠っている切裂に視線を落とす。
治崎との戦いの最中、自分自身の数秒先の未来が確かに見えなくなったのにも関わらず、彼が現れて自分が生きている事実だけが、ナイトアイには残った。
次に自分自身に視えたのは、酷く曖昧になってしまった光景。仕事をする自分自身、自分を支えるサイドキックの面々、そして個性を失ったにも関わらず通形ミリオがヒーローとして輝く勇姿。
幸も不幸も、無限の可能性を抱いた未来が、彼には視えていた。
「まるで私が死ぬ事を予知しているみたいだったよ……!」
「本当に不思議な少年だ……!」
ナイトアイの言葉にオールマイトも、眠ったままの彼を優しく見守る。
事情は細かくは知らなかったが、切裂がナイトアイを救った事と、彼の不安を解く切っ掛けになれた事だけは伝わった。
緑谷と爆豪の個人的な争いを黙って見届け、彼には感謝してもしきれないぐらいの、借りを作ってしまった。
ワン・フォー・オールの秘密を聞いても彼は動じる事なく納得し、彼に発現した歴代継承者の個性を鍛えるべく緑谷と行動を共にする事が多くなったのを見ていた。その目に焦りすら感じながら。
まるで、そうなる事が運命であると悟っているかのように。
「『イレギュラー』か……!」
ナイトアイはオールマイトが殺される未来を変えたくて、その術を探ってきていた。
だが、未来に起こる事情を変えようと行動すると、その未来に戻す事情が起こり、彼の見た未来は変わる事がなかった。
もうどうにもならないと、思ってしまった。
しかし、その未来を変える可能性を彼は、ようやく見つける事ができた気がしていた。
この少年が、全てを証明してくれた。
最初は、ただ『ワン・フォー・オール』の器として通形を引き入れただけだったが、自分を慕い信じて着いて来てくれる彼が、自身の誇りとなっていた。
彼がオールマイトに匹敵する、新しい『平和の象徴』になれると信じて。
例え治崎に個性を奪われようとも、自分の全てを教えた彼なら誰よりも立派なヒーローになれると、ナイトアイは予知も使わずに確信している。
それでも、オールマイトの未来を変える根本的な解決には至らない事は、ナイトアイも理解していた。そして自分の行動だけでは、何も解決しない事にも。
自分がオールマイトのために行っている事は破滅への先延ばしではないのかと、自問自答を繰り返す不安を彼の秘密を共有するグラントリノに打ち明ける事もあった。
そんな彼がイレギュラーである切裂 刃を見たのは、正にそのオールマイトが出演する体育祭である。
そこで見た彼の姿に、ナイトアイは酷く興味を抱いたのだ。
彼本人には無意識だったのだが……障害走から騎馬戦にかけて、時折まるで未来が見えているかの様な先読みを見せる動きに、ナイトアイの観察眼が彼を捉えたのだ。
だからこそ、仮免まで取得した彼等の話を聞いたナイトアイは、現役のインターン生が腕試しという名の講話をする事になったと楽しそうに話すミリオを予知した。
そして、確信に変わった。
自分の『予知』に捉われない、彼。
彼に正体を問いかけた時には自分自身の生き様を返されたが、自分が散々悩んできた事を呆気なく返す彼の姿は、ナイトアイにとってはユーモラスだったのだ。
彼は通形に肩を並べる逸材の原石であり、彼ならオールマイトの未来を変える事が出来るかもしれない。
事務所内の言動でも、予測を超える以上の何かを持っているとナイトアイは確信していた。
そして、今回の事件で絶体絶命の危機に陥っていた自分を、その身を挺して守った彼を見て、ナイトアイは信じた。
「明るくて優しい世界か……!」
「私達の求める世界とは違うのかもしれないが……私も、彼の思い描く世界を信じてみたい……!」
オールマイトも切裂を見て小さく頷く。職場体験中でのグラントリノの会話は彼のしこりとなっていたが、今は晴れやかな気分だった。
理由や経緯はどうであれ『平和の象徴』とは違う、新たな平和の在り方を純粋に求めている彼に、ナイトアイは微笑んだ。
「彼の未来が……元気とユーモアに溢れた、より良いものである事を……」
そう願って、彼は眠っている切裂に触れる。
かつて、オールマイトの未来を見た時と同じように。
だが、今度は不安からの切望ではない。
無限の可能性を求めて、彼の思い描く元気とユーモアの先に、イレギュラーたる彼が思い描いた明るくて優しい未来がソコにある事を願って、意識の無い彼の視線を覗いた。
そして……
見えてしまった。
彼は病室の床に音を立てて、腰から激しく倒れ込んだ。
「───ッ!!!?!?」
「どうしたッ!?」
オールマイトの窪んだ目が見開き、慌てて駆け寄る彼の細い腕がナイトアイの肩を掴んだ。
顔からズレたメガネを大きく震える手で押さえる彼の表情は、驚愕と愕然に染まっていた。
「そんな……ッ!!? 馬鹿な……!! あ……ありえない……ッ!」
眠っている切裂の前で、うわ言の様に荒げた声を繰り返すナイトアイに、堪らずオールマイトは声をかける。
「なんだッ!?! 何を視たッ、ナイトアイッ!!!」
彼の声が病室に響く中、ナイトアイはもう一度、自分が視た光景が真実なのか確認するべく、個性を発動しようとする。
「ッ!」
たが……とても、これ以上は視れなかった。
震えの止まらないナイトアイにオールマイトが彼の肩を揺さぶり続けるが、彼はその手を掴んで止めさせる。
「オールマイト……! この少年は……ッ!!」
そして、ナイトアイは驚愕の表情をオールマイトではなく、切裂に向けたまま自らの声を振り絞った。
「ヴィランとヒーロー、双方の敵となる……!」
切裂ヤイバの献身 仮免試験〜インターン編 完
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