壬氏は、机に突っ伏し、
「いつまでいじけているのですか?」
「いじけてない。」
「仕事中だということを忘れないでください」
(もうこれ2回目ですよ。)
「分かってるよ」
(…分かってないじゃないですか。あの日、息する暇さえないほどに笑う
「壬氏様。」
「何だ、雅彦?」
「今日の午後から、猫猫に、
「ああ。結局、分からず仕舞いだったからな。…どうかしたか?」
「いえ、何も。」
「……あの時から、何か引っかかっているのだろう。」
「ええ。でも、私がそれを提唱するのは、猫猫が科学的根拠に基づいて解決した後、それでも不可解な点が残ればの話ですから。」
「そうか…分かった。」
昼頃、壬氏たちと猫猫は、翡翠宮の離れで話し合っていた。
「お前が里狩りをしている間に、1人の武官が亡くなった。」
「そうだったのですか。」
「ああ、仲間内の宴会で、酒を大量に呷って倒れ、その後、亡くなったと聞いている。」
「なるほど。」
「薬屋、本当に死因は酒だと思うか?」
少し猫猫は怪訝な顔をした後、話し始める。
「…酒好きの人間なら、飲みすぎは毒であると分かっているはずです。慢性的に飲み続ければ、臓腑を病ませ、一度に大量摂取すれば、死に至る場合もあります。先ほど、仲間内の宴会で大量の酒を呷ったと仰っていましたが、それなら死にます。」
「…だが、浩然殿は酒に強い。飲みすぎで死んだとは思えん。」
「そうですか……」
猫猫が悩むそぶりを見せると、壬氏は高順に合図を送りる。すると、高順は瓢箪のふたを開け、銀製のコップに注いでいく。
「宴席で飲まれていた酒の残りだ。」
それを聞き、猫猫の顔がぱっと明るくなる。
(酒好きなんだな……)
「浩然殿が飲んでいたものは、かめがひっくり返って全部流れてしまった。」
「では、そのかめに毒が入っていたら分かりませんね。」
「その通りだ。」
(なんか…初めてかもしれないな、執務室以外で、こんなしおらしい壬氏様を見るのは。)
猫猫は、コップの中を一瞥し、躊躇なく飲む。口に含んだとたん、酒を飲んでいるとは思えない顔に豹変する。
(ん?何かあったか?)
「どうした?」
「変わったお味ですね。」
「ああ、甘いだろう。浩然殿の好みなんだ。大の甘党で、いくら上等の燻製肉や岩塩を用意しても、手を付けない人だった。
「へえ。」
(猫猫って、辛いもの好きなのか?)
「昔は辛いもの好きだったが、ある日突然、甘党になったと言っていた。食事もほとんど甘味にするくらいに。」
「糖尿になりますね。」
「思い出話を現実に戻すな。…まだ飲む気か……」
(ふっ…この2人の掛け合いは、妙に面白い。…というか、これ全部飲む気だな。)
昔の思い出話をしみじみと語る壬氏を、猫猫が現実的な話でぶった切る。この会話を、雅彦は少し面白いと感じていた。
「宴の肴に塩は出ましたか?」
「ああ。岩塩と月餅と、干し肉が出たそうだ。同じものを用意するか?」
「いえ、その前に飲み終わりますので…」
(別に饗したいわけじゃないのよ…)
「いや…そういう意味じゃ……」
「浩然様が飲んでいたかめは手に入りますか?」
「割れて破片になっているが…」
「かまわないです。」
そう言うと、猫猫は、瓢箪に入っていた酒をすべて飲み干した。
「それと、1つ、調べてもらいたいことがあります…浩然様の、生活習慣についてなのですが………」
「……分かった、調べさせる。あと2時間もしたら、ここに来てくれ。」
「分かりました。」
猫猫は、部屋を出て、仕事場に戻っていった。
「どう思う?雅彦。」
「今のところは、何とも言えません。…ただ、猫猫は、何か感づいたようですね。」
2時間後
「失礼します。」
「おお、来たか。」
「報告書です。」
「ありがとうございます。」
猫猫は、高順から報告書を受け取ると、一通り目を通す。
「…………やっぱり…………かめの破片を、見せていただけますか」
「分かりました……これです。」
雅彦は、風呂敷を机の上に置き、結び目をほどく。
「これが……」
猫猫は、かめの内側を指でなぞり、舐める。
「なっ、舐めて平気なのか?」
その光景に、全員が肝を冷やした。
「これに毒はありません。」
そう言うと、猫猫は、あらかじめ持ってきていた布の上に、かめの内側に付いていた付着物の乗せると、火鉢の近くまでもって行き、パラパラと落とす。すると、燃える一瞬だけ、炎が黄色に変色する。
(これは…何だ?)
「はっ!……塩か?」
(ご存じですか…勉強しないとな、俺も。)
「そうです。壬氏様、言いましたよね。浩然様は、ある日突然甘党になり、以来甘味しか口にしなかったと。」
「ああ。」
「しかし、酒瓶には乾いて粒が残るほどの、たくさんの塩が含まれていた。塩は人体には不可欠なものですが、取りすぎると毒になります。」
(なるほど…なんとなく、背景が結びついてきた。)
「つまり、死因は………」
「飲んだ酒の量と、溶け込んだ塩の量を考えれば、これが原因であってもおかしくはないでしょう。」
「いや…だが、それだけ塩辛いものを飲んだら普通は味で……」
「気づかなかったんです。これを見てください。浩然様の生活習慣について書かれています。それを読むかぎり、おそらく浩然様は、塩味だけが、分からなくなっていたかと。」
「まさか……そんなこと、有り得るのか?」
「ええ、味覚がなくなる病があります。原因は食の偏りや、ストレス、真面目な人間ほど心を抑制し、その負荷は病へ変わってしまう。」
(なるほどな……
「では、一体誰が、酒瓶に塩を入れたのだ?」
「それを調べるのは、私の仕事ではありません。ただ、昨日いただいた酒にも、塩は含まれていました。甘口の酒が口に合わない人間が、肴に出た塩を入れたか…あるいは、真面目な人間を毛嫌いする者は多いです。酒の席のちょっとした嫌がらせのつもりで、気に入らない人間の酒瓶にいたずらを仕掛けたのかも。なのに相手が平気な顔で飲み続けるので、気づくまで加えてやろうと思うかもしれない。」
「そうか…高順。」
「はい。」
壬氏は、耳打ちで高順に何かを伝える。
「…御意。」
「壬氏様、私からもいくつか、質問をしてよろしいでしょうか?」
「ああ、好きにしろ。」
「では、猫猫、あなたに聞きたいことがいくつかあります。」
声をかけられ、猫猫は少し怪訝な顔をする。
「……何でしょうか?」
「浩然様の死因は、塩の大量摂取だとして、そんなに飲んでいたら、先に不調を感じると思いますが、その点はどう考えていますか?」
「それは、私には分かりません。無かったのかもしれませんし、酔った影響で分からなくなっていたのかもしれない。」
「そうですか…では、もう1つ、大量摂取で死亡するには、どれぐらいの塩が必要でしょうか?」
「それに関しても、正確な量は分かりません。ただ、酒の中には、乾いたかめに粒が残るほどの、大量の塩が含まれていたと思います。」
「そうですか…分かりました。」
「では、私はこ「最後にもう1つ」……何でしょうか。」
「死因まで推測しておきながら、犯人の追及に加担しないのは、誰かが罰せられる根本の原因になりたくないからですか?」
「…………なぜそんなことを聞くのでしょうか。」
「対した意図はございません。ただ、気になっただけです。」
「………そうですか。」
「私からの質問は以上です。」
「では、私は今度こそ、失礼し「待て。」…今度は何でしょうか?」
壬氏は、机の下から瓢箪を取り出し、机に置く
「礼だ。」
「瓢箪?」
「ああ、昨日の者とは違うが…」
「あっ、酒!」
また、猫猫の顔がぱっと明るくなる。
(本当に好きなんだな……)
「バレないように飲めよ。」
「はい!ありがとうございます。」
(こういうときだけは素直なんだな……)
その直後、壬氏は猫猫に顔を一気に近づける。
「ひっ……」
「フフッ。」
「ううっ……」
(始まったよ……)
「感謝している顔に見えないが。」
「そうでしょうか?それよりも、真面目にお仕事なさってください。」
「なっ………」
それを聞くと壬氏は一瞬たじろいだ。
(終わらせてなかったんですか……あれだけ言ったのに。)
「ため込まないうちに終わらせては?」
「まじめに仕事はしている。」
「どのような?」
「ああ、そういえば、こんな法案があったな。年若いものが酒におぼれるのを防ぐために、年齢制限を付けるべきだと。」
「え?」
「酒は
「うえ~~~~~!」
(うわすっごい大声)
「あっ……壬氏様。」
「ん?」
「その法案、絶対に通さないでください。」
「フフッ」
「うううう……」
「さあ、私の一存では何もできない」
「じっ…壬氏様!」
(嘘つけ、割と思うがままでしょう。)
猫猫は、不安いっぱいな顔をしながら帰っていった。
壬氏宅 執務室にて
「それで、雅彦。お前の考えを聞かせてもらおうじゃないか。」
「はい。ですが、それよりもまずは、高順様の調査結果の方が先かと。」
「ええ。あれから、酒瓶に塩を入れた目撃情報がないか調べましたが、結局、それらしい犯人像は浮かび上がりませんでした。」
「そうか……」
「なるほど。では、私の考えを、伝えさせていただきます。まず、今回あった事件の謎は、『誰がやったのか』そして、『本当に塩を取りすぎただけなのか』大きく分けてこの2つです。」
「塩を取りすぎただけ?どういう意味だ。」
「あの後、塩の大量摂取によって、体に起きる症状を調べたました。その結果、『頭痛』や『吐き気』などが該当しました。これは、酒を飲んだ時にも、よくある症状です。つまり、浩然様は当時、塩と酒、両方による頭痛や吐き気が起きるはずです。……にも関わらず、平然と飲み進め、倒れた。」
「…確かに、不自然ではあるな。」
「ええ。しかし、その不自然は、ごく自然な事象のように起きた。それは、この事件を企てた者が、『外部による、当たり前で確実な手順を踏むだけで成る不自然』を、『仲間内による、いくつかの偶然を積み重ねて成る自然』に見せかけられる。もしくは、『事象そのものを歪ませられる』人物であるということになります。そしてこれは、この事件を企てた者の人物像を把握する重要な鍵となります。」
「人物像を把握?一体誰なんだ。」
「そこまでは分かりません。犯人候補を絞れるということだけです。ただ、それが事実なのだとしたら、これはいたずらや嫌がらせが生んだ偶然ではなく、計画的な犯行が生んだ必然です。」
「どういうことだ?そもそも、一体どうやって?」
「…“術式”です。今回の不自然を自然なものに、偶然を必然に変えられる唯一の方法。」
「まさか…この外廷内に、お前たち以外の呪術師がいるというのか!?」
「恐らくは……」
「……高順。」
「待ってください。」
「何故だ?」
高順に指示を出そうとする壬氏を、雅彦は制止する。
「私が現場を見た時、残穢を感じ取れなかった。やり手なのは間違いありません。今更捜査したところで、捜査結果は芳しくないでしょう。むしろ、捜査した結果、今回の主犯に、後宮管理者側に術式についての知見を持っている者がいるとバレる方が、よっぽど危険です。」
「…分かった。何より、お前の考えはあくまで推測だしな。」
「ええ、そこまで本気になることはないかと。」
「そうだな。…今日は行くんだろ?」
「ええ。では、行ってきます。」
雅彦は、麟扁と一緒に後宮へ向かった。
「…なーんか、久々だなあ。」
「俺はもう、最近ずっとだよ。」
「悪かったって……どうだった?1人で行って。」
「…問題なしと言えば嘘になるが、特別危なかったわけでもなかったぞ」
「…ならいいんだけど。う~~~ッ、寒い。」
「話は変わるが、そろそろ呪霊も狩り尽くしてきたんじゃないか?北を除いて。」
「ああ。もう新しく増えないかぎりは大丈夫だろうな。……増えるから面倒なんだが。」
「だから、今日は最終的な見回りなのか?」
「その通りだ。後は、地道に北を潰していくだけ。」
「だけって、それに滅茶苦茶かかるし、呪霊も強いから、あんまり手出しできなかったんだろ。」
「けど、これからはお前もいる。戦力としては、気を抜かないかぎりは十分だ。」
「気を抜かないかぎりねえ……気を引き締めろってことか。」
「別に、今日は引き締める必要無えぞ。」
「分かってはいるんだけどなあ、変に緊張しちまう。」
「……それと、浩然様の件についてだが…完全に俺の推測という
「………分かった。」
「実はあの事件、術師が関与している可能性が高い。」
「…はっ?どういうことだよ!それ…」
「落ち着け。順を追って説明する。最初に、死因は塩の多量摂取だ。」
「塩?あの人、甘い物好きじゃ…」
「ああ。それは、浩然様が、塩味を感じられない病を患っていたかららしい。」
「そんなの…初めて聞いたぞ。」
「本人も、誰にも言わなかったらしい。相談する家族がいないんじゃ、仕方ないだろう。」
「そうか…だったら何で塩を?」
「猫猫の憶測だと、浩然様のことを良く思わない奴らが、いたずらか何かで仕掛けたってのが有力らしい。」
「……ふざけんなよ!……誰だよ!そんなことした野郎は!…あの人は、俺の!……俺の大切な人なんだよ………。」
「待て。…俺の憶測では、その死因に、何者かの術式が関わっている。そうでもなきゃ、これは、そうそう有り得ない偶然だ。」
「じゃあ、浩然様は、誰かの計画で死んだってのか。」
「ああ、それにこの事件、まだまだ続く可能性すらある。いずれ、尻尾は掴める。まだ待て、俺たちが感づいていることがバレたら、それこそ面倒なことになる。」
「……分かった。」
「取り敢えず、こんなもんか。」
「ああ、これぐらい虱潰しに祓っていけば、3か月ぐらいなら、放置できる。」
「じゃあ、これからは準備整えて、北の雑木林か。」
「そうなるな。」
「あー、疲れた。そろそろ帰るか。」
「そうしよう。」
ドオオオオンンンンッ!
その直後、何かが水に落ちる音が、辺りを支配する。
「…ん?何だ、水に落ちる音……」
「……麟扁、行くぞ。……ヤバいかもしれない。」
「……おう!」
2人は、走って後宮を出たのち、音がした方向の堀をのぞき込む。すると、僅かに人影のようなものが見えた。
「いたぞ!雅彦!」
「麟扁は、見張りの宦官を呼べ。俺は、壬氏様を呼んでくる。」
「それよりも早く助けねえと。」
「チッ、そう長くはもたねえか。分かった、俺が引っ張り上げるから、麟扁は、変わらず、呼んできてくれ。」
「分かった!」
「“
その詠唱と共に、根が出現し、落ちた人間を引っ張り上げる。引っ張り上げられたのは、どこかの下女だった。
「おい!大丈夫か!おい!」
雅彦は下女の中央部位に手を当て、胸骨を圧迫する。
「しっかりしろ!おい!」
辺りは段々と、明るくなり始めていた。
ということで、ちょっとした原作改変を加えました。
ミステリー要素強まったかな?
次回もお楽しみに