世界がその秩序の正しさをあきらめたのは、ひどく穏やかなある晴れた日のことだった。
草原は何処まで行っても目眩がするほど鮮やかだった。
翠に碧、痛烈な程のエメラルドに、毒々しいまでのヴェールデルブの茎。波立つ程に幾度にも重なったその青と緑のグラデーションは、自身を主張するように蠢いていた。
その過剰なまでの自然の海を嘲罵するかのように、一つ、また一つと十字架が刺さっていた。
果てのない地平線の向こうまで、視界の全てを埋め尽くすかの如く生えた十字の群生は、雲から溢れた陽の光に照らされていた。これらも一つとして重なることもなく、木製のものもあれば、赤錆に染まったものから半透明のすりガラスで形作られたものもあるほど、無機物なりのアイデンティティを主張していた。
それらは本来創られた意図とは全く異なり、そこに“墓標”や“祈り”といった傷ましい心は残されていなかった。それらは救済を求めて形作られたはずが、いつの間にか救済を求めていたのだ。それでいて、かつて込められていたはずの救済や哀しみはとっくに風化したように、ただただ縦横が直角に交差しただけの幾何学構造として鎮座していた。
無造作に立ち並ぶ無数の十字は、歪みふためく草の波に対してあまりにも自堕落で冷徹だった。
先よりも陽は光を増し、ガラスの十字架は草原の上に鮮烈な虹色の影を。
そしてまたある煤こけた石の十字架は暗い影を落として。
そして重力は正しさを諦めた。
何処か遠くで、あの地平線の向こう側で教会の鐘が鳴った。
地中に深く突き刺さっていた木の十字架は、まるで水底から浮き上がる泡の如く、下という方向を忘れ、静かに空へと浮上していった。ガラスの十字架も、石の十字架も、鉄の十字架も、それらは倒れることも一切なく、完璧に自身のアイデンティティを保ったまま、ただぬるい風に揺られていた。地表から空の果てまで、そしてあの地平線の果てまでも、あらゆる高度に、あらゆる場所に数知れぬ十字架が漂いながら空へ昇っていた。まるで、澄んだ白と青で作られたあの綺麗な空に、自由を求めるかのように。
役目を終えたことへの救済として崩壊は訪れたのだ。
時に、崩壊は【断罪】として。
時に、崩壊は【贖罪】として。
時に、崩壊は【救済】として。
世界は壊れていくほどに、鮮やかだった。そこには、かつて聞こえたあの悲嘆な声はもう無かった。
無数の十字架が描くアイデンティティと歪んだ色彩の洪水の中で、世界は誰に見られることもなく、最も眩しい狂い咲きの瞬間を迎えた。