有る、という事がそもそも間違いだったのだ。
そこに何かが存在していること自体、その事実自体が空間の肋骨をキリキリと締め上げていたのかもしれない。そりゃあそうだ、空間がその重みに、その不快感を耐えきれるわけがない。無であるべき空隙に、有るという重みをもった“それ”が割り込んでいるのだから。空間はいつもその不快感を念頭に、差も当たり前かのように図々しく居座り続けるそいつらに激しい拒絶反応を起こしていたに違いない。きっと、静寂こそが、この空間が挙げられる最大限の悲鳴だったのだろう。
私がそれを目にしたのは数分前の話だ。私はいつも通り、ただ優雅にコーヒーでも嗜みながら本を読もうとしていただけで、何も“それ”に触れるつもりも感じたいとすら思ってもなかった。
本を取ろうと机にふと目をやった。机の右端、空気と木片が不当に押し合いを続けている境目に、それは有った。
線になろうとしてなれない。面となろうとしてなれない。立体になろうとしてなれない。
点へと収束しようとして、自らの位置を定義し損ねる。
それは明らかに角度を持っていた。確か奥の棚に分度器があったはずだと、角度を測ろうとしてみたが何度と測ることもできない。鋭角でも鈍角でも直角でもない。“それ”は幾何学として成立することに失敗し続ける何かだった。それは光でも無ければ物質でもない、水のようにも火のようにもない。ただ“有るということ”に固着して失敗し続けている運動そのものだった。
私の脳はそれを理解しようと幾度と試みる。しかし、脳さえも“それ”を理解することを拒絶していた。触ろうと、手を伸ばすたびに脳にあるはずの認識が一本一本千切れていく。
触れた、気がした。
私の手は…。ふとそう思い爪の先で床を擦る。ツ、と音がした、固い。
しかしその硬さは床が存在してこそ享受することの出来る固さなはずだ。それとも、床が存在することをやめ始めているからこそ固いと初めて得られる感覚なのだろうか。
私はハッとして自分の頬を撫でてみた。ツゥーと、した感覚に不安を覚える。
私の手は、ここに“有る”のか。それとも、ここにないという事実だけが生暖かく脈打っているだけなのか、まるで区別がつかないのだ。
ただ、空間の音のない圧だけが部屋の四隅を押し潰していた。
不成立の幾何学は、静かに肥大化していた。元々あったはずの世界に戻ろうと、それどころか始まりを負にしようと必死にのたうち回っていた。壁と天井の境界線が他人かのように互いを拒絶し始める。そこから溢れ出てくるのは、存在することを免れたかった物質たちの、冷たい、反語的な欠伸だけだった。
男はもう、自分が“それ”になっている事すら確認できずにいた。