銀河で賞金稼ぎやっていたら、謎のヤンデレ宇宙生物に体を寄生された男の話 作:モーフ
3ヶ月前――
辺境宙域の小惑星――ドリフト・ポイントにある酒場は、酸素濃度が薄く、酒よりもまず肺にこたえる空気を提供してくれる。煙草の煙と古びたエアフィルターの匂いが混ざり合い、客の誰もが口数を控え、目だけで物を語っていた。
アゼルはその片隅、壁際の半壊れたブース席に腰を沈め、琥珀色の液体が揺れるグラスを片手に、出入り口を見張っていた。視線は低く、顔の半分は古い貨物作業員用のバイザーで隠している。黒髪は灰色のスプレーで雑に染め、顎にはわざと無精髭をつけ足してあった。賞金稼ぎにとって顔を覚えられることほど面倒なことはない。特にこれから会う相手が銀河連合の役人であるならなおさらだった。
「時間通りね」
ドアが軋む音と共に、冷えた金属臭の空気が流れ込む。現れたのは長身の女――銀河連合情報局第七課所属のヴェイラ・コルサ少佐だ。真っ直ぐな銀色の髪を後ろで束ね、灰青色の瞳は人を計測するように冷たい。軍服は着ていないが、その立ち姿は制服以上に規律を感じさせた。
ヴェイラは迷いなくアゼルの席に歩み寄ると、向かい側に腰を下ろす。無駄な挨拶も笑みもない。二人の間に置かれたのは、静かな緊張と、古いテーブルの傷だけだった。
「……その格好、似合ってないわね」
「似合う必要はない。今日はただの貨物屋って設定だ」
「貨物屋にしては目が鋭すぎる」
「目の光までは隠せないらしい」
銀河連合の役人がわざわざ自分に頼み事をするなんて、只事ではない。少なくとも正規の軍を動かすやり方が出来ないのは確実とアゼルは見ていた。
「やばい案件か」
「そうね、貴方に頼る理由は連合の中にも敵に通ずる奴がいるかもしれないからよ」
「ほう、連合も落ちたもんだな」
「本当ね、私も貴方という裏稼業に依頼してるからね」
「はっ、違いない」
軽く言い合いながらも、ヴェイラの手元から一枚のホロプレートが滑り出た。投影された映像には、角張った顎と薄笑いを浮かべた男の顔が映る。褐色の肌、左目に走る深い傷跡。
名前はゼルド・カーヴァンというらしい。
「名前ぐらいは聞いたことがあるだろう?」
「ああ。海賊上がりで今は裏市場の顔役。数年前から急に勢力を伸ばし始めた奴だな」
「その通り。だが……最近の動きはただの密輸屋のそれを上回り始めている」
ヴェイラが声を低める。酒場のざわめきが遠のいたように感じられた。
「三週間前、ゼルドは辺境宙域で未知の兵器を手に入れた。出所は不明。解析班の予測では、少なくとも現行の連合技術を凌駕しているかもしれない。彼はそんな兵器を小規模な傭兵団や海賊クランに小分けで売り捌き、あっという間に配下を増やしている」
「兵器の種類は?」
「断片的な映像しかない。形状から推測するに、自己増殖型のナノマシン群か、それに類する何か……だと考えられるが確証はない」
「つまりわからないと」
「ああ」
アゼルはグラスを回しながらその言葉を飲み込む。自己増殖型のナノマシン兵器は脅威だ。制御を誤れば惑星一つを数日で喰い尽くすものだってある。
だが、アゼルの耳は別の部分にも反応していた。連合を凌駕する技術かもしれないという事だ。もしそれが事実なら、ゼルドはどこからそんな代物を手に入れたのだろうか。
「目的は何だ?」
アゼルの問いに、ヴェイラは短く首を振った。
「わからない。情報は錯綜している。ただ、彼が動いているのは辺境宙域――連合の監視網が薄い場所だ。今のまま勢力を広げれば、連合の領域にまで手が伸びるのは時間の問題だろう」
そこまで行ったら事態はかなりの大事になる。
だがアゼルには疑問があった。
連合には切り札があるのだ。
「
「彼らも彼らで手が回らない、それに目立つ――英雄だぞ」
一騎当千の英雄を扱うのは最終手段だとヴェイラは言った。
加えて――
「それに……内通者もいる可能性がある。だから外部で信頼できると言ったら、お前になった」
「なるほどね」
信頼されているのは嬉しい。
これは事実だ。こういった稼業では必要になってくる。
「つまり、あんたらは直接手を出せないが、俺みたいなのなら動けるってわけか」
「言い方は悪いが、そういうこと」
アゼルは薄く笑った。
銀河連合は法と秩序を守る顔をしながら、こういう裏仕事を民間に押し付ける。便利屋としての賞金稼ぎは割高だから助かるが、ままならないものだと思った。
ただしゼルド・カーヴァンはこれまでと違って容易な獲物ではない。彼の冷酷さと狡猾さは、裏社会でも目を見張るものだ。
「で、報酬は?」
「前金で二十万クレド。成果次第で倍額。加えて、ゼルドが持つ兵器の情報をすべて共有する権利を保証する」
「情報共有……それはあんたらにとって痛手じゃないのか」
「痛手でもやる価値があると判断したのよ。あなたにとっても、悪くない話だと思うけど?」
アゼルは沈黙しグラスを口に運ぶ。喉を通る液体はぬるく、ほのかに鉄の味がした。
ゼルドの目的がわからない以上、これは長期戦になる可能性が高い。だが、未知の兵器という言葉が彼の中で何かを引き金にした。
危険な匂いがする。
そういうものに彼はどうしても惹かれてしまう。
「……いいだろう。だが、条件が一つ」
「聞こう」
「俺のやり方に口を出すな。連合の規律も法律も、この仕事では関係ない」
「わかった。あなたが結果を出すなら、方法は問わない」
ヴェイラの瞳がわずかに細まった。取引成立の合図だった。彼女はホロプレートを操作し、ゼルドの最近の行動記録と、辺境宙域での目撃地点を転送する。
受信したデータの中には、廃棄された鉱山衛星や、登録のない補給ステーションの座標がいくつもあった。どれも正規航路から外れた危険地帯だ。
「最初の手掛かりは、この惑星――ヴォルナ=ラグ。旧時代の採掘コロニー跡。ゼルドはそこで何かを掘り出したらしい」
「未知の兵器は太古のものか?」
「可能性は高い。ただし現地には彼の手下が常駐しているはず、油断はするなよ」
「油断なんかしない」
アゼルはそう言って立ち上がる。ヴェイラも席を離れようとしたが、彼は手を上げて制した。
「もう一つだけ聞かせろ。ゼルドは……人間か?」
問いに、ヴェイラは一瞬だけ視線を逸らした。
「少なくとも、出生記録上は人間よ」
「……そうか」
それ以上は何も言わず、アゼルは勘定を済ませ、酒場の薄暗い通路へと歩き出した。背後でヴェイラが小さく呼び止めたが、彼は振り返らなかった。
扉を押し開けると、外は恒星光の届かない人工夜。小惑星のドックには、錆びついた輸送船や改造機が並んでいる。
アゼルは自分の船へと向かいながら、データパッドの座標を確認する。
「意外と遠いな」
ワープを使っても数日はかかる。
しかもあまり行った事のない宙域だ。
「緊張感がある方が仕事の成果も良くなりやすいが、今回はどうかね」
アゼルはそのまま船に乗り、目的地へ向かった。
◆
「ふむ……」
低く呟き、アゼルはため息を吐いた。
ヴォルナ=ラグまでの航路は、銀河連合の正規航図には載っていない。航宙データは古く、実際に進んでみなければわからない宙域の乱流や微細な重力井戸が点在する。道中、半ば朽ちたビーコンが断続的に信号を吐き出すが、座標は時折ずれていた。誰も整備する者がいない辺境とは、つまりそういう場所だ。
操縦席で、アゼルは航行データを何度も修正しながら、長距離航行に備えて動力炉の負荷を調整する。小惑星帯を抜ける度、外殻に無数の小さな衝撃音が響き、そのたびに船体がきしんだ。
宇宙の静けさは、時に耳鳴りのように重い。アゼルは操縦桿を片手で握りながら、もう片方で古いスティックタイプの煙草を咥えた。煙草は嗜好品以上に、沈黙の中で時間を刻む道具だった。
三日後にようやくヴォルナ=ラグの灰色の輪郭がセンサーに映る。かつては鉱物資源で栄えた惑星だが、今では重力圏に漂う破片やスクラップ衛星が、廃墟となった文明の墓標のように惑星を囲んでいる。
大気は薄く、酸化鉄の匂いがセンサーを通して伝わってくるようだった。
着陸は慎重に行った。ドック施設はとうに崩壊しており、アゼルは平坦な採掘プラットフォーム跡を選んで着地する。
外に出ると、低重力の地表が足下で鈍く沈む。視界一面に、風化した採掘機械や錆びたレールが横たわっていた。かつてのコロニー居住区は、半分以上が砂に飲まれている。
アゼルは小型スキャナーを片手に、廃墟を歩いた。熱源反応は微弱なものばかり――多くは自動残存炉や風力発電機の残骸によるものだった。
しかし、南側の旧採掘シャフト近くで、比較的新しいエネルギー反応を拾う。
警戒して接近すると、そこには黒光りする輸送コンテナが三つ、簡易シェルターの下に並べられていた。だが、その周囲には人影はない。
コンテナの一つを開くと、内部には空の武装ラックと、焼け焦げたデータパッドが残されていた。
アゼルは慎重に内部メモリを抽出する。損傷は激しいが、解析ソフトがかろうじて一つの航路ファイルを復元した。
航路名は――《バルゲーン・リム》宙域。
備考欄には、古代構造物、生命体の殻、といった曖昧な記述が残っていた。
「……生命体の……殻?」
その単語にアゼルの眉がわずかに動くが、アゼルは標的がいないか更に調べる。
「――ここにはいない……か」
だがゼルドの痕跡はここまでだった。コンテナは空、残された補給物資はほぼ皆無。奴はすでにこの星を離れた後だった。
アゼルはため息を吐き、通信機を起動する。
「ヴェイラ、聞こえるか」
『受信中。進展は?』
「ゼルドはここにはいない。だが、次の行き先の座標を拾った。バルゲーン・リム宙域だ」
『バルゲーン・リム……聞いたことがある。未調査領域で、進入制限がかかっているはずよ』
「制限の理由は?」
『記録上は重力不安定区域。だが古い伝承だと、そこには“死せる巨神”が漂っていると言われている』
「……巨神ね。あまり気分のいい呼び名じゃないな」
『気を付けて。そこは救難信号が途絶える場所でもある』
通信を切り、アゼルは再び船へ戻った。
離陸と同時にヴォルナ=ラグの地平線が遠ざかる。荒涼とした赤褐色の惑星は、彼にとって単なる経由地でしかなかった。次の目的地こそゼルドの狙いが見えてくる場所
《バルゲーン・リム》宙域は、予想以上に不気味だった。
到着が近づくにつれ、宇宙の黒が濃くなり、恒星光さえ弱まっていくように見える。センサーは周囲に漂う微細な破片を検出し、それらが一定の円環軌道を描いていた。
やがて、視界の先に影が現れる。
それは――惑星のように巨大でありながら、表面は岩石ではなく、くすんだ有機質の質感を持っていた。
亀裂の走る外殻からは、かつての筋肉繊維を思わせる構造が覗いている。突起の一つは山脈ほどの大きさで、内部は人工的に掘削されていた。
そして姿を現したのは漆黒の穴が中心に空いた、ヒトデのような生物の死骸だった。
「……なんだこれは、見たことないぞ……」
アゼルは息を呑む。
これは間違いなく太古の生き物の死骸だろう。
しかもその内部は何らかの施設として改造されているように見えた。
「……ゼルド、ここで何をしてやがる」
惑星サイズの死骸――まるで神話から抜け出したかのような存在。それが今……宙域の中心に静かに漂っている。
アゼルはエンジン出力を落とし、外殻の裂け目へと船を滑り込ませた。
内部からは、かすかな熱源と人工信号が漏れ出している。
そこがゼルドの次の拠点であることを、疑う余地はなかった。
◆
「なんだここは……」
外殻の裂け目を抜けた瞬間、船体を包む空気が変わったような感覚があった。
重苦しくて圧迫されるような感覚だ。
空間そのものが僅かに軋んでいるような、耳鳴りにも似た低音が船内に響く。
アゼルは計器を確認しつつ、船を廃棄ドック跡と思しき空間に着陸させた。外壁は巨大な生物の肋骨か、もしくは石化した血管のような構造で囲まれており、所々に人工の補強板が溶接されている。
「……気色悪い場所だな……ったく」
船を降りると、温度差でバイザーが曇った。
内部は地表よりも湿度が高く、遠くから水が滴るような音が響いてくる。
有機的な壁に設置された簡易照明が、赤黒い粘膜のような表面を不気味に照らしていた。
アゼルは静かに進む。
程なくして、交差通路の先で複数の人影が見えた。
標的の配下であるならず者たちだ。装備は粗末――銀河市街地でよく見かける量産型のブラスターライフルに、汎用の防弾ベスト程度。
銃撃戦を長く生き延びてきたアゼルからすれば、訓練不足もいいところだ。
腰のホルスターからサプレッサー付きの短銃を抜く。
壁の影に身を寄せ、呼吸を整える。
ならず者の一人が退屈そうに背を向けた瞬間、アゼルは一歩踏み出して引き金を絞った。
光の閃きもほぼ無い銃声――わずかな呻き声と共に、男は崩れ落ちた。
残り二人が振り向く前に、アゼルは片膝をついて二発撃ち抜く。額と喉を正確に撃たれた男たちは、声を上げる間もなく倒れた。
「なんだ!?」
物音に気づいた別の巡回が駆けつけるが、アゼルは既に別の壁影に移動していた。背後を取られた敵が慌てて銃口を向けたが、その腕ごと撃ち抜かれ、ブラスターを落とす。
呻く男の口を押さえ、刃物を突きつけた。
「動くな」
「うぐ……!」
男の目に怯えが浮かぶ。
アゼルは銃を首筋に押し付けたまま、小声で命じた。
「ゼルドの所へ案内しろ」
頷いた男を先導させ、アゼルは慎重に進む。
道中、何度も分岐を抜けた。通路の壁は生物の肋骨のように曲線を描き、その間に張られた膜のようなものがときおり脈動している。
それが太古の死骸の残骸なのか、人工的に再生されたものなのかはわからない。
やがて広間に出た。
そこは吹き抜けになっており、天井の巨大な骨格から吊り下げられた光源が淡い緑色の光を放っている。
その中心に――黒い石碑が立っていた。
高さは十メートル以上。
表面には銀河の既知言語とは異なる無数の刻印が走り、触れれば骨まで冷えるような気配が漂っている。
アゼルはそれを見た瞬間、背筋を冷たいものが這い上がるのを感じた。
石碑の前に跪く影――ゼルドだ。
彼の背は広く、肩から垂れる外套は暗い紫色で、布地の縁が僅かに脈打つように揺れていた。
その周囲には十数名の仲間たちが同じく跪き、低く、意味不明の言語で祈りを捧げている。
その響きは耳ではなく、頭蓋の奥に直接染み込むような不快感を伴っていた。
「……カルトかよ……」
「案内したぞ……! 俺を解放しろ……!」
「ああ、解放してやるよ」
呆れにも似た吐息を漏らしながら、アゼルは案内役の首を軽く捻った。
「――――っ」
骨の砕ける小さな音と共に、男の体が崩れ落ちる。
死体を物陰に引きずり込み、背中のスリングから長いケースを外した。
「さて……」
スナイパータイプの消音ブラスターライフル。
銀色の銃身は冷たく、光学スコープにはゼルドの後頭部が鮮明に映し出されている。
アゼルは呼吸をゆっくり整え、引き金に指をかけた。
「……あばよ」
低く呟いてから発射。
ほぼ無音の閃光が走り、赤い光弾が一直線にゼルドの頭部へ飛ぶ――はずだった。
「――オオ!!」
だがその瞬間。
ゼルドが勢いよく振り返り、右腕を軽く上げる。
まるで小石を払うかのような動作で、飛来する光弾を片手で弾き落とした。
「……っ!?」
アゼルの脳が一瞬、理解を拒む。
ブラスター弾は光速に近い速度で飛ぶ。通常の反応速度で防げるものではない。それを見切り、かつ正確に弾く――そんな芸当は人間の域を超えている。
ゼルドはゆっくりと立ち上がった。
その動きは重力さえ意に介さないように滑らかで、外套がふわりと広がる。
そして――彼の目が、アゼルを捉えた。
「――っ! なんだあいつは……!」
淀んだ黒。
その奥で蠢くのは濁った深海のような光で、眼球そのものが液状化しているかのようだった。
見るだけで、呼吸が一瞬止まる。
「……やはり、来たか」
ゼルドの声が、広間の空気そのものを震わせた。
仲間たちが一斉に顔を上げ、同じ濁った目をアゼルへ向ける。
アゼルは銃口を下げずに、唇の端を僅かに吊り上げた。
「人間じゃなくなってそうだな……!」
ゼルドは返事をせず、ただ歩み寄ってくる。
その足音は、まるでこの巨大な死骸全体が共鳴しているように響いていた。
ゼルドがわずかに顎を引くと、その周囲の配下たちが一斉に動いた。まるで糸の切れた操り人形が突然走り出したような、不自然な動きを見せている。アゼルはスナイパーをしまい、ブラスターライフルを前に構える。
「……まとめて来やがれ!」
引き金を引き続ける。
青白い光弾が湿った空気を裂き、最前列の男の胸を貫く。
その後ろの二人も同時に吹き飛び、壁に叩きつけられて動かなくなった。
「うぉおおお!!!」
だが残りは怯まない。
呻き声を上げながら、手足を振り乱し突進してくる。
「どうなってやがる……!」
アゼルは低く転がり、腰のホルスターから短銃を引き抜いて至近距離射撃。喉を撃ち抜かれた女が泡を吹きながら倒れる。その足元を踏み越え、別の男が刃物を振り下ろす。
アゼルは左手で受け流し、右拳で顎を砕いた。
「人間じゃねぇな……!」
反射速度、筋力、どれを取っても普通の傭兵の枠を逸脱している。そして、その動きの不自然さが生理的嫌悪を煽った。
関節の曲がり方、踏み込みの角度――まるで骨格そのものが変形しているかのような有様だった。
「数が多いな……!」
背後から迫る気配。アゼルは振り向きざま、短銃を連射。
四人目、五人目、六人目……倒れた配下の数が二桁を超える頃、ゼルドがようやく口を開いた。
「ふは……ははは……」
その笑いは、金属を削る音にも似た冷たさを孕んでいた。
次の瞬間、彼の外套の下から何かが蠢いた。
背中が盛り上がり、皮膚が裂け、黒い節足のような器官が二本、伸び出す。
骨が軋む音と肉の裂ける匂いが広間を満たした。
「素晴らしい力だ……!」
ゼルドの肉体は急速に膨れ上がっていく。
腕は二倍の太さになり、爪のように伸びた指先が光を反射する。皮膚は暗紫色に変色し、表面を奇怪な文様が走った。
それはさっきの黒い石碑の刻印と同じ形に見えた。
「化け物め……!」
アゼルは即座にカービンを構え直し、全弾を叩き込む。
しかしゼルドは動きを止めない。
光弾が肉を抉るたび、黒い煙が立ち上り、その下から再生した肉が現れる。
「クソが……!」
ゼルドの一撃が迫る。
アゼルは身を翻して回避するも、その爪先が壁を抉り、骨格のような外殻が粉砕された。衝撃で天井から骨の破片が雨のように降り注ぐ。
(通常火器じゃ無理だ……!)
体勢を立て直しながら、アゼルの視線が広間の隅に止まる。
そこには燃料コンテナと、古い高出力の船載砲が置かれていた。
おそらく修理や密売用に運び込まれたものだろう。
「あれを使うしかない!」
アゼルは即座に腰のポーチから信管付きの炸薬を取り出す。
敵の注意を引きながら、距離を詰めて投げ込む。
ゼルドがそれを見て笑い、踏み潰そうとする。
「やけになったか!」
アゼルは床に落ちていた配下の死体を蹴り飛ばし、その隙に自分は遮蔽の陰へ滑り込む。
炸薬の赤いランプが点滅を早め――
「ちげぇよ、まぬけ」
――轟音。
燃料コンテナが破裂し、船載砲のエネルギーコアが誘爆した。
閃光が広間全体を飲み込み、黒紫の肉片が空中を舞う。
衝撃波でアゼルは背中から壁に叩きつけられた。
「……ぜぇ……はぁ……」
視界が揺れる。
耳の奥で高音が鳴り続け、世界が遠ざかるような感覚があった。だけどあれだけの爆発なら、肉片すら残らないはずだ。
「……ふ、ふは……」
その楽観を、湿った笑い声が砕いた。
煙の向こうから、何かが這い出してくる。
焼け爛れ、骨が露出し、片腕のない巨体。
だが、その肉は再び盛り上がり、音を立てて繋がっていく。
「――俺は死なない……!」
ゼルドが再生しながら立ち上がる。
皮膚はさらに黒く、筋肉は異様なほど肥大化していた。
もはや人間の輪郭はなく、巨大な獣のような影がアゼルを覆う。
「くそがぁ!!」
アゼルは立ち上がろうとするが、爆風で足がもつれる。
ゼルドが咆哮しながら突進。
次の瞬間、視界が黒い拳で埋まった。
「ぐが!?」
鈍い衝撃。
顎から後頭部までが一瞬でしびれ、世界が反転する。
地面に叩きつけられた感覚すら曖昧なまま、意識が急速に闇へ沈んでいった。
◆
「――んぐ……」
アゼルの意識が浮上する。
まぶたを開くと、冷たい金属床の感触と、手首や足首を締め付ける硬質な拘束具の痛みが同時に襲ってきた。
上体を起こそうとしても、背後の柱のような構造物に縛り付けられ、ほとんど動けない。
目の前に、ゆっくりと影が立ちふさがる――ゼルドだ。
「目が覚めたか、狩人」
声は、骨の中を直接叩かれるような低さだった。
周囲を見回すと壁も床も、あの生物の骨や肉片で形作られている広大な空間にいた。空間の奥には、空気が揺らぎ、視界がねじれるような黒い穴のようなものが見えた。
「ここは……どこだ……?」
アゼルの問いに、ゼルドは喉の奥で笑う。
ゆっくりとその歪んだ空間へ目線を向けると、指で指し示した。
「“向こう側”の入口だ。この生物は、その向こうから来た存在の殻だよ」
「向こう……? 何を言ってやがる」
アゼルの声には苛立ちと警戒が混じっていた。
だがゼルドは気にも留めず、片足を前に出して一歩ずつ近づく。
足音は骨の廊下に鈍く響く。
「お前には理解できなくても構わない。我らは来訪を迎えるために、この銀河に“下地”を整える必要がある」
言っている意味はわからないが、来訪が
「……結局、何を企んでやがる」
「ふふ……お前は道具だ、アゼル。向こうはお前の肉を欲しがるだろう」
その言葉と同時に、ゼルドの右腕が変形を始めた。
装甲が割れ、内部から幾重にも絡み合う黒い骨針と触手が伸びる。
まるで生きている刃が脈動するかのようだ。
ゼルドはその腕を振りかざし、ためらいなくアゼルの腹部へ突き刺した。
「……ッッ!!」
焼けるような激痛が全身を駆け抜ける。
血が喉に溢れ、アゼルは大量の血反吐を吐き出した。
視界が赤く染まり、耳鳴りが空間の揺らぎと同じリズムで鼓膜を震わせる。
「いい……その命の匂いだ。きっと向こうも喜ぶ」
ゼルドはアゼルの首根っこを鷲掴みにし、軽々と持ち上げる。骨のような指が喉に食い込み、呼吸が途絶える。
「が……ぁぁ……!」
足が宙を掻き、拘束具が外れても身体は自由に動かせない。
ゼルドはそのまま、空間の歪みへと歩み寄った。
揺らめく境界の奥には、色彩を持たない闇が広がっている。
しかしその闇は生き物のように蠢き、無数の眼のような光点がこちらを覗いていた。
「さあ――贄となれ」
次の瞬間、ゼルドの腕がアゼルを放り投げた。
身体が宙を舞い、歪んだ空間へ吸い込まれていく。
「…………なんだ……これは……!?」
黒い穴を抜けた瞬間、アゼルの視界は万華鏡を割ってかき混ぜたような光景に包まれた。
上下も距離も意味をなさず、景色が次から次へと変貌していく。
巨大な骨の山の隙間から血の海が噴き出す世界、空一面に皮膚のような膜が張りついた空間、その膜越しに覗く無数の瞳。
全てが同時に現れ、重なり、また崩れ落ちていく。
息を吸っているのか、吐いているのかもわからない。
肉体は浮遊しているはずなのに、どこかで脈打つ心臓の鼓動が骨を軋ませていた。
気付けば重力のようなものに引かれ、アゼルは“どこか”へと落下していく。
――着いたのは、常識を踏み潰したような場所だった。
浅葱色の空を、黒い太陽が焦がしている。
だがその太陽の縁には、青い炎が絶え間なく揺らめいていた。音も熱もないはずなのに、肌の内側を焦がされるような感覚が背筋を這う。
地表は青白く乾いた岩肌で覆われていた。
そこから無数の触腕――頭足類のようなぬめりと吸盤を持つ管状のものが、青白い大地を突き破って生えていた。
触腕はゆっくりと蠢き、まるでアゼルの存在を嗅ぎ分けるように方向を変える。
アゼルはドシャリと腸を外に放り投げて倒れ伏す。腹部の傷から流れ出した血が青白い地面に広がり、薄い光を反射する。
油のように重い血は足元に赤黒い池を作っていった。
段々とアゼルの指先は痺れ、視界の端が暗く滲んでいった。
(……こんな訳わからねぇ場所で……終わるのか……)
虚ろな視線を地面に落としながら、アゼルは息を吐いた。
音が空気に溶けず、自分の胸腔にこもっていく。
体温が急速に下がっていくのを感じながら、意識は断続的に途切れ始めた。
そのとき――足元の血溜まりが小さく波打った。
振り向くと、灰色の半透明な塊がぬるりと這い寄ってきていた。
形は一定せず、丸みを帯びたり、先端が鋭く尖ったりと脈動する。それはスライムのように見えたが、表面には微細な紋様が走り、光を反射して生き物の眼のようにも見えた。
アゼルはただ、その得体の知れないものを無感情に見つめた。
もはや抵抗するだけの力も残っていない。
灰色の塊が目の前まで来たとき――ふいに透き通るような女の声が響いた。
「……新鮮な血肉……」
艶やかで甘やかな響き。
だがその裏には、氷の刃のような冷たさと、飢えた獣の匂いが潜んでいた。
その声を最後に、アゼルの意識は闇へ沈んでいった。